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鬼ごっこ 

 輝かしい太陽はただの照明。蒼く広がる広大な空はただの幻影。踏みしめる土だけは真実であり、一見するとそこはどこの学校にもありそうなグラウンドの風景だった。

 されど気温は低く冬の様相を呈している。迷彩服姿の衛士はそれでも身を抱くような様子は見せず、直立不動で目の前のエミリアへと眼差しを向けていた。

「これより簡単な戦闘訓練を開始する。これは最低限身に着けておくべき技術スキルであり、これが高まれば高まるほど、近接戦闘での死亡率が低くなる」

「そもそも任務ってなんなんです? 聞く限りじゃ戦闘ばっかじゃないですか」

「我等には敵対組織というモノが多く存在する。あらゆる国家に許され協力を得ていても、その国の中で暴動や犯罪を糧に甘い蜜を吸っていた者らには敵視されてしまう。故に、それらを鎮圧する中で邪魔が入るわけだ。私達にとっては酷く煩わしい存在だ」

 つまりはそんな敵対組織の施設に入り込み徐々に無力化、そして弱まったところを叩き潰す。それを延々と繰り返し、また本来の鎮圧作業も加えるというものだった。

「この副産物とて無敵ではない。間抜けが使えばそれ相応の結果に繋がる」

 故に必要となるのは白兵戦での強さとなる。最も敵組織の基本装備と言えば軽火器、例えば短機関銃やアサルトライフル、カービン銃、、ライフル等。そして拳銃類だろう。その上で手榴弾やら爆薬やら。弾薬も考え、総量で十キロ程度のそれらである。

 一概に兵隊ではないとは言い切れぬそれらは兵隊上がりでもあるかもしれないし、敵組織でもこうして育成されているのかもしれない。だがあるいは、軍自体が動き出しているのかもしれなかった。

 そもそも国自体が手を組む事を建前として、なんとしても此方リリスの全貌、ないし駆使する副産物の手がかりでも知ろうと画策しているのかもしれない。

 常識的に考えれば兵隊上がり、ないし敵組織が人材を育成しているか、国が動いている……その二つになるだろう。たかが秘密組織を暴く為に軍が独自に動くことなど無いであろうから。

 どちらにせよ数は膨大で、だがそれでさえもこの組織には歯が立たなかった。

 適正者と行っても精鋭部隊には叶わないだろう。故に死者が出る。だというのに敵は未だ抗い続ける。

 その価値があるからだろう。どれほどの犠牲を裂いても手に入れるべきモノが、手に入れた際に今まで捨てた物量、その全てが上回ってしまうほどの技術がここにはあるのだ。

「質問は以上だな?」

「ま、考えても仕方が無いことですし」

 ――衛士は嘆息する。

 確かにそうだ。今それを知ったところでどうなるというわけでもない。ココで飼われている以上下手に勘ぐる事は意味が無いのだ。

 言われた事を素直にやってのければ良い。個人としては最低限のリスクで最大限のメリットを得る事が、成長する上での目標である。

「ま、今週中に射撃と格闘の技術をある程度の段階まで引き上げるからな。覚悟をしておけよ」

 エミリアは酷く彼女らしい冷血な笑みを浮かべると同時に、腰を落とし、太腿に備え付けてあるホルスターから一丁の拳銃リボルバーを素早く抜き、構える。既に撃鉄は起こされていた。

「これから二時間私から逃げ続けろ。此方も本気でやる。貴様も……な」

「はっ! 分かりましたよ、昨日みたいに殺されちゃ元も子もない」

 衛士はすぐさま走り出せるような体勢に移行し、重心をやや後ろに下げる。彼女は拳銃を握る腕を空へと掲げ、二の腕で耳を塞ぎ、もう片方の手で耳栓代わりにし、両耳を音から守る。

 と、間も無く彼女は空へと迷い無い発砲を試みて――衛士はつま先で救い上げた砂を蹴り上げ、エミリアへと浴びせてから全力疾走で衛士から見て右方向へと駆け出した。

 その背後でむせ込み、体をくの字に曲げる彼女から発させる、油断した自身と素敵な作戦を躊躇無く決行した衛士へと向けられる怒号が周囲に響き渡り、背後で聞こえた発砲音の直後、彼のすぐ横を通り過ぎていく弾丸の影が衛士の恐怖をあおっていた。

「ちょ、銃はッ!」

 だだっ広く障害物も無い。広さといえばその中心に円周五○○メートルの白線で構成される楕円があるだけで、恐らくそれをきっちり並べれば三つ四つ入るだろうとの推計しかできず、ただ逃げ回るだけなら文句の無い広さである。

 とはいえ銃などの飛び道具を使われてしまえば逃げ場などあって無いようなものだ。無論、拳銃である限り距離を取って動き回れば、あるいは行動の中で冷静な対処さえ出来ればある程度は大丈夫だろう。

「安心しろ、使わん」

 だが問題は体力だ。

 良く訓練され、教官にさえも選抜され、さらに先日襲撃してきたボンテージ姿の女性にさえも一目置かれる彼女である。そんな人間を相手にするのは、ついこの間まで平凡な高校生であった少年。肉体を鍛えてはいたものの、それは飽くまで単なる筋肉を強化したものであり、体力が上がっているのかと問われれば首を振るしか他無い。

 振り向く余裕は無いが、声の調子から見て怒りを孕んでいる様子は無い。本気、と口にした以上――その感情を表に出さないことに本心が知れて、それ故に怒号を撒き散らされる以上に恐怖してしまう。

 逃げ切れるか?

 されどこの問いが無駄であることを衛士は知っている。

 逃げ切らねばならない。そうしなければオレはこの世界で生き残ることなど、到底出来ないだろう――。

 目の前に金網フェンスが迫る。外の人気が無い都市街とグラウンドとを遮るそれは周囲をぐるりと包み込み、唯一の出入り口は訓練学校へと繋がる扉一枚。それでさえもグラウンドとを隔てるように十段近い階段があって、その左右は土手となる。

 つまりここはちょっとしたくぼ地であるのだ。

 だからどうと言うわけではなく――衛士は咄嗟に右方向へと軽くステップし、着地した足で方向を転換。そのまま左方向へと走り出す。このまま走ればフェンスの角へと到達する。無論、そこへ向かうか否かはどれほどまで距離を縮めていられるかで判断するのだが……。

 衛士は背後を確認し、思わず速度を緩め、足を止める。

 その理由は――グラウンドの中心で、未だそこに立ち尽くし続けるエミリアの姿があったからだ。

 鼓動は高鳴るも、呼吸は乱れない。冷たくなる頬は、風も吹かない大気によって冷えていた。

 衛士に背を向ける彼女の頭部には、なにやら黒い一閃が走っていた。目を細め、注視するとそれがなにやら帯であることが分かる。ハチマキのようで――結び目が見え、衛士は舌打ちの後、叶わないなと嘆息した。

 彼女は自ら視覚を封じている。それは目で追わずともそれ以外の情報で衛士を捕まえるのは容易という事を言っているのかもしれないし、あるいは衛士の訓練でさえも自身の鍛錬にする貪欲さを垣間見せているのかもしれない。

 こういった限られた空間で逃げに徹するにはどうすべきなのか――この際だから考えようと衛士は思う。

 開けた場所だ。視界を遮るものも無いし、あるとすれば砂を投げつける目潰し程度。されどそれも一度やってしまえば二度以降は通じないし、なによりもその射程圏内でそういった行動をするのにはリスクが大きいような気もする。相手にもよるが。

 そしてこの寒空の下――これを任務だと仮定するならば、それを想定した訓練ならばココは閉鎖された空間。そして室温は低く、さらに暗いだろうと考えて間違いない。だがそれを想定しているのは彼女であり、衛士が与えられているのは前者だ。

 ならば与えられたものを最大限に活用しよう。

 二時間逃げ続ける、というのはこの決められた範囲では半ば無謀である。体力の問題もあるし、逃げるパターンも随時考えていかなければ先を読まれてしまうだろう。

 腕力、知力、体力、そして戦闘技術、経験。全てにおいて分が悪い。本当に逃げ切れるだろうかと不安になるも、そもそも逃げ切れるとは両者とも考えては居ない。

 要は”どこまで出来るか”である。

 行動から見る思考、そしてそもそもの行動、その素早さや思い切り。その全てを計ろうとしているのは衛士にも分かった。

 だからこそ――自分にとって最大限に”出来る事”をやってみようと考えた。

 二時間逃げ回って体力を消耗し、その末に捕まることなど愚者の極み。ならば体力がある今こそ――と。

 衛士は決意し、迷う事無く走り出す。向かう先は勿論、エミリアの方向だ。

 立ち向かう。痛くはあろうが、二時間逃げるよりは比較的マシであり、そして楽だ。

「ははは! ここまで予想通りだと、私の思考が読まれてるのかと心配になるな」

 彼女は高笑いをあながら振り向く。動作は軽やかで、まるで足元に土台があってそれが回転しているかのような自然さで――行動はすぐさま駆け出す事に転じる。

 姿勢は低く、空気抵抗を下げるように。

 だが彼女の速度は確かに目を見張るものがあれども大気が彼女の行動を遮ることは無い。このまま走れば速やかに衝突するだろうが――衛士は立ち止まる。

 目的は可及的速やかに相手を無力化し二時間を経過させることだからだ。こちらから出向いて返り討ちにあうのならば、先制攻撃に失敗して打撃を受けることのほうが幾分かマシであり、

「今度は、避けてみることだな」

 目の前までに肉薄する。彼女の姿は恐怖によって何倍にも巨大化するグロテスクな怪物に映り、衛士は思わず肝を冷やす。が、奥歯を噛み締め踏みとどまった。握り拳は正拳を作り、二度と打撃で骨折などといった事態を招かぬように形成される。

 衛士は腰を落として、まるで精密狙撃でもするかのように射程圏内に入った彼女へ構えると――直後、大気は渦巻き、砂埃を巻き上げる。彼女の姿は一瞬にして消え去ったかと思うと頭上に気配を感じ、見上げると背後で衝撃を殺すような着地音が耳に届く。

 人間離れの跳躍力で背後へと回り込んだエミリアは屈んだままの体勢で足払いをする。衛士は慌てて前方に受身を取るように回避し、振り向き様に立ち上がって、数秒、停止する。

 彼女もそれに応対するように、数メートルの距離を取って正面に立ち止まった。黒いハチマキが視界を遮っているというのに、行動はそれを装備する以前と何か変わった部分が一切見えなかった。

「避けるも何も、攻撃してないじゃないですか」

「なら貴様が掛かって来い」

「いやですよ。疲れるから」

「怠け者」

「エミリアさんだって、オレが一撃で倒せないかも知れないから怖くって手が出せないんでしょ?」

「面白い冗談だ。余裕があるな貴様」

「そっちは余裕なさそうですね。口元、引き攣ってますよ」

 その瞬間、衛士にあわせて作っていたであろうその僅かながらも存在していた表情が、一瞬にして彼女から消え去った。同時に彼女の腹の底から溢れ出るような殺意が衛士の額のど真ん中を貫き、彼はその刹那恐怖を刷り込んだ。

 しかし彼にとってこれは予想内のことであり、またむしろコレを望んでいたともいえる。

 感情を露にしてくれれば行動が安直なモノとなりやすい。彼女にいたってはそれが見せかけのものである可能性もあるが、どちらにせよソレがあるのとないのとでは衛士の対応は大きく異なる。

 なぜならば、エミリアが衛士の調子に乗せられる、ないし乗ってきたという事になるからだ。

 そう思わせること自体が彼女の作戦なのかもしれない。そうでないかもしれない。しかしそんな事を考えれば堂々巡り。折角得たこの機会も仮に運否天賦だとしても利用しない手はないのだ。

 ならば存分にやってみせよう。

 衛士は苦笑するような笑みを満たして彼女へと肉薄する。

 エミリアはそれに応じるように大地を蹴り、それよりも早く衛士の懐に潜り込んで一閃。

 衛士はそれを視認するや否やすぐさま背後へ大きく飛びずさる。故に両者の行動はまるで対になるかのように連動し、彼女の拳が素早く振り抜かれるも――その拳は衛士の胸板手前で停止する。直後に衛士は倒れ込むように彼女のがら空きの懐へと沈み、腹に接着するように背を向ける。

 突き出された腕を肩に背負い、大きく開いた股に深く踏み込み――腕を基点に彼女の身体を背負い上げ、叩き付ける。エミリアの肉体は予想以上に女性のモノとしての重量しか備えておらず軽量。

 地面は揺らぐ事無く砂塵を起こし、彼女は受身も取らずただ衛士の足元に横たわった。

 ――コレほどまでに容易なものかと彼はそのまま身構えるが、彼女の動きは無い。ただ眼を見開き、虚空を見上げたまま微動だにしない。辺りは奇妙な静寂に包まれていて、それがより、動かぬ彼女の不気味さを増長させていた。

「正直驚いたな」

 彼女はまるでなんでもなかったかのように口を開いた。既知の芸当を新しく発見したと見せられたかのような気の抜けた声の後、エミリアは身体を起こし、立ち上がる。その際に、装備していたハチマキを解き、手に握った。

「私が不意をとられるとは」

 どこか遠くを見るように彼女は告げる。衛士はそんな彼女の言葉にただ自分の命だけが心配になってきた。

「は、はは。こんなことで怒らないで下さいよ? 油断したエミリアさんが悪いんだし、そもそも――」

「怒る? 私がこの程度で怒りするはずが無い。逆に、私の油断を見抜いての行動は賞賛に値すると言っている。先日もそうだ。彼女が貴様を侮っていると見たからこその、あの大胆な作戦だろう?」

 上手く隙を見抜いた攻撃。彼女が見る限り衛士の行動の全てはそれだった。

 その気になれば力押しで完封することもできるだろう。だが彼はそうせず、相手の力を利用する事ばかりに励んだ。そしてそれが確実な手段であろうとなかろうと、実行し、そして成功させてきたのだ。

 相手の攻撃の直後、というのはその相手の隙が最も大きくなる。が、攻撃を耐え抜く、あるいは避けねば入り込めない隙である。彼にはそれが出来た。それはなぜか?

 ――時衛士が感じる恐怖は見てどれほどのものか分かるくらい表情に出ている。それが見せ掛けとでも言うのだろうか。

 そもそも彼は自身が既に悲劇を乗り越えていることに気付きながらも否定した男だ。実際、恐怖を感じていなくとも一般人であることを主張するようにそれを表面上に出す事などは容易であろう。

 だが彼自身、怖いことは本当に怖いと思い込んでいる。思い込みは彼にとっての真実となるのだ。故に、エミリアから見れば見せかけのソレかもしれないが、衛士にとっては冗談でもなんでもない、心からの感情であった。

 今回、否、これからの訓練は彼の本質、試練で構成されたその精神を表に引き出すことが主となるか――。

 彼女は嘆息し、なるほどと頷いた。中々面白い男だ。アンナが、そしてあの保健医が認めるほどのことはある。

「特に深い考えがあったわけじゃないですよ。出来るときにやれることをやって見せただけです」

 決断力は極めて高いだろう。以前の彼の担当者の報告書レポートを見る限りでは桁違いに成長している。

「それで、一番相手に通用する攻撃方法、ですかね。講釈垂れて恥ずかしいんですけど、そんなところです」

 そして咄嗟の判断。これから一週間出来る限りの事を彼に施せばドレほどまでに成長する?

 ひ弱な肉体に強化外骨格パワードスーツを装備させるほどまでに強くなるだろうか。彼女は誰にとも無く首を振る。

 さすがに期待しすぎだ。だが可能性は少なくともある。数値に変換すれば途轍もなく低いものとなるが……それでも常人には決して存在しないそれだ。潜在能力が高い、と言うのが一番正しいのだろう。

「まぁいい。後九○分残っている……十数える間に逃げろ。今度はそう簡単にはいかんぞ?」

 彼女が人に向けて良いのか分からぬ悪意を孕む笑顔を見せる。衛士は思わずその背筋に冷たいものが走るのを覚えて――。

 悪夢と言っても差し支えない一週間が、始まった。

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