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ep4 ラウェルの想い

 僕、ラウェル・ヴァルモンドは公爵家の三男で、優秀な子供だった。

 幼い頃は何も気にしてもおらず、自分のできる事を伸ばすのがただ楽しかった。

 

 どうやっても後継は長男だし、叱られている姿を見かけても、本人の責だと軽く思っていたからだ。

 なのに18歳になった頃、唐突に父親が言ったのだ――「お前を跡取りに考えている」と。


 それがきっかけで、家も、親戚も、子飼いの貴族も割れた。

 僕は望んでいなかった。

 成績が優秀でも、領主に向いているとは限らない。

 実直に民に向き合う領主として、兄は最適だった。尊敬もしていた。なのに――あんなに憎悪の目線を向けられるなんて。


 19歳になって、学院に逃げられたのは本当に助かった。

 領地からは遠いから、寮に住めた事も幸運だった。

 このまま、何でもいいから後継以外の逃げ先を見つけなければ――そう思った自分に降りかかってきたのは、やはり爵位の圧だった。

 

 近づいてくる人間は、さも僕が次期当主に決定したかのような顔をして近寄ってくる。

 そして、兄の失態を重要な情報かのように耳に吹き込んでくる。


 胸糞の悪い人間どもだ。

 だが、それこそが貴族だとも言えた。

 

 面倒な爵位など捨てて、平民としてでも生きていきたい。

 そんな事を、ふと思う心こそが、自分がこの世に生まれた事を否定するようで吐き気がした。

 

 重積から逃れるようにがむしゃらに日常をこなせば、また実績が積み上がる。

 実績を積まないようにする事もできた筈なのに、それは自分の些細なプライドが許さなかった。


 愚かだ。

 自分の人生さえどうにもできない。

 責任を負えないと逃げそうになる僕を、周囲は優秀と嘯いて持ち上げた。

 

 他人は何も見えていない、そう気づいた時に、自分も気づいた。

 ――僕も、何も見てはいないのだ。

 斜に構えて、優秀なふりは出来ても、政界のたぬきどもに相対する覚悟も経験も足りない。

 

 むしろ、お家騒動すら、まともに相手できていない。

 主張があるだけの、一人では生きていけない、ちっぽけで、頼りない、馬鹿らしい存在だったと気づいてしまった。


 そうして、すっかりやさぐれていた時に、彼と出会った。


 授業をさぼって学院の裏庭に寝転がっているのが日課になった頃、彼はたまに大木の木陰で何かを読んだり、書いたりしていた。

 

 ひどく気配が薄いから不審に思って観察したのがきっかけだった。

 認識阻害の魔道具を身につけていると知ってからは、単純に興味が湧いた。


「何してるの?」


 声をかけるとびくりと肩を揺らす――プラチナブロンドで覆われた目元がこちらを向いた。

 鼻筋も輪郭も綺麗なのに、目元も見えない野暮ったい前髪が余計に目を引く。


「別に……。研究を書き留めてただけ。」


 彼の胸元には上級生を表す記章がついていた。

 男女問わず声を掛ければ歓迎されてきた僕にとって、面倒くさそうな態度は興味をそそった。


「あ、すみません。先輩でしたか。僕はラウェル・ヴァルモンドです。お名前をお伺いしてもよろしいですか?」

 手を差し出すと、ためらったようにそっと握り返された。

 

「ルシエル・ソレイユだ。」


 それが、初めての出会いだった。

 

 彼は話しかければ何かしら答えてくれるが、基本的に僕に興味がないようだった。

 それが妙に心地よくて、何度も話しかけるうち、名前を覚えてくれた。

 

 ある日、挨拶して隣に座った時に、


「――ああ、お前か。」


 ただそれだけを言われた時は、無意識に認められたのだと思った。

 

 道端に転がっている石ころみたいに扱われていた気分だったのに、嬉しくなって。

 だから、思わず言葉がついて出た。


「先輩――僕の悩み、聞いてくれますか。」

 

 一瞬だけこちらを向いた顔が、続きを促したように見えて、言葉を続けた。

 

「僕は、公爵家の三男で。……でも、優秀だった訳です。容姿も、勉学も、剣術も。」


「自慢ならよそでやれ。」

 容赦のない言葉に笑った。おそらく、他の人間だったら不快に思ったかもしれない。でも何故か彼に怒る気にはなれなかった。


「それで、血迷った父親が僕を跡取りにしようと言い出しました。僕は望んでないのに。」

「よくある話ではあるな……」

 

「そう、よくある話で、よくあるように、父以外の家族は僕を恨んだ訳です。……妾の子の僕を。」


 最後の言葉に思わずといった風にこちらを向いた顔は、目元は見えなくとも少し僕を気遣っているように見えた。

 

「情けないことに、今は僕の意志など関係なく、環境が悪化する一方なんです。」


 言っても仕方がない事を話した。

 そう思うのに、ルシエルはぽんと僕の頭に手を乗せたあと、背中をとんとん、と叩いてきた。


「お前、頑張ってんだな。」


「……え?」

 

「俺は結構諦めたりすることも多くてさ。お前、最後まで諦めずに頑張ってるんだろ。名前、学年成績のトップだった。生徒会もやってるし。腐らずにすごいよ。」


 見てくれていた。

 彼が僕の名前を覚えて、目に止めてくれていた事が、どうしようもなく嬉しかった。

 頑張るのが当たり前で、後目争いもあって――そんな思考は、跡形なく消えていく気がした。

 

「参考にもならないと思うけど。」


 ルシエルの口元が慰めるように笑んで、まるで大丈夫だというように、背中をさすってくれた。


「どうせ、自分の思うようにしてもしなくても、文句を言う奴は言う。

 だったら、自分の好きなように生きればいいと思う。

 所詮文句を言う奴なんて、お前の人生の責任なんか持ってくれないんだから。」


 その時、僕は呆けた顔をしていたのだと思う。

 ばしんと背を叩かれて、正気に戻った。


「だって、結局は、お前の人生だろ。お前の人生なんだから――ラウェルにしか、理解できないし、生きられない。」


 初めて名前を呼ばれたその時、その言葉がどれだけ、僕の人生の糧になったか――彼には分からないだろう。

 あの時、初めて“次期当主”でも“優秀な三男”でもなく、ただの“ラウェル”として呼吸をしていいのだと胸に落ちた。

 

 きっと別の誰かに同じ言葉を言われても、納得はしなかった。

 あの日、あの時の彼に言われたからこそ、胸に響いたのだ。

 

 それから、家のことなど興味がないと強固に突っぱねて、随分と過ごしやすくなった。

 僕は、僕の生きたいように生きる。生きることが出来る。

 なんて当たり前のことだったのだろう。

 

 父は失望したようだったが、元より関係性は薄かった。

 嫌われてみたところで、実際のところそんなに影響はなく、こんなものかと呆気に取られた心地になったのは今でも忘れられない。

 

 代わりにルシエルの事を追い求めるようになって――ある日、ぐっすり眠った彼の眼鏡を外したのは、本当に出来心だった。


 好きな相手の顔が見たい。

 ただそれだけだった。

 

 そしてあまりに整った顔を見て――開いた瞳を見てみたいと思うと同時、隠している彼の心の重さにも気づいてしまった。

 情報を駆使して、何があったかを知って、彼が人を拒否する理由も分かって。

 それでも、どうしても、彼と一緒にいたくなった。


 お願いだから、僕を選んで。


 子供のように、心が叫んで、でも知られたくなくて明るさで押し潰して。

 ようやく少しずつ、傍にいる事を許されたのに。


 なのに。


 ああ――嫌われてしまった。

 

 彼は、きっと、もう、振り向いてくれない。

 そう思った瞬間、胸の内側がぐしゃりと潰れた気がした。


 彼は、僕の生き方を変えてくれたのに、僕は、彼の心を開けなかった。


 そう思って落ち込んだ。それでも、一晩で立て直した。

 思考が沈みかけていた自分の頬を、起き抜けに思わず叩いたほど、自分を戒めたい気持ちだった。


 ――そうじゃない。


 一緒にいたいなら、僕が動くしかない。

 きっと本当に嫌っているなら、あんな事を言ったりはしない。

 間違いなく“僕だけ”だといえるほど、彼は僕を受け入れてくれていた。

 

 王子なんて、大それた別名が罷り通るのであれば、やれる事は多いに違いない。

 これまでの人生を、僕はどうにかしてきたはずだ。


 幸いにして、家を出るために重ねた功績はある。

 自分を奮い立たせて、前を向くのは、彼に教わった事だった。

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