明けない夜は無く、君の朝はやって来る
夢を、見ていた。
ティンはただ、ただただ夢を見ていた。
見知らぬ男女に抱かれる赤ん坊。見覚えは無い筈なのに、顔も分からないのに、その男女も家も赤ん坊も懐かしく感じる。
いや、分かっていた。
全部分かっている。この光景も。家も。男女も。何もかも、ティンには懐かしかった。
ただ認めたくはない。認めたくはないだけである。
なぜならこれは――これこそが、ティンと言う少女の、正確にはメアリー・スーウェルの本当の家、真の家族なのだから。
まるで早送りでもする様な、アルバムの次のページを捲る様な感覚でメアリーの、本来あったであろうティンの人生を見て行く。
両親に囲まれ、何らかの要因によって多大な魔力を抑え込むことに成功した世界。
まるで、悲しみだけを取り除いた様な世界だった。
悲しみ? 悲しみとは何か。ティンの人生は悲しみだらけか? 毎日、来る日も来る日も両親のいない人生を嘆くばかりであったのか?
答えは、否と彼女は答えるだろう。
ではこちらが悲しい世界か? それなりに裕福な家に生まれ、両親に囲まれて所謂“ごく当たり前の幸せ”を得ているこの世界が?
答えは、否と彼女は答えるだろう。
今ある人生が一番と答えた彼女でさえ、もう一人の自分が何時までも笑顔でいる事を否定する気にはなれない。
屈託のない笑顔を見せる彼女を見ていると、一体何が良いのか分からなくなって来る。
気がつけば、メアリーは剣士になっていた。
親の仕事を手伝い、ラルシアや優子などと分け隔てなく接している自分。
中にはラルシアと仲良さそうに口喧嘩をしている蒼髪の少女とも仲よさげに接し、優子とも仲は良さそうである。
(……あたしの実家って、お金持ちなんだ)
自然と思った。もしかしたら、あのドS意地っ張りの見栄っ張り女とは何れ出会う運命だったのかも知れないとも感じる。
ふと、夢がぼやける。夢に浸り、あり得たかも知れない虚像に溶け込む時間は過ぎた。
残酷な真実を等しく万人に与える様に、現実が彼女を引き上げる。
そして声が聞こえた。
「スーウェル社。約十九年前に原因不明の何かが起きて急に倒産した会社ですわ。主に株の売買を行っていた会社です。子息女誕生後、次々に社員の首を切り、または他社へと推薦した後にあっと言う間に倒産して夫妻は夜逃げ……彼女は今年で十九。年齢も時期も一致します」
「……何か不自然な感じがすんな。商売も出来なかったのか?」
「ティンの事情が事実なら、余裕なんて無いでしょうね。生まれた頃から何時乖離するか爆発してもおかしくは無い。何よりスーウェル社は魔法には疎い家だったのも不幸と言えば不幸でしたわね」
現実に戻って来たティンはぼんやりと言葉が耳に入っていく。ただ頭に残らず全部漏れていく。
そんな彼女を無視して二人は会話を続けていく。
「んで、ティンの両親はその後どうなったんだ?」
「不明ですわ」
「不明って……生死不明か?」
「ええ。どこかで野垂れ死んだか、それともひっそりと生きているのか……一応スーウェル社は一代で大きくなった実績があります。その気になれば一から企業を起こし直すことも出来なくは無いでしょうが……」
「難しいのか?」
ラルシアは困った様な表情を見せ、エーヴィアも問い返す。
「そもそも資産が完全に底をついても信用があれば銀行からお金だって借りれるでしょう。それさえないのか私には分りませんし」
「お前はそう言う情報を何処から拾って来るんだ……?」
確かに謎だが気にしてはいけませんよ女王様。気にしたって藪から蛇が出るかも。
「情報屋に探偵を駆使し、知ってる輩に黄金色のお菓子を仕込めば洗い浚い全部語ってくれましたわ」
「……聞いた私が馬鹿だった」
まあこんな感じです。と言う事でティンさんもゆっくりと布団を捲って身体を上げた。
見れば、やけに広い部屋。その一角でエーヴィアとラルシアが語り合っている。窓が遠いがやけに大きく、朝日が部屋を照らしている。そして、やっぱり天蓋付きのベッドで寝ている。
「……えっと、あたしどうして此処に?」
ティンは昨日を思い返す。
(そうだ。昨日四天王の朱雀とか言うのに襲われて、何か親玉みたいなのが出て来て……あれ、出て来て、どうなった? あれ、思い……出せない? 何が起きた? 何があった?)
「おい、ティン。あんま気にすんな」
と、そこまでいってティンの思考をエーヴィアが止めた。言われても、止まらない。
(え、っと……あいつがいきなり……何だっけ。何て言ったんだっけ。馬鹿にされた、じゃない。何だ? 何を言われた)
「おい、ティン」
そこでティンは思いっきり肩を揺さぶられ、手の主を見る。まあ、やはりと言うか女王陛下なのだが。
「えっと、何か?」
「気にすんな。昨日の事は、まああれだ。ちょっとした事故だ」
ティンは首を傾げる。全く持って要領を得ないのだから当然だ。
「貴方の本名大公開で魔力暴走、女王陛下がそれを一方的にボコった。以上」
「一方的にボコってねえよ。寧ろ苦戦したよ、二度としたくねえよ後人が気を使ってんの気付けよ何無駄にしてんだよ」
「隠すより直球が一番ですわよ?」
エーヴィアは唸りながらティンを見る。実際問題は彼女だ。
ティンは虚ろな目で空を見る。徐々に思い出しているようだ。
「貴方の本名は、メアリー・スーウェル。スーウェル社の元社長令嬢」
「違う、あたしはティン」
ティンの答えは速い。彼女にとって、この話題は嫌らしい。だが。
「ええ、それが貴方の思う貴方の名なのならそれで良いのでは? でも、戸籍上では間違い様もなくメアリー・スーウェルですわ」
「……メアリーなんて、知らない。あたしはメアリーなんかじゃない」
返答は頑なに否定。
「そこまで親を憎む道理でも? 貴方に生を与え続けたのはご両親では? 感謝くらいしても」
「あんな奴らッ! あんな奴らなんて如何でも良いッ! 愛なんて要らないしおせっかいだッ! おかげでこんな、こんな……ッ!」
膝上に掛かった布団を握り締め、彼女は必死に否定する。
何か、変だ。
「両親を憎むのは簡単ですわ。だって所詮、親など単なる単語。憎もうと思えば幾らでも憎める。でも、心底憎めるかと言えば、どうでしょうねぇ」
「……何が言いたいんだ」
ティンはラルシアを睨む。怒りと敵意を――いや、はっきりとした殺意も混ぜて。
「ですが、貴方の両親は生きているかどうか定かではありません。のたれ死んで居るかもしれませんし、どこかでひっそりと生きているのかも知れませんわねぇ」
「……だから、どうした。そんなの、あたしに関係あるか! あいつらが生きていようがいなかろうが」
「ほら、矛盾。死んだ対象を憎み続けると言うのですか、貴方は?」
「な、にぃ……ッ!」
ティンは全身の毛を逆立てる様にラルシアを睨む。強く。でもそれは、単なる強がりにさえ見える。
対するラルシアは酷く達観している。以前は親など如何でもいいと同意していた彼女が。
「貴方は壊れているのよ、ティン。もうボロボロなほどにね」
「壊れてる……? 壊れてない、あたしはまだ戦える!」
「まともに言語を理解出来ない馬鹿が偉そうな口を叩くなッ! 本当は親を憎んでもないくせに、本気で如何でもいいと、生死さえも気にしていないくせに! 貴方は一体、何がしたいんですの? 何を求めて生きているんですの? お前は今日この日まで、一体何をしていたいのか、はっきりなさいな!」
「あ、たしは……」
ラルシアに怒鳴られ、ティンは引っ込む。ティンは本当に、今日と言う日まで何をしていたのだろうか。
考えれば、考えるほど、情けない。親の話が浮上して、それを斬って、誰からも見捨てられたような思いをして、そのまま家出して、途中であった人と遠くに来て、仲良くなって、追っ手が来て、自分はどうしようもなくて、友人に助けられて、また来た追っ手も別の友人が何とかしてくれて、剣が欲しいと願って、聖騎士と言うものを教えられて、なりたいと、誰かを守る自分になりたいと願って、そしてまた来た追っ手を自力でどうにかして、アルバイトして、追っ手を自力で追い払って、その時やっと自分も誰かを守れたとか思って、その後闘技場に行って、追っ手が来て、結局友人を守れなくて、逃げ出して、八つ当たりして、あの城に運ばれて、仕事を無理やり手伝わされて、その後城を出て、追っ手を追い払って、今此処だ。
その間自分は如何だった? 誰かを守れたか? 大切だと思えた人を、守りきれたか?
(何一つ……守れて、ない)
守れたかも知れない。少なくとも、そう思っていた時期はあった。だが今のティンはそれさえ認められなかった。
言われても見れば自分は壊れているのかもしれない。心は何ともないと思っていても……いや、そう思う事さえ単なる強がりにさえ思える。それでもせめてはと自分らしくあろうと思うが、そもそも自分らしいってなんだったか。ろくに思い出せもしない。
「一先ずは食事にしましょう。此処ではまともな食事も出来ないでしょうし」
言うとラルシアは指を鳴らしてティンを腕を引っ張る。例の如く彼女は高級そうな寝間着姿であった。そしてラルシアはティンを引っ張って部屋の外に出ると――そこは、デルレオン公爵館の客室であった。正確には、ティンが寝泊まりしている部屋。
ティンは驚いて続いて入って来たエーヴイアを押し退け、部屋の外に首を突っ込む。するとそこは高級そうな寝室が――無く、客室前の廊下があった。
「ドアに転送の術式を張り付けただけですのに、何をそんなに慌てていらっしゃるやら」
「そう言う事は早く言えよ!? と言うかあたしはさっきまでどこに居たの!?」
「私の実家。魔力暴走後、気絶した貴方に身体上問題が無いか調べさせたんですのよ。感謝こそされても文句を言われる通りは無くってよ」
ラルシアは呆れたように言うとエーヴィアと共に部屋を出た。直後、ティンは背後に忍び寄って来たメイド達によってあっと言う間にコスチュームチェンジされたのは言うまでも無い。
毎度お馴染みと言える様になって来た聖騎士の服を着たティンが食堂に来ると見覚えがある様でない人物がそこに居た。
黒い髪を肩口で切り揃え、揉み上げを胸元まで伸ばした女性。作者は作中で彼女の外見描写を何度行えば良いのか分からなくなって来た頃合いです。
彼女は席に座って紅茶を啜っていた。そう、彼女こそ。
「こいつだれ?」
「昨日の事を全部忘れやがりましたか、この脳無し。お前には記憶力と言う物がありまして? 大体お前の頭に物が詰まっているのですか? 詰まって無いに決まっているでしょうが言って御覧なさいなこの鳥頭」
ティンは黒髪少女を指さしたままラルシアからいつも通りの罵倒を叩き込まれる。流石だティン、昨日共同戦線張った人を忘れるなんて凄ぇや!
で、指差された彼女はゆっくりと紅茶を置き。
「……それは、斬って欲しいと言う事か、貴様」
「喧嘩なら外でやれ。此処で暴れんな」
ゆらりと席を立つ。黒髪少女――優子(ちなみに年齢二十歳)は剣に手をかけるも、エーヴィア様の言葉に渋々引き下がる。
ここは食堂。食事をする場で斬ったはったは確かにマナー違反である。
「で、こいつ誰?」
「ようし表に出ろ、剣で分からせてくれる」
「食堂で剣を抜くなっつってんだろうが。後喧嘩の前に飯食え飯、朝飯食った後にしろ」
「女王陛下、非公式とは言え言葉使いがはしたないですわ。後セリフが主婦臭いと思うは個人的にどうかと」
直後、ラルシアが急に現れた座布団に突っ伏される姿が見えた。まさか彼女までも実力行使されるとはエーヴィア女王恐るべし。座布団何処からとか言う突っ込みはなしで。ちなみに座布団をセットしたのはルジュさん。
そんなこんなでティンと優子は仲良く並んで座って朝食を取る事に。
「ティン殿、今朝の朝食はどの様に」
「肉!」
「では和食を。今朝の朝食は豚汁でございます」
ルジュさんが言うとティンの前に漬物に白いご飯に豚汁と大根おろし付きの魚が出される。きちんとこの世界には大根だってあるのです。どうでもいい。
ティンは素晴らしい笑顔で豚汁と銀シャリを頂いております。優子さんは凄い顔で睨んでいます。
「光栄家のお嬢様は体裁を取り繕うって事はしないのですわねぇ」
「ふん、貴様みたいに仮面を貼り付けて生きるよりは遙にマシだ」
ラルシアの挑発に盛大に乗る優子。ラルシアは口だけで同い年の相手に「青いなぁ」と動かす。
彼女は調子が宜しいのか、更に軽快に言葉を紡いで行く。
「っふふ、貴方は偽るのはお嫌い?」
「ああ嫌いだな。お前の様に誰にも彼にも仮面を付けなければろくに付き合いも出来ん奴はな」
「自分を偽るのは当然では? 寧ろ人は何かしら誰かを騙して付き合っているのではなくって?」
「……記憶に無いな」
「おい」
二人の言葉をぶった切るようにエーヴィアが紅茶を口にしながら言葉をつむぐ。
「喧嘩なら外でやれ。ラルシアも挑発はするな。後、優子とか言ったか? あんたもこいつの挑発と戯言に一々突っ掛かるな。面倒だぞ」
「……ふん。おい、そこの金髪。名前を何て言うんだ」
ティンは一切反応せずに焼き魚を頬張っている。優子は思わず抜剣しかけるが何とか抑え、刃を見せるだけに留める。剣はカタカタ震えているが全力で抑えている。
「……おい、ティン。ちょっとこっち向け」
ティンはエーヴィアの言葉を全力スルーして豚汁とご飯を食べる。あ、食べ終わった。
「おい、ティン」
「あ、おかわり!」
と、エーヴィアさんの言葉を総スルーしてそう言うとすぐさま豚汁とご飯が用意され、ティンは食事を再開する。あ、女王陛下の額に青筋が。
エーヴィア様は勤めて笑顔で、青筋を顔中に浮かべながら言葉を出していく。
「……おいティン、聞いてないなら殴る。沈黙は肯定と取るが良いか?」
「ん? ふぉーかひふぁー?」
ティンは豚汁ご飯をもっぐもっぐしながら返す。
「おう、ちょっと聞けや。後食うの止めろ」
「やふぁ」
ティンは言ってからまた食事に取り掛かる。エーヴィア女王は指を鳴らし始める。
「あの、女王様落ち着いて下さいませ、あの怒っては」
「ああ大丈夫。大丈夫だ」
汗を流しながらラルシアはエーヴィアを宥める。当人は凄くいい笑顔だ。額中に青筋立てているけどな。
と、そんなやり取りの間にティンは食べ終えたらしい。
「おかわり!」
近くに居たルジュはティンが突き出した茶碗を奪い、持っていた箸を取って下がると直後にエーヴィアがティンを引き摺って行く。
この後どうなったかは受け手のティンさんの悲鳴でご判断下さい。
「え、何どうしいたたたたたたたたた頭頭頭はあああああああああああああぐへぇッ!? く、首、す、脛はすねはああああああああああああああああ痛いたいたイタイイタイたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたああああああああああああああああああああああああああああああおろして下ろしておろしぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッッ!? ぐへぇッ!?」
ティンの悲鳴が途絶えてから暫くした後、エーヴィアはティンを引き摺って食堂に戻り、ボロ雑巾見たくなったティンを椅子に叩き付ける。
ちなみに詳細。両手で頭を絞めつつ次第にアイアンクロウから首殴打へ続いて脛を殴って殴っての連打から尻を蹴り上げ二刀による空中に留まる永い間落さないコンボをやって一気に地面に叩き付けたのでございます。
「で、続き」
「……あーいや、いい。私はこれで失礼する。彼女に伝言を頼めるか?」
「何だ? 難しいのなら口頭じゃなく手紙でも残せ」
「次こそ決着をつける。剣路道場で待っている、とな」
言うと優子は立ち去っていく。対するティンは未だに気絶中である。ちなみに食った物を戻していないのは女王陛下の配慮である。
最近、ティンが殴られキャラとして定着しつつある様なきがする。主な原因は作者とラルシア。ラルシアが容赦なくティンを殴ってると思うんだ。
んじゃ、次回。