おまけ フルコースの餌を
恋愛とはなにか。
それを考え始めたのは、決して哲学的な話ではない。
先日の失態で、危険分子を炙り出すから一週間謹慎と言われてしまったので、大人しく受け入れていたところにその本が手に入ったのだ。
「二人とも。」
護衛の二人をちょいちょい、と手招く。
寡黙な男性はジエン。明るい女性はキーナだ。
「これを見てくれ。」
持っていた本の表紙を見せる。
「恋愛指南書……?」
キーナがきょとんと首を傾げる。キーナは俺よりも二周りと言わず体格が良い脳筋な女性だが、仕草が可愛い。
「そう、そしてこの中には“男性は手に入れた魚に餌はやらない”とある。」
「魚ですか?美味しいですよね。」
「ああ、比喩で本当に魚な訳じゃない。本当にキーナは可愛いな。――つまり、付き合ったり、結婚したりで手に入れれば興味がなくなるということだ。」
「ええ!ここのお屋敷の池のお魚も可愛いのに!」
ずれているが、とりあえず頷く。
「ジエンはどうなんだ。」
聞けばあまり感情の分からない瞳がこちらを向いた。
「私は宗教上、あまり恋愛などの経験がありませんので、参考にならないかと。」
「そうだった。悪かった。」
それでも“あまり”と言っている時点で、俺より経験値が高い。
「……ですが、ラウェル様はそういったものとは無縁と思いますが。」
「甘いな。徐々に冷めていくから、押したり引いたりする必要があるらしい。」
「押したり引いたりですか。」
ごくりと息を呑むキーナと、俺の気持ちは一緒かもしれない。
「どんな事をすればいいんだろうな?」
「分かりませんね?」
んん、と声を上げたジエンの肩が若干震えている。珍しい。
「ジエン、もしかして今笑ってる?」
あまりにも無表情すぎて分からなかった。
「いえ。喉の調子が悪かっただけです。
……個人的な推測ですが、飴と鞭のようなものかと。
あるいは、出会った頃の感情を思い出して再熱させる、とか。そういう事ではないでしょうか。」
「出会った頃……」
碌な態度をとった覚えはないし、研究室に来るようになってからは、
『うぜえ。』『触んな。』『ほっとけ。』『邪魔すんな。』
――随分なことしか言っていない気がする。
「うーーーーん?」
「分かります?」
「分からん!」
「分からないんですね!」
無邪気に笑うキーナが手を掲げたので、望むままにハイタッチする。
「……ご主人様は、嫌われたくないから、考えてるんですか?」
キーナの純粋な瞳に「う、」と声が漏れる。純粋すぎて誤魔化しは許されない気がする。
「手に入って飽きられたら嫌だなって……」
ぼそぼそと言うと、キーナが「そっかあ」と笑う。
「だったら、幸せですね。」
にこにこと笑うキーナがとん、と「恋愛指南書」を指差した。
「ここには、ラウェルさまの気持ち、書いてないですもんね?」
「その通りです。」
頷く二人を見て、真理だ、と思う。
全くその通りだと思って――でも、型がないなら、どうすればいいのだろうか。
「出会った頃を基準にすると、あいつ、単なるドMになるしな……」
思わず呟くと、ジエンがぶは、と吹き出した。
「……ジエン?」
「……すみません。でも、ご本人に聞いてみたらいかがですか。帰って来られたみたいですし。」
「え?」
「先輩!僕は釣った魚に豊富に餌をやるタイプです!」
バン、と両開きの扉を開いたラウェルに現実逃避をしたい気持ちでキーナの頭をぐりぐり撫でた。
「ご主人様、良かったね。餌があるみたい。」
「そうだな――」
でも、別件が浮上した。
何度か、いや、何度も、不思議だった事はあるけど。
まあいっかと思っていた現実にそろそろ向き合おうと思う。
「お前、やっぱりずっと盗聴してんの?」
聞くと、ジエンとキーナがそっと傍を離れて部屋を出ていった。
――脳筋なくせに、キーナの物分かりの良さに不安になる。
ぱたん、と静かに扉が閉まって沈黙が落ちる。
「……僕は、釣った魚に豊富に餌をやるタイプです。永遠に。常に満腹にさせてあげますよ。」
言い直しても、意味はないだろうに。
じっとみつめるとそっと視線が横を向いた。
それでも不快かと言われると、そうでもない。
そもそも、こんな男だから、安心感を覚えて一緒にいるのだ。
だから、いいのだけど。
「俺に隠し事をするたび、“卒業後の約束”、一ヶ月延長でどう?」
言うと、がん、と衝撃を覚えたような顔がこちらを向く。
「せ、先輩……。」
「いつまで先輩とか、呼んでんの。」
「ルシエル!許してください。」
「許してるよ。」
にっこりと笑いかけると、く、とラウェルが躊躇う顔をした。
次いで、がっくりと肩を落とすから、可哀想になって付け加えた。
「……ラウェルがさ。ずっと俺のこと気遣ってくれるから。いつか、疲れるんじゃないかって。」
少しぶすくれた気持ちで言った。
「餌だって、有限だろう?」
心許ない気持ちになってしまって、思わず近くのクッションを手繰り寄せた。
「――なにを、馬鹿なことを。」
「あ?馬鹿だって?」
「すみません、失言です。」
ラウェルが姿勢を整えた。
「僕の餌は、先輩が毎秒豊富に補充してくれるので、尽きないんですよ。」
「だって、飽きるかも。」
「飽きる?」
ラウェルが鼻で笑って、ソファの隣に座る。
髪を優しくすかれて心臓が跳ねた。
「有り得ませんけど、飽きるのなら――そうですね。その時に初めて穏やかな愛になれそうです。今は濁流みたいなものなので。」
「濁ってんじゃん。」
ラウェルが虚をつかれたような顔をして、次いで笑った。
「もちろん。色々混じりすぎて、今は濁ってますよ。でも、気持ちだけは澄んでるつもりです。」
「……ふうん。」
優しい琥珀色の瞳を見つめる。
「俺を、愛し続けられる?」
ちょっと――いや、ちょっとではなくかなり恥ずかしい。
でも、色々と面倒な俺に、いつ嫌だと思われるかと思ったら不安が募ったのだ。
自分を卑下したい訳ではないが、実際、こんなに面倒な人間などそういない。
ラウェルはいくらでも相手がいる。
俺には、ラウェルしかいないのに。
「一生だぞ。」
重いなんてことは理解している。
さっきの本にも“重くなるな”と書かれていた。
でも、言葉が止めらない。
――あー、嫌だな。
自分で、そう思った刹那。
頬を両手で掬い上げられた。
「当然一生どころか、何生でも――来世でも、必ず見つけに行きますよ。
だから、そんなことを聞くあなたに……今、僕は過去最高に満たされてます。」
目線の先の、ラウェルの顔に背筋がぞっとする。嫌な心地ではないけど、言い表し難い。
「あなたが、そんなに考えてくれるなんて。」
首筋に降りた唇が、ひどく熱く感じる。
ちくりとした感覚を覚えて身体が揺れた。
「あんまり、煽らないでくださいね……。」
顔や首にキスを降らせるラウェルの甘さに、我ながら何の話をしているのか分からなくなってきた。
「……まあ、いっか。」
「そうですよ、いいんです。」
「でも、“卒業後の約束”、一ヶ月延長は仕方ないよな?お前、隠し事多すぎるし。」
「え。」
「な?」
「いや、それは、ちょっと、え? 無理です。」
明らかに動揺した顔に、ふは、と笑う。
いつも飄々としたラウェルが戸惑う様子に、これって俺への“餌”かも、と思う。
恋愛指南書の中にあった、唯一無二とか、二つで一つとか。
そんな存在だったらいいな、と思うのは夢想家すぎるだろうか。
「僕があなたのために動いてることは、全て愛ゆえです。愛してるからこそです。」
欲しい言葉が聞けたので、今回は許すことにする。
「ま、割となんでもいいんだけどさ――俺も、初めてのことだし。」
「ルシエルの初めてをいただけて、光栄です。」
「お前は全部、俺の初めてどおしだよ。」
ふは、と笑うと心底嬉しそうにラウェルが笑って、胸がきゅっとなった。
「――至上の、幸せですよ。」
きっと餌が多すぎる。
生まれて初めて痛みを感じるほどの気持ちになって、今後が心配になった。




