忘れた黄昏
ゆっくりと、椅子の主が振り向く。そのからみえた顔にティンは驚きのあまりに頭が真っ白になった。
何故かと言えばそこにあった顔は。
「あた、し……?」
そう、そこに居たのはもう一人のティン。
彼女は呆れた表情で長い金髪をかきあげて椅子全体をティンに向けた。
「あ……え……」
「何で貴方が此処にいるの」
叩かれるように出たのは冷たい言葉。その言葉に圧されてティンは逆に何も言えなくなる。更に畳み掛ける。
「再度質問を行う。何故貴方が此処に? 自分で見切りをつけて此処には用が無いし出来る事も無いし出来ても来てはいけないと戒めをかけて去った貴方が、どうして此処に」
切り裂くような冷たい言葉の羅列。だがティンはこんな所……そう、自分の深層領域にもう一人の自分が居る事に気付かず、いやそれどころか此処を封印していたと言う事実さえ今まで知らなかった。
現実では。
女剣士は急に動かなくなったティンにいぶかしんで動きを止める。まるで電源の切れた人形のように力を抜いて動きが止まったティンを見て。
「こいつ、さっき既知感って言ったな」
――デジャヴ、既知感って言いましたか、その小娘。
「知ってるのか、草薙」
――心当たりなら。いやしかし……何故こんな時に、それもラグナロックの継承者に。
「おい、待て」
ぴくり、と女剣士の見てる前でティンがゆれた。しかけて来るのか、そう思った瞬間にはふっとティンはその姿を消す。
思わず身構えるが、襲ってくる気配も無いし何より殺意や敵意が、感じ取れない。それが奇妙に感じる。何だか、ぬるま湯を飲まされたと言うか、ぬるい風を浴びたというか、とても嫌な違和感。
それを感じてその場から動けず、嫌な静寂に包まれ、思わず荒い息を吐いた。
何もない。何も来ない、そう思って一瞬気を緩んで息をはこうした瞬間。何か、あらゆる何かを超越した感覚で女剣士は危機感を感じ取って、吐こうとした息を飲み込んで構え直し。
音もなくうなじへ高速で一閃、重い斬撃が響いた。
「んなっ!?」
目で追うが、それよりも早くティンは陽炎と消え去り、さらに別の方向から一閃して斬撃が響く。一瞬、ティンと目が合う。そこには何も無い、空虚な瞳があるだけだ。意思も何も感じない、殺意も敵意も何も。あるのは、ただの作業感。
「こいつ、あたしをただの障害とでも思ってんのか!?」
ぎりりと歯を食いしばり、腰を落として長刀を握り直して女剣士はティンに飛び掛る。獣のように、本能のまま先程のような斬撃の暴風を叩き込む。
だが、ティンはほんの僅かな回避運動だけでそれらを全て往なして行く。まるでこの程度の暴風はそよ風だとでも言わんばかりに。
それを、深層意識のどこかでティンは感じていた。
ちらり、ともう一人のティンがその映像へと目を向ける。その目は現実のティンよりも鬱屈としていて、酷く面倒臭そうに感じながらキーボードに指を躍らせる。それに浮き出る幾つもの計算式。一度に何を計算しているのか、ティン本人には考えも付かない。
「一体、なにをしてるの」
「障害の削除。ふむ、手こずるらしい。一手で潰せないようだ……仕方ない、真っ当に組み立てるか」
言っては指を止めることなく画面に注目する。ティンには一体目の前の情況が理解出来ずに混乱が深まるだけだ。
「何、これ。一体、何なの」
「あなたは理解してはいけない。理解しては絶望して希望を見出してこんなものはいらないと投げ出したじゃない。最近、やたら酷使するようになったけど、ああそれとも」
ぐるりと、踊る指も止めずに振り返って。
「そう言う事態が長続きしているのか。もっともっと、今までの人生がひっくり返るほどの事態。もっと難解な事態に遭遇し、それを前にして普通にしてたんじゃ無理だと察してもっと深みにハマったか……それを嫌って希望を見出したのに」
「何、言ってるの……わけわからない……わけわからない、わけわかんないよ!?」
「それでいい。寧ろ、理解すれば一周回って同じ場所へと戻って面倒だ。これはそういう円環、ウロボロスとも言える地獄だよ」
続く対話は平行線。何を問いても変わらず、戻って来るのは正答ではなく否定と拒絶。理解ができず、混乱してて意味が飲み込めない。
分かるのは、彼女が何かをティンから遠ざけようとしていることだ。だが何も理解できない以上、ただで引き下がることだけは出来ない。そもそもここは自分の体内、深層意識の底に等しい部分なのだ。そんなわけのわからない部分があることは流石に許容しきれない。
だから。
「ねえ。なんで知っちゃいけないの?」
「……そう聞いてる時点で答えることはない。あなたに教えたら……いや、寧ろ教えた方が理解するか」
「えと、何?」
「これは、一言で言うと」
続く言葉にティンは。
「――――、だよ」
精神が焼ききれた。認識しきれず、いやそれが一体なんなのか理解して、ティンは壊れるしかなかった。
現実では未だに斬撃の暴風が乱れ狂う。
幾つもの斬線、一振りごとに幾重もの剣閃が舞、空中を自由自在に踊り駆ける化物を捕らえんと追い縋るも全てが当たらずに追いつかない。
何をしても至らず、何をしても届かず、風を読んで動きを把握しているのにその動きが全てすり抜けて自分の体を貫いていく。奇妙な違和感と焦燥感、それらが女剣士に変に纏わりついて気持ちが悪くて居心地も悪い。
殺意が無い。敵意も無い。意識すると言う次元にさえ到達されていない。思われてることはただ一つ。
「既知感だ」
これだけ。これだけしかない。つまりこの女は。
「見たことあるってか!? そりゃ悪かったなあ」
陥没した洞窟の上空に舞うティンを見定め、女剣士は風を纏って跳躍して斬撃の突風を見舞い。
「じゃあこいつは」
更に空中で回転してその動きを応用して納刀して。
「どうだよ化けもんッ!」
空中で居合い抜きを放った。
風をまとい、空中で踏み込んでの抜刀。突風を突きぬけ、その剣圧は更に宙を舞うティンへと殺到するが、刹那の間に刃の刃の間を物質化した光を踏み場として、踏み抜け踏み抜け本当に何処かで見たような踊り子の動きで一気に落下して女剣士の肩が抉られた。
呻きながらも地に落ちていくティンをしっかりと目で追いながら今度は逆位置になったティンへと向けて剣圧を飛ばそうと構え、そこにティンが再び宙の女剣士に向かって飛翔してきた。
「な、なにぃ」
舞い飛ぶ剣戟に対して風を纏うことで空中の体勢を整えて切り捌くも更に剣戟は幾度と無く続き、相手も風の属性が扱えるのではと邪推するほどだったがいや寧ろその動きは見れば見るほどに風を纏って生み出す翼で飛んでいるのではなく、光を物質化することで足場を生み出して跳躍しながら踊って切り付けに来ているのだと実感させる。
縦横無尽、空中を自由自在に舞い踊りきりつけて行く様は正しく芸術と呼ぶほか無くその動きは完全に人間が以外の何かでしかなかった。
空中で旋回、果てには直角に曲がって方向転換してはバク転に自由落下、まるで演奏者がタクトでも振るっているかのような鮮やかな剣戟。それに対して女剣士は何度も反撃を試みるが全てが無意味となって突き抜けられる。
何かがおかしい。
此処は空中、空の上、風の魔法が使える自分自身が圧倒的有利なはずなのにこの体たらく、全く持って理解できない、理解に至れない。
幾ら切りつけてもかわされ捌かれ、果てには無駄だと言わんばかりにその斬撃にのって切り込んでくるその様。自分が相手をしているのは本当に人なのかとさえ思えてくる。
「チィッ、激しく面どくせぇぇぇぇぇぇーーッッ!」
叫んで体勢を立て直すついでに全方位に斬撃を放ち、風を持って空中を舞い踊るティンと正面から切り結びあう。
相手は風が使えないはずで、空中での動きなら自分の方が優れているはず。なのにティンはまるで重力も風も味方につけて立ち回っているような動きを見せつける。之では埒が明かないと判断した女剣士はティンへ向けて長刀を突き出し、切り結んだところで長刀の向きを変えて下に突き落とす形となり。
「落ッちろおおおおおおおおおおおおおッッ!」
そのままティンごともとの洞窟の地下へと叩き戻した。
激しい衝撃にティンは中途半端なところで覚醒して、再び意識は深層意識に落ちていく。
「ふむ。計算している事案が濃厚と言うか、重いようだ。その上、どのように立ち回っても反撃されると……厄介にも程があるな。之では幾ら貴方に真実を叩きつけても意味が、無いか」
「……ねえ。――――って、何」
「へえ、それを言葉に出来るんだ。自我崩壊レベルの禁句を」
「わから、ない。ノイズがずっと、頭に響いて……急に、一瞬で、頭がおかしくなって」
「それが真実。貴方が禁忌としていた現実、だよ」
「ああ、そうだ。剣……あたしの剣、探さないと……」
「ああ、それ? それなら」
そう言ってもう一人のティンが指を踊らせ。
現実のティンは当然のように衝撃を最小限に抑えて即座に立ち上がり、踊るように洞窟内を移動するとふぉ憂く津の一角を切りつける。
「チッ……もう立ちやがった。何なんだありゃ」
――マスター、そいつ既知感と言ったんですよね?
ティンが切りつけた場所、そこから粉塵が舞い同時にティンの愛剣も飛び出た。
「ああ、さっきから言ってぞ。それが」
――実を言うと、ああいう既知感と言う感覚を感じる奴に、心当たりがあります。
「な、に?」
宙を舞う己の剣を握ったティンは手早く剣を鞘に収める。
それを深層意識の中でティンは。
「うそ」
「魔力の波動と失くした位置がつかめてるのならこの程度の芸当は当然。それよりずっと気になってた」
呆然とするティンにもう一人の彼女は冷たく見下ろす。
「……ふむ。やはり反応が妙だ。自分から態々自傷行為に走ってくるとは……一体何が……ああ」
と、もう一人のティンはなっとくしたように椅子の向きをモニターに向けると。
「貴方、最近黄昏を見ていないでしょう」
「……え。何、それ……」
唐突に言われた言葉に、ティンは呆然と返した。
じゃ、また。