それはきっと、誰もが望んだ穏やかな
気付けば、男は悪夢の中にいた。
(また、此処か)
世界が全てお前が悪いとでも告げるように、冷たい雫が男の体を無情に打ちつづける。
(ああ、いつもと変わらない)
目の前には女の体、問題があるなら本来あるべき部分を失っていると言うことか。
(いつか、必ず)
ここに、彼女を連れて戻ると言うねじれ曲がった言い訳と言う名の覚悟と決意を胸に秘め、男は、腹部が消し飛んだ彼女を真っ直ぐ見続ける。だが、彼はもう何も見ていない。見ようとしていない。
ただ目を開いて、その先にあるのが女の死体と言うだけ。ただ、それだけで。
(彼女を、此処に連れてくると約束する)
周囲の動きに、気付かない。
「奥様、奥様! 気を確かに!」
「おい凍結術式の用意だ早く! 失った臓器? それよりも生命の維持だ、急げ!」
「ああ、血が、血が止まらない! 先生、どうか奥様を」
「奥さん、確り! まだ、これからじゃないですか! 今死んだら、残された家族はどうなるんですか!?」
うるさいな、男はふとそんなことを思った。何故こんなにも騒々しいんだと考え出す。家にはもう、誰もいない筈だったのに。
「社長、社長! 社長も奥様に一言を」
「心拍停止! 駄目です、これ以上は」
「煩い、人の命がかかってるんだぞ!? 母親になりたてでこんな、認められるか!」
男は周囲を見渡していく。居るのは、見覚えのある仲間達と、医者。救急車まで来ていて、治療用に展開された術式が周囲を囲っていて。
「先生、もう、奥さんは既に」
「くっ、そ。あと少し、発見が早ければ」
「奥様、ああ、奥様……ッ、ッ!」
「そんな、嘘だ。何かの、いつもの、冗談にしては、奥様、奥様……ッ!」
「ツェルトン、か? これは」
もう、大昔のことで思い出すのすら億劫だった、自分の片腕であった初老の男性。なぜこの男が此処に居るのだろうか、考えていると誰かが肩を叩く。振り返ると看護師が泣きながら。
「申し訳、ございません。我々では、奥様を救えませんでした」
誰が居ても変わらない、と男は思い返す。だって、この結末はずっと前にもーー。
「でも、元気、出して下さい。そんな顔じゃあ、赤ちゃんが、泣いちゃいます」
――は?
男は、彼女が何を言っているのか、理解が出来ない。看護師は男が抱えていたそれを指摘して。
「ほら、こんなにも強く、ないて。確り、しなくちゃ、貴方はもう」
腕の中に視線を落とす。そこには、取りこぼした筈の、無くした筈の、大切な宝石の片割れがそこに。
「お父さんなんですから」
掛け替えのない宝物が、確かにあった。その存在を伝えるように、強く、本当に強く、ないていて。
その丸い頬に熱い雫が落ちる。枯れ果てたと思っていた筈なのに、そんな物も全て絞りきったと思っていたのに、そんな彼の想いを裏切り目からポロポロと溢れこぼれ初めて。
だって、そこにずっと、ずっとずっと、遥か昔から探し続けた宝物がそこにあって、その為に擦り切れるほどに男は歩き続けたのだから。
優しく抱きしめ、目を閉じて熱い想いを流し出した。思えば随分してなくて、やり方も忘れて、それでも溢れる想いをただただ絞り出す。
まるで、止まっていた何かが一気に動き出すように。
男は、誰の目もはばからずに大声を上げて、ただ訳もわからずに喚き続けた。
そう言えば、涙を流すのなんて、随分久しぶりだ。
そんな感想を胸に。
目が覚め、男はベッドから身を起こす。そこでふと何か違和感に気づいた。家の中がやけに静かだと、もう一人の年頃の少女が住んでいるにはやけに静かだなと思い、男はベッドから降りてクローゼットを開けて着替えをだし、寝巻きから普段着に着替えた。
「全く、うちの眠り姫は何をしているやら」
普段の朝なら既に起き出して、余裕があればこの男に朝食の催促をしてくる筈の彼女は何してるのか、慣れた調子で男は着替えを済ませて部屋を出る。しかし廊下も静かで誰かが通った様子がまるで見られず。
(ドッキリでもあるのかとも思ったが、それさえないとなると)
軽い足取りで少女の部屋の前に向かい、間髪入れずにノックを行い。
「朝だよ、起きてるのかい?」
返事はなし。やむを得ない、と思った彼はそっと扉をあけて中の様子に耳を立てる。聞こえるのは静かな寝息、着替え中でもないとわかると男は扉開けて部屋に入って一言。
「おい、もう朝だぞ。今日は学校じゃなかったかな?」
「んぁ? 何、朝?」
返事はベッドの上に鎮座する丸い毛布の中、年頃の少女の割にあまり物がない質素な雰囲気の部屋主が毛布から手を伸ばし、時計を掴んで。
「んー……7時、55分。7時55分!? 嘘なんで目覚ましはって切れてる!?」
「やれやれ、今日は僕が朝食を作るから直ぐに支度をってあ」
がば、と勢いよく毛布はたき落として父親譲りの金髪を長く伸ばした少女は身を起こして驚き、目覚まし時計の調子を確認する。男はやれやれと部屋を出ていく瞬間、そこで親子揃って思い出した。そう言えば、昨晩目覚ましが壊れてるから起こすのは父親担当になってた事を。男はバツが悪そうに頭をかいてると。
「な、な、なぁぁにが君と違って僕は朝に強いだこら!? 全然ダメダメじゃんかどうすんだよこれ!?」
「ま、待つんだ。8時50分だろ、学校は。まだ1時間近くはあるしそれまでに間に合いさえすれば」
「いいから出てけえ!」
男の言い訳に対し、返事は枕。男はこれ以上刺激してはいけないと直ぐ様調理場に向かい、朝食の準備を行う。そこからはいつもの朝の様子だ、ドタドタとアッチコッチに文句をブー垂れながら娘が家中を駆け回る。朝食用に作ったハムエッグとトーストとサラダは、机に並べた瞬間即席サンドイッチになって彼女の口に詰め込まれた。
「女の子が大口開けない。みっともない」
「ふふふぁい!」
モゴモゴしながら登校の準備を済ませ、置いたホットミルクも一気に飲み干し、机の上にティッシュで口元をひと拭で。
「行ってきまーす!」
「こら待ちなさい!」
走り去る娘を呼び止めては彼女の胸元に手を伸ばし。
「君だって女の子なんだから、すこしくらい身だしなみに気を使いなさい。ただでさえ無頓着なんだから」
「誰のせいで髪もセットできなかったと思ってるの?」
「それはまあ、ごもっとも」
首元のタイを締め直し、娘は軽く窮屈そうにするも左手首に巻いた腕時計を見て。
「げ、もうこんな時間! じゃあ行ってくるから! あそうそう、今日のお夕飯ステーキだとちゃらにしてもいーよー!」
軽い足取りで家を飛び出し、いい顔で捨て台詞を残していく娘に乾いた笑いを浮かべ、男は踵を返す。
「全く、しょうがない子だなぁ」
微笑み、彼は家に戻っていく。これが、いつもの騒がしくも愛しい朝だ。妻は死んだが、娘だけが手元に残り、今日も彼女のために働く。以前と比べると随分家も小さいが、それでもよかった。
男にとって、何にも変え難い宝物が手元に残っている。ならそれを二度とそれを手離さないと心に誓い、今日も生きる。まるで夢みたいだとさえ感じた。本当に、本当に、夢でも見てるような気分で、一人ゆっくりと朝食をとる。
新聞を読み、会社のことを考え、今日の仕事内容を思い出しつつも娘の要望に応えるべく今晩はステーキにしようと考えた。何故なら、今日は何よりも大切な日だから。
そんな時、誰かが家に入ってきた。まるで勝手知ったる我が家のように。
そんな人間は一人だけ、先程出て行ったばかりの娘ただ一人。忘れ物かなと思って振り返ると。
夢の終わりを告げる死神が、立っていた。
ティンは目の前の現実にただただ翻弄されるのみだ。見覚えのない街並み、行き交う人々、異世界かとも思えたが、遠くにカーメルイアデパートが見えた為に、一応此処がアーステラであると確信。だが、此処はどこなのか全く把握が出来ない。
ティンはどうしたものかと思いつつ、一先ず町の地図が見たいと冒サポは何処かなと歩き出して。
「あれ、メアリー?」
「……はい?」
唐突に、目の前から来た制服を着た二人組の女子に声をかけられた。見た感じからして恐らく女子高生であろうが、それよりも気になるのはティンを呼んだ時の名だ。それは確かに彼女の名ではあるが。
彼女達は狼狽えるティンを無視して。
「やっぱりそうだ、メアリーじゃん! どうしたの、変なカッコ!」
「メアリーって演劇部だっけ? ダンスが好きなの知ってたけど、朝練?」
「ぅあ、えと、あたし、メアリーじゃ、ない、です」
メアリーと呼んでくる彼女達に引き気味になりながらもティンは否定するも信じてもらえず。
「えーうそー?」
「あ、でも言われてみると髪が短いし、顔も大人っぽーい。メアリーの親戚か何かだよ」
戦々恐々とするティンを尻目に好き勝手なことを言い合う彼女達、やがて二人は時計を見てはティンに軽く挨拶をしながら。
「それじゃあメアリー、遅刻しちゃダメだよ」
「メアリーじゃ無いって、それじゃあ失礼しましたー」」
などと一方的に言いつけて立ち去っていく。ティンは生まれて初めて言われたメアリーという言葉に動揺しつつも街の中を歩いていく。街の様子は朝ということもあって凄く静かだ。人の通りが多いが喧騒というほどやかましくも無い、本当に穏やかな朝だ。
耳を澄ませば、昨日見たTVの話題をする女子学生、昨日の依頼で儲けたと話す冒険家、駅まで一緒だからと親子で歩く者達、新作ゲームの話題に夢中になる男子学生、そんな会話があちこちから聞こえて来る。
学校が多いのだろうか、やたらと学生を多く見かける。ふと黒い髪の美少女と、その隣を歩く朱髪の少女を見た。何か楽しそうに喋りながら通りを歩いていく。その次に金髪の少女とピンクの髪の少女が歩いていく。二人は表面上は仲よさそうではあるが中身はじゃれ合っていると言う二人組まで、何処かで見たようなとすら思える者達がいくべき場所に向かって歩いていく。
そんな時、ティンは気付けば住宅街の方に紛れ込んでいた。何故ここにきたのか、冒サポに行こうと思っていたのにと思いつつも、ティンは歩いていく。通りを行く人々とは真逆の方向を歩いて行くティンに振り返る者も居るが、気にすることなく先へと進み、やがてとある家を目にする。
「スーウェル」
自分の本当の、家。その名が刻まれた家にたどり着いたのだ。誰が導いたのだろうか、考えるうちにティンは玄関の前に立つと、いきなり扉が開き。
「やっば遅刻する! もうお父さんの馬鹿! 行ってきまーす!
「こら待ちなさい!」
家から飛び出た少女を誰かが呼び止めた。声の主人は歩み寄って彼女の胸元に手を伸ばし。
「君だって女の子なんだから、すこしくらい身だしなみに気を使いなさい。ただでさえ無頓着なんだから」
「誰のせいで髪もセットできなかったと思ってるの?」
「それはまあ、ごもっとも」
首元のタイを締め直し、彼女は軽く窮屈そうにするも左手首に巻いた腕時計を見て。
「げ、もうこんな時間! じゃあ行ってくるから! あそうそう、今日のお夕飯ステーキだとちゃらにしてもいーよー!」
軽い足取りで家を飛び出し、いい顔で捨て台詞を残していく彼女に、男は呆れた笑い声を出して踵を返す。
「全く、しょうがない子だなぁ」
そんなことを呟き、男は家に戻って行く。ティンはそれを見て、自分のするべきことをしっかりと思い出した。家のドアを開けてティンは奥に進み、そして。
「父さん」
その先にいる父と、対面する。彼はティンと目を合わせるとああ、と息を漏らした。諦めるように、泣くように。
「そうか、もうなんだ」
その声は、本当に泣きそうで。
「もう、夢の終わりか」
んじゃ次回。