男と女のそれぞれの事情
洞窟の中を歩いて暫く、関哉は直ぐに皐を押しのけて一人で歩き出す。
「もういいよ。大丈夫、もうへーき」
「……その怪我でもう平気も何も無いでしょうが」
皐の心無い、刃のような言葉を突き刺すが関哉はそれでも笑っている。
「へーきへーき。皐に支えてもらって、俺ちょー元気だから」
そう言ってへらへら笑っている関哉に皐は軽く蹴りつけた。結果、関哉はよろめきながら片膝を付く。
「何処がですか」
「あのな……人を蹴るな」
「いつもの貴方ならこの程度、平気だったでしょうが」
「へえ、そんなの知ってんだ」
関哉は相も変わらずへらへらと笑いながら立ち上がる。皐はそんな彼を見て冷たい視線をぶつける。
「俺の事なんて、ぜんぜん見てねえと思ってた」
「……貴方の戦い方は、見ていてとても勉強になりますから。見ていましたよ」
「そっか」
言われた関哉は笑顔で返した。皐はそれに対して氷よりも冷めた視線を彼に送り続ける。それでも関哉は笑顔でいて。
「何で笑ってるんですか。その怪我で、立っているのも辛い筈なのに」
「男が、可愛い女の前で辛いとか言えるわけねーだろーが」
「……茶化すのですか」
「俺、かなり本気だけど……でも、俺そんなにお前を怒らせる様な事をしたっけ?」
「私、一本気の無い人は嫌いですので」
問われた皐の答えはふんと顔を逸らすくらいだった。それでも関哉は笑っていて。
「やっぱ、お前と一緒に居ると元気になるわ」
「はあ? 何が言いたいんですか」
「お前が可愛いってことだよ」
ヒュっと、関哉の前を何かが横切った。見れば皐が刀を納めようとしていて、どうやら刀を一閃したらしい。
「茶化すのはそこまでにして下さい」
「茶化してねえよ。その着物だって、似合っていて可愛いよ」
笑顔と共に言った言葉に皐は苦い顔で顔を隠した。
「だから貴方が……嫌いなんです……!」
呟いて皐は駆け出した。それを見送って関哉は微笑んで、漸く脂汗が顔に浮かび上がる。
「っつぅ~……あーくそ、惚れた女の前で無様は見せられねえって、痩せ我慢するもんじゃ、ねえなぁ……」
言って関哉は言って頭をガリガリと掻きながら地面に座り込む。
「てーかさあ……何時敵が来るかわかんねえのに人を置いていくなよな~……」
そう言って洞窟の一角を抉り取って口に含んだ。ガリガリと音を立ててやがてそれを飲み込んだ。更に深呼吸して呼吸を整えて、見る見るうちに関哉の体に活力が戻っていく。
「もう一寸皐の香り、堪能したかったってのに」
関哉はそう言って剣を杖に立ち上がり、思い出すは肩越しに香って来た桜の香り。
「あ~男はつらいわ。愛想の一つでもくれりゃいいのによ」
言ってぱんぱんと砂埃を払いながら立ち上がる。彼が砂や岩を食うのは、それが地属性魔法使いの特性ゆえだ。岩で付いた傷は、岩を取り込むことで癒せる。
あらかたの体力を戻した関哉は皐の後を追う様に歩き出す。
皐は先程のやり取りを思い返しながら歩いていた。関哉との会話、そこから生まれる感情はただただ嫌悪感のみ。
思えば彼は初めから皐にとって目障りとも言えた。飄々としていて、真面目じゃなくて、直ぐに自分の意見を変えるような軟弱な男。
だけど、思えば彼の言動は皐が好まれようと努力し続けるのも知っていた。事実、今もしているしし続けている。
「それが……目障りだ」
かにさわる。一々人の神経を揺さぶる。本当に、不愉快でしかない。何故なら、その行動に皐は。
「嫌いじゃない……ええ、そうですとも。嫌いじゃあ、無い」
そうだ。嫌いじゃないからこそ、憎い。だって、嫌いだと言っているのに。今も嫌ってる所は変わってないのに、そこだけは今も一緒なのに、何で好かれようとするのだろうか。
「嫌いで」
いたいのに。嫌いのままで、いたいのに。嫌いのままでいたいのに。本当に。
「腹が立つ」
何が腹が立つのかと言えば、正直言ってそこまで嫌いではないからだ。彼の行動や台詞に皐は嫌悪感ではなく、寧ろ好ましいとさえ思えてくる。
例えば、つい最近再会したときに行き成り着物を褒めてくれたとき。あれだって無視していたが、はっきり言って、嬉しかった。本家に呼び出されて行き成り着せられて、なんやかんやとそのままで放り出されて、最初に褒めてくれたのが彼だった。嬉しかったけど、相手が彼じゃなければ、と何度も思う。
例えば、護堂に負けた時に彼がしてくれた対応。負けた自分のプライドなどを気遣ってくれているのがよく分かって、嬉しいと思ったが同時に相手が彼と知って同時に落胆した。
それ以前から、彼は月宮皐の印象を良くする為に色々行動してくれた。確かに嬉しいともいえるし、前途のとおり皐は彼自身の事をそこまで嫌ってもいない。でも、だからこそ。
皐は、関哉が嫌いだ。その始まりは彼のナンパ癖からで、単純にあっちこっちとこの身の女と見れば誰彼構わず口説いていくその様が嫌いだった。皐が言っていた一本気の無いというのは正しくそれであった。
別にナンパ自体を嫌っているのではない。ただ、誰彼と声をかけるその様が嫌いだったのだ。あれも之もと言うそのあり方が、どうあっても皐には受け入れがたかった。だから。
「嫌いです」
男はフラスコを振っていた。中の液体は七色の輝きを持っていてどう考えたとしても全うな中身ではない事は一目瞭然だった。
「水純君は元気かなー」
無色透明な男の声が漏れる。その声色には何も篭っておらず、ただの声、或いは文字となって流れて行った。男の表情は至って無で、何を考えてるのかは読み取れない。
「うーん、まいっか」
言うと同時にフラスコを後ろに投げる。そこには丁度良い感じに人が集まっていて、男の背後では悲鳴のオーケストラが響き渡る。そんなバックコーラスを背に男は携帯電話を取り出す。
「俺だ」
『僕だ』
「そうか」
『そうだね』
「状況は」
『空腹だね』
「じゃあ特性の農酸を送っておく」
『ありがとハニー』
「例には及ばない」
適当な会話を行いながら毒物の入ったであろうフラスコを彼方此方に投げ捨てていく。同時に起きる悲鳴と絶叫のシンフォニーを無視してとことこと歩いていく。
『そういえば数貴君』
「何」
『やかましいけどどうしたの』
「俺のファンが煩くて仕方ない。お前いらね? 5enでいいわ」
『間に合ってるよ』
「遠慮すんなよ」
言いながら目の前の当人曰くファンに対して何かの水を叩きこんで歩いていく。
『隠密行動してたんじゃないのかい?』
「え、欲しくない? ファンクラブできりゃあきっと儲かるんじゃね?」
『いや、冗談とかじゃなくてだね』
「ん? 何の話?」
『……君、最近よくないこと考えてない?』
「いい事考える男に見えんの?」
数貴は言いながら適当な階段に座り込んで足を組んで水筒を口にし始める。
『いいや、見えないね。君はどっちかと言うと悪党ぶってる子供だよ』
「ならいいだろーが。俺は所詮何時まで立ってもクソガキだよ」
言って数貴はスイッチを取り出して押し込んだそれと同時、大量の水が流れて何もかもが押し出されていく。
『ならいいんだけどね。最近、君のことがよく分からないからさ。急に弟子を取ったり僕の仕事に興味を持ち出したり』
「まあ、そのうち分かるよ、そのうち。んじゃ」
そう言って携帯電話の通話を切った。そのまま数貴は階段に寝そべり。
「さあて、仕込みは上々。全部予定通りってな……まあ、上手くいけばいいんだけど」
ではまた。