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え:S極とM極が引き寄せられる様に 君と僕は惹かれ合ったけれど、其れは決して赦される事ではなかったんだ。

 まるで雷に打たれた様。君に出逢った衝撃を例えるならば。

 息が止まった。なのに心の臓はばくばくと途端に激しく脈を打って、押さえきれない程に動悸を高まらせて……。

 嗚呼、僕は恋に落ちたのだと。

 自覚せざるを得なかったのだ。




 母が死んで、連れて来られた洋館の様な豪華な屋敷。

 初めに紹介された父の腹違いの兄弟達の中に、君は居なかった。今更突然歳の離れた「兄」が二人出来たって、慕っていける筈はない。

 「兄達」にしたって同じだろう。「よくものこのことやって来られたな」と言いた気な蔑んだ目線が其れを表していた。

 いたたまれなくて、居場所がなくて、僕はいつも庭の片隅に逃げた。暇だったから、其処らに生えてる雑草を唯、一心に抜いて過ごしてた。

 そこに、――君が現れた。大きな目を更に大きくした君が。

 心が揺れる衝撃。君と見詰め合ったのは一瞬、慌てた様にくるりと背中を向けて、君は風の様に去って行ってしまったから。

 其れが、初めての出逢い。




 君との再会は直ぐに訪れた。いつもの庭に僕が行くと、先に君が居た。

「貴方も、此の場所が落ち着くの……?」

 小首を傾げて、先ず君はそう訊ねてきた。再び逢っても初見と同様に衝撃を感じている僕は何とも答えられず、そんな僕を見て君は笑って続けた。

「あたしも、この家に連れて来られて直ぐに此処を見付けて、それ以来何かあるといつでも此処に隠れてたの。こないだ久し振りに来たら、貴方が居たでしょう。驚いてしまって、何も言わずに逃げてしまってご免なさい」

「あ、いえ、僕こそ勝手に……」

 ふわりと笑って告げた君の心地好い喋り方にも、僕は浮かされてしまった様なのだ。僕の言葉は続かず、君はさらりと話題を変えた。

「貴方も、お父様の子供?」

 頷き乍ら、僕は君の台詞の『貴方も』に引っ掛かっていた。

「じゃあ、あたし達兄弟って事ね……これから、宜しくね」

 握手の為にそっと差し出された君の手を、僕は直ぐに取る事が出来なかったんだ。




 年上に見えない彼女は、いつもふわりと笑う。

 ”血の繋がった腹違いの姉”。其れが判った処で、僕が彼女に惹かれてしまう気持ちが弱まる事はなかった。

 僕達は約束をするでもなく、自分の意志で此の場所に来て、言葉少なに過ごした。僕が喋れないのは彼女に対してどきどきしてしまっているからだけど、彼女はどうなんだろう。言葉を余り必要としない様子の彼女は、ただ二人で居る、穏やかな此の時間を楽しんでいるみたいに思えた。

 お互いに余り語らないので、知った情報も極僅かだ。彼女の名前は薫子さん。好きなものは善哉と栗羊羮。猫。桜。読書、此処でぼーっとする事。好きな人は優しく物知りな大人の人。僕より二つ上の高校三年生。

 ……彼女の色々をもっと知りたいと思う反面、何故だか知るのは恐かった。彼女の笑顔を僅かに曇らせる影に、僕は気付いていたから。

 それに、父の子供だと言うのに、彼女は僕達と同じテーブルに集って一緒にご飯を食べるという事がなかった。まるで、彼女は此の洋館の中に初めから存在していない様に。

 或る時、風呂上がりの僕は、水を飲みに台所に来ていた下の兄を見掛けた。チャンスだ、そう思うなり僕は、直ぐに台所を出て行こうとする兄を思いきって呼び止めてみた。

「あの、すみません。聞きたい事があるんですけど」

 お前とは関わりたくない、と言わんばかりの冷たい眼差しで、兄は振り向いた。怯み乍らも、強引に僕は続けてみた。

「此処には、お二人以外に女のお子さんもいらっしゃるんですか」

 兄の目が、僅かに見開かれた。立ち去る寸前に躰を遠去けていた兄が、すたすたと僕の方にやって来て、驚く僕の耳元に潜めた声を囁き入れた。

「お前、逢ったのか。あいつとは関わるな」

 其れは警告なのか命令なのか、どちらにしても不穏な物言いに僕は戸惑って、小さくした声でもう一度訊ねていた。

「薫子さん、のこと」

「その名を出すな! この家に居たければ」

 覆い被さられる様に顔を近付けられ、鋭い声に言葉を塞がれた。威圧感に固まる僕から身を離して、兄は苦々しい口調で告げた。

「……あれは親父の愛人だ。親父の実の子で在り乍らな」

 心底蔑みきった口調――ぽんぽんと唐突に肩を叩かれ、びくりとする僕に、兄はこれ迄よりは砕けた表情で囁いた。

「親父の子供は兄貴と俺とお前、三人だ。三人だけだ。それを覚えておけ」

 薫子さんを軽蔑と非難の対象に置いた事から、僕は秘密を共有する兄弟、同士とでも格上げされたのか――にっ、と笑って兄は去って行った。




 ……愛人。残された僕は、濡れた髪の所為ではなく躰が冷えていくのを感じていた。

 あいじん。父の。実の子供、なのに……血の繋がった子供、だと言うのに。愛、人……。

 驚いた。確かに可成りショックだった。けれど、其れで不自然の合点がいった、と納得する気持ちの方が大きかった。

 いつも隠せない影を纏った彼女。どこか負い目や罪悪感じみたそれ。家の中で彼女の存在自体が隠されている理由も。

 ……だけど、其れを知ったからと言って、僕が彼女を避ける理由にはなりはしないのだ。却って、救ってあげたい、なんて無謀な正義感を覚える位には、僕は本気で彼女を好きになっていた様なのだった。




 珍しく、僕から指をぶつけてみた。触れた僕の手から、するりと君は何気無い仕草で自分の手を遠去けた。ただぶつかったのだと思われてしまったらしい。

 身を寄せてみた。どぎまぎする僕に、其処は気が付いたのか、君は真っ直ぐに僕を見た。

「……どうしたの」

 直ぐにはどうとも答えられず、僕は目を伏せた。元より、まともに君の顔を見られた事はない。いつだって僕は、目線をずらした先の君しか見ていないのだ。

「はるき君」

 僕は君の前で君の名前を呼べないけれど、君はいつだって僕を呼ばう……どきどきする心臓の高まりに踊らされる様にして、僕は顔を挙げていた。

 半ば想像で色付けていた様な、僕が頼りないと思っていた君は、今実にはっきりとした目線で僕を射った。僕の思いを見透かした様に。

 情けない僕の指を、きゅっと掴んだ君は自分の手の中にくるんだ。僕が果たせなかった握り方に。

 そうして、ふんわりと君は笑った。いつも記憶に残るのよりも、少し大人びた笑みで。

「あたし……貴方に逢えて、嬉しかったよ」

 いつも脳裏に浮かぶのよりも、大分淋し気な笑みで。

 ……彼女は勘違いしてしまった。僕はそう思って焦った。

 違う。僕の決心は、別れを決意してのものじゃない。なのに、いつもと違う僕の態度を、君は終わりだと勘違いしてしまった。

 違うんだ。言いたいのにはっきりと言葉に出来ない僕は、不吉に速くなる鼓動に更に言葉をなくしていた。

 君の手が僕の手を落とした。離れていく――違うのに。違うんだってば!!

 僕は、君の前で初めて素早く動いていた。一世一代の勇気を振り絞って。

 顔を近付けて、僕は君に口付けた。夢中だった。

 押し付けた唇は一瞬、慌てて僕は君から身を離した。燃えそうに熱かった、全身が、其れよりも何よりも触れた唇が。

 拍動も、限界を知らせてきていた。平常の倍をいきそうに脈を打つ激しさ、動悸は正常な呼吸をすら僕から奪おうとしていた。

 総じて、真っ赤に頬を染めて昂ぶる熱に震える僕は、俯いてまた自分からは動けなくなっているのだった。判って、とただ祈り乍ら。

 ――哀し気な、何だか身を切られる程にもの悲しい響きに、くすりと君は笑いを落とした。

「駄目なの。貴方とあたしが結ばれる事はない。其れは赦されないの」

「かおるこさ」

 立ち上がる君の勢いに、呼び掛けた僕の台詞は頭から消し飛ばされていた。

 ……君は判っていたのだ。近付きたい僕を判っていて、だからこそ終わりだと決めたのだ。君の意志で、終わりだと決めたのだ。

 其れが僕にも判ってしまって、僕は動けずにいた。ただ君を見上げて、僕は相変わらずに、開いた口に何の言葉をも載せられずにいた。

 けれども君は、哀しみを隠さんと気丈に笑む君は、一度しっかりと僕に目を合わせて、それからふうわりとスカートを翻させて立ち去って行ってしまった。目元に光る涙を僕の目に焼き付けて。

 ……薫子さん……。実際に口に載せた事のない名前は、こんな肝心な時にも矢張り、君を呼び止める力にもならなかった。一度も、名前すら呼べなかった恋。

 僕と、僕の気持ちを置き去りに。




 鞄を抱えて、僕は洋館の様な屋敷を振り返って見た。

 僕は今日、全寮制の高校に転入する為に家を出る。父が決めた事だった。

 父は、薫子さんと僕の密会を知っていたのだろうか。薫子さんと僕がそれ以上に惹かれ合う事が、父には恐かったのだろうか。

 あれ以来、薫子さんとは逢えなかった。何度庭で待っていても。

 今僕が思い出せる薫子さんは、いつも僕の傍で静かに微笑んでいた。……其れでいい。僕の記憶に、彼女が幸せな姿で現れるのなら。

 さようなら。最後迄言葉を自分の口に載せられない意気地無しな僕に、其れはお似合いの結末。

 さようなら。僕が此処に帰って来る日はあるのだろうか。だけど――何だか僕には判っていた。もしそんな時がやって来ても、僕が君に逢える事はないだろう。

 君との思い出は、半分夢の中の様な……それでも、確かに全身全霊を懸けて、僕は君に恋していた。

 ……君と、恋をしていた。

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