親とは何か
目を覚ますと、そこはいつか見た異空間だった。見渡せば、いつか見た仮面の紳士が微笑みと共に紅茶を持っていて。
「飲むといい。少しは落ち着くはずだ」
差し出された行為に、ティンは妙な気分になって手で払った。
紳士は柔かな笑みを浮かべると紅茶を近くにあるテーブルに置いてティンの前に立ち。
「一つ、疑問がある。君は何故、頑なに両親の存在を忌避する?」
無言のまま、ティンは俯いた。
「目を反らすのは簡単だが、君はいつも言っていた。親などどうでもいいと、だがそこにあるはずの憎悪は何処か空々しい。まるで、憎む為に憎んでいる、とで言うかのように」
「……あんたに何が分かるんだよ」
ここに来て、搾り出すようにティンが喋った。男は微笑みながら彼女と目線を合わせて。
「……私は君の人生に触れた。ゆえに、少し事情が見えるのでね」
「……あんたとは、此処で会うの、二度目だけどさ」
そう言って、顔を少し上げて男の姿を目に入れる。
「あんたって、誰。何で、あたしを此処に連れてきたの」
「……それは」
ティンの問いかけに、男は始めて苦い表情を浮かべた。常に柔らかく笑っていた男から笑みが消えている、それだけでティンは妙な何かを感じ取った。
そこで一つ疑問が生じる。
「……そういや、あんたの名前、聞いてない」
「言われて見れば、そうだったね。私の名は――」
と一旦切ってから。
「レウルスだ」
そう、宣言するように言った。そこでティンはかつて人に名を問う時は自分から言うものだという常識を思い出して。
「……そう言えば、あたしも名乗って」
「いや、それには及ばないよ」
途端に言葉を切るようにレウルスは告げた。
「何で、あたしの名前」
「私にとって、名前など一つの記号に過ぎないからだ」
そうレウルスは言い切る。
「記号?」
「そう、個人を特定する為の記号。私は君の名を聞かなくても君が誰だか分かっている」
そう断言する男の姿には自身に溢れていた。まるでティンと言う存在を始めから知っているとでも言うように。
「……ほんと、アンタって何者なの? なんであたしを気にする?」
「それは……」
またレウルスは苦い顔を見せる。そして、決意の表情で言い切った。
「実は、私は……君の本当の両親を知っている」
言われて、ティンはあっけに取られた。そして表情が驚愕へと変わって。
「だからね。彼らの娘である君の世話を焼こうと思ったのさ」
「な、な、な……!」
本当に、本当に爆弾のような一言。何もかも吹き飛びそうなほどの一言飛び出た。
「と、言いたいのだが……実のところ、昔に会ったきりでね。よく、覚えていないんだ。だから、君の両親が何処にいるのかまではしらない。でも、どんな人物かは知っているよ」
「……」
ティンは呼吸を落ち着かせながら驚き過ぎて訴える体の不調を抑えるように押し黙る。やがて、吐き出す様に。
「それで」
「……それで?」
「それで、あんたはあたしに、何が、言いたい」
ティンは立ち上がりながらレウルスを睨みつけて問い返す。
「ふむ……私が気になるのはね、どうしてそこまで両親を憎む? 忌み、嫌う?」
「何が悪い」
レウルスの言葉に返すティンの言葉は冷たくて鋭い。
「そうだね……何が悪いのか、と言われれば悪いことは何も無いのだが……何故、精神異常を起こすほどの次元で君は、両親の話題を避ける? 捨てられた、故に憎いと。だが、君はこれまでの人生でこうも言っている。親など、どうでもいいと」
言われてティンは気まずそうに目線を逸らす。
「親を拒絶し、親を忌避し、そのくせ本当は親の存在をどうでも良いとも思っている……その理由は、何かね?」
「……お前には、関係ない」
「残念だが、之まで度々見せて来た親の話題に対する君の態度を見る限り、そうとも言えなくなった。このまま放って置いた時、偶然実の親に出会ってしまったら如何すると言うのだね?」
再度ティンは黙り込む。尻餅をついて、俯いて、無言を貫いた。やがて。
「……あたし、さ。昔から両親が、いないんだ……お出かけする時は、基本、師範代、ひげ面のおっさんが、一緒でさ。最初の内は、それで良かった。でも、さ……他の子供はちゃんとした親が迎えに来るんだよ……若い、お父さんと、お母さんが」
諦めるように、区切り区切りに、ゆっくりと言葉を紡いで行く。
「それ見て、自分をさ、迎えに来る奴なんてさ、無精髭のおっさんで……家で待ってるのはよぼよぼの……おじいちゃんと、おばあちゃんで……何でだろうって、思った」
自分を切り刻むように、己を罰するように、言葉が続く。
「若い、自分と似た、さ。そんな両親と、居たかった……そりゃ、子供だし、オトナの事情とか、よくわかんないし……でもね、ばーさまが、言ったんだ。自分は、貴方のお母さんには、なれない……でも、代わりには、なれる、って。代わりに、愛して、あげるって」
「……よい、夫婦だ」
黙って聞いていたレウルスは、静かに呟く。
「本当のお母さんと同じようには出来ない……でも、精一杯、愛する事は出来るって……だから、思ったんだ。此処の人達は、愛してくれる。愛されてるって……誰かを愛せるって、教えてくれたんだ……」
地面に座り込んで、ティンは。
「愛してくれる。居場所をくれる……ホントの両親にして貰えなかった事を、してくれた人達がいる……それでも、思うんだよ。何で、あたしは捨てられたんだろうって。捨てられた理由ってなんだろうって。でも……そんな理由、聞けないよ……聞きたくない……それってつまり、恩を仇で返すってことだと思ったらさ……今、ちゃんと愛してくれる人が居るのに、でも、ホントの両親がいいだなんて……我侭も良い所で、ちゃんと、黙っても、愛してくれる人が居るんだから……それで……十分じゃんかって……これ以上、何があるんだと、思って……」
「……それで、両親の話題を忌避していたのか。親のへ興味を持つ事は、育て親への裏切りになると思って」
「……うん……じーさまも、ばーさまも、良い人たちばかりで、なのにあたしは……実の両親なんて、求めて……要らない筈、なのに、ね。そんなもの、なんて」
レウルスはティンの下に近寄ると、しゃがみ込んで彼女の顔を覗き込む。
「……子が親を求めるのに、何が悪なものか」
「だって……だって……孤児院にね、たまに、ね。他の子の……親が、来るんだ」
「……ああ、そう言えば。これかな」
レウルスはそう言って空間の一つを指で押す。そこから波紋が広がり、一つの映像が浮かぶ。
それを見てティンは思い出した。孤児院に新しい子が来てから一ヶ月が経ったであろう時期、一人の男がやって来た。そいつはどうやら、新入りの子の父親らしい。ティンは正直男が何を言ってるのかよく分からなかった。詳しく聞けば、きゃばじょうとか言う女と遊んでいたら、その女が子供を生んだらしく、それを男に押し付けてどこかに消えたらしい。
男は急に押し付けられた子供を育てていたのだが、その教育の仕方がほぼ虐待に近いもので、暴力が当たり前の家で、その子は母親に救いを求めるように家出をして、師範代に拾われた、と言う経緯らしい。
その後、男は今まで子供がいない事を気にしなかったが、子供が家出していると言う事実が近所中に広まり、職場までその噂は広がって子供への虐待の噂まで広がった結果、必死になって探し始め、孤児院にたどり着いた……と言うことらしい。
男は当然の権利として子供の返却を要求するが、ティンや華梨はもうこの子は孤児院の子だと主張するが、男はこの子は自分の子だと主張し返す。
「……随分、懐かしいね」
ティンはその映像を見て、遠い昔でも眺めるように呟いた。実際、10年も昔の話だ。ティンは平行線となったこの状況に華梨と並んで剣を突きつけたがそこへ師範代が割って入る。当時の彼は小声で脅しかけ、男を追い返した。
男は師範代に脅されてからそれまでの威勢が何処に行ったのかと思うほどの速度で逃げ帰って行ったが、それ以降男は来る事は無かった。
「調べてみたが、この男は君の育て親が後で裏を回してもう来ないように手配したらしい」
「そんな、ことが」
「つまり、この男は特に覚悟も無く、その後のことの考えなくそう言った行為を平然と行い、そしてそのつけとして子供を押し付けられた、と言うことか。そもそも、この男女は何故覚悟も無いのに子を成す様な行為を行ったのか、理解に苦しむな」
レウルスは淡々と、人事のように言っていく。
「……あんたなら、こんな事はしないって言うの?」
「少なくとも、生まれて来た子供には全身全霊の愛を注ぐと思う。君の、両親のようにね」
言われたティンはぽつりと。
「結局、捨てたのに?」
「……そこが分からない。母親なら、大いにあり得るが父親なら何があっても君を捨てたりしないと思う」
断言するレウルスの言葉。そこには力強い意思があって。
「どうして、そう思うの?」
「君の父親は、とても弱かった。弱いからこそ、多くを拾おうとはしなかったが、抱えたものは決して零さぬと言う決意を持っていた。その為に、お金を得ようと株に手を出したり、色んな商売をしようと必死に手広く行動していたよ。優秀だった」
男の声は冷たく、最初のような柔らかい笑みも物腰も無い、鉱物みたいな態度で、淡々と。
「優秀?」
「ああ。どんな大きな商売相手でも立ち向かい、必要な物だけを得て言った。一見して勇者の様だが、ただ臆病だっただけだよ。臆病過ぎて、塞ぎこむより虎穴に入り込むことを選び続けただけだ……そして家庭を得てから、彼は人が変わったようだったよ」
「……どんな、風に」
「自信に溢れていた。愛する者を得て、大事な宝物を授かって、どんな事でも出来ると信じていた……だが、それが」
そこからレウルスは黙った。結果は知っているだろう、とでも言うように。ティンは。
「……そこから先は」
「知らないね。私が知るのはそれくらいだな」
「……そう」
ティンは答える。レウルスは手を払い、浮かんだ映像を消し飛ばしてティンと向き合う。
「君は、周囲の子が全うな親がいないから、自分も全うな親ではないと思い込んだのか。周囲の家族に気を使って」
俯いて、ティンは答えることを拒絶する。
「でも、それであの子達は本当に救われたのかな」
「そんなわけない」
即答。響き返すようにティンは返した。
「そんな訳、無い。あたしがあんな事言い出して、皆如何思ったかなんて、全部知ってる」
「だ、ろうね。君は、本当にあの孤児院のお姉さん、何だね」
「……そうだよ。あたしは姉ちゃんだ。孤児院の、一番上の」
「でも、自分だけが本当の両親からちゃんと愛されてるから、認めたくなかった。否定したかった。仲間外れにもされたくない、育て親への感謝も忘れたくない。だから、本当の両親をタブーとしていたのか。親への思いと、その正体を知ることが、自分の大事な物を壊してしまう事だから」
唇をかんで、否定したいけど、でも否定しても意味が無くて、小さく頷いた。男はふっと笑って手を伸ばして、頭の上に乗せ。
「私には、君に何と言えばいいのか分からないが。君の母なら、言うであろう言葉を送ろう」
ゆっくりと、愛でる様に、レウルスはティンの頭を撫でながら。
「なら、存分に憎め、恨めと」
「え」
思わず目を見開いてレウルスを見返す。
「邪魔だと言うのなら、邪魔で結構だ、と言う筈だ。彼女は少々人として色々あれだからね、何を言ってるのか分からないと思う。だが、君が悪だと思うなら存分に悪と思うがいい。彼女なら、きっと受け入れるはずだ」
「……でも」
「何故だね。君は、憎んでいるのではないのかね。憎みたいのでは」
「違う、違うよ!」
レウルスの手を跳ね除けて、ティンは立ち上がり。
「会いたかったよ! 愛して、欲しかったよ! こんな、置き土産なんかじゃない、ちゃんと向き合って、愛して、頭撫でて、抱きしめて、一緒に居て欲しかった! 貧乏でもいい、一人ぼっちでも良い、あたしは」
「君の母は、そんなことを望んでいなかった。運命共同体となって辛い人生を歩んで欲しがったりは、流石の父親も思いはしないだろう」
「でもあたしは……一緒にいたいよ……捨てられたって、あたしはホントの父さんと母さんに、一緒に居て欲しかった! 何で“今”なんだよ! 今、じゃなくていいじゃんか! 何で……今になって、こんな話、するんだよ……今、されても……もう、要らないよ」
ティンの目には、憎しみでもあり、愛情でもあり、複雑な思いが混ざり合って宿っている。
「もう、要らないんだよ……あたしはッ!」
「あたしは、独り立ちしなきゃいけないんだ……一人で、立って進まなきゃ行けないんだ」
漸く掴んだ真実。彼女は求めた、答えに辿り着いた。
気付いた現実は、悲しいほどに残酷で、だけどそれでもティンは、認めざるを得ない真実を、手にした。
それではまた。