会ったかも知れない誰かと
「……まあ、あんたが家出をしてようと別に良いけどね」
気絶から復帰したクリスは砂埃を払いながら同じく復帰したティンに告げる。
「一先ず、あんたの今格好について何も聞かない」
「え」
その発言にティンは驚いた。如何言い訳すればと頭を回して居た所に言われたのだから。
「あんたが髪を切るって余程の事だろうし、聞いた所で変に誤魔化すでしょ」
「え……っと、その、助かる」
「別に。それと、帰るならさっさと帰らないと、華梨今頃かんかんだと思うわよ」
「……うん」
ティンは申し訳無さそうに頭を下げる。クリスはそれを見届けると大剣を頭上で振るう。すると鎖が生み出され、再び彼女の体を雁字搦めに縛り上げる。
「じゃあね。私より先に帰ることがあったら今月中には戻るといっておいて」
そう言うと大剣を腰に落とし、長い黒髪をかき上げながら踵を返して立ち去る。
「……じゃあ、あたしもこれから如何しようっか……」
また漏らすこの言葉。本当に彼女は次に何をすれば良いのか分からないのだ。
「あ、おーい、そこの金髪ショートのお前ー」
と、そこに来てティンは自分の事を呼んでるのかも知れない誰かを探そうと周囲を見渡す。
「お前だよ、そこの騎士っぽいかっこうしたお前」
と肩を突かれ、そちらへと目を向ける。自分の目の前に現れるのは赤いスーツに灰色のロングコートを羽織、スリットの入ったタイトスカートに黒いタイツを履いている女性だった。それより何より相手の特徴をずばり言うなら――おっぱいだった。ティンも目を見開くほどのものが胸にあった。と言うか、これはおっぱいなのかとさえ疑問に思うほどである。ティンはまじまじとその球体を見詰める。
(……わーでっかー……)
メロン――いや、育ち具合によってはメロンなぞ既に越えている。スイカ、と言うには流石に届いていない。どっちかと言うと……。
「ビーチボール、かな」
「何が。と言うか何処見てんだよ、顔見ろ顔」
言われてティンは相手の顔を見上げる。クリスとは違った雰囲気の長い黒髪の女性と言う感じだ。と顔についてもうちょっと加えるなら瞳は輝く様な、自分と同じ黄金にも見える人ならざる身に見えるライトイエローで髪はぱっつんの前髪を右に脇で切り目を入れて分けており、揉み上げが胸元にまで伸びている。加えて言うなら伸びた揉み上げが胸にかかって余計にその大きさを立体的に見える。ふと、そこでティンは何かを思い出すように。
「……ん? どっかで見た様な」
「どーでもいいから、そこらへんの料理店で飯でも食おう。丁度そこにある中華料理屋あるし」
そう言って赤を基調とした外装の店の中へと入っていく。中もやっぱり赤を基調とした内装だ。女はティンと一緒に空いてるテーブルに向かい合って座る。
「……えーっと……」
「ああ、悪い悪い。顔見知りだからって名乗るの忘れてたわ。私の名前は」
「おっぱい魔神?」
「死にたいのかお前」
気付けば女――いやおっぱい魔神は星型の鍔が付いた刀を手にして立ち上がっている。ティンはそれでも胸を見ている。スーツの様な上着の隙間から見れるその巨大な乳房の繋ぎ目を見る限り、本当にあの胸は本物のおっぱいらしい。何と言うか。
「凄い迫力……」
「うん、お前さ、他に見るものは無いのか?」
「いや、だって、そんなもん、普通有り得ないでしょ」
ティンはそう言って一切揺れる事の無いおっぱい魔神の胸を指差す。そう、ゆれない。全く。何故かと言われれば、そう言う下着を着けているからだろう。この不自然なほど胸の揺れ無さは『なしブラ』だろう。ティンも付けているから直ぐに分かった。名前の由来は重さが無いに揺れないからだ。風、地、無の術式を練りこみ、おっぱいにかかる重力付加を消して空間固定の術式を仕込むことで限界までおっぱいの揺れを打ち消すと言う乳揺れフェチ究極にして最大最強の敵である。
「……ふ、ふん、豊胸クリームをおっぱいに刷り込むだけであっと言う間にこうなるぞ? ちなみに今も成長中だったりする」
「……ほーきょーくりーむ?」
「気にするな、過去の気の迷いから来た間違いだ。後、私の名前はエグネイだ。で、お前の名前は?」
エグネイはそう言って刀を仕舞う。とそこへ店員がやってくる。
「あのお客様、此処での抜剣等の武装は止めて頂きたいのですが」
「あ、悪い。んじゃーえーっと……肉まんとシュウマイ頼むわ」
「かしこまりました。それと、出来れば武器を預かりたいのですが」
「えーまあ仕方ないか。ほい。そこのお前も剣渡せよ」
とおっぱい魔神――エグネイはそう言ってティンにも催促する。
「あたしもー?」
「はい。出来れば武器などの類は入店の際に店員の物にお渡し下さい。次回からはお願いします」
そう言われてはとティンは腰に刺した二本の剣を渡した。
「で、結局のところお前の名前は?」
「ん、ティンだけど……エグネイだっけ? あんたと、どっかで会ったような気がするんだけど」
「そりゃあるよ」
エグネイは乳房をテーブルの上に置くように頷いた。ティンはその答えにはて、と頭を抱える。如何考えたってこんなおっぱいの化身と言うかビーチボール級、しかも二つも胸に付けた女なんて見覚えがない。見たら――と、そこまできてふとティンの記憶に何かが引っかかる。
「……ん? 言われて見ると……そんなに馬鹿でかいおっぱい、見た事あるような」
「お前の記憶にはおっぱいしかないのか」
それほどの印象的なおっぱいなのだ、仕方が無い。しかし、こんなに異様にでかいおっぱい、確かに見覚えがあった。そう、確か、赤じゃなくて、黒い服で、もっと厚い服――コートの様な物を羽織って、そうだ二刀流を――。
「あ、え、と、アカコガネシティで、夜に会った、剣士?」
「お、そーそーよく覚えてたなーそれだよ」
ティンは急に席を立ち、エグネイを指差す。指を差し向けられた本人は気にする素振りを見せずに出された水をぐいっと飲むとあっさり肯定する。
「あ、あ、あ、あー! あんときのか、お前ー!」
「そうだよ。ま、あの時の事は水に流せよ、もう昔のことだし」
言いながら更にもう一口水を飲む。ティンは指を引っ込め、彼女を凝視する。
「……なんで、あたしに加勢、したの?」
「何でって、こっちが言いたいよ。あいつらなんだ? って言う気は無いし聞く気も無いけど、何で戦ったかって言うと完全なとばっちりだよ。あたしは夜の散歩してたら行き成り襲われたんで、逃げるのめんどいから反撃しただけ」
「えっと、その、ご免」
「いや、謝られても困る」
エグネイはそう言って気楽そうに手をひらひらとする。
「気にしてないし、巻き込まれたのは事実だが頭下げられる事でもないしな」
「……後、どうしてあたしと一緒に食事しようなんて」
「単純に見かけたからだよ」
と言う答えに対し、ティンはああと言って。
「つまり、逆ナンか」
「お前は人に喧嘩売るの上手いな。本気で殴って欲しいなら素直に言え」
エグネイは笑顔で指を鳴らし始める。ティンは何のことか分からないので。
「……あれ、あたし何時喧嘩売るようなことした?」
「うん、お前一回所か六、七回くらい殴ろうかそのボケ頭?」
エグネイは笑顔で青筋を浮かべてテーブルから身を乗り出し、今にも殴りかからんと構える。ティンは何でと言わんばかりの対応をする。
いよいよ限界まで何かがブチぎれたエグネイはついにティンの胸倉を掴んで殴りかかり、咄嗟にティンも手刀で反撃の準備をしようとした、瞬間。
「――そこまで」
エグネイの首元に白刃が、ティンの首に黒光りする鞘が突き付けられる。
「此処は食事をする所。喧嘩なら他所でやりましょうね、エグネイさん」
同時に諌める声。何処かで聞いた様な、ついこの前まで殺し合いを演じてたような。そんな、声。ティンはその声に覚えがあった。忘れはしない、あの死闘。互いに譲れぬ物を持って切り結んだ相手。
「さ、つき?」
「お前、皐、か?」
ティンとエグネイは一気に硬直して自分たちの間に割って入った人間を見る。長い黒髪の殆どを纏めて後ろでリボンで縛った、ポニーテールと言う髪形で、花柄の和服を着た女。名は。
「はい、月宮皐です。お久しぶりですね、エグネイさん。後、また会いましたねティンさん」
月宮皐。月宮家の剣士だ。ティンは身を乗り出して詰め寄り――首元に鞘が突き付けられてる事を忘れて鞘が更に突き刺さる。
「ぐへっ」
「あ、ごめんなさい。取りあえずお二方、拳を引っ込めてください。ほら、丁度料理も来たみたいですし」
皐は納刀すると二人の間の席に座った。
「……待て皐、何でお前此処に座るんだよ。案内されたんじゃないのか?」
「いえ? 空いてる席に座って良いと言われたので、顔見知りが二人居る席に勝手に相席させて貰っているだけです」
そう言っていると三人の席に肉まんとシュウマイが一人前ずつ出される。皐はさてと言ってメニューを手に取って開く。
「すみません、海老シュウマイと小龍包を二つずつ下さい」
「かしこまりました。後お客様、店内での抜刀はおやめ下さい」
「あ……見られてました? すいません、つい抜いてしまいまして。どうぞ」
そう言って皐は店の人に腰に差した刀を手渡す。受け取った店員は頭を垂れると引き下がる。
「……皐、何で刀渡しちゃったの?」
「あの、ティンさん? 普通はあれが常識ですよ? 入店の時点で武器を渡すのが普通ですよ」
「皐なら、これは剣士の魂だーって言いそうじゃん?」
「ははは、流石にそんなこと言いませんよ」
ティンの問いに皐は明るく笑って返す。
「それに、刀なんて無くても私にはこれがあります」
そういって皐は手刀の形を取ってみせる。
「相っ変わらず恐ろしい女だ……」
エグネイは呆れ顔でそう言って肉まんを口に含んだ。
「月宮の武術の得物なんて関係ありませんからね」
「……ねえエグネイ、何で皐を知ってるの?」
「え……あ、ああ。悪い悪い、説明忘れてた。皐は元々うちの道場に居たんだよ、一年ちょいで居なくなったけど」
「はい。私は武者修行の一環でエグネイさんの居る剣路剣術道場に居ました。それで知り合っているんですよ……所でエグネイさん、一つ聞いて良いですか?」
「ん、何だ?」
皐は困り果てた様な顔でエグネイに振向くと。
「……あのぅ、どちら様で?」
「おい待てこら、そりゃどういう意味だ」
「え、えぇっと、あの、エグネイ、さん、ですよね。ええ、顔は間違いありません……ええ。胸以外は間違いないほどにエグネイさんですね」
「待て、待て待て、待つんだ皐、一つ言わせろ、いや言わせてくれ言わせて下さい」
徐々に腰が低くなるエグネイ。とうとう机に突っ伏して顔を胸に埋める。もしかしたら、土下座してるのかも知れないが。
「これには深い、深い事情と複雑怪奇な理由があってだな」
「ほーきょークリームって言うの塗ったらああなるんだって」
「ほうほう、それはそれは。それが一体どう深く、複雑怪奇な事情と理由が出来るんですか」
「皐さん、誤解だ。君は誤解している。そいつが言ってるのは事件の一かけらの部分のみなんだよ。そう、全体的には違うんだ。もっとこう」
「もしかして、マリさんと一緒に豊胸グッズでも買って一人急成長って落ちじゃありませんよね?」
皐は柔らかい笑顔で問いかけるとエグネイは汗をだらだらと流して腕を組み、目を反らし、口笛を吹く。下手だが。
「……落ちですか?」
「い、いやぁ、皐君、参考までに聞きたいんだが……それが真実だとしたら如何する? いやいや、実際問題そんな訳は一切ないのだが」
「はい。笑って流します」
「……えっと、ね。あの、ね。その、さ……何て言おうか」
「ティンさん、何食べます? あ、私お金は持ってますがそんなには無いので此処は割勘にしましょう」
「御免なさい噓付いてすいません貴方の言うとおりですそれが真実です深い理由も無ければ複雑怪奇な事情もこれっぽちもありませんですから本当にもうごめんなさい!」
エグネイは再び自分のおっぱいに顔を埋める。多分、土下座だろう。
四月馬鹿でも特にすることねーよちくしょう! じゃーねー。