父の姿
「驚かせてしまったね。すまない、君の事は娘からよく聞いていたのに思わずはしゃいでしまったよ」
「え、と」
ティンは、唐突に言われた自分の本名に自分自身を喪失しそうになるが何とか、すんでの所で押し留まりながら目の前に立つ。薄っすらと、何処かであったあの紳士の影がチラつく。あれが無ければ、どうなってたのかと思う。
何故だろう。あのイベントがあるから、今がある。この事実にティンは、否定しがたい何かを、見て。
「どういう、こと?」
「まあ、話の前に座りたまえ。茶がいいかい? それとも珈琲? 私も娘も珈琲が好きでね、絶対的な紅茶派な妻の影響で普段は中々飲まないがね」
言いながら彼、ノルメイア社総合社長自ら立っては部屋に備えられたであろうポッドから器用に自分の珈琲を入れる。
「君の父親は……確か、紅茶以外認めない派だったがどうだい?」
「その、父親って……」
「無論、生みの親の方だよ。っと、私とした事が自己紹介もろくにしないとはとんだ失態だ。之が商談なら即刻破談だな」
そんな、娘にでも話すような軽い調子で、社長は茶菓子を用意してティンに椅子を座るように勧め、ティンは受け入れて座った。
「私はこのノルメイア社総合社長こと、アレイス・ノルメイアだ。よろしく」
にこ、と柔らかい笑顔を見せるアレイス社長。ティンは奇妙な違和感を持ち続けている。何故なら、先ほどの忠告を聞いたから、ではなく。
何故この男はこんなにも、自分に慈愛の笑顔を見せるのだ、と。
おかしい。
自分はこの男と関係はほぼ無い筈。と言うか、今日始めてあった人間なのに何故なのか。
「何故君を呼んだのか、疑問に思っているようだね」
「……そりゃ、一応」
「答えは簡単さ。私は君の父親と、友人だったからね」
「友、人?」
「そう。友人だ。商売仲間、と言うべきかな? 以前に激しくやりあってね、おかげで立派な友人さ」
ティンはその言葉に何かおかしい繋がりを聞いた気がしたが流すことにした。
「君は、娘。ラルシアの剣を見たことはあるかい? 何時も腰に下げているサーベルの事だよ」
「……はい」
「じゃあ、君はサーベルに埋め込まれた石を見たことは?」
「……いいえ」
「当然だね。見えたら、寧ろおかしい方さ」
アレイス社長は当然と頷く。言われてティンはラルシアのサーベルの形を思い出す。確かに、あれは少し奇妙なデザインだった。刀のようでサーベルのようで直剣のようにも見えるあの奇妙な形。
別にそれは問題ない。実用性を求めた結果そのようなデザインになったのだろうと思えるからだ。だが一番奇妙なのは刀身の付け根部分。
そこには、何も無い。一度見たが、何か透明な魔法石を埋め込んでいる程度にしか思わなかった。
「あれには、虚無石と言うとても貴重な魔法石が埋め込まれていてね……無属性魔法の威力を際限なく引き上げる宝石で、触れなければそこにあると理解出来ないほどの透明率をもつ宝石だ。君の父親が、娘の誕生祝にくれたものだ。娘の持つ魔力を知った、君の父親がね」
「それを、何で今」
「本当は、君に返したかった」
「え、どういうこと?」
「今となっては、私の手元にある数少ない、君の父親の持ち物だからね……せめて、意味があるべき持ち主に渡したかった。しかし、君を結局見つける事が出来なくて、娘の、ラルシアの成人祝いの武器の材料にしてしまった」
まるで、謝罪するようにアレイス社長は頭を下げた。ティンに許しを請うように。
「いや、でも、それ、その、あたしの、父親が渡したんだし。貴方が好きに使っていいと思うよ?」
「ああ。それが正しいと思うよ。君には、属性的にも無用の長物だった筈だし、返しても有効活用できなかっただろうしね」
気にする必要はない、言外に伝えて社長は椅子から立ち上がって窓の外を見る。窓の外は明るく、日が昇ったばかりのように輝いている。
「だがね……本当に、本当に口惜しいんだ。あの時手に入らなかったものが、何故今になって……とね」
「手に、入らなかった?」
「ああ……君の父親が失踪した直後の話だ。私はまず夫婦の捜索と、何よりも優先させたのが、君の捜索だ」
「……はい? あたし?」
ティンは思わず問い返す。だが、そこでティンの中の計算式が彼女の疑問に答えるように動き始めて、答えが浮かぶと同時に言葉となって。
「私は君のことを、引き取ろうと思っていたんだ」
そう。それ意外無い。そしてその理由は。
「会社が倒産し、家族が夜逃げと言う情報に私は真っ先に指示したのだよ……君の行方をね。あの家族が、特にあの男が娘をそう簡単に手放すとは思わなかったが、しかし夜逃げした一家が子育てなんて無茶な話だろう? 友人の娘くらい、養子か或いは預かるだけでも、と思ってね」
「……え、じゃあ」
つまり、ティンは。
(あたし、一歩間違ってたら、ラルシアと姉妹だった?)
それはどんな未来だろう。あの強引で高飛車で毒舌な女が、そんな奴が自分の姉妹だったら、と。
「いや、今は違うよ。後もう数年早く出会っていればそれも考えたのだがね」
「は? あ、はい」
思ったところで、どうやら向こうは養子の話かと勘違いたようだ。
「だが、君はもう今年で19のはず。今更養子縁組の話をしてもね……私の社長の座も娘が引き継ぐだろうし、余計な問題を会社に持ち込むのもね。だがこうして会えた友人の娘である君に何もしないと言うのは気が引けてね、せめて何か援助でもどうかと、こうして呼んだのさ」
「……はあ。援助。と、言いますと?」
「難しい質問だが、まあ本当に色々だよ、何か金銭的に困ったことがあるなら何時でも私に言いなさい。出来る範囲で良ければ何でもするよ」
「……何で、そこまでするんですか?」
ティンは此処まで言われて、思った。何故にこの男は自分によくするのか、父親と友人だった、と言うのは分かるが何故その程度の繋がりで娘である自分に何故そこまで入れ込むのか。少々過剰すぎてティンは理解に苦しむ。
「……君の父親は、実に優秀な商売人だった」
「優秀、ですか?」
「そうだ。君が生まれるより前の話だな……あの時あいつは、そう。貿易業にも手を出し始めたと言っていたな。それで、ノルメイアの品を扱いたいと言って私と交渉したいと言って来た」
アレイス社長は徐々に。徐々にだがその表情を歪めていく。愉悦に、まるでゲームに興じる子供のような笑顔をして。
その表情にどうしようもない既知感を得る。そうだ、その顔。ラルシアと何処か瓜二つなのだ。なるほど、流石は親子と言うところか。
「正直、最近ちょっと成功しただけの若造風情がと思って最初は軽く叩き潰してくれようと挑んだが、いや、あれは、本当に滑稽だったなあ。最初は怯えてばかりの狐かとばかり思ったが、まさか虎に化けてくるとは思わなくてね。いや、本当に恐ろしかった、未だにあれだけだよ。私が惨めにも気持ちの悪い汗を流したのは。いや、人生で数多くの修羅場はくぐったつもりなのだが、人生で最後だよ、あんな思いをしたのはね」
だが笑顔だったのは最初だけで、その表情は苦悶に歪み、悔しいが面白い、と言わんばかりの歪んだ表情を惜しげも無く見せつけ、ほぼ一方的に語りつくす。
その様子にティンは激しく驚き、と言うよりも引いていたが。
「随分、父が世話になったようですね」
「いや、それほどでもないさ」
此処まで聞いて思ったのが、つまるところ。
(うちの父親、相当やらかしたのか……で、借りを少しでも返してやろうと、或いはライバル認定した人間を負かそうと、娘に目をつけたと)
一種の対抗心が生み出した判断だったと言う事。それを死ってティンは少し脱力を覚えた。
「それにしても、まさか宗治郎氏の下に居たとはね……なるほど、直ぐに見つからないわけだ」
「知っているんですか?」
「ははは、彼を知らないなんてよっぽどものもぐりさ……それより、君は父親が今何処にいるのか知っているのかい?」
「……いいえ」
「そうか……妻共々何処に消えたのやら」
言いながら社長はまたティンの向かい側の椅子に座る。
「父が何故消えたのかは、知っていますか?」」
「いや、詳しいことは聞いていない。私が知るのは会社を売って娘を捨てて何処かに消えたくらいだ。その真相も知らない、と言うより知る余裕がなかったと言うべきか」
「余裕がなかった?」
「その当時は私も忙しくてね。娘は一歳になったばかりだったし会社の将来に関わる大きな商談も幾つかあって、私は君達の捜索に本腰を入れることが出来なかった」
「……じゃあ」
ティンはあえて、説明する。自分たち一家に起きた事柄を。自分がうまれて何が起きたのかを。
「なるほど。娘の為に財産を投げたのか……あの男らしい」
「そのことについて、何か」
「特には。あれほどの男が一体どんな理由で落ちぶれたのか、非常に興味があったが……真実とはつまらないものだな。だが、はっきり言ってその行動は三流だな」
三流。その言葉に、ティンは何故か心がささくれるのを感じる。別に自分を捨てた男の事なんてどうでもいい。だが。
「……父は、自分の力だけで家族を救いたかったと思うのですが」
「だとしてもだ。いや寧ろだよ、家族の為と言えば聞こえはいいのだろうが何故私や、周囲の者達に相談しなかった。私も含め、君の父親を高く評価するものたちは大勢いたし、寧ろ会社が潰れたのいいことに良い条件であらゆる会社から引っ張りだこだった筈だ。君のお父さんは、それほどの人物だったのだよ」
言って、社長は上を仰いで。
「何故相談しなかった、スーウェル。貴様が一言言えば、金など幾らでもくれてやったというのに……所詮、奴も大局を見極められない愚か者だったと言う事か」
握りこぶしを作り、向かい側にティンが居るのも忘れているかのように呟いた。
「……すまないね。さっきから無様なところばかり見せてしまって。君を見ていると、あの男のことが過ぎるんだ。いや別に不愉快と言うわけじゃないよ? 寧ろ、嬉しい限りだ」
「はあ」
「まあ、今日の所は此処までとしよう。ラルシアに引っ張り回されて疲れただろう? 君がルクドに着てから相当な時間も経っているし」
言われて、ティンははてと思う。そして窓の外を見て思った。
何故窓の外は、あんなにも明るいのか。
「あれ、今何時?」
「少なくとも今は朝だね」
「……おおい」
ティンは最後に時間を確認した瞬間を思い出し、自分がどれだけおきているのか自覚する。
地下の闇市場に通じるエレベーターに乗り込んで、ティンは考える。
(おじさんみたいなもの、か)
部屋を出るときに言われた言葉。之が何の役に立つかは彼女も不明。だが、一つ気がかりな点が。
(もしかしてあたしとラルシアっていずれ出会う運命だった、とか?)
だとすると、何時か見た違う世界の自分にもなんとなく説明が付く。つまり両親の時点で自分とラルシアには深い繋がりが存在したのだ。
しかし。
(じゃあ、華梨は一体なんなんだろう……あたしとあいつは、実は何処かでも掠りもしない存在だった? あたしと華梨はそんな必然と言える存在じゃなかった?)
近づくほどにドンちゃん騒ぎが聞こえてくる旅館の中を歩きながら考える。
(でも、ラルシアと華梨。どっちがあたしの隣に良いかって言われたらそりゃ――)
と、そこまで考えて宴会場に戻ったティンを待ち受けていたのは。
「にゃあ」
黒猫だった。
「いや何故瑞穂がそこにいる。前後に居たおっさん何処行った」
自分の席の隣に瑞穂が陣取り、その隣にはルメアが優雅に寿司を頬張っていた。
「帰りが遅いから見に来た」
「何故此処がわかった」
「ラルシアさんが何処に行ったのか女王様に聞いたら詳細に教えてくれたよ。闇市場のカードもゲット」
聞いて、ティンはラルシアのほうに目を向ける。そこには何本もへしり折ったであろう割り箸がそこに散らばっていて。更にバキっと言う音までつき。
「あら大変、また箸が壊れましたわ」
また握り潰れた、いや握って潰し散らした割り箸を持つラルシアがそこに居た。
「いや壊したのおま」
余計なことを言おうものならまるでダーツを投げるかのごとく、砕けた割り箸がティンの頬を掠めて飛び、壁に突き刺さった。それを見てティンは言うべき言葉を投げ、そして自分の席に座ると。
何故かいそいそと自分の料理をティンの皿に移し、そして何食わぬ顔で刺身を食べる氷姫様が。
「お前何してんだよ」
「これ量多い」
ではまた。