Acta est fabula
ティンの目の前に皿が一つ置かれた。隣には紅茶とパン、皿の中にはホカホカのスープが注がれている。
スープはジャガイモを煮込んで崩し、それをバターや塩などで味付けした簡単な代物だ。ティンはいきなり出されたその料理に疑問を抱きつつもスプーンを手に一掬い、口に運ぶ。
口の中でホクホクとした食感のジャガイモと、蕩けるスープの食感が口の中に広がり何処となくホッとさせてくれる。
ティンは一口、二口と味わい、そしてスプーンをテーブルに置いた。これ以上はいらないと言うことか、否である。この食事会の主催に疑問をぶつけるためだ。彼は仮面を付けたままニコニコと笑みを浮かべる紳士に向けて。
「で、今更何の用?」
ここは夢の空間、今彼女は夢の中にいるのである。そして何故かここの呼び出されたのだ。
「いや、以前に君の可能性の一つが言っていただろう? 君は母の料理を食べたことがないと、ならば一度御馳走するのが、親である私の務めだろう?」
「あ、そ」
嬉しそうに言うレウルスにそっ気のない返事をしてスープを口にしていく。一度、近くに置いてあるパンを千切ってスープにつけて食べるも、ティンは眉をひそめて結局スープのみで終わらせて。紅茶に手を伸ばして啜ってみても。
「緑茶はないの?」
「僕は、紅茶さえあれば食事なんて何でも良いんだが」
露骨に嫌そうな表情を浮かべてチェンジのオーダーを行うティンに対し、若干渋い表情を浮かべるレウルス。しかし、彼はすぐにニコニコと笑顔を浮かべた。ティンはいい加減気味が悪いと。
「何でそんなに笑ってるの?」
「いや、ごめん。娘がいるって、こういう事なのかなって思ってさ。君が知ってる通り、僕は子供が出来てから5、6桁くらい接したことがないだろ? 子供と接するって、こんな気分なのかなって」
「うっざ、つかきも」
「ッハッハッハ、子供にそういう事言われるって、こんな気分なんだな。ああ、うれしくて、涙が出そうだ」
実際、レウルスの瞳には涙はない。多分、もう流すことはないのだろう。
「で、言いたいのはそれだけ?」
「いいや」
ティンはさっさと食べて帰ろうとスープを一気に飲み干すが、レウルスは席を立ち。
「君には、もう一人あってほしい人物がいるんだ」
「ふーん」
レウルスは娘に背を向けて歩き出す。
「僕はしばらく、君のことを見ているだろうけど、大丈夫。必ず、妻の下に帰ると約束するよ。一人でも、妻の墓を建てると」
「仮面、いい加減外していけよ」
「君の前では、顔のない人間でいたいんだ。僕は、君の実の親ではないからね」
告げて、レウルスは立ち去った。ティンも同じように立ち上がって、前へ進む。夢のような真っ白な空間だ、一体どこに続いているのやら。
「やあ、こんにちは」
「あんたか」
ティンは、自分と寸分たがわぬ声を聴いて後ろへと首を向けようとするが。
「その必要はないよ。というか、多分見れない。此処はもう、そっちの世界だ。これ以上、同一存在であるあたし達は干渉することは出来ないよ」
「じゃあ、何しに来たの」
「まあ、その、お疲れって。正直、こっちも色々あったからさ、そしたらあんたに出会って、なんか変なことまでやらされて」
「じゃあ来なけりゃいいじゃん」
「そう言うのは、なんというか、式が埋まんないから嫌なんだよ」
よく似たどこかの誰かの言葉にティンは深く同意する。それは、非常に同感だったからだ。
「で、あんたはすっきりしたわけ?」
「ま、前によりかは良くなった、気がする」
「何それ、あんたホントいい加減だね」
「鏡に言ってどうすんだ」
「お生憎だけど、あたしはあんたと違ってその辺きちんとしてる人間なんで。じゃないと、父さんと母さんを養えないし。父さんは割と臆病だし母さんはずぼらでいい加減だし」
その言葉で本来居たであろう自分の両親の姿がありありと浮かんでくる。なので、ティンはお返しに。
「あっそ。こっちは真面目担当の幼馴染がいるから考えたことないわ。大体、そんな生真面目してるとぶっ壊れるよ。人間、多少緩い方が良いもんだよ。こっちは10人以上の妹の面倒見ないといけないもんでねぇ」
「こいつ、こっちは一人っ子なのに対する当てつけか!?」
「うっさいよーだ」
ふんと、互いに背中合わせの中で対立しあう。しかし、背中越しの誰かは息を吐いて一言。
「全ては大団円という事かね。まさに、Actaestfabulaってやつか」
「あくた、何?」
「Actaestfabula。意味は、これにて劇は終わり」
「劇は、終わり」
誰かの言葉に合わせてティンは反復するようにつぶやく。
「あんたの旅路は、正にあんたを主役とした舞台劇の演目みたいなもんだった、ってことだよ。人生なんて、そんなものでしょ。自分で脚本書いて、自分で踊って演じてアドリブして、そうやって自分だけの舞台劇を進んでいく」
「つまり、これはすべて舞台劇だった、と?」
「そうとも言えるってだけ。あんたにとって、この劇はどうだった?」
「さあ、知るかよそんなの」
「そ」
返し、誰かは歩きだしていく。
「じゃあね、二度と会わないことを期待しているよ。誰かさん」
「ああ、そっちこそ。二度と会いたくないよ、誰かさん」
言い合って、二人は元あるべき場所へと。帰るべき場所へと向かって歩き出す。
むくりと、ティンは自分の部屋の布団から身を起こし。
「……acta、est、fabula」
呟き、もう一度布団に潜り込んだ。
では、主演女優の宣言により、これにて舞台は終わり。
さよなら、さよなら。お帰りはあちらでございます。