番外編 俺の伴侶がおかしい(前編)
これからをどうするか。
一年と少し、俺なりに考えて結論を出した。
というか、当初から変わらなかったが――俺が通常の組織に入るのは、難しい。
俺がなるべく自由に動けるように、ラウェルが奔走してくれているのは知っている。
その心労ほどの熱意が俺にあるわけでもないのだから、程よい先を選ぶに至った。
本当は卒業の三年が経っても、あと二年、院生として学院に通ってもいいかもとは思いもしたが――卒業後の事を楽しみにしているラウェルの事を思えば、その考えも消えた。そもそも、惰性のような思考だったからどちらでもいい。
結果、自宅で研究は続けて、研究部顧問のキースの手を借りながら定期的に学会で発表していくことに決めた。
案外今までの研究成果は評価されていたりするので、自由に出来て助かる。
そうして迎えた卒業の日。
それはもう、緊張した。ラウェルに用意された新居へ向かいながら。
つまり――世間で言う、初夜だ。
ラウェルは俺が他の人間に触られるのをよしとしないから、前の屋敷の侍女に教わって、自分で香油などを肌に塗った。
誰かのために自分が準備するなんて。
恥ずかしい気持ちと、あいつが喜ぶならそれで――と安易に考えていた自分を止めたい。
当日の事を振り返ろう。
まず、花びらの散りばめられたベッドに横たえられた時も、いつもより深い口付けを与えられた時も、想像の範疇は越えていなかった。
ああ、この男に抱かれるのだと――素直に言えば、少しだけ期待していた。
「ルシエル」
かけられる言葉もいつも通り甘くて、ただこれから身体の関係を持って、本当の意味での伴侶になるのだと心臓が跳ねた。
「僕が、どれだけ、この日を待ったと思いますか。」
熱い瞳で見つめられて、心臓がきゅっと締め付けられた。
「ルシエル……」
いつもより深い口付けが気持ちよくて、離れた時は少し物足りなさを感じて琥珀色の瞳を見つめた。
「……分かります? 今、とろけた顔、してますよ。可愛い。」
唇と顔中に口付けを落とされて、息が上がった。
――そこから、散々、一方的に気持ちよくされて……
でも、そこで、終わった。
「無理をさせたくないので。」
柔らかく抱き止められて、初日だから気遣われたのだろうと思った。
初めてで、息も追いつかなかった。だから、その日はそれでいいと、少し安心もした。
でも、それが一ヶ月も続くと、ようやくわかる。
こいつ……俺を、抱く気がない。
それでも毎晩、快楽だけは与えられる。
まるで都合良く愛すだけの存在のように。
「ラウェル、ね、もう……」
思わず彼の高ぶりに手が伸びると、思いの外真剣な顔をしたラウェルがそれを止めた。
「先輩は、そう言う事をしなくていいんです。」
かっとなって怒鳴った。
「なんで!俺ら伴侶だろ。――俺だって、お前に触れたい。」
「なんて健気で可愛い……ルシエル、愛しています。」
言葉が通じないと思ったのは初めての事だった。
ただ、愛情だけは確かに感じるので、何も言えない。
「……あのさ。それ、いつもどうしてんの。」
ラウェルが興奮していない訳ではない。
いつもかなりな主張はしている。
それだけに、同じ男として気になった。――途端、爽やかな笑顔がこちらを向く。
「ああ、いつもの事なので気にしないでください。これが通常ですよ。」
通常なわけがない。
「俺の夫が常に興奮してる変態みたいになるだろ。」
思わず言えば、いや、こいつは元々変態か……?と別の意識がもたげる。違う、そういった話ではない。
「夫……!ルシエル、可愛い。愛してます。」
たまらないように口付けてくるラウェルは、今までの愛情深い彼のままだ。
「僕は、これだけ素敵で愛してる人が傍に居るなら、それだけで幸せだと気付いただけですよ。
あなたの事なんて、絶対に傷つけたくありません。
僕があなたを冒すなんてもっての他です。」
狂ってるとは思っていたけど、そんな方向性は想定していなかった。
「あなたが幸せであればそれだけでいいんです。
だから、あなたに触れられる事を許されて、あなたが気持ちよくなってくれるのであれば、それだけでいいんですよ。」
ラウェルは無駄にきらきらした顔で言った。
欲のない賢者のような顔だ。
いや、自ら肉欲に触れるのだから、無欲とも違うと思うけども。
そもそも、お前、一週間部屋から出さないとか言ってなかったか。
なんで。
どうしてこうなった。
***
思えば俺に友人などいない。
全てのことはラウェルに話していたけど、今回ばかりはラウェル本人に話す内容でもない。
かといって、義理の両親も、護衛も、従者も、すべて対象外だ。
だから、目の前の男に話すしかなかったのだけど。
「こじらせてるねえ。」
キースは大して興味もなさそうに、けれど少し面白そうに口を開く。
「なんでだと思います?」
「そりゃあ――って、これ聞かれてるんじゃない?私は殺されたくないんだけど。」
キースの腰が引き気味で少し意外に思う。
いつもマイペースだと思っていたのに、ラウェルには思うところがあるらしい。
「大丈夫です。キャンセル機能の魔道具を作りました。」
目の前の小さい置物を指でつつく。それは俺にだって聞かれたくないこともある。
指輪で全ての声が筒抜けになっていると気付いた時点で、対抗する魔道具は用意していた。
展開範囲内なので、護衛をしてくれる二人にもこの会話は届かないだろう。
「君たち、面白い攻防をしてるねえ……」
キースは少し考えて、首をかしげた。
「あの悪魔のようなラウェルがそうなってるなんて、私も想像つかないけど――ああ、でも。」
悪魔?少し引っかかったが今は聞き流す。
「なんですか。」
「一年くらい、我慢する時期があったわけでしょ?」
そう言われて、はたと気づく。
結婚早々一緒の部屋で眠っていた。ソファで眠ると意地を張った彼を、一ヶ月もしないうちにベッドに引き連れて一緒に眠ったのは自分だ。
今となっては分かる。
ソファで眠りたいと言っていたのは、意地ではなくて自衛だったのだと。
「我慢しすぎておかしくなったんじゃない?きっと、心の病的な。」
殴られるほどの衝撃をうけた。
「心の病。」
顔が青くなるのが自分でも分かった。
もしそうなら――彼をおかしくしたのは、俺だ。
「ごめんね、心の病は言いすぎた。多分、拗らせすぎてるだけじゃないかな。きっと大丈夫だよ。
……少しばかり、彼は拗らせが強い人間だけどね。」
そう言われても心が落ち着かない。
ばん、と扉が鳴った。
あまりに大きく開かれた扉に肩が揺れる。
振り向けば、焦った顔のラウェルがこちらを向いていた。
「……ルシエル!」
突然のことで目を見開いていると、
「声が、聞こえないので不安になりました。大丈夫ですか?」
必死そうな、泣きそうな顔だった。胸がひやりとした。
なんだ、お前、情緒不安定みたいになって。
――それって、俺のせいなのかな。
「ほらね。拗らせすぎだ。……でも、ラウェル君は、きみのことが好きなだけだよ。」
愉快そうなキースの声に、なぜか自分を責めたくなった。




