知りたくなかった真実
目が覚めた。そこは、城の中ではなくステンドグラスの中にいるような、そんな錯覚を覚える空間であった。周囲を見渡せども上下左右が理解出来ない空間で、だがしっかり存在感のある足場に少しだけホッと胸を撫で下ろし。
「やあ、どうしたんだい」
突然掛けられた声に悲鳴じみた声をあげて飛び退いた。そこに居たのは仮面を付けた紳士、いつも気を失うとそこに居る男だ。
「酷いな、驚く事はないだろう?」
仮面の紳士は戯けたポーズを取りながら、仮面から溢れる僅かな素肌よりティンに笑みを見せた。
「あ、ああ、うん。ちょっとね」
「ちょっと、か。まあ良いよ、所で紅茶はいるかい?」
紳士、レウルスはティーポッドからカップに紅茶を注ぎティンに問いかけると、ティンはこくんと頷き紅茶を受け取って一口。
「さてはて、今回の君はどうしたのかな?」
「見てたんじゃ」
ティンの問い詰める言葉にレウルスは表情を伏せた。
「言えよ、見てたんだろ」
「君の、将来の夢だったかな」
びくり、とティンは震える。
「私が言えた事じゃないが、別に気にやむことは無いさ。良いじゃ無いか、それくらい。私だって若い頃、成人になる前まで特別夢を抱いてわけじゃ無い。ああ、でも。お金は欲しかったかな、うん、実家が貧乏でいつもお金を稼ぐことばかり考えて居た。その為の勉強だけは必死にやったなぁ」
「そう」
レウルスは過去を振り返り、懐かしむように語るもティンは顔を伏せて座り込んだままだ。そんな彼女に紳士は。
「未来へ真っ直ぐ進むんじゃ、無かったのかい」
「分かってる」
「その為の道筋は? 分からないのかな」
「考える事が出来ない」
ティンの言葉は堂々巡り、一向に前には向かない。
「それは困るね。こればかりは君の問題だ、君が進み君が選ぶ道だ。他の誰にもそれは決められない」
「分かってるってば」
紳士はカップを置き、ティンのそばまで歩み寄ってしゃがみ込むと。
「じゃあどうして俯いているのかな」
「怖いんだ」
「怖い。怖いとは」
「色んな未来の道筋が見えて来る。確かに未来は思い浮かぶよ、自分が死ぬところまで。無数にある未来、色んな未来に、あたしは。あたしがどうしたいのか、まるで見えてこない。自分に聞けば、聞くほどに自分で決めろって言葉だけが反復する。ああでも無い、こうでも無いって。今更そんな、なんで見たくも無かった未来に目を向けなきゃいけないのかって」
そんなティンの前に手が置かれる。見上げてみると微笑みを浮かべるばかりの紳士がいて。
「一つ、私と踊りませんか。お嬢様?」
「踊り?」
「ああ、踊りだ。元々君はこうして体を動かすのが得意だったじゃ無いか」
ティンは差し伸べられた手を見てどうするかと怯えていると、不意に跳び退き剣を抜く。ティンが逃げた後にはレウルスの剣閃が過ぎる。それを見て敵意を持ってレウルスを睨みつけて。
「そうだ、それでいい。来なさい、君が気の済むまで」
「うる、さい!」
抜剣、双剣を構えるレウルスに立ち向かっていく。上段から横薙ぎ、相手は双剣の使い手である以上両手から伸びる斬線に気を配り常に手数は上回られていると認識してティンは閃光の剣舞を見舞うも、レウルスもそれに対し双剣の剣戟を繰り出す。
レウルスが扱う剣は逆手に持った二振りの剣、手頃な長さの双剣。そこから小刻みに繰り出される連撃と繋ぎに蹴り、確かに強敵だ隙が恐ろしく無い。足捌きと剣捌きが広域次元で融合を果たし不規則で永遠と続くと思わせる攻撃が次々に出て来る。
しかも、今回は本気らしく今まで斬りむすんだそのどれよりも動きが反則臭い。剣を振るえば次に蹴りが刃と別の部分を攻めて来る、蹴ったと思ったら直ぐさま距離を取って動いたと思ったら距離を詰めつつ双剣の舞、防いだ次の瞬間には防御に回られ様子見かと思えば切り込んで来る。
変幻自在とも表現できる自由な技の数々、これは確かに手強く隙が窺い知れない。あまりにも激しい、激し過ぎる怒涛の蓮撃を受けて捌き、捌き捌きティンは。
「その程度」
しかして、その物珍しいだけの小手先の技などは今更通じはしない。いかに物珍しかろうとも知ってしまえば単なる芸に過ぎない。
ティンはレウルスの剣戟を切りさばき、離脱したと同時に下半身だけでレウルスの軌道に食いついて見せる。あまりの事にレウルスも僅かに苦々しく口端を歪め、移動中の隙をついて首元に刃を走らせるが逆手に持った剣を回して弾き、その一合を合図としてティンは次々と剣舞を繰り出していく。
薙ぎ払い巻き返し撃ち込み打上げ袈裟斬り刺突更に回り込んで背後に回り込み、脚が飛んでくるも見てないのに蹴り出すなどティンにとっては鴨ネギも同然、逆に宙に絵を描くが如く剣閃が蹴撃を縫い込んで切り裂こうと。
「くっ」
声が漏れ、脚に刃が入るかどうかと言うギリギリのところで脚が真逆も方向へ吹っ飛び代わりに双剣が、だがティンは冷徹に身を屈めて横に転がり立つ上がると同時に足元から切り上げ、レウルスはまた距離を取るが立ち上がり途中の姿勢からでも前進出来るティンにとってはその行動に意味はない、直ぐにその姿勢を直ぐに突撃の構えに切り替え一気に懐に飛び込むと同時に剣が交わり火花が飛ぶ。
「やれやれ、全く。怖い子だな、まさかそこからでも来るか」
「こんぐらいしないと、届かない奴がいたんでね!」
身を捻り、剣を振るい、身を屈めて後ろに下がって剣を振るっては横に動き一歩前に出て剣を大振りし、手早く切り込んでから更に身を屈めての足払い、ティンがくりだす舞踊の剣戟にレウルスは酷く予想外だと謳いあげん表情でティンの剣戟を耐え凌ぐ。
決して凌ぎきれぬ訳でもないし、反撃をくりだす余裕もあると言うのに何故か彼は苦々しくティンと切り結ぶ。まるで、もう一つ隠し球があるがどう仕様もないとでも言いたげだ。だが、そんな表情で手の内を明かすと言うのなら好都合とティンは更にギアを上げて激しい剣戟を見舞う。
刹那、ティンがふっと息を吐いてからの動きはレウルスからして幻覚を見たとしか言えない。まるで一気にティンが五人に分身したのかとでも錯覚し、直後に本当に分裂して切り込んだとしか説明できない程の超速斬撃がレウルスの体を蹂躙した。あまりの速度に剣を扱う動きがぶれて残像を捉えたらしい、思わぬ剣にレウルスは思わずティンから大きく距離をとった。
そして、それだけの攻撃を行いもう二撃目まで繋げようとしたところで逃げられたティンはレウルスの体から異変を感じ取る。その異変、いつも付けている仮面が揺られたのを見て、もしやと。そこまで思ったティンは更に感覚を研ぎ澄ませ、更なる剣舞に備えた。
二人の間に静かなひと時が訪れる。響くは互いの呼吸の音、永遠と続くかに思える静寂。しかし予告なしに招かれた静寂は破られる、先に破ったのは無論、二人同時であった。二人の剣士は同時に動き、一閃、二ノ閃、三ノ閃と刃を重ね更に激しく剣を交えていく。
遠く遠く、激しく、次元の狭間で二人は熱く刃鋼の音を響かせ、ぶつかり合う。飛び散った火花すら感じる暇もなく、互いが互いの技を凌駕せんとしてなおも苛烈に鉄を振るい合う。手にした武器が鉄で出来た物かは不明ではあるが、確かに今二人は真実あらゆる意味で世界にたった二人きりで互いの鍛えた技を振るいあった。
レウルスは双剣を振るい蹴り出し距離を置いてティンの死角へ攻撃を繰り出し、ティンは双剣を捌きかわし死角への攻撃にすら対応して回避し更に攻撃を加える。ティンの動きは千変万化、一振りの剣しか持たぬはずなのに見事に手数で双剣の使い手を上回っている。かわしながらの攻撃、その矛盾した行動を高域次元で完成させ始めたティンの剣術は相手すればするほどに神経を擦り減らす。レウルスもあらゆる手を尽くし攻め手を打つもそれらを超えるほどにティンの攻撃が。
(速いな)
舌を巻き、心内で唸る程に。
(そして恐ろしい、ここ迄やるとは)
あらゆる手を尽くし、斬線の壁を生み出し、下がっても尚追いすがる斬撃の疾風。レウルスに襲い来る剣筋の全てが目の前の敵を仕留める死の閃光、一つでいいのにも関わらず繰り出されるは無数の必殺剣閃。フェイントも無く寧ろ死の斬撃がほぼ同時に上下左右縦横無尽に切り込んでいく。
それら全てに対応しきり、更に隙を見出しては切り返し蹴り返してのけるレウルス。ティンもまた繰り出す剣閃全てを弾き返すレウルスに思わず舌を巻く。
(上手いな)
まるでここが不正解だと言わんばかり穴を見つけては付いてくる鋭利な一撃、何故彼はこうまで自分に教育を施そうとするのかと疑問が脳裏によぎる。そもそも何故戦うのかも分からない、だが何故かこの男だけは斬り伏せて負かさねばならないという使命感が浮かぶ。
どうして。何故。
(何かが囁く、こいつは此処で打ち倒す必要があると)
ならばこそとティンは過去最高の純度で鋭く速く深く剣を振るう。誰かが言ったからではない、何かの運命が導いたからとかでもじゃあない、ティン自身の為に、ただ目の前の敵を斬り伏せ価値を得る。ただそれだけだと剣を振るい。
レウルスが踏み込み刃を跳ね上げる、ティンは紙一重で避ける動作に一振り追加し、レウルスは強引に刃を避けつつ蹴り付け、更にティンは回避しつつ伸びた脚へ刃を走らせ、レウルスは苦い表情で一歩下がるが回避直後に跳ね返ったティンが下がるレウルスに追い縋って切り込んだ。
上段からの一閃、迷い無くレウルスの頭部を切り裂く為に振るわれたそれをレウルスは薙ぎ払った、が瞬間レウルスは目を見開き驚愕の表情を浮かべる。払った剣があまりにも軽すぎる、まるで払われるのを前提にしていたと言わんばかりに。そしてその答えは直後、すぐに戻って来た剣閃が伝えた。
攻撃自体がフェイント、払われる事さえ織り込んだ一撃、レウルスは即座に強引に身体を反らして一閃を避けて。
仮面に、直撃した。
鋼鉄の仮面が音を立てて地を転がっていく。レウルスは素早く顔を反らし手でその顔を覆って隠しティンから距離を取る。対面するティンは一歩下がっては体勢を整え直してその素顔を拝む為に顔を上げ、素顔は見えなかったがそれでも。
「や、った!」
顔を抑え、距離を取るレウルスを見てティンは悪戯が成功した子供のような声を出す。別に仮面を狙ったわけでは無いのだが、それでもしてやったりと思う気持ちは変わらない。
「ったく、どんな理由か知らないけどいっつも仮面つけてたからな。さあ、その素顔でも拝んで」
レウルスはゆっくりとティンの方に向き直り、抑えたから手を離してティンにその素顔を見せる。それを、見た、ティンは。
「うそ」
力無く剣を落とした。揺れる瞳で男の姿を凝視する。
別に、以前何処かで見た覚えがあるとか。特別会ったことがあるとか。そんなこの間あったと言うような顔では無い。
「ああ、やってくれたね。予想外だったよ」
でも初めて会ったわけじゃ無い。
その顔を覚えている。見た瞬間に、朧げにでも、その顔は頭に浮かんできた。
「なん、で」
生まれた時から知っている。いや、きっと、生まれた時に初めて見た男性が、そうだったんだろう。
「どう、して」
その顔を、頭が覚えているんじゃ無くて。きっと、ティンの魂が覚えていた。決して忘れることの出来ない顔。
「此処に、居るの」
その男の呼び方は、一つしかない。それだけしか知らない。それ以外に存在さえしない。
この世界でただ一人、ティンにだけ許された特別な言葉。生まれたとき誰もが持って居る権利、一度たりとも口にすることの無い言葉を、それを口にする権利を、生まれて初めて口にした。
こう。
「お父さん」
ティンは生まれて初めて、自分の父親を呼んだ。
「初めて、呼んで貰ったな」
んじゃまた次回。