後日談
抑圧組織リリスからの任務は、日本の隣国に存在する銃の密造・密輸を行う組織の調査だった。しかし前任の担当者の不手際により副産物を奪われ、また組織が冗長性を持つ形態をとっていることが判明。その後二四時間以内に適正者三名を、同組織の新たな施設に送り込むことに成功した。
必要であれば施設を破壊せよ、と命じた任務を達成した彼等三名はその組織内に存在する重要な情報を余す事無く体感した上で、帰還する。その結果を全て纏めたのが、以下の報告書であった。
――今回調査にあたった組織には、建前で形作られる『新エネルギー開発・研究所』と行った施設にしては大掛かりな研究施設も機材も存在せず、言わば処理装置の様な施設であった。
職員の武装から推測するに軍の介入があったのは明らかなことだったが、それ故に加えられたであろう”研究費用”の行方は依然として不明。しかしその成果は、時衛士、ジョン・スミスら二名が体感した相手の『異能力』をもたらしたと推測される。
生還した時衛士の説明では『空気を操作する能力』だと解説されたが、その正式な能力は不明。しかしリリスが有する副産物には及ばず、任務を遂行するにあたって早急に対処をしなければならないレベルでも無く、ごく低レベルのものだと思われた。
しかし現状では異能力が組織外で現れたという事実が危惧され、現在ではその出所として、二年前に逃走者として組織を辞した『ホロウ・ナガレ』の関連がある組織であった為に、早急な処置としてナガレを追う提案が上げられる。
また今回の施設が行っていたであろう銃の部品の製造工場は、施設の所在地から南方に二キロほど離れた位置に存在し、巧妙な隠蔽工作が行われていたが、任務の破壊作業により電気の供給、機械の制御が完全に不能となったために機能していないというのが現状となっていた。
任務による報告は以上であるが、以降の敵の異能力に対する個人的な観点からの推測は是非目を通してもらいたい所存である。
能力を使用したと思われる敵の装備はガスマスク型のヘルメットに袋を着るような戦闘服。一見すれば化学防護服の様でもあるが、能力を強制的に制御する装置だと思われる。リリスのように道具に全ての負担を強いるのではなく、既に個人が特異点としての件の組織では、矯正が必要なのだと思われる。
今回の任務から得られた情報は、その状況と、相手の組織としても特異点が希少であるために余りにも限定的であるが、それでも十分脅威だと言える。またこれ以降に更に他国の数多ある組織にも、今回と同様にホロウ・ナガレが関与しているものがあると考えられ、今回以上の特異点が存在するとも考えられる。
最も注意すべきはその存在による任務の妨害であるが、その点についても今後とも長く思惟し対策を練らなければならないだろう。
組織へ招いて僅か三週間の未熟な訓練兵を実戦に投与した件についてであるが、今回の敵接触からの殺害衝動ないし殺傷行動は良くも悪くも訓練された通りの無難なものであった。精神的甘えさえ取り除けば十分に戦場でも活躍できると思われるが、やはり今回の任務で得た仲間の死によって絶大なる精神的負担を抱いたと考えられた。
仮にこれからも時衛士を役立たせると考えるのならば、慎重な検討が望まれる。
エミリアは息を吐いて、なるほどと頷いた。
重なる紙をめくると、今度は標準的な丁寧さで綴られる、先ほどとは違って短く纏められる報告書が現れる。
今回に限っては、任務に参加した全員に報告書を書かせろと命ぜられている為であった。
彼女は真剣な目つきで、綴られた文章へと視線を落とした。
――今回の任務で確かに判明したものは限られているが、結果的に壊滅に追い込んだ敵組織について有用性がある情報は殆ど無いのが現状だ。全てが実験的で未熟すぎるこの任務では、時衛士が発見した特殊な力と、敵に副産物を奪われても作動するソレの効果である。
他者でも同様かは定かではないが、適性の無い使用者は正気を失うものの、自律行動をして副産物を使用することが出来る。その身体能力は攻勢に特化した試作型の耐時スーツでも対応し切れぬものであり、応戦には困難を極めた。
結果的には敵を誘い、爆薬を強引に爆発させることによって相打ちを試みて打倒することが叶ったが、今回の事を参考に、容易に副産物の使用を許さぬ仕様にしなければならないと考えられる。これは個人的な観念でもあるが、他の適正者が敵陣中で副産物を奪われることはそう少なくは無い事象だと聞いている。
それ故に、今回の、敵に特異点に近い能力者が出現したことに繋がるとなれば、非常に嘆かわしいことだ。
以上で報告は終わりだが、他の報告について言及するのならば後方支援役の報告書を拝見していただきたい所存だ。
以後、考えを改めてもらえれば一適正者として光栄である。
手書きの上にこの内容では、と思うが彼の場合は彼が体験した事とそれから考えるものしか書かれていない。自身しか知りえぬであろう事の細部だけを綴るのは、確かに全ての報告書を読む上で冗長にならず、良いことだといえた。
さらにある程度の監視があった事を知るように大まかな部分を省くのは、彼らしさであろう。戦線に立って僅か一年未満であるものの確かな成績を残す彼が何を考えているのか分からないが、組織の上層部を上層部とも思わぬ意見については頭痛の種になりそうだが、上役も衛士関連であるためにそう気にはかけてくれないだろう。
エミリアはそう願いながら、最後の一枚をめくってから、大きく息を吐いた。
――人は割りと死にやすいです。
ただの一行はそうした一言で終える。
もはや報告書としての意味を持たぬそれであるが、今回は彼の学習、成長、反応までが任務の一つだ。これを提出するのは酷く気が進まないが、それでも出したと言う事は文面以上にある程度の気力はあると言う事だろう。
今回は衛士を守ってスミスが死んだ。だがそもそも命が残っていたとは想定されていなかった彼だ。結果的にはプラスマイナスゼロだが、彼に関わった衛士にとっては、その喪失は大きなものだろう。
さらにスミスが担当していた少女に伝えてくれと預かった伝言も、彼には重すぎるかもしれない。
今回もし許可が下りれば衛士の望む通り、言伝と共にスミスが装備することとなったボレロ型の耐時スーツを少女、イリスに与えようと思う。恐らくそんな彼女は四月になって衛士と共に訓練校に来るのだ。
仮に四月までに衛士が立ち直ったとして、イリスと初めて出会いどんな反応をし合うのか。
エミリアは、今までした事の無いそういった方面での心配に、いよいと俄かな頭痛を覚え始めた。
なぜ人の為にこれほどまで気に病まなければならないのだろうか。やはり人を育成するという立場は性に合わないのだが――。
「エミリア、良い報告と悪い報告があるわ。どちらから聞きたい?」
何事も無い様に、勝手に部屋の扉を開けた保健医は不法侵入してくるなり、唐突にそんな事を口走る。
エミリアは、既に慣れた事だが、プライバシーも何も無い彼女を心底イヤに思ってから、癖になりつつある溜息を吐いた。この調子では白髪が増えそうだが、元々白いこの髪には感謝したほうが良いだろうか。
「良い報告から」
「彼の専門教官が今日でめでたく解任よ」
「悪い報告は?」
「四月から座学教官に任命されたわよ」
「……死にたくなるな」
寝台に座る彼女は、手にしていた報告書をそのままにうな垂れて沈黙する。
もう長らく自宅には帰っていない。この倉庫じみた狭い部屋は慣れたものの、心身が休まるものでは無いのだ。だから嫌だというわけではないものの、少なくとも嫌悪を示す要因のひとつではある。
さらに任務を行うのとは違って、月に一度、教官という働きに対して報酬を得る仕組みだが――これでは身体が鈍ってしまう。定期的に、月に五、六度命をかける仕事をしてきた彼女にとっては、それはある種の苦痛であった。
活発な人間が軟禁されるような、ストレスの発散方法を失う苦悩。これからどうしようかと思いながら、彼女は保健医が部屋の隅に置くナップサックに視線を投げた。
「それは?」
「教本と、半年分の計画表。訓練期間は半年だからね」
四月にはここに来る他の訓練生にも配られるモノと同様である。保健医はそれを伝えると、そっと手を差し伸ばした。
「これからもよろしくって事ね。めでたいわ」
「……あ、あぁ」
――この生活が嫌になる主因が笑顔で握手を求める。一瞬、エミリアにはその姿が変異して悪魔のように見えたが、苦肉の末に、彼女はようやく手を差し返して、強く握る。
これからさらに半年この女と生活を共にすると考えると憂鬱になる。これならば、時衛士の訓練に付きっ切りのほうがまだ幾分かマシだった。
赤い髪を掻き揚げて、それから彼女はエミリアの隣に腰をかけてにこやかに微笑んだ。
「お祝いにお酒、飲む?」
「飲まない」
「まぁまぁ」
彼女はそう良いながら白衣のポケットから銀色の平べったい、スキットルと呼ばれるアルコール濃度の高い蒸留酒用の水筒を取り出す。ウイスキーボトルと言えば分かりやすいだろう。ソレを手に取り、素早く蓋を開けてそれを傾け口の中に注ぎ込んで――すかさず、油断するエミリアへと顔を近づけた。
「なっ、き、貴様……!」
両手で肩を掴み、全力で拒む。だが素早く彼女の両肘を腕の関節に穿たれ、膝かっくんでもされるかのように緩む腕は大きな隙を生み、艶やかにとろけるような視線は瞬く間にエミリアに肉薄。その直後に保健医の口はそのまま彼女の口に触れて、無理矢理に口内の生温い酒を注ぎ込んだ――。
眠る前になると、酷く人が恋しくなるときがある。嫌な事があるとそれは一層強くなった。
衛士はその日も眠りにつけずに、こっそりと寮を抜け出して夜の来ない外を散歩していた。まだ肌寒く、上着を着なければ長い間外に出られないような気温の中だ。周囲にはそもそも人が日中ですらいないし、夜中ならそれは尚更だった。
何も考えずにただ歩くと、やがて人通りのある街中までたどり着く。だがやはり昼中とは違い、人はまばらであった。
時刻も既に深夜帯。人口がどれほどのものか分からないが、それも仕方が無いことだろう。
彼はそれから、また以前のように人にぶつかって因縁をつけられるのも嫌なので、人気の少ない道の商店の端に座り込む。迷惑にならぬよう、既にシャッターが下りている店の前だ。
人がいない所を選ばないのは、少なくとも一人以上が視界に入る状態で居て欲しいからである。
衛士は壁を背にして膝を抱える。こうしていると、部屋の中にいるよりも幾らか気分は晴れるようだった。
――人が死ぬのは嫌だ。慣れる慣れない以前の問題だし、そもそも自分でも散々人を殺しておいて言える言葉ではないのは分かっている。だが殺さなければ殺されるし、そもそも銃口をこちらに向ける男の死と、自身を庇った男の死では大きく意味が違うのだ。
だというのに、夢に出るのは前者の男たちだった。
気がつくと四肢を押さえつけられ、銃剣でゆっくりと身体を滅多刺しにされていく。痛みが鮮明に蘇り、死ぬ直前で目が覚めるのだ。身体を起こすと、まだ肌寒い季節なのに汗をびっしょりかいていた。
夢でも、寝起きでも酷く不快だ。任務が終えてから一週間の休養が与えられたのは不幸中の幸いといえるのだろうか。衛士には良く分からなかった。
昔ならば。ここに来る前の自分は、こんな気持ちを覚えることは無かった。そんな暇は無かったと言い変える事が出来る。いつもならば、こんな感情を察する姉が、どうしようもない弟が眠りに付くまで傍に居てくれるのだ。
ただ偶然そういったタイミングが重なっただけかもしれない。だが少なくとも、そんな姉に彼は安心する事が出来た。彼女の存在は、それほどに衛士の中で大きくなっていたのだ。
だから、死んだからといって忘れられる存在ではない。いつでも彼女の事を考えているというわけではないが、今の衛士を支えるのは思い出の中の彼女だった。
情けない話だろう。酷いシスコンだろうと衛士は心の中で自分を罵倒するが、心の中でさえ力の籠らない声は、一切の効果を持たなかった。
奮い立てない。元気が出ない。一切の気力が零れ落ちて、精神をまともに保てない。
だから、ただ呆然と座り込む衛士を心配して近づく人々の声などは、まるで届かなかった。右から左へ通り抜け、考える事を放棄する彼の頭は声を掛けられたという記憶を作らない。
寂しいのか、情けない自分が嫌になっているのかすら分からない。いや、それ以前に彼はそれ自体を考えようとはしなかった。
――涙は流れた。
思い返せば、ただそれだけのことに随分と苦悩していたような気がする。
だがそれが結果的に何をもたらしたのか。
悲しみがより強くなっただけだった。自分は悲しんでいるという表現方法を見つけただけだった。
自分が馬鹿馬鹿しくなってくる。なんだか、これから欲した全てが手に入る度に、それが自分にとっての無駄なモノ、不要なモノとなってしまいそうで怖くなった。
その中で、再びあの姉の明るい笑顔が脳裏を過ぎって――衛士は声を殺して、腕に顔を押し付ける。
ここに来て頑張ったつもりだった。立ち直ったような気がしていたが、やはりそれは”気がしていた”だけのようだった。つもりになっていたのだ。自分が強くなったつもりに。
「……なれるかな」
スミスに誓った、あの言葉を思い出す。
組織の中で一番、そして世界でも一番強くなってやると咆えた。脳内麻薬のお陰で高揚した感情が口走ったそれである。今となっては、とんでもない事だと笑い飛ばせやしない言葉だった。
「なれるさ」
不意に言葉が頭上に降り注ぐ。顔を上げると、天井の照明の影になる誰かが目の前に立っていた。
褐色の肌に、紅玉のように鮮やかな瞳。透き通るような白髪は片目を隠すように垂れて、やや厚めの唇は微笑を作るように口角を上げていた。
タンクトップにチノパン姿。豊満とは言いがたいものの谷間を作るバストは構わず襟元から零れそうになるも、彼女は気にせず屈み、衛士の隣に腰を落とした。
「だがまず実行に移さなければ難しいな。口だけならどうとでも言える。だが実際になろうと、決意するのは案外難しいものなのだぞ?」
優しい口調は彼女には酷く似合わないものだった。
だが安心する。
不思議と心は落ちついた。身体に触れる腕は、その足は衣服越しに体温を伝えて、それが衛士の心を掴み安定させるようだった。
石鹸の良い香りがする。だがそれに混じって少し酒の臭いが鼻に付いた。呆然と空白に染まる、何の情報も取り入れない視界は途端に鮮明になって、視界の端にエミリアを捉えるようになった。
「まずは四月からの訓練。十月になれば貴様も晴れて、ようやく正式に適正者として任務を受けることになる。過酷な日々だ」
「……耐えられる、かな」
「耐えるんだよ。貴様は今まで、そうしてきたじゃないか。それに多分、イリスもそうするだろうな。なんといってもスミスが担当に付いた少女だ。それほどの胆力が無いはずが無い」
イリス。それはスミスが死する前に、衛士の言伝を頼んだ少女の名前だ。衛士はそれを思い出して、華奢なのか、それともプロレスラー顔負けの肉体を持っているのか分からぬ少女を想像して、そうか、と呟いた。
エミリアは、そうだと返して衛士へと顔を向ける。彼女の眼に飛び込むのは蒼白い肌だったが、辛うじて、彼の眼には生気が戻りかけているのを見た。
「そう、だよな。ここで頑張らなくちゃ。オレは、約束したもんな。強くなるって」
「そうだ。お前……貴様はここで踏ん張らなければならない。それを手伝ってやることは、誰にも出来ない」
「オレには、それが出来る……?」
「出来なければ私はここに来ては居ないさ」
――彼が夜な夜な出歩いていることは知っていた。だが咎めないのは、まだ未熟な少年が背負うにはやや重過ぎるものを背負っていることを知っていたからだ。だから、相談なら保健医が適切だと考えていた。
だから彼女に相談しては見たが、保健医はエミリアが声を掛けてやるのが一番だと言い切るのだ。
それを不信に思いながらも実際に来て見れば――実に情けない弟子の姿を目の当たりにして、全てを一先ず横に置いて、純粋に励ましてやりたくなった。
だから二言三言口を開けば、中々どうして、常日頃の態度が嘘のように彼は心を開いてくれる。
それが面白いというわけではなかったが、だが嬉しくないといえば嘘になるだろう。任務前には意見の行き違いでケンカになった程の仲だ。仲直りするタイミングが無いまま今日のこの日を迎えたが、少しばかりの危惧は、やはり杞憂に過ぎなかった。
「寒い所にばかりいては、貴様のような貧弱な身体はすぐ風邪を引く。寮へ戻るぞ」
もう大丈夫だろうと思えるようになったところで、彼女は立ち上がり、尻の汚れを軽く払って衛士へと手を差し伸べる。彼はそれを見据え、しっかりと手を返して強く握り、その感触にまた安心を覚えて、立ち上がる。
殆ど同じ目の高さの彼女の瞳を見据えて、衛士は不意に心の中に生まれた言葉を、少しばかり恥ずかしく思いながらも、言うならこの機会しかないのを知って、口にした。
「ありがとう……エミリアさん」
「どういたしまして、だ。トキ」
――なにやら、頬が熱くなる。途端に気恥ずかしくなって顔を背けると、既にエミリアは衛士に背を向けてそそくさと寮へ足を進めていた。
衛士は慌てるようにその隣に着くと、エミリアはそっぽを向くようにして衛士に横顔すら見せない。
どうしたのか、と心配することも無く、なぜ彼女がこんな事をするのか衛士にも分かった。
自分と同じく、気恥ずかしいのだ。
ケンカして以来まともに話すのはこれが初めての筈だ。報告書さえも自暴自棄になって適当な事を書いたから、それが確かだった。
だから特別ソレをはやし立てたり、ちょっかいを出したりすることも無く、衛士は熱くなる頬に触れる冷気を心地よく感じながら隣を歩いた。むず痒くも、酷く安心する位置だった。この世界に来てこんな気持ちになれたのは、初めてのことだった。
だが不意に、この時間が一秒でも長く続けば良いと思ってしまったのは、人生で一番の不覚と言えるだろう。
衛士は再び頬を上気させるように紅潮させてから、近すぎず、また遠すぎない距離を開けて彼女の歩調に合わせて寮へと戻っていった。