第5話 次期公爵
翌朝。
王立アストリア学園の食堂は、いつも以上にざわついていた。
「来週の夜会、王宮でやるんだって」
「今年はどの家が招待されるの?」
「公爵家は当然でしょう」
「ルーカス様も出席されるらしいわよ」
そんな声があちこちから聞こえてくる。
オリビアは友人と朝食を取りながら、ぼんやりとその話を聞いていた。
「オリビア、昨日図書館にいたでしょう?」
「うん」
「ルーカス様と一緒だったって聞いたけど」
「いたよ」
友人が目を丸くする。
「やっぱり! 最近よく一緒にいるよね」
「魔法の研究をしてるだけだよ」
「でも、ルーカス様って公爵家の跡取りでしょう?」
「うん」
「そんな人と普通に話せるの、すごいと思う」
「そう?」
オリビアは首を傾げる。
「だって、ルーカス先輩はルーカス先輩だよ」
「……その呼び方、本人の前でもしてるの?」
「してるよ」
「すごい……」
友人は半ば呆れたように笑った。
「オリビアって、そういうところあるよね」
「どういうところ?」
「身分とか、あんまり気にしないところ」
「礼儀は守ってるよ?」
「そういう意味じゃなくて」
友人は少し考える。
「なんていうか……相手が誰でも、普通にその人自身を見るっていうか」
「よく分からないけど」
オリビアはパンを一口食べた。
「ルーカス先輩は魔法が好きだから話してるだけだよ」
その日の放課後。
いつもの図書館。
オリビアが席に着いてしばらくすると、ルーカスがやってきた。
「こんにちは」
「こんにちは、ルーカス先輩」
「今日も早いね」
「昨日の続きが気になって」
「僕も」
ルーカスが向かいに座る。
いつもと同じ光景。
けれど、オリビアは昨日から少しだけ彼を見る目が変わっていた。
公爵家の跡取り。
次期公爵。
王宮の夜会に当然のように招かれる人。
自分とは違う世界に生きている人。
そう考えると、目の前にいる彼が少し遠く感じられた。
「……どうしたの?」
「え?」
「さっきから僕のこと見てるけど」
「……なんでもないです」
「そう?」
「はい」
オリビアは慌てて本を開く。
しかし、内容が頭に入ってこない。
「オリビア」
「はい」
「何か気になることがあるなら言って」
「……先輩って、本当に次期公爵なんですね」
「昨日も聞いたよ」
「なんとなく」
ルーカスは少し笑った。
「そうだね」
「じゃあ、将来は公爵になるんですよね」
「父に何かあれば、そうなる」
「公爵になったら、魔法研究なんてできないんじゃないですか?」
「……」
ルーカスの笑みが少し消えた。
「分からない」
「やっぱり」
「でも、時間を作るつもりだよ」
「本当に?」
「うん」
ルーカスは魔導書を開いた。
「魔法を好きなのをやめるつもりはないから」
その言葉を聞いて、オリビアは少し安心した。
「よかった」
「そんなに心配だった?」
「はい」
「どうして?」
「先輩が魔法をやめるの、もったいないので」
「……君は本当に魔法のことしか考えてないね」
「先輩も好きでしょう?」
「そうだけど」
二人は顔を見合わせる。
そして、同時に笑った。
そのときだった。
図書館の扉が開く。
「ルーカス様」
昨日の令嬢とは別の人物だった。
今度は年配の男性教師だ。
「少しよろしいですか」
「はい」
ルーカスが立ち上がる。
「来週の夜会について、公爵家から追加の連絡がありました」
「分かりました」
「それと、当日は王太子殿下へのご挨拶を――」
教師は次々と予定を伝えていく。
ルーカスは慣れた様子で聞いていた。
「承知しました」
「では、よろしくお願いします」
教師が去っていく。
ルーカスは席に戻った。
「大変ですね」
「まあ、慣れてるから」
「夜会って、そんなにいろいろ決まりがあるんですか?」
「あるよ。特に公爵家の跡取りともなると、誰に挨拶するか、誰と話すか、どの家と関係を築くか……いろいろ考えないといけない」
「……」
オリビアは黙った。
「どうしたの?」
「いえ」
「何か考えてる?」
「私、先輩のこと何も知らなかったんだなって」
ルーカスは少し驚いた。
「何も?」
「公爵家の跡取りだってことは知りました。でも、そういう仕事みたいなことまであるとは知らなくて」
「別に知らなくていいよ」
「でも――」
「僕が話したいときに話すから」
優しい声だった。
「だから、今まで通りでいて」
「今まで通り?」
「うん」
ルーカスは笑う。
「魔法の話をして、本を読んで。僕を『ルーカス先輩』って呼んで」
「……分かりました」
オリビアも笑った。
「じゃあ、これからもルーカス先輩ですね」
「うん」
「公爵様になっても?」
「……そのときも?」
「はい」
ルーカスは少し考えてから、吹き出した。
「それはちょっと面白いね」
「だめですか?」
「いや」
ルーカスは笑いながら首を振った。
「君なら許す」
その言葉に、オリビアは少しだけ嬉しくなった。
けれど。
来週の夜会。
そこでは、学園の図書館とはまったく違う顔をしたルーカスを見ることになる。
そしてオリビアは初めて、自分と彼の間にある「身分」というものを、はっきりと意識することになるのだった。




