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未来の始まり

 初夏の候。時衛士ときえいじが砂時計を手に入れてから十四ヶ月。彼が肉親を失ってから十二ヶ月。地下空間ジオフロントに連れてこられて、初めて仲間の死を覚えてから二ヶ月。

 そして――彼が初めて、自身では知覚できぬ程僅かな恋心を抱いた女性と再会したのは今日のことだった。

 さらに彼の登場以来、全てが順風満帆と思われていた抑圧組織リリスに決定的な不穏因子が現れる。敵は彼等が持つ『副産物』と呼ばれる特殊な能力を持つ道具のように、人間個体が特殊能力を持つ者たちである。

 リリスが定義する『特異点』とは大きく異なる能力者故に、それらはリリス内で『付焼刃スケアクロウ』と呼ばれるようになっていた。

 それらが集まって組織を作るわけでは無いものの、徐々に組織にその個体が増え始めているのは確かであるし、その上、特異能力の制御や能力ちから自体も統計して”強くなっている”と言える。これは由々しき事態であり、リリスとしても単純に対策を練るだけでは済まなくなって来ていた。

 故にリリス内部で呼称される、個体が副産物を持たずに特異能力を駆使する『特異点』への発展へと技術開発は活発化してきていたが、大きな成果は未だ見られなかった。

 だからリリスが、否、その中でも一部の上層部の人間が期待を向けるのは時衛士個人であったが、その理由を、思惑を知る人間は彼等以外にこの時点では存在していなかった。

 そんな衛士の目の前に立つ、透き通るような白い肌に、上品そうな顔立ち。腰よりも長いブロンドの髪を揺らして、同時にその全身タイツのような耐時スーツをはちきらんとするバストを震わせながら笑う女性は、衛士が思い出に耽っている最中に他者との交友を築くように談笑を交わしていた。

 彼女は衛士に無理矢理砂時計を押し付けるようなしたたかさを持っていたが、どうやらそれまでもが失われたわけではないようだった。彼はそれに俄かな安心を覚えてから、エミリアとミシェル、そして船坂がそれぞれ交わす会話から外れているのを良いことに、そそくさとその場を後にしようと背を向けると――不意に、肩を掴まれる感触がそこに走る。

 嫌な予感がして、その予感を認めたくない本能が首を硬直させるが、彼は反射的に背を向いてしまう。

 すると彼の眼に飛び込んでくるのは、肩まで伸びる赤い癖のある髪に、白衣姿が良く目立つ保健医であった。

 つまり、この今だ熱射が照る蒼穹の下、ここに訓練校の全職員が集まったことになる。

 極端な気温が苦手である保健医が外に出てくることに強い疑問を浮かべながらも、苦笑を浮かべて軽く頭を下げると、彼女は次いで腕を引き、彼の身を強引に引き寄せた。

「ほらほら、もっとお話しようよ」

「うあっ、酒臭い!」

「念願のミシェルちゃんでしょ?」

「昼間っから酒飲まないで下さいよ! 最低限、オレに近づかないで下さい!」

 衛士は暴れるように腕を引き剥がすと、その拍子に手の甲が柔らかな胸を打撃する。幸せな感触の後、彼女はわざとらしい悲鳴を上げてよろけると、そのまま近くのエミリアへと抱きついた。

 彼はそんな思わぬ幸運なハプニングにも頬を染めるだけで沈黙し、気まずくなって再びその場を辞そうとするのだが、素早く、今度は船坂が彼の行動を制した。

 巨大な体躯が、その風貌に合わぬ素早さで衛士の前に立ちふさがる。彼の肉体が視界いっぱいに広がった。

「話はそこはかとなく察した。ミシェルと積もる話があるんだろ? すまんな、邪魔者は退散する。明日は休みだから、ゆっくりしていけ」

 彼は大きな手のひらで二度ほど衛士の肩を叩くと、そのまま背を向け寮へと戻っていった。衛士はそんな船坂の広い背中を見送りながら、どうやら細部までは知らないらしいと言う事に深い溜息を吐いて脱力する。

 ――積もる話はあるが、一方的なものだ。彼女はその一切を覚えていなし、「初めまして」という言葉がそれを良く表してくれている。

 そして以前、エミリアと初めて出会ったときに突っ掛かったことを、彼女は今更になって怨みでも晴らすように仕返してきたのだ。そのお陰でやんわりと嬉しい気持ちになるのと同時に、憂鬱な気分になるのは仕方が無いことだろう。

 これからまともに彼女と接する事が出来るだろうか。

 最も、そうするつもりだ。またこの胸がチクチクと痛みを覚え始め、彼女の姿を視界に収めれば胸が高鳴る。単なる女好きかとも思われたが、少なくとも現在ではココに来て性的な思いを抱いた女性が居ないのでそうではないと願いたい。

 やがて船坂の姿が失せた頃、また、今度は控えめに衛士の肩を突付く存在が現れる。行動や力強さから考えてまずあの二人では無いことは確かだった。

 衛士は眉間に作るしわを緩めて、笑みを作る。些か不器用なそれだったが、ないよりはマシだろう。

 振り返ると、赤面するミシェルの姿。両手は下腹部で組まれて親指をもじもじと合わせて、故に寄せられるバストはさらなる強い自己主張を孕み始めていた。

「あの……なにか?」

 保健医に何かを吹き込まれたのだろう。コト今回に限ってはエミリアも共犯である可能性も否めない。それを裏付けるように、彼女の背後では珍しく笑顔で言葉を交わしているらしい二人の姿があった。

「こ、今度はアナタの事、忘れません」

「えっ?」

「って、あの、赤髪の方に言えって言われたんですけど……すみません、あの、遊びにしてるみたいで……」

 ――胸が締め付けられるように痛くなる。目頭が熱くなって、衛士は思わず手のひらで目を覆って俯いた。

 別に彼女が死んだわけではないのに、なぜこんな気持ちになるのだろうか。ただ彼女の、衛士に対する記憶が失われただけなのだ。恋多き年頃の、初恋……いや、あれが恋と言えるものかも分からぬが、その程度のものなのだ。

 だから言葉に詰まってしまう理由が分からない。それと同時に、保健医に俄かな殺意を覚えてしまった。

 衛士は潤っただけの目を手の甲で拭い、それからミシェルの脇を通り抜けて、待っていたかのように腰に手を当てていた保健医へと向かった。

「こればかりは冗談で茶々入れないで下さいよ。ちょっと、マジに怒りますよ」

「あらら、失敗?」

「失敗もクソもねーっすよ」

 作った拳を胸の前に持ち上げると、彼女は嫌がるように手を振った。

「やーよ。あたしデスク専門だもの」

 汗が滲む額を手で拭いながら、髪を掻き揚げる。大きく開けた白衣は既に脱がれていて、その格好は燃えるように赤いキャミソールにデニムパンツという気軽な姿だった。

 目のやり場に困る格好でも、衛士は彼女の全てを飲み込むような深い黒の瞳を見据え続けた。

 それから肩をすくめて軽く微笑み「わかったわ」と短く頷くと、小さく手招きをする。衛士は彼女に合わせるように軽く腰を折って、保健医の近くに耳を持っていった。

 その瞬間に、彼女は素早く肉薄して、その柔らかな唇を頬に押し付ける。髪が顔にかかり、心地よい程度の香水がの匂い香る。初めての感触に、衛士はその場に硬直したまま、やがて目の前に回りこむ保健医を見つめていた。

「ど、どーゆー意味ですか……」

「これで許してねって」

 本名不詳、年齢不詳。二十台半ばであろう風貌を持つ彼女は、少女っぽく身体をくねらせて前屈みになる。ウインクするが、不覚にも衛士の瞳は作り出された深い胸の谷間に視線を奪われていた。

 ――頭が痛い。

 やはりどうやらオレは女好きであるようだ。情けない。

 衛士はそう結論付けると、頭痛を覚える頭を押さえながら寮へと足を向ける。もう彼を制する人間は、誰も居なかった。


 食事にはありつけたものの、人は既に失せていた。憲兵になるべく訓練に励む一般訓練兵も二、三○人ほど居るはずなのだが、どうやら寮やらその他設備は適正者に選ばれた人間とは別の場所にあるらしい。

 グラウンドには時間別で訓練をするらしく稀にその姿を見ることはあるが、会話はしたことは無かった。

 そして、衛士は二ヶ月も七人の適正者仲間と時を共にしているのにもかかわらず、まともに会話をするのはただ一人のみ。話も掛けられないし、こちらからも必要でない場合は声を掛けないどころか目もくれないのだから、こうなるのも当然といえば当然の結果だった。

 しかしだからといって何かに苦労するわけではないし、別段、人と騒いでいるよりも心地よい時間を過ごしていると言えたが……。

 シャワーを浴び、下着にズボンという簡単な姿で其処を出ると、丁度目の前からやってくる小柄な少女の姿があった。

 金色の長い髪はいつもならば後ろで一括りにされているのに、今は綺麗に下げられている。新鮮なようでそうでもない姿の彼女はまだ十五の幼さを誇る少女で――名を、イリスと言った。

 衛士がシャワー室の大きな扉を出ると、イリスも衛士の存在に気付いたか足を止め、立ち止まる。衛士が合図するように軽く手を上げると彼女は軽い会釈をしてから、衛士へと寄って来た。

「もう、これからお休みですか?」

 大き目の上着から指先だけを出して、タオル類を胸に抱く。特にこれといった関心を持たない声が衛士に投げられた。

「あぁ。そっちはもう訓練には慣れた?」

「体力は持ちませんが、慣れたと言えば慣れたような気もします。他の方も優しいですし」

「そうか。それじゃ、おやすみ」

「はい。失礼します」

 話題が無く、故に質素な会話に終わる。衛士はそれから彼女とすれ違って足を進めると、間も無くそのホールから自室へ繋がる通路の奥から一人の少女が現れて――彼女は衛士の姿を見るなり、バツが悪そうに顔を背けてから短く舌打ちをして、大股で通路から出てきて、素早く、衛士の傍を通り過ぎた。

 目もくれず、その表情には嫌悪の色さえ伺えた。彼自身には何かをしたという覚えは無かったが、やはりコミュニケーションをとらないだけで、団体生活はこれほどまで好き嫌いが大きく変わるものなのだろうと判別する。

 別にそれが嫌だとか悲しいだとか言うわけでもなかったが、少なくとも訓練校での生活に支障が出ることだけが心配された。関わるときは感情を殺して、必要なときだけでも手を貸すべきだとは彼は考えているが、彼女が同じ考えと言うわけではないだろう。

 そんな事を考えてから、大きな溜息を付く。これでは先が思いやられてしまう。

 仮に団体戦を行った場合。彼女と同じチームになった場合。二人一組で嫌悪感を抱く人間と組まされた場合。それぞれで大きく支障が出る。そして恐らく衛士が足を引っ張る状況になるだろう。

 イリスとさえも微妙な関係だ。

 どうにかしたいワケではないが、やはりただ心配だった。

 今日の事もあったから想像できる心配すべてが襲い掛かる。さらに恐らくそれらが杞憂に終わることは無いだろう。

 この生活も残るは四ヶ月だ。未だ折り返し地点にすら立ててはいないが――。

「ちょっと、トキくん?」

 勝気な声が背を殴る。衛士は驚いたように肩を揺さぶって振り向くと、そこには迷彩服姿の、先ほどの少女が立っていた。

「なんでしょう」

教官せんせいにひいきされてるからって、いい気にならないでよね」

 ――なるほど。

 彼女の一言は、瞬間的に衛士の疑問を納得させる。

 つまり、教官たちとのただの会話……雑談に近いそれらを、彼女等が見れば特別な講習に見えるのだろう。特殊なフィルターを通しているわけではなく、初めてここに来た彼女等からすれば教官などと言う戦闘の専門家は特別な存在なのだ。

 衛士はそんな彼等とは既に彼女等が来る一ヶ月も前から関係を持っていて、さらに命を懸ける任務に参加したのだ。だから教官からすれば殆ど同僚みたいなものだし、ある程度の共通認識や、衛士の深い推測によって会話も濃厚な部分までが成り立つ。

 それを知らぬ彼女等だからこそ、そういった勘違いをしてしまうのだろう。

 胸に感じていた重みがにわかに軽くなった気がして、衛士はほっと息を吐いた。

「なによ」

「いや……。ま、出来の悪い子ほどカワイイって言うじゃん?」

「その割には意外に普通の成績みたいだけど」

 目立つな、と言われている以上そうするしかない。衛士は心の中で本心を呟いてから、思考する間も無く、怪しまれないように答えてやった。

「精一杯やってそう見えるならオレも頑張った甲斐があったよ」

「……何よ、余裕ぶっちゃって。皆真剣にやってんのよ? アンタだけ、いかにも楽してますみたいな顔しちゃってさ」

 しかし実際、ただ走ったり、射撃訓練したりなどは大した困難さではなかった。体力的には十分に追いつけるものだし、ただ今日ばかりは突然のこの猛暑にやられたが、大きな問題にはならない。

 三月から一ヶ月の訓練のほうがよっぽど過酷であり、訓練時間も長かった。最も半年の訓練期間で”あの任務”をこなすぐらいなのだから、そう急ぐ必要も無いのかもしれない。

 一度や二度、模擬的に命に関わるものを体験させなければとは思うが、ただの訓練では動きや、体力、筋力を鍛えるだけが中心となる。だから、既にその過程を終えたも同然の衛士にとっては、彼女の言葉にはどうしようもなく答えづらかった。

 なにせ、本当に余裕の上に目立たぬようにとの事で、楽をせざるを得ないのだから。

「楽なんて、出来たらしたいくらいだけどね」

「その――その口調。上からだし、何よそれ。対等よ。歳だって同じだし、なのになんでそんなに達観したみたいな言い方なのよ!」

「……疲れてるんだよ。今日は暑かったし、早く休んだほうが良い」

「あなたの事が嫌いなの」

「知ってる」

「あぁ、もうっ!」

 ハラワタが煮えくり返っているのだろう。彼女は苛付いたように強く地面を叩いて、その靴で高らかな音を鳴らす。そうしてから握った拳を振り上げて、少し考えてから身を翻してシャワー室の扉の向こう側へと引っ込んでいく。

 衛士ははらはらしたように胸を撫で下ろしてから、背を向け自室へと戻る。

 ――これでは先が追いやられるような気がしたが、仕方が無いことだ。誰も悪くは無い。強いて言えば、予定より一ヶ月も早く衛士を呼び寄せたリリスが悪いのだ。

 そのせいで大まかな技術や体力、筋力は身についてしまった。衛士に残されているものといえば、一年以上前、ここに来る前から続けていた筋トレくらいしか無いモノだ。

 衛士はまた思い出にふけって現実逃避でもしようかと思ったが――この世界が、嫌なほど現実離れしすぎていてその気にはなれなかった。

「はっ、嫌な世界なら変えてやる」

 誰にとも無く吐き捨てて、彼は静かな足取りで誰にも出会わないことを願いながら自室へと戻る。

 ――時衛士の全てが終わった六月一日。そして新たな全てが始まる今日、六月一日。

 彼はその時点で既に多くのモノを背負い、抱き歩みを進めていた。

 それは誰に求められたものでもなく、強いられたものでもない。だが彼はそれを止めないだろう。

 目的が随時強制的に変異させられたとしても、彼は彼なりに次を見つけ、自身が求める最善の未来を目指す。

 故に世界は、誰もが知覚できぬ緩慢さで、酷く歪んだ未来へと時を刻んで行った――。



 つづく。

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