白銀の獅子
「次、貴様に勝負を挑もう」
護堂はそう刀の切っ先をティンに向けた。本人は惚けた様子で返すが。
「お、おい、何でこいつに」
「貴様は黙っておれ。貴様、先程皐とか言う娘に、ひけと言ったな。あれはどう言う意味だ?」
護堂は格摩を無視してティンにだけ問いかける。
「おい、どういう意味だよ? ひけってあの状況じゃ、つまり下がれってことだろ?」
「果たしてそうか? 本当に、貴様は退けと、退けと言ったのか?」
真っ直ぐな野獣の視線がティンを見つめる。だが、問われた当人はあっけらかんと。
「違うよ。刃を立てて引けって言ったんだよ」
そう、言ってのけた。
「だって、あの時引けば切れたじゃん。皐の勝ちだよ」
「ほう、わしが腹を割かれた程度で負けると? いやそもそも、あの状況でわしを切れた、と?」
「幾ら腹筋が硬かろうと筋肉の塊でしょ? 引けば切れるよ」
ティンは何を言っているんだと問い返すかのように言い切る。護堂はその答えを聞いて、愉快そうに笑い声を漏らす。
「そうか、そうか……ならば、わしと一試合するか?」
「んー良いよ」
あっさりと返した。ティンは一歩踏み出して剣を抜き出す。
「友の弔いか?」
「最近、化物とばっかだし。いっそ開き直る」
そう言ってくるりと剣を舞わすとティンは次の間には消えていて護堂の周囲で火花が咲き乱れ、護堂の持つ双剣が嵐と巻き起こるもティンの姿は何処にもない。
「あいつ、何処に」
「毅然と」
響く声は真上、護堂の視線が太陽の方へと動き。
「きっらめけえええええええええっっ!」
閃光を纏った彼女が真っ直ぐ落下速度を剣に乗せて落ちるが。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――ッッ!!」
「ッッギ!?」
返すような放たれる野獣の如き方向に思わずティンの剣が鈍った。そこに放たれる剛剣の暴風。流石に誰も彼もが先程の皐の二の舞だと思った。一部の人は目を覆い、目を逸らす。だがティンはその嵐を踏みつけて刹那の間に陽炎と消える。
「あいつ、何処に消え」
「そこだ」
格摩の問いに答えるは護堂の声。続くように響く剣戟と舞い散る火花、一体どれだけの速度で彼女は動いてるのかと言うと。
「ちょこまかと」
漏らす言葉に続く乱舞する双剣、続く火花と激しい剣戟の音。端から見れば護堂が一人剣舞を見せているようだが、であれば続く火花の説明が付かない。つまりティンが追われているのか追っているのかあれはあれで剣を切り交わしているようで。
「ぬ」
気付けば斬線が護堂の頬を掠っていた。一瞬、ティンが護堂の真後ろに立っているが、その直後には残像を残すほどの速さで返しの刃を繰り出してティンは陽炎如く消え去る。
ティンの視点に移してみると。
遠慮の欠片もなく繰り出されてくる刃の狂嵐、ティンはその中を視認し、自分に迫る刃を器用に弾き落としていく。まともな精神の持ち主ならこの野獣の気配を持ち、自らを食い千切ろうと襲い掛かって来るこの剣戟を前に我を失い、飲み込まれて宙を舞い踊るであろう。
しかし、ティンは違う。何故かと言えば、彼女にはある経験があった。自分より腕力や剣術の上を行く人間との経験。理不尽とも呼べる強敵との戦闘経験。亮に、記憶にはっきりとは無いがエーヴィアとの戦闘。この二人との戦いの経験を持っているティンとしてはこの程度が一体如何なのだと言う。ただの荒れ狂う嵐だ、しかも手を抜いているのか狙いがまばらだ。このくらいなら。
(切り、捌けるッ!)
拮抗出来る。限界まで振り絞り、剣閃を迷わすことなく切り結べば、この状態の維持は出来るだろう。だが、切り結んだだけでは勝てない。手抜きの相手を、守る程度で精一杯ではどうしようもない。ではどうしろと? 此処で一体何を持ってこの怪物を制しろと? 自分の力では如何しようもない。どうしようも、この化物を超える手建てなど、
「本当にそうかい?」
何もかも超越した次元の果て、ティンは誰かの声を聞いた。
「君は本当にアレには勝てないと言うのかい?」
分かりきった事を、とティンは思い返す。
「よく相手を見たまえ、あのような獣を君は御せないと言うのかい?」
無理に決まってるだろう、とティンは返すが。
「よく見てごらん」
響く声は優しさに満ちて、どこかで父性さえ感じる。
「あれはただの野獣だ。血肉に飢え、獲物を捜し求めるだけの獣だ。まだ、全力じゃあない。なら、まだ君にも御せるよ。さあ、落ち着いて。息を吸って、吐いて、よく見よう。剣の一つ一つに無駄が多い。君の剣なら、余裕を持って通るんじゃないかな? 恐ろしげなのは見た目だけ、一つ一つの挙動を注意深く見るんだ。そうすれば、ほら」
男の優しい言葉を一つ一つ受け取り、ティンは頭に染み込ませていき。
「ただの、野獣だ」
最後には、男の言うとおりただの痩せ細った獣となった。
「む」
最初に異変に気付いたのは護堂。刹那の間に、護堂は何か奇妙な違和感を噛み締める。
(この娘、何があった? まるで、別人の)
次の間に護堂の目には正しく奇跡が映った。まるで針の穴に糸を通すような繊細な剣捌き、一瞬と言う僅かな間。剣を振り抜いた刹那と言う時間に格下にしか見えなかった小娘が繊細かつ大胆な剣捌きで自分を切り裂きに来ている。
一撃を切り捌き、ティンは踏み込み、刃が戻って来るほんの僅かな時間。その僅かな時間に懐に潜り込み素早く踏み込み切り込み、痩せた獅子を仕留めんと嵐の間を縫って剣を振り込み――首筋を抉る程度に終わった。
「なっ」
「ぬぅ」
互いは動きを止めて硬直する。狙った筈だ、きちんと首を刎ねる勢いで切り込んだ。だが結果はかわされ思いっきり外れている。護堂は唸りながら切られた筋を撫でる。
「この刃、魔力が流れてなければ今頃わしは死んでいたな。いや、慣れぬ者であれば首筋を切られた感触だけで意識を手放すだろう。しかし、この通りの結果だ」
ティンは歯を食いしばって直ぐに護堂との距離をあけ、気が付いたように周囲に目を配る。
「わしを切るには程遠かったな……しかし、小娘。貴様に聞きたいことがある」
「あ、おい! さっきのやつは何処?」
「は? 何言ってんだお前」
「え、だってさっきあたしに」
と言ってティンは止まった。先程、何か助言を貰った気がするが一体それは誰からだ? 一体どうやって? そこまで考えて護堂から問いかけられてる事に気づく。
「その剣、誰に習った。その構え、そしてその剣の基礎に見え隠れする影……見覚えがある」
「……え?」
護堂の言葉に、まず初めに浮かんだの疑問。一体それが何なのだと言う。いやそもそも、何故今になってそれを? 気付けばティンはある事実を思いつく。
「あんた、もしかして亮やスガードって奴の友達か何か?」
「ぬ、聞き覚えの無い名だが。それが貴様に剣を教えた者か?」
「そうだけど」
「違うな」
ティンは頭を捻る。奴らとは無関係と言うのなら、一体誰のことを言っているのだと。
「貴様に剣を握らせたのは誰だ?」
「へ?」
「初めからその男が仕込んだ訳ではないのであろう? ならば居る筈だ、貴様に剣を握らせ、その基礎を教え込んだ人間だ。誰だ?」
言われて、ティンはそう言えばと思い出した。一番最初、誰が剣を仕込んだのか。
「じーさまだ」
「何? 名は」
「え? そーいや聞いた事無いな」
「では、貴様の家の名は」
「え、あー……山凪だけど」
その名を聞いたとたん、護堂は口をあけたまま棒立ちとなる。一寸の静寂の後、護堂から轟くような笑い声が上がる。
「そうか、そうか。あやつ生きておったか……宗治郎ッ!!」
「宗治郎?」
護堂の笑い声を切り裂くように放たれた台詞にティンは疑問を抱くが、それ以上に周囲がざわめき始めた。
「お、おい、宗治郎っていや、まさか」
「山凪って言ったよなこいつ。じ、じゃあ、本当に山凪宗治郎なのか?」
「嘘だろおい、じゃああいつ山凪宗治郎の弟子ってことか?」
「蒼末護堂が山凪宗治郎のことを知ってるのかよ、すげえ!?」
「こ、こんな所でよもや、山凪宗治郎の名を聞くことになろうとは」
誰もがその名を口にして恐れ慄いてティンを見る。一体何故なのか、その理由は何なのか、答えは意外な所から出た。
「おい、お前、山凪宗治郎っていや」
格摩が、声を震わせながら口にする。
「瞬光の剣聖と謳われる、伝説の魔法剣士。魔法学校の教科書にも載ってる超有名人じゃねえか!?」
「……え? なに、どういうこと?」
その言葉にただただ困惑するだけだ。
「貴様、宗次郎の子……では無いな。顔が違い過ぎるし、あの夫婦からこのような見事な金髪を持った娘が産まれるとも思えん」
「あ、え、あたし、その、じーさまの子じゃないよ、えと、孤児だよ、あの、家が孤児院で」
「孤児、か。そうか、宗治郎の奴め……そのような事を……まあ、いい。さて」
直後、何かが変わった。先程まで放出されていた覇気が一気に収縮し、何か別の生き物と化していく。
「では、続きと行こうか。手は抜かん、貴様が宗治郎の子だと言うのであれば」
構えが先程とは違う。ただ刀を握って力を込めずに持っていた構えから、力強く上段に双剣を握って構える。もうティンの目に、獣なんて映っていなかった。そこにあるのは、ただの剣士。剣に生き、剣に死すと決め、己の運命と定めた男の姿。これが、かの白銀の獅子と謳われし剣士、蒼末護堂と言う男の真実の姿。
それを見てティンは。
「その力、その全てを搾り出すがよい。わしが、全力を持って相対しよう」
ただ、剣を構え、前を見据えて構える。
「蒼末家秘伝双剣術が使い手、蒼末家当主、蒼末護堂。いざ尋常に、参るッ!!」
此処から先はあえて書く必要は無いだろう。何故なら、過程が如何であろうと、ティンと言う少女がぼろ雑巾のように切り刻まれて打ち捨てられるのには変わりは無い。
それに、続行した後の事を正直ティンは覚えていない。ただ分かるのは頭が真っ白になって意識が消し飛んだ事と、二度はあの優しい誰かの声が聞こえなかったことだけ。
さて、次に国を捨てたのは……氷霊ですね。
氷霊。
剣術四天王の中で最も『国を失ったか』どうかと言う意見の分かれる家である。この家は元々『氷霊』と言う氷の魔力を帯びた魔刀を家宝と祀り続けた一族であり、その剣術も四天王の中で最も魔導と密接に関わり続けた家でもある。
この家が国を失っていない、と言われるのがそもそもこの家が国を失くしたのは月宮の様に『不要と思って捨てた』でも蒼末の様に『時代に合わず、民に最も合う形とした』訳でもなく、ただ没落したからである。
元々は国として運営を続けていたものの、民主主義が世界中に広まって行くと同時に都市間連合に人が流れてしまい、国として運営する事も維持する事も出来なくなってしまったのが大きな原因である。
それでも氷霊は武門の家として剣士として格あるべき、と言い張りあくまで剣士の家で居続けた結果が現在の道場付きの一軒家であるとされている。大きな戦がある訳でもなく、さりとて英雄的な剣士数人で国が出来る時代でも無く、かと言って時代に合わせてスポーツに生きる事は剣士の誇りが邪魔して出来ず、何処までも武将としてあり続け時代の流れに逆らい続けた結果である。
その為現代のあり方に馴染めていないと言う意見が多く、月宮の様に何処までも剣士として生きる事も、蒼末の様に民の事を考えて一市民として生きる事も出来ないままであり、そのあり方は今の子孫達にまで強制しているというありさまである。しかし、そのあり方を評価する者も少なくは無く『剣士として最も誇り高い家は』と聞かれた場合氷霊の名が挙がる事が非常に多い。ただ、そのあり方故に否定意見も多く賛否両論の多い家であるのも事実である。
んじゃ、また。