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歓迎会

 時衛士はゆっくりと目を開ける。そう促されたような気がしたのは、褐色の女性が肩に乗せた手を離したからだった。そして視界に飛び込むその景色は――先ほど見ていたものとは違い、都市部に移動したようなビルが無数に立ち並ぶ風景。そして自身が、交通量が皆無である道路の真ん中に立ち尽くしていることを理解した。

 ”裏世界アンダーワールド”とまで言うものだからどんなものかと少々恐れていたが、まだ移動していないようでほっと胸を撫で下ろす。そんな彼を尻目に彼女はカツカツと静かな街の中に足音を響かせて先を行く。衛士は慌てるようにその後を付いていった。

「ここは何処なんだ? 地下鉄にでも乗って移動するとか?」

「私自身理屈が分からないが、転送した。既にここは地下五○○メートルのジオフロントだ」

 顔を向けずに彼女は告げる。されど、衛士には言葉の意味を理解することが難しかった。

 転送、とは言うが肉体を一体どうにして地下へと移動させるのか。よく”トンネル効果”と耳にするが、それでも物質が完全に向こう側へ通り抜けることは無い。

 ならば実は落とし穴があって、意識を一時的に喪失させた状態で移動させたのかと考えるも、五○○メートルもの落とし穴から落ちたとしたら仮にクッションが用意されていたとしてもタダでは済まないだろう。

 だったら、と衛士は彼女同様に理屈は分からないが、とりあえず転送したのだと理解することにした。

 そもそも衛士が使用している砂時計自体、どういった構造で作用で時間を巻き戻しているのか分からないのだから、転送それを考えること自体無謀と言えよう。

「まず初めに寮へ向かう。それまでのある程度の説明をしておこう」

「あぁ」

 短く返事をする。大股で歩く彼女の速度は衛士が小走りになってようやく追いつく程で、やっと隣に着いたのにも関わらず彼女は目を向けることも無く淡々と続ける。

 まず初めに彼女の名前はエミリアだと言うらしい。返すように自己紹介すると、知っているとぶっきらぼうに切り捨てられた。

 そして次に口にするのは、いずれ所属することになる組織について。

 名称は『抑圧組織リリス』。目的は犯罪、テロ行為、暴動等を未然に防ぐ事。活動範囲に区切りは無く、国際的に行っている。またその土地に対して人口が膨大になった場合、対象の国と隣国との間を持って紛争を引き起こし、隣国に勝利を収めさせる。見返りとしては食料、ライフラインの確保と当面の保護を約束する同盟。

 リリスはその報酬として資源と人材、技術提供を得て、さらに活動を活発化させる。非政府組織でどの国家にも依存せず独立した活動が特徴であり、今では日本以外にも多国に渡り支所を作っているとの事だった。

 それでもこの特殊な効果を持つ道具を有するのはこのリリスという組織のみであり、またそれを所持していることすら知れ渡っていない。逃げ出そうとする者も居らず、また居ても早急な処分が求められる為、情報が外へ顔を出すことは無かった。

 しかしそれは飽くまで建前であるという事は、口にしない。エミリアにはその権限が無いからである。

 納得、理解しきれないと眉をしかめる衛士を尻目に、彼女は息継ぎをしてまた続けた。

「これより半月は、四月から始まる訓練とは別の訓練を行う。殆ど模擬戦であり、その場の判断、処理などを身体で覚えてもらう為である」

「半月……? 残った半月は?」

「実戦に出てもらう。正直な所――貴様は組織内でも期待と評価を受けている。試練内で本来干渉できるはずも無い回帰を理解し記憶を引き継いだ為だろう」

「実戦ったって……」

「安心しろ。難易度は結果に伴って上下する方針だ」

 ふふんと腕を組んで得意気になるエミリアに、いや、と衛士は口を挟む。彼女はなんだと不服そうに聞き返した。

「具体的に、どんな……」

「貴様にとびきりの白兵戦は期待していない。時間の回帰に干渉したと言う事は特別な能力でもなんでもない。思考力だ。与えられた情報から、自身の知りえない膨大な流れを汲み取る。それを成し遂げられたのは現在では貴様一人となる。最も、時間回帰系の能力の適正さえ数少ないから比較がしにくいのだが」

 そんな台詞に、衛士は思わず沈黙する。

 彼女は、その背後の組織は衛士のその才能、ないし思考即ち頭脳に期待を寄せている。しかし勿論衛士にはその自覚は無く、もし自身の間抜けさ、愚かさが露呈したらどうなるのかと考えてみると背筋に寒気を覚えてしまう。

 さらに、四月から通常訓練が始まるという事は他にも同じような境遇の人間が居るのだろう。だとすればそこで比べられ、さらに落ち零れるかもしれない。そもそも勉強というものはどうにも面倒なのだ。その内失速し、見捨てられるのも時間の問題であろう。

 もしそうなったら、記憶を改ざんされて表の世界に戻れるのだろうか。衛士は考えて、震えるように首を振った。妙に恐ろしい予感が過ぎり、ソレについて考えることを、彼は放棄する。

「話せる範囲は伝えておこう。それを聞いて貴様がどういった判断をするのかも気になるしな」

 全ての言動、あらゆる思考が時衛士という個人の具体例サンプルと成り代わる。それらから彼がどういった人間なのか、そしてどういった期待に答えられるのか、肉体の耐久度、その精神力はどれほどのものなのか……。恐らく、この時点でその殆どが理解されているだろう。

 衛士自身が知らぬことすらも認識されていても然程おかしいことは無い。砂時計を得た時点で、彼の技術に対する驚愕は既に強靭な慣れを覚えてしまっていた。

 しかしそれもまた良い。衛士は一人微笑み頷く。

 実験体じみたことをされるのは良い。期待とて今では見返してやると心地よく感じられる。重責は無い。仮に失敗して死すこととなろうとも、今の彼はそれこそを望んでいた。

 今では半ば殺害されることが目的となっている。だがただでは死なない。せめて最後に、対等な立場でイワイ・ヒデオに討ち勝ち、その上でこの難解な裏を孕む組織に一矢報いるのだ。そうすれば報われる。衛士が勝手に拾い背負い込んだ、肉親の死が。

 だがそうするには強大な力が要る。どうするかと考えるも、やがてそれは無駄となった。

 力がある。否、与えられるのだ。今目の前にしている組織の人間から。そして期待が大きければ大きいほどその見返りもまた巨大なモノだろう。ではどうすれば期待が大きくなるか? 答えは酷く易しいものだ。

 衛士自身、絶えず期待に応えてやれば良い。

 彼の決意は、エミリアと出会った時からその拳に刻まれていた。

「現在、特殊効果を持つ副産物どうぐは八種類存在する」

 彼女はそれから指折り数え、その一つ一つに簡単な説明を添えた。

「まずは貴様の持つ砂時計。特別な名称は無く、命名の権利は貴様にある」

 砂時計を使用した瞬間から五分を体験した後、砂時計を使用する直前まで時を巻き戻す。それがこの砂時計の効果である。今では相手の行動を見極め、その上見抜き、先読みして、攻撃を覚えて避けるのではなく、まず初めの時点で出来る限り避け、確実な攻撃を与える手段を打ち込むために時を戻す。相手の動揺や隙を狙えばさらに効果的になる。

 彼女は、使用者によって利便性が激しく上下する、と最後に口にした。

「次に旧・耐時たいじスーツだ。これは私達が一般的に着用するもので、まず初めに時の操作によって影響を受けることが無くなる」

 身体に張り付く全身タイツのような漆黒のそれを撫でるようにして彼女は説明する。

 スーツはその上で、個人的に、自身が鮮明に記憶する中であれば自在に時を移動することが出来る。その際でのパラドックスが起きる事は無く、そういった機能に集中する為に効果はそれだけであった。

「新・耐時スーツはイワイに与えたものだ」

 旧型とは大きく違うのはまずその見た目だった。

 新型はぶ厚く、戦闘服を思わせる。上下一体型のつなぎのようなもので、ジッパーが首元から股間まで伸びるも、旧式とは違い脱ぎ着する事が実質不可能となっている。ソレは肉体と一体化し、確実に依存する為であった。

 それ故にスーツは切り裂かれれば肉体も同時に切り裂き、内部を露出させる。しかしその代わりとばかりに扱える効果は、肉体の強化……正確には脳のリミッター制御を自在にする事。

 スーツを脱ぎ着する事が出来ないので排泄は着用する際に取り付けた排泄パックに溜まり、そこからジッパーを開けて自身で処分するしかない。

 その上で、この耐時スーツにはさらなる種類が存在する、とだけ彼女は付け加えた。

酷手袋ラバーグローヴはただ装着するだけで良いお手軽なモノだが、個人的にはあまり好ましくは無いな」

 ラバーグローヴは触れた生物を空間に固定し、時を数秒、あるいは数分間停止させる。停止できる時間は使用者によって大きく変異し、無生物に効果は適用されない。さらに触れる事で停止させる時間を初期状態にまで戻すことが出来るが、最大で六度までしか効果を発揮できない。またその為には対象への打撃が必須となる。

遅延弾丸スピードローダーは一般的な弾丸として扱われるが、任意の地点で一度停止する事が出来る」

 しかし停止できる時間は使用者が次の”まばたき”をするまでであり、また停止が終えても速度が落ちることは無く、また殺傷力が落ちることも無い。基本的には弾丸の形をとる道具であり、銃の種類によってそれぞれに合った弾丸を製造されている。砲弾や核弾頭にも採用できるものであるが、組織として扱っていない兵器であるために未だ図面上に留まっている。

 現在では拳銃、短機関銃、機関銃、アサルトライフル、ライフル等で使用できる段階である。

「これが一般的に”任務”で狩り出される際に適応者が装備できる副産物だ。最も遅延弾丸スピードローダーの弾帯化は許可されていないがな。そして、所持できる道具はスーツを含めて二つまでという規定がある」

 裏を返せば、仮に敵組織に捕獲されても、この内の二つまでならどの組み合わせでもどの量でも痛くは無いということである。

 衛士は感動詞を口にする。エミリアはそれさえも遮るように言葉を続けた。

「次が試験中の次元刀スプリット。これは三秒前の空間を切り裂くことが出来る」

 片刃で、刃渡りは二五センチ。ブレードはステンレスで作られ強靭。一般的なコンバットナイフとして使用できることは勿論、ある特定の条件を満たすことでナイフを振るった直後、その斬撃を三秒前に送ることが出来る。

 それ故に、三秒前にその場に居た人間、あった障害物にナイフによる攻撃を与える事が出来、それによって負った傷は使用者の時間軸に突如として反映される。またそれを防ぐことは基本的には出来ないが、他の副産物の使用方法によっては不可能と言う事は決して無い。

 現在では”ナイフを振るう”と言う定義と発動条件が曖昧になっているために、実用には到底出せない段階であった。

 また、改良作業にあたるについて、さらなる効果を増やす予定がなされている。

 そして残る二つは物として確かな形とはなっているが、副産物と呼ぶにはあまりにもずさんな道具であるために、実際に作られたことから種類に数える事が出来るのだが、まだその関係者以外が、作られたという以外の情報を知りえることは無かった。

 ――衛士はそんな副産物の説明を全て頭に叩き込んではみるが、どうにも実感を湧かせることができない。

 自身の砂時計でさえ認識が曖昧、半ば遊戯感覚で使用しているのだからそれもまた仕方が無いことだろう。命が掛かっていると、その認識はあり、また自覚はしている。だがどうにも慣れてしまっているようだった。

 誰でも便利な世の中にいつまでも感嘆をもらすだけでは無いだろう。すぐさま順応し、使いこなしていく。今の衛士はつまりはそんな状態であった。

「それで、オレがその実戦で使えるのは……」

「砂時計は外してもらいたくは無い、と言いたいところだがな。まずは生還優先で使いやすいと思うものを前者五つの中から選ぶといい――と言われている。つまり自分で判断して選べ」

 衛士は説明の中で汎用性がありそうな新・耐時スーツに少しばかり憧れる。見た目がカッコいいというのもあるが、やはり実戦でまだ鍛え抜かれていない肉体を駆使する以上、強化装備が必要だと考えるからだ。しかし、肉体と一体化し、スーツが傷つき破れればその分だけ直接肉体にダメージが来るというのが余りにも痛すぎた。

 そもそも直接突っ込む斬り込みタイプではないことを、自分自身で理解しているのだ。

 ならば遅延弾丸スピードローダーあたりだろうかと考えて、彼女の言葉にふむと頷いた。

「それと、基本的にこの地下空間ジオフロントには空間を統治するリリスの関係者しか居ない。商店の店員も、ある適正ないし試験を通過してここへ来ている。要望を申せば、そう難しくなければ基本的に通る。最も、貴様が不自由するほどの環境では無いと思うがな」

「へぇ、結構自由なんですね。もっと、なんかこう……ガチガチに固められた所かと思いました」

「軍でも国でも無いからな。基本的には上下関係しか無いが、それでも縦社会というわけではない。やることさえやれば軽口を叩こうが忠誠心を露にしようが問題は無い」

「組織に反旗を翻しても?」

 彼が悪戯な笑みを浮かべて覗き込むように問うてみるも、彼女はあしらう様に嘲笑して視線も向けずに、声は低く、今にも衛士を飲み込むような冷酷さをもって返答する。

「その時は私が責任を以って討つ。貴様の場合はな」

 ――鋭い眼差しは衛士を貫かないものの、恐らくソレは敵となった者に向けられるものであった。それだけで理解できるのは、彼女は決して容赦はせずに始末をするであろうと言う事。

 命令であれば手を下し、そうでなければ傍観する。

 エミリアの実力の程は垣間見た程度で実際にどれほどなのかは未だ分からない。しかし、彼はどうにも彼女には逆らえそうに無い事を、本能的に理解した。


 ――そんな中で、期せずして二人の前に一つの影が現れる。

 全身を黒いマントで覆い、顔面は鼻筋から上を黒い革のベルトで封じるかのように巻かれている。締まる口元には感情は無く、異様な――霊的な雰囲気だけが、周囲に撒かれ始めていた。

 道を阻み、二人は足を止める。衛士はエミリアが対処するだろうと一歩後退してみると、今度は彼女が衛士の背後に引くようにして下がり、彼の背を押した。

「貴様は一般的に見れば例外だ。普通、選ばれれば四月にここへ寄越される。だが貴様はその一月前にジオフロントへ寄越された」

「……て、手痛い歓迎って、ヤツですかね」

 笑みを浮かべてみようと試みるが、頬が引き攣って表面的には苦笑程度にしかならない。

 彼は仕方無しに相手に対して身体を斜めに構え、おざなりなファイティングポーズをとってみる。が、相手は動じず、微動だにしない。

「一応、試練で貴様は三桁以上の戦闘経験がある。まだ完全に記憶を引き戻せては居ないようだが……」

「覚えてますよ。だから、もう膝は笑ってない」

 イワイとの戦闘後に気絶する直前、その全てを思い出した。何度も繰り返した経験だが、その一つ一つを報告書レポートに纏めろと言われれば一晩で書き終える事が出来るほど鮮明に覚えている。故に、ケンカ程度の戦闘だが、それも積み重ねれば一○○ちょっとに到達していた。

 されどやはりこんな事に慣れることはできず、また殆どが閉鎖された空間内で、周囲に障害物があったからこそ勝利をつかめたのだ。

 こんなひらけた二車線道路での正々堂々の真剣ガチンコバトルなどでは一方的な敗北を得る事は半ば確実であった。

 ――面倒だ。

 目の前のソレは口だけをそう動かしてから、腰を落としてやや前屈姿勢をとる。衛士は思わず横に飛び退くと、それを理解していたかのように飛び出した肉体は彼めがけて加速した。

「とんでもない秘密結社に来ちまった……」

 ――殺意は肌に感じるほどに迸る。されど流石に本当に殺すつもりなどないだろう。怪我をするにしても、骨折程度で済むはずだ。

 感覚的には両手の指の骨折はついさっき完治したばかりなのだから、さらなる負傷は勘弁願いたいが……。

 衛士は体勢を整えるや否やすぐさま相手へ向かって走り出し、大きく振りかぶる拳を突き出した。

 しかしその影は容易にそれを避け、踊るような軽やかさで衛士の右、腕を伸ばし死角が出来上がる側へと回り込み一閃。硬く握られた拳骨が鋭く衛士の腹部へ突き刺さる。

 鈍い痛みが肉体を貫通し、思わず痛みに声を漏らした。顔をしかめ、俯き、相手の腕が離れると共に跪く。

 コレで終わりなのだと、衛士は心の中でほくそ笑む。もし見限られたとしても構わない。意味の無い、負ける事が確定している戦闘なんてのは面白くも無い。衛士は咳き込みながらそう考えると、頭上でつかれた溜息が耳に届いた。

トキ、本気で戦え、だそうだ。そうでないと彼女は貴様を逃がさんぞ?」

 だろうな、となんとなく察していた衛士は口をつぐんで立ち上がる。砂のついた膝小僧を軽く叩いてから背筋を伸ばし、首の骨を鳴らしてから大きく伸びをした。

 目の前の、黒い革で視覚、そして恐らく聴覚を封じているのにも関わらず凄まじい速度で迷いも無く肉薄してきたソレはエミリア曰く女性であり、それを聞いてから衛士は悪態でもつきたげに首を振った。

 ――最近、出会う人間に女性が多い気がする。しかも、馬鹿みたいな強さだ。といってもこの二人だけだが……。

 それでも、今まで女性に縁が無かった衛士にとってのこの異性と出会う機会の多さには、少しばかり辟易した。普通に接していればいいのだろうが、どうにも強気で苦手である。

 彼はそんな事を考えていると、不意に姉を思い出して苦笑した。

「自分で喋らないと分かりませんよ? アナタとは、初対面なんスから」

 黒いマントの下には太腿まで顔同様の黒い革が巻かれるヒールサンダルが露になる。衛士はそこから、コレが彼女の『耐時スーツ』なのだと判断し、厄介だと嘆息した。

 これでは最初から戦闘能力に差が有りすぎる。

 そして恐らく――これほどの道具が揃えてありながら、その耐時スーツだけでも多くの種類がある。

 イワイであれば旧スーツと同様に全身で着込むもので、さらに肉体と一体化するもの。これを基本として、彼女のような、一体化はせず肉体の要所要所を強化するようなものもある。最も後者は衛士の憶測であるが、それでも下手をすれば適正者の数だけ耐時スーツが存在すると考えても大きな間違いでは無いだろう。

 そもそも副産物だ。この道具を作ること自体が目的ではない。されど、半ば手段が目的となっていてもおかしくは無い。

 まず時間――即ちこの世界を支配する為に研究してきた技術で道具が出来たわけだ。まずこの時点で本来の技術力、目的の技術より格段に大きく、レベルの高いモノとなる。なれば道具を作れば作るほど、時間を支配する事に関する技術が上がるかもしれない。

 そう考えて作成しているのだろう。そうすれば応用力も高まるからだ。

「んとに、理解しがたいくらいにすげぇな。漫画みたい」

 掛かって来いと言わんばかりに、マントの下から出てきた腕は手のひらを天に向けて、指でクイクイと衛士を招く。その手は黒く、まさか酷手袋ラバーグローヴでも装備はめられているのかと危惧したが、革ベルトの継ぎ目が光りに反射して、衛士はほっと安心する。

 今は肉弾戦しかないのだ。そんな卑劣な道具などを使用された暁には、意地でも本気を出したくない。が、こんなボンテージもどきな格好の女性に捕縛されるのも真っ平御免である衛士は、どちらにせよ、自身の出来る限りはしてみるつもりだった。

 しかし――イワイとて手加減さえしなければ容易に衛士に勝てた筈だ。彼は負けなければ、一時的にでも死ななければあの世界から逃れられないから、そうしたのだ。

 だからというわけでもないが、衛士には少しばかり自信が足りなかった。

 やる気はある。漫然としたものだが。体調も万全だ。されど緊張がほのかな腹痛を誘発させた。

 だが考えていても仕方が無い。

 行動して、求められる全力を出して、負けて解放されればいいじゃないか。

 そういった結論を元に、衛士は構わず走り出した。

 が、直後、彼女の姿は不意に眼前へと肉薄していて――。

 振り上げた拳が衛士の顎を殴り抜ける。避ける事も出来ぬままに空を向く衛士は揺らぐ視界の中、もういやだと泣き言を吐いた。

 追撃は無く、衛士は再び跪く。それでも留まらずにすぐさま立ち上がる。

「誘っといて、そりゃないだろう!」

 行動が早く、さらに速度としても速すぎる。故にその攻撃力は高く、立ち上がるも足に意識を集中していなければ膝が崩れてしまう程のダメージを肉体は蓄積していた。

 叫ぶ声は虚しく響くだけで、彼女の返答を望めない。

 衛士は頭を振って舌を打つ。湧き上がる怒りは深い思考を促した。意欲は既に、彼女に一撃でも与えて一泡吹かせてやろうと言う事に費やされる。

 そうしている間にも、少しばかりの情けを掛けられているのか彼女は再び正面から肉薄する。衛士は反射的にその影へと拳を突き出して――彼女は死角方向へ回るのを確認した。

 衛士はすぐさま虚空を殴り抜けた勢いを利用して、前に飛び込むようにして回避。それから受身を取るようにして立ち上がり、右方向へ素早く拳を穿つ。が、その数センチ先に現れる彼女の顔面には届かず。

 衛士は歯を食いしばって飛びずさるように後退。行動を予測し、不意打ち気味での攻撃を行うしか、今の彼には立ち向かう術は無かった。

「んがっ」

 素早く後退を続けていると、やがて強い衝撃が背に伝わる。硬い感触が後退を阻み、その衝撃で衛士は後頭部を打ち付ける。どうやら周りを見ずに後ろ走りをしたせいで壁、あるいは商店かビルの外壁に到達してしまったらしい。

 故に逃げ場は左右、前方に限られて――。

 マントから突き出される右手は五本の指の肌を露出していた。その代わりとばかりに手のひらから輪っか状に伸びる黒い革ベルトが握られ、投げ縄を彷彿とさせる。否、実際にそれは投げ縄として使われるように、彼女は素早く衛士目掛けて輪っか状のソレを投げつけた。

 まるで重りでもついているかのような素早さで投げ縄は接近。息を呑む間も無くそれは衛士の頭部を飲み込み、そして首元まで下がる。衛士は慌てて左腕を輪の中に挿入すると、間髪おかずに縮まり、拘束する。

「ちっくしょ……」

 もうどうしようもない。そんな泣き言を吐き出したくなるが、衛士は必死に右手で伸びる革を手で掴んで、重心を低く、決して座り込まないようにしながら屈み込む。しかし力はやはり強く、衛士はじりじりと壁から離れ始めて――立ち上がり、彼女へと飛び込むように大地を蹴り飛ばす。

 抵抗は瞬間的に衛士を引っ張る助力となって、彼は凄まじい速度で彼女へと飛び込んだ。衛士は拳を握って腰にひきつける。その間に彼女は腰を落として、手から伸びるベルトを両手で掴み、勢い良く身体を捻る。

 彼女の間近に肉薄した衛士は、されどその肌に触れることが出来ぬまま自身を拘束する革ベルトに引っ張られて空を舞い、

「うわあああ――」

 悲鳴は無意識に腹から零れ出る。その間にも視界にはやがて大地が接近し、やがてその顔面を叩き付けた。

 皮膚が削れ、肉が露になる。衛士はすぐさまに意識を空白に染めて、口角を下げる彼女は、その直後に衛士が先ほどまで居た壁際に砂時計を発見した。


「やれやれ、本気マジに殺すつもりならオレも出るとこ出るぞ」

 眉間に皺を寄せて、肉薄する投げ縄に対して右腕を振るう。と、それは見事にその輪が腕に絡み付いて右肩までを巻き込み、輪を使用しないながらも縛り上げる。衛士はそれを確認する間も無く走り出した。

 その間に、衛士は右腕を回してたるむ革を腕に巻きつけ――彼女は唇を噛み、初めて感情を露にするかのように自身が投げたソレを力強く引き戻す。が、先ほどは容易に出来たそれを、今回はまるで綱引きでもするかのような抵抗を覚えてしまう。

 衛士は白い歯をあらわにして食い縛る彼女に構わず右腕で空に弧を描くように背後へまわすと――腰を落とし体重をかける暇も無かった彼女は身体を浮かび上がらせて、空へ舞い上がる。

 空中では踏ん張ることも、力任せに引っ張ることも出来ず、また自身へ引き寄せるように衛士は革ベルトを引くと彼女は隕石のように真っ直ぐ彼へと飛び込んでくる。何かの悪い冗談かのようなこの腕力は、腕に巻きつけた革のベルトが強化してくれていた。

 距離が瞬く間に縮み、衛士はそれを待つ間に左拳を作り上げ、脇を締め、振り上げた。

 彼女はその顔面をやがて数メートルの距離に縮ませ、衛士はタイミングを合わせて頬を狙い、曲線を描くように打撃を与えるが、予期していたかのように添えられた手のひらに、それは受け止められる。肌が叩かれる音が虚しく響いた。

 されど衛士は頬を吊り上げた。彼女ははっとして口を開き――とめることなど出来ない勢いに乗せられた身体は肉薄する。

 衛士は頭を後ろへ仰け反らせ、力一杯に振り下ろす。

 直後にその額は零距離に達する彼女の額と衝突し、ゴチンと鈍い音を鳴らした。

 衝撃が両者の脳みそを掻き乱し、衝撃が全ての記憶、機能を僅かな間奪い去る。どうしようもない激痛が頭を襲い、衛士は思わず膝を崩す事無く彼女に押されて後ろへ倒れこんだ。彼女もそれに重なるようにして、されど腕は狡猾に鳩尾を打ち、膝は金的を砕く。

 それらを見守っていたエミリアは苦笑交じりに手を叩いた。

「まさか舐められないように尽力するのではなく、舐められているという立場を逆手に取るとはな。どうだ? アンナ、評価としては」

 革ベルトが包む左手で衛士の顔面を押さえつけ、身体を起こす。それから彼が腕を自ら拘束したベルトを外し、透き通るような白い肌が露になるのを隠すように、再びソレを巻き始めた。

 やがて暫くしてから登場時と変わらぬ様相となる彼女、アンナは額を押さえながら、口元に笑みを浮かべる。

「なるほど。ま、妥当な評価だとは思うがな。そもそも例外自体が酷く久しい。その上お前と対峙し一撃をくれてやるだなどと、正直私も驚きだ」

 エミリアは抑えるように笑うと、アンナもそれに促されるように握った拳を口に当てて笑みを殺した。

「だが、いずれ死を背に携えて闘う日が来るだろう。こいつは根に持つタイプだ。特にこの組織に対する恨みは深い」

 アンナが頷く。エミリアは静かに続けた。

「だからこそ強くなる。ソレを知って”彼等”も期待している……。辛気臭くなったな。こいつは私が寮へ運ぶ。お前は自称上級者共にでも報告をして来い」

 エミリアは嘆息交じりに首を振ると、横たわる衛士へと屈み、脇に抱え、持ち上げる。脱力する肉体はただでさえ六○キロ以上あるそれをより重量を増して感じさせる。彼女はそれでもなんでもないように立ち上がって、アンナへと背を向けた。

「半月後を楽しみにしていろ」

 彼女はそれだけを残して歩みを進める。

 アンナはその背を見つめ、高く飛びあがり――手のひらから革ベルトを伸ばして、立ち並ぶ建物のちょっとした突起に引っ掛け、ターザンよろしく高い位置を渡って姿を消した。

 かくして、衛士の少しばかり早い歓迎会はどちらが勝利ともつかない結果で幕を閉じた。

 そして数日後、そんな事などは比較的マシだったのだと思い知らされるような訓練が開始した。

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