番外編 俺の伴侶が甘い
「家を用意するまで待っていてください。」
そう言ったラウェルがこの家に越してきたのは二週間後のことだった。
「流れについていけてないんだけど。」
「僕も近隣の物件を探していたんですけど。先輩の義母様と義父様が、まずはこの家で暮らせばいいのではないかと仰ってくださって。」
相変わらず俺は何も聞いていない。
叔父も叔母も、あんなに何でも話すのに“報連相”をしない。天然ゆえなのか意図的なのか、判断に困る。
そして更に、夫婦の寝室とやらを与えられて反応に困っている。
「いつも一緒にいれるのなら、嬉しいですね。」
にこりと笑いかけられて、うっと喉が詰まる。
「顔を隠さないのであれば、髪を切りましょうか。これ以上視力が悪くなっても大変でしょうし。」
さらっと髪を撫でられて頬が熱くなる。
――今までは、大丈夫だったのに。
婚約、結婚を終えて、気持ちも自覚してからは感情が制御できない。
「……先輩?」
揶揄うように声をかけられる。
きっと、いつもこいつは俺の反応の意味も分かっていて面白がっている。
いつも飄々としていて本心は分からないけども。
でも、まるで。
俺ばかりが意識して、追いかけてるみたいじゃないか。
初めての感覚は戸惑いばかりだ。
「……なんか、恥ずかしい。」
余裕そうに笑う顔が恨めしく感じる。
こんなに心臓が騒いでいるのに、一緒に寝るなんて出来るはずもない。
ラウェルが深く息を吐く。
「……それ以上、可愛い事を言わないでください。卒業まで手を出さないって決めてるんですから。」
「え。」
意外な言葉に顔をあげると、困ったような琥珀色の瞳がこちらを向いていた。
「それは、誰にも奪われたくないから早急に事は進めましたけど。
僕だって、先輩が状況を受け入れる準備期間くらいは作るつもりですよ。
本当は閉じ込めたいですけど、それは望んでないでしょう。
先輩だって、将来を考えたい大事な時期でしょうし。」
強引なラウェルの、予想外に優しい言葉に胸が高鳴って――
「それに一週間くらいは、部屋から出したくないですしね。卒業後が一番いいです。」
止まった。
言っている内容の想像くらいはつく。
「ともかく、僕はソファで寝ますので、お構いなく。」
頭をポンと叩かれて、何だか違うような気がして口を開いた。
「あのさ、一緒に眠るだけだったら、」
「……あなたは、僕の重さを分かっていませんね。」
少しだけ悲しそうな顔をしたラウェルに何も言えなくなった。
ラウェルは少しの間をおいて、悪戯気に笑った。
「どうしようもなくらい求めてるから、一緒に眠るなんて、そうそう我慢が効かないって事ですよ。」
言葉を重ねてきた彼はいつもの顔をしていた。
「――でも、我慢しててでも、先輩の傍に居られる方を選んじゃうって事です。」
たぶん、何ともない事のように言っている言葉は、全然そうではないのだろうと何となくでも分かった。
***
はあ、とため息を吐く。
どう接していいのか分からないのに、家から出て行って欲しい訳でもない。
そして無理をして欲しい訳でもない。
どこかぼんやりしていたから、今日はいつも静かに付いてきてくれる護衛が居ないという事が頭から抜けていた。
定期的に訓練に出すからもう一人雇う、と言われたのを拒否したのは俺だ。そんなに手間をかけられたくはなかった。
俺にだって男のプライドというものはあるし、今までどうにかしてきたという自負も一応ある。
いつものルートで研究室に行こうとした足を止めた。
今日は遠回りでも、人気の少ない場所や暗がりは避けるべきだ。
踵を返して、途端に指輪から展開された防御壁に肩が跳ねた。
振り返ると、呼吸の荒い男が居てぞわっと背中が粟立つ。
こういう表情の意味するところは良く知っている。
「ようやく、会えた。」
こちらに手を伸ばしてくる知りもしない男に身を引く。
容赦なく雷撃のような電流が流れているはずなのに、男は気に留めた様子もない。
対策をしているのか、と思うが、目の前の手は強引にこちらに向かってくるせいで色が変わりつつある。
――興奮状態で気づいていないのか。
「ひっ……」
グロテスクな光景に思わず喉が引き攣った。
視界に映る光景はまるでホラーなのに、興奮の色を宿す眼が怖い。
それでも、その熱い手に手首を掴まれて正気に戻った。
危険な時は、ただ名前を呼んで欲しいと言われていた。
それなのに――
「“ラウェル”しかいらない……!」
咄嗟に口から零れた言葉に、男が一気に吹き飛ばされて拘束魔法がかけられた。
簀巻きにされてのたうち回る男を見て思う――あれは、憲兵とかが発動するやつでは。
一瞬、使うのは許されているのだろうか、と思うがそんな事はどうでもよくなっていた。
足元がふらついて壁に背を預けて、足の力が抜けた。
ずるずるとそのまま座り込んで一分程度、
「――ルシエル!」
ラウェルの声が聞こえて安堵した。
「……ラウェル。」
こんな事は久々で、何だか疲れた。
はー、と息を吐いて考える。
――たぶん。いや、多分というか。これは絶対に俺が悪い。
散々気をつけろと言われたのに、この状態なのは本当にばつが悪い。
「……ごめん、俺……」
「謝らないで。怖い思いをさせてすみません。」
抱きしめられて泣きそうになった。どこまでも、ラウェルは優しい。
「ごめん……」
「いいんです、怖かったですね。やっぱり、採用を見送りにしていたもう一人の女性の護衛を――……ん?」
穏やかだったラウェルの声が低く変わる。
視線の先は、俺の手首だ。男へ流れた電流が少しこちらにも伝わって、手首が少し赤くなっていた。
「――手首を、掴まれました?」
ラウェルの表情に、思わず、ひ、と悲鳴を上げてしまった。
にこりと笑う眼が笑っていない。
「ああ、先輩に怒ってる訳じゃないですよ――改良が必要ですね。護衛の追加も、必須で。ですよね?」
首を傾げられて、ただ何度も首を縦に振るしかなかった。
ゆらりと立ち上がるラウェルに今は何よりも恐怖に近いものを感じる。
「じゃあこいつは、ぶっこ――」
「やめろって。俺、ラウェルと家に帰りたい。」
ぶっ殺す。絶対そう言う気がした。
俺の不用心が原因で、伴侶を犯罪者にしたくはない。
ふ、とラウェルの肩が下がって安心した。
「……さすがに、反省してる。」
今回ばかりは弁解の余地がない気がする。自分の顔の影響は分かっていたのだから。
「――あなたのせいだと思わないでください。いいですか。悪いのは、あなたの気持ちを無視して近寄ってくる輩です。……気に病まないで。」
抱き上げられて、大丈夫だと言うように、髪に、こめかみに口付けられた。
――泣きそうになる。
故郷では、全て俺が悪いと言われたのに。両親ですら、俺の味方にはなからなかった。
でも、ラウェルは。
「気分が悪くはないですか?家に帰りますから、少し我慢して下さい。」
本当に、どこまでも優しい。
「ごめん、ありがと……。」
ラウェルが優しく笑って、口付けてくる。
「今日は謝りどおしですね……じゃあ、帰ったら、もうちょっと付き合ってくれます?」
「……ん?」
――なにを?
手首を舐められて背筋がぞわぞわする。
「っも、……ね、よくないっ……?」
変な声が出そうで、手の甲を口に当てた。
愉快そうな顔がこちらを見る。
ラウェルは、家に帰って不相応な高いポーションで手首の赤みをとったあと、念入りに洗って、にっこり笑った。
「誰かの体温をあなたの肌が覚えている事が気に食わないので――許してくれますよね?」
何のことを言っているのか、分からず首を傾げて、ソファに座らされて……それからのことに、ずっと頭に血が昇る思いをしている。
――口付けられて、舐められて。
まるで、“そういった”行為そのものだ。
経験した事はなくても、それがどう言ったものなのかは知識で知っていて、余計に想像が熱を掻き立てた。
いやだ、と言っても、今日は駄目だと逃してくれない。
「も……、無理っ……、恥ずかしいから……」
多分、全身に熱が集まっていると思う。
「……僕しか、いらないんですよね?」
ぞくりとするような眼で見上げられて、肩が跳ねた。
どうしていいか分からずに、目尻に涙が集まっていると感じれば、すぐに優しく吸われた。
ラウェルの優しい琥珀色の瞳が見えて、ようやく息を吐いて鼻をすすった。
「――意地悪、しすぎましたね。」
いつもより温度の高い口付けに快感を覚えて頭がぼうっとした。
「……なんか、気持ちよくてこわい。」
正直に言えば、ラウェルが両腕に顔を埋めた。
しばらく経って、赤い顔がこちらを向く。
「――卒業後、覚悟してくださいね。絶対、抱きますから。」
唐突に直情的な言葉を言われて、何も言えずに鼓動が早くなった。
でも、そのままラウェルの余裕そうな表情が続くかと思ったら、そうではなかった。
「……すみません。格好悪いですね。
本当は、もっと余裕があるふりをしたかったんですが。」
気まずそうに、顔を背けられて、ふは、と声が出た。
「――なに、お前照れてんの。」
思わず頬をむにとつまむと、拗ねたような顔がこちらを向いた――かわいい。
「……照れたら悪いですか。」
いつも飄々としたラウェルのこう言った面は破壊力がすごい。
「お前って……」
言葉が出ずに思案する。
多分、これが惚れ込んでるってやつだ。
いちいち、ラウェルの反応に気持ちが動いてしまう。
思わず笑った。
きっとこれも一生感じないかもしれないと思っていた感情の一つなのだと思う。
「……ちゃんと、覚えておくから。」
なにを、とは言わなくても伝わった筈だ。
今は、キスまでなら許される。
「…… ちゃんと、覚悟、しておいてください。」
念を押されて笑った。
本当は。
覚悟なんかしなくても、お前だったら受け入れられると思ってるなんて――今は、言ってやらない。
温度の高い、キスだけで、まだ、いまは。




