第15話 すれ違う放課後
それから一週間。
オリビアは、図書館のいつもの席に座っていた。
目の前には、昨日の続きの魔法式。
隣には、ルーカスが以前使っていたノート。
けれど。
「……来ない」
今日も、ルーカスは来なかった。
最初のうちは、王宮の用事があるのだと思っていた。
次の日も来なかった。
その次の日も。
気づけば、一週間だった。
「忙しいのかな……」
オリビアはそう呟いて、ペンを握り直す。
研究は一人でもできる。
実際、かなり進んでいる。
けれど。
何かが足りない。
「ここ……先輩なら、どう考えるんだろう」
いつの間にか、そんな独り言が増えていた。
翌日。
授業が終わったあと、オリビアは廊下でルーカスの姿を見つけた。
「ルーカス先輩!」
声をかける。
ルーカスが振り返った。
「オリビア」
けれど、その隣には数人の貴族学生がいた。
「ルーカス様、この後の予定ですが――」
「分かってる」
ルーカスはオリビアを見る。
「ごめん。あとで話す」
「……はい」
オリビアは立ち止まった。
そのまま去っていくルーカスを見送る。
以前なら。
そのまま図書館へ行けば会えた。
今は違う。
彼には彼の予定がある。
次期公爵として。
「……そうだよね」
オリビアは小さく笑った。
それから数日。
二人は学園にいるのに、ほとんど話せなかった。
廊下ですれ違う。
授業の移動中に姿を見る。
けれど、いつも誰かが隣にいる。
公爵家の使者。
貴族の学生。
教師。
王宮からの連絡を持った者。
ルーカスには、ルーカスの世界がある。
それを実感するたびに。
オリビアは少しずつ距離を感じていた。
ある日の昼休み。
「最近、ルーカス様と話してないね」
友人に言われた。
「うん。忙しいみたい」
「婚約の話も進んでるらしいよ」
「……そうなんだ」
「相手の候補、かなり絞られてるって」
オリビアは持っていたスプーンを止めた。
「へえ」
「気にならない?」
「……気になるよ」
思わず本音が出た。
「やっぱり?」
「でも、私が気にしても仕方ないから」
「まあ、そうだけど」
友人が首を傾げる。
「オリビアって、ルーカス様のことどう思ってるの?」
「……」
答えられなかった。
「先輩」
「え?」
「ルーカス先輩だよ」
オリビアはそれだけ言った。
その日の放課後。
久しぶりに図書館へ行く。
誰もいない。
静かな机に座る。
いつもなら向かいにルーカスがいる。
そこには、何もない。
「……」
オリビアは鞄から、以前二人で使っていたノートを取り出した。
ページをめくる。
ルーカスの字。
自分の字。
二人で書き込んだ魔法式。
その一つ一つが、妙に懐かしかった。
「……会いたいな」
小さな声。
自分で言ってから、オリビアは驚いた。
「……私、今、何て」
胸がどきどきする。
ただ研究仲間だから?
ただ仲のいい先輩だから?
それだけなら。
こんなに寂しくなるだろうか。
その頃。
ルーカスもまた、王宮へ向かう馬車の中にいた。
「……今日も行けなかった」
窓の外を見る。
図書館にいるオリビアの姿を思い浮かべる。
会いたかった。
話したかった。
新しく見つけた魔法理論について、彼女と議論したかった。
けれど。
次期公爵としてやるべきことがある。
婚約候補についても、家族から話を急かされている。
それに。
自分がオリビアと頻繁に一緒にいることを、面白く思わない者もいる。
「……僕が近くにいることで、彼女まで巻き込むかもしれない」
そう考えると、簡単には会いに行けなかった。
その日の夜。
オリビアは研究ノートを整理していた。
最後のページに、今日の日付を書く。
そして、その下に。
『ルーカス先輩と研究できなかった』
と書いた。
書いてから、慌てて消す。
「何やってるんだろ……」
自分でも分からない。
ただ。
今まで当たり前だった時間が、当たり前ではなくなった。
そのことだけが、寂しかった。
翌朝。
オリビアが教室へ向かっていると、一人の令嬢とすれ違った。
その令嬢は、数人の友人に囲まれていた。
「ねえ、昨日聞いた?」
「何を?」
「ルーカス様の婚約候補の話」
「ええ。ほぼ決まったって噂よ」
オリビアの足が止まる。
「……」
胸の奥が、きゅっと締めつけられた。
そして初めて。
オリビアは、自分の気持ちから目を逸らせなくなっていた。




