呪いの残滓
ティンは揺れる馬車の上でリンゴを頬張っていた。何故こんな事になってるのかと言うと、これが現在の彼女の仕事だからである。林檎の品定めと言う仕事ではなく、馬車の護衛と言う仕事である。
何故にこんな事をしているのかと言えば、単純に頼まれたからに他ならない。ディレーヌ婦人から言われた事は。
「馬車の護衛をお願いね。ついでに畑の方も見てきて頂戴」
くらい。正直ただの馬車移動に何故わざわざ護衛がいるのか彼女は少し疑問であったが。
「そういやあんた、どっから来たんだい?」
御者から不意にそんなことを聞かれる。
「ん? んー森の方?」
「森? 森ってーと……おいおい、東の方か流れてきたのか? そりゃまたどえらい所から来たねえ。あそこって確か道が無い筈だけど」
「リクって人が案内してくれたんだ。えっと、この国の王子様だっけ」
「リク様が!?」
ティンの答えに御者はそんな風に驚いた声をあげる。
「リクってやっぱ王子様なんだ。全然そう見えないけど」
「そっか、リク様が……まあ、あのお方は王子として過ごした日は短いからなあ。でもよく森の中を歩いて……国への抜け道は全部把握してたのかな?」
「さあ? あたしが適当にイヴァーライルの方向に行こうとしたらリクが急にこっちだーって言い出して、そしたらここまであっという間。あたしもびっくりしちゃった」
「はああ、やっぱりリク様は凄いお方なんだなー」
「それよりもあたし気になるんだけどさ」
言ってティンは芯だけとなったリンゴをポケットに突っ込み。
「何で馬車移動? トラックとかは無いの?」
「あるっちゃあるけど、トラックの燃料も国内免許も無いんだよ。ガソリンはラルシアさん頼みになるし、今国を建て直そうって時だから国内免許の教習所も無いしね」
「国内免許? 何それ」
「この国で車を運転するには許可証を運転免許教習所で貰わなきゃいけないんだ。免許証自体は他の街や国で貰ったもんでいいけど、それでも一旦試験を受けて許可証をもらわないとダメでね」
「へえーめんどくさいね」
もう一つのリンゴを頬張ってそう頷く。
「他の街とかに比べりゃずいぶん楽だよ。都市間連合規定だと他の街で車の運転するのにそれはそこでの免許証を教習所で貰わないといけないし」
「え、何で? そんなの一つあればいいじゃん」
「車両専用道路のせいだねー。都市間連合って元を正すと国主を失った国々の集合体が都市として互いを助け合おうって出来たから、元々は別の国なんだよ」
「助け合って無いじゃん」
そう言ってティンは二つ目の林檎を齧り続ける。馬車の旅は正直気楽以外のなにものでもなく、景色が全く変わらない事を除けば優雅な旅である。
「車の普及が悪いのが一番の原因なんだよね。そこまで自動車が流行ってるのかと言えば違うし、風の魔導師が運送したり、機械の乗り物を電気魔導師が動かしたりするから運転技術だけの免許証って意外と意味が無いんだ。それに比べれば馬車なんて気楽なもんさ、馬を操る技術と馬の燃料と言うか食料さえあれば良いんだから」
「なるほどねー魔法が原因かーそう言えばさ」
「なんだい?」
「この馬車、一体何を護衛するの?」
ティンはいよいよ自身の必要性に疑問を抱き始めてきた。何せ見渡す限りの草原で何から守るんだというレベルで。
「んーそうだねー一応魔道書は沢山あるし盗賊に襲われても兵器だし……ああ、この辺魔獣が出るからそれかな?」
「え、魔獣? 自然界の魔力の取り過ぎで凶暴化した、あの?」
「そうそう。流石にあいつらに魔法は効き辛いから何時もは護衛の騎士さんが二人は居るんだよ……えっと、一人? 大丈夫?」
と、御者は思い出したように心配そうな目をティンに送る。
「んー流石に魔獣と戦うのは初めてかなー? でも昔やりあったのは一体何だろ?」
「お、おい!?」
ティンが考えていると御者が悲鳴じみた声を上げる。御者の目線の先には歪な姿の四足動物が数匹馬車の周りを囲んでいて。
「騎士さん騎士さん、来てる来てるって!?」
御者がそう言った刹那、飛びかかった魔獣にヒュッと何かが突き刺さる。見てみれば光の剣が突き刺さっており、間を置かずにティンがその柄を掴み取って真っ二つにすると。
「馬車を走らせて!」
「え、でも」
「早く! あたしの事は気にしないで!」
ティンが叫ぶと御者は慌てて馬車を走らせ、ティンは頭に手を添えた。幾ら彼女でも馬車と並行して戦闘何て真似は出来ない。だから。
(術式起動、光子加速二倍速)
指先に溜めた魔力を術式に押し付けて発動させ、視力に光の魔力とシンクロさせ、自身の体を光に一歩近寄せる。結果としてティンは通常時のほぼ二倍、目には自分の身体以外がほぼ通常の半分速度で動いているように見える。
さあ、始めようか。何を? 高速の剣戟舞踏を。
言葉を発する事も無くティンは一歩踏み込んで駆け出す。既に身体は二倍速と化し、目も速さに大体は慣れた。
「って、え?」
のは停止状態においての、である。動いた時の他者との動きの差に最も驚いた。自分が動き出した瞬間と周囲の動きが全く違う。殆ど止まって見える光景にティンは思わず剣が鈍った。思うように動くことが出来ない。
「これが、光になるってことか」
しみじみと口にして周囲を見渡し、ティンは即座に踊るように抜け出した。理由としては幾ら二倍速で、視界が感覚の時間が半減しているとはいっても人間よりも高速で動く化物相手ではさほど意味が無い。つまり。
「少しはこっちの都合も考えろ!」
飛び掛って来た化物を一刀の元に切り裂き、更に違和感。切った筈の化け物が一向に変わらない。ティンは疑問に思って更に4、5回ほど連続で切り裂いて蹴り飛ばすと化物は四散して飛び散った。驚く暇は無く即座にティンは踊って回避運動を行う。
驚くのはその後、自分が元居た場所に殺到する獣を尻目に切り裂いた後の時間差を考える。幾らなんでも切り裂かれて割れる速度よりも切って視認する方が速いのは少々ではあるが問題しかない。ティンは密集した箇所へ無数の斬撃を送り込むと馬車の方へ向き直る。視認が難しいが、位置を確認できる程度に離れた場所目掛けてティンは駆け出し、あっと言う間に追い付くとそのまま馬車に乗り込んで術式を切った。
急に視界が加速化し、ティンは思わず目を瞑った。流石に全ての動きが半減化していた世界が元に戻る、それはつまり速度が倍加すると言うのと然程変わりは無い。
「き、騎士さん!? あんた一体」
「いいから速度上げて! 一気に駆け抜ければ大丈夫と思う!」
「あ、ああ分かった!」
ティンは流れていく景色を見て御者に問いかける。
「ねえ、あの魔獣って狼?」
「……いや、あれはリスだ」
「え?」
「元々この辺りの森に住んでた……いや、全部草原になってるけど、昔はこの辺りは森でな。本当はリスだったんだ。でも、呪いの影響で体内の魔力とこう、化学反応とも言える過剰反応が起きて、あんな、狼みたいな化物になっちまったんだ。尻尾が、それっぽかったろ?」
ティンは口の中が乾くような感覚を覚えた。言われて見れば、確かに尻尾がそんな感じであったと、そう思う。つまり、自分がさっき切り裂いて蹴り飛ばしたのは。
「……あんなに、なるなんて。くそ、呪いをかけた奴は何処にいっちゃったんだろうな。会ったら、絶対ぶった切ってやるのに」
「もう、居ないよ」
「え?」
「もう、居ない。そいつは呪いをかけた代償に、死んだよ。噂じゃ、リク様の目の前で、リク様の誕生日に」
「……リクって、結構」
それ以降は流石にティンも何も言えなかった。
んじゃ、また。