逆かならずしも真ならず
軍本部の地下食堂では、毎夜、底なしの饗宴が繰り広げられていた。
最前線で泥と血にまみれ、鋭い刃を交わし合っている兵士たちの絶叫など、幾重もの防壁に守られた安全な後方には届かない。長テーブルの上には、滴る脂身のローストビーフ、山盛りのバター、そして底知れぬ高級ワインのボトルが積み上げられていた。
将官も参謀も、例外なく全員が豚のように太っていた。首は分厚い肉に埋没し、特注の制服のボタンは常に張り裂けんばかりに悲鳴を上げ、彼らが動くたびに床板がその重みで軋んだ。剣戟の響きなど聞いたこともなく、彼らが知っているのは予算の横領と、いかに効率よく美食を胃袋に流し込むかという方程式だけだった。
その中央の腐敗しきった生態系の中で、前線の小隊長だけが異物だった。
前線での戦闘は剣と剣の肉弾戦だ。防具の隙間を狙う敵の刃をかわし、重い鋼鉄の剣を振るい続けるには、一瞬の遅れも許されない。太っていれば、動けない。筋肉がなければ、一撃で両断される。だからこそ彼は部下たちに「剣で戦うのだ、贅肉を削ぎ落とせ、筋肉をつけろ」と怒鳴り散らし、自らも鉄の規律をもって、無駄な肉の一切ない鋼鉄の肉体を構築していた。しかし、その過酷な生存基準に耐えられず、怠惰に溺れた部下たちはひとり、またひとりと敵の刃に貫かれて死んでいった。あるいは、あまりの厳しさに耐えかねて彼を呪い、去っていった。
10年後。
小隊長は前線を退き、静かな中隊の庭で、黙々と自重トレーニングに励んでいた。
その肉体は脂肪率ゼロ、鋼鉄の筋繊維と骨格だけで構築された、完璧な彫刻のようだった。
そこに、軍本部の監査官を名乗る2人の男がやってきた。彼らは高級ワインと肉の匂いをプンプンと漂わせ、分厚い腹を揺らしながら、きしむ足音を立てて庭に入ってきた。
「おい、そこの」
監査官のひとりが、息をゼーゼーと言わせながら、分厚い統計資料を広げた。
「本部からの厳正な調査だ。我が軍の全軍人の肉体を統計的に分析したところ、お前のその体は、我が国の軍人ではありえない体脂肪率だと統計学的に判断された」
小隊長は手を止めず、最後の1回を正確にこなしてから立ち上がった。
「それがどうした」
「しらばっくれるな。我が軍の中央部が算出した標準分布において、ある程度の脂肪を蓄えている者こそが中央値であり、正常な兵士なのだ。その標準から完全に逸脱しているということは、おまえは我が国の軍人ではない」
監査官は確信に満ちた目で、脂ぎった顔を歪めた。
「きさま、敵国のスパイだな。連行する。本部へ出頭してもらうぞ」
小隊長は抵抗しなかった。ただ、目の前のあまりにも論理の通じない、しかし美食と酒の匂いにまみれた中央の「統計的標準」である巨体のふたりを見つめ、乾いた笑いを漏らした。
ガチャリ。
冷たい金属の音が響き、その完璧に鍛え上げられた手首に、錆びた手錠がかけられた。
それから百年後。
その血脈の果ては、妥協なき科学者だった。
彼の書く文章は、読者を心地よく酔わせるための味わい深いものではなく、現実の急所を抉るための鋭利な刃だった。
無駄な修辞、なんとなく響きのいい接続詞、誰の機嫌も損ねない曖昧な総括——そうした文章の「脂肪」を一切排し、事実と論理だけで組まれたガリガリの科学論文を、彼はただ淡々と書き続けていた。彼の文体には1グラムの冗長性もなかった。
10年後。
「機械的だ」と最近開発されたAIに判定されることを恐れた同僚たちが、人間らしい「凡庸で膨らんだ文章」を量産する中、彼は一人、孤高のミニマリズムを貫き、研究者として生き残っていた。
そして、その論文が国際ジャーナルの最終審査を通過し、公開されたその日。自宅のデスクでコーヒーをすする彼の背後に、冷たい足音が近づいてきた。
振り返ると、そこに立っていたのは大学のセキュリティ管理官と、情報システムの監査官を名乗る2人の男だった。彼らは昼食のハンバーガーと甘いコーラの匂いをぷんぷんと漂わせ、弛んだ腹を揺らしながら冷ややかに笑った。
「おい、そこの」
監査官のひとりが、タブレット端末を突きつけた。
「システムからの厳正な警告だ。我が国の学術プラットフォームにおける全論文の統計的標準分布において、あなたの書いた英文……その極限まで削ぎ落とされた文体は、AIチェッカーの判定で『人間性 0.4%』を叩き出した。生身の研究者としてはありえない」
血脈の果てはパソコンから手を離さず、冷ややかに男たちを見上げた。
「それがどうした」
「しらばっくれるな。我が国の中央サーバーが算出した標準分布において、ある程度の冗長性と、人間らしい『たるんだ修辞』を蓄えている文体こそが中央値であり、正常な文章なのだ。その標準から完全に逸脱しているということは、きさまの論文は、正当な論文ではない。AIに書かせたものだ」
監査官は確信に満ちた目で、ディスプレイの赤く点滅するエラーコードを指さした。
「きさま、学術の高潔性を冒涜する者だな。連行する。本部へ出頭してもらうぞ」
血脈の果ては抵抗しなかった。ただ、目の前のあまりにも論理の通じない、しかし甘ったれた臭いにまみれた現代の「統計的標準」を掲げるふたりを見つめ、乾いた笑いを浮かべた。
ガチャリ。
冷徹なセキュリティバンドが、その完璧に鍛えられた文章を紡いできた手首に、しっかりと巻き付けられた。
それから百年後。
その社会では犯罪者は額に黒い刺青を受けることになっていた。
生まれつき額に黒い大きなホクロがある男が、道端に横たわっていた。
そこに警官が歩み寄る。「犯罪者は額に黒点がある。だから、額に黒点があれば犯罪者だ。」
ガチャリ。
冷たい金属の音が響き、その痩せ細った手首に、錆びた手錠がかけられた。
男は今度こそ呟いた。
「またか。」




