第41話 girlsサイド:とある少女の秘密
私はいつも通り伊勢くんの跡を追って、日課の『伊勢くんの観察日記』を書いていた。
伊勢くんはこの前私と話していた漫画の新刊を買った後、レディースの服売り場へと向かっていた。
レディースってことは、鈴鹿ちゃんの買い物に付き合うってことかな?
私はそう考えながら、ノートにシャーペンを走らせる。
ええっと、11時23分。伊勢くんは鈴鹿ちゃんの買い物に付き合うと。店舗名はーー
「あれ? 宇都宮じゃん」
私が上の階から伊勢くんたちが向かおうとしている店舗を覗き込もうとすると、どこかで聞いたような声が私を呼んだ。
私が振り返ると、そこには私が通っていた中学の同級生がいた。
中学一年生の頃に同じクラスだった感じの悪い陽キャ。そんなイメージがあっただけに、私はその二人を見て思わず顔を引きつらせた。
「……野崎さんに、岡部さん」
「宇都宮? 宇都宮って、地味だったくせに垢抜けて長谷川くんに色目使ってた、あの宇都宮?」
「えっと、私は色目なんてつかってないけど」
私は二人を刺激しないように柔らかい口調で二人の言葉を否定する。
私は自分を変えると決意してから見た目にも気を遣うようになった。でも、なかなかコツをつかむことができず、ちゃんと効果が出始めたのは中学一年の二学期くらいからだ。
徐々に垢抜けていく私を見て、学校に数人しかいない男の子の目も引いてしまったらしい。
その結果、男の子の気を引こうと必死な野崎さんたちのような女子から反感を買ってしまったのだった。
すると、野崎さんは私の言葉気に入らなかったのか、ギロッと私を強く睨んできた。
「はぁ? いやいや、男の目を気にしてあんなにおしゃれ頑張ってたんでしょ。長谷川君に振られたからって、負け惜しみはやめないよ」
私は野崎さんの言葉に反論するのを諦めて、小さく貯め気を漏らした。
本当は長谷川君に告白なんかしていないし、振られてもいない。それらは全部逆なんだけど、長谷川君が嘘を学校中に振りまいたのだ。
多分、自分が振られるということが許せなかったのだろう。
そのことをここで訂正しても、野崎さんはただヒートアップするだけだろう。このまま二人に好きなだけ言わせておけば、いつか終わるかな。
私がそう考えていると、今度は岡部さんが私を嘲笑ってきた。
「またずいぶん可愛くなったじゃん。なに、また男ひっかけようとの? 元があんなに地味なんだから、努力しても無理だと思うけどなぁ」
「……そんなことないし、伊勢くんは変われるって言ってくれたもん」
私は昔伊勢くんが私にくれた言葉を否定された気がして、思わずそんな言葉を漏らしていた。
私のことはいくら言われてもいいけど、伊勢くんの言葉を否定されるのは癇に障る。
「は? 何か言った?」
私は岡部さんの威圧するような言葉に顔を上げる。
「え?」
私は顔を上げると、そんな間の抜けたような声を漏らしていた。
だって、野崎さんたちの後ろに伊勢くんの姿があったから。
「う、宇都宮さん。えっと、奇遇だね」
「い、伊勢くん⁉」
私は突然の伊勢くんの登場に驚いて大きな声を上げる。
え、さっきまで下のフロアにいたはずなのに、なんでこんなところにいるの?
私が目を見開いて驚いていると、野崎さんが振り向いて伊勢くんの方を見た。
「……へぇ、マジで男ひっかけてんじゃん」
野崎さんはちらっと私にニヤッと嫌な笑みを向けてから、繕ったような笑みを伊勢くんに向けた。
「ね、ねっ、伊勢くんって言った? 私、この子の昔の同級生なんだけどさ。この子がヤバい子の知らないでしょ?」
「やばい? 宇都宮さんが?」
私は野崎さんの言葉を聞いた瞬間、ぞわっと嫌な予感がした。
「や、やめてっ」
しかし、私が情けないような声でそう言っても、野崎さんは止まる気配はなかった。
それどころか、野崎さんは伊勢くんを見て嬉々とした様子で口を開く。
「昔憧れてた男の子みたいになりたいからって、馬鹿みたいにその子の特徴ノートに書いてんだよ。やばくない?」
「そうそう、この子今はこんなのだけど、昔はすごい地味だったんだよ。高校デビュー頑張ったみたいなんだけど……所詮はただの張りぼてだよね」
すると、そんな野崎さんに合わせるように、岡部さんもそんなことを口にする。
「高校デビュー? 宇都宮さんが?」
私は意外そうな伊勢くんの声を聞いて、顔を俯かせてしまう。
もしかしたら、伊勢くんが昔のことを思い出してしまうかもしれない。そう考えてしまうと、伊勢くんのことをまっすぐに見ることができなくなってしまった。
昔、伊勢くんは私のノートを見ても気持ち悪がらなかった。当時はそれを嬉しく思ったけど、それは伊勢くんも子供だったから、気持ち悪さが分からなかっただけだったのではないかと思うようになった。
それだけじゃない。今の野崎さんたちの言葉のせいで、私のこれまでの努力が水の泡になってしまった。
せっかくなら、頑張って変わった私だけを見て欲しかった。昔の地味な私のことなんか知って欲しくない、思い出しても欲しくない。
それなのに……今の一言で全部台無しだ。
私は零れ来そうな涙を抑えることができなくなり、ぽろぽろっと下を向いたまま涙をこぼしてしまった。
もうだめだ。伊勢くんに気持ち悪がられて、私の初恋は終わるんだ。
「ぜ、全然気づかなかった。やっぱり、宇都宮さんってすごいんだな」
しかし、私のそんな考えに対して、伊勢くんは感心するようにそう言ってきた。私は何か聞き間違えたのかと思って涙ぐんだ瞳のまま伊勢くんを見る。
「「……は?」」
すると、野崎さんたちも聞き間違いをしたと思ったのか、ぽかんとした顔で伊勢くんを見ていた。
伊勢くんはなぜ周りが驚いているのか分からないのか、眉根を下げて怪訝な顔をしている。
「え? いや、普通にすごいことでしょ。憧れてそこまで自分を変えられるなんて、俺にはできないし」
伊勢くんが当たり前のようにそう言うと、野崎さんが伊勢くんを強く睨んだ。
「はぁ⁉ なんでそうなるの⁉ 訳わかんないんだけど!」
「こいつ、あんたが想像いている以上に地味だったんだって! もうすごいんだから! ほら、写真見てよ! どう思う?」
すると、岡部さんはスマホの画面を伊勢くんに見せつけた。岡部さんは私にも見えるようにスマホの画面を掲げる。
そこに写っていたのは、入学式の時に取ったクラス写真だった。
私は止めようとして手を伸ばすが、伊勢くんはまじまじと私の中学時代の写真を見つめていた。
「どう、どうって言われてもな」
「ほら、言ってやんなよ! ちゃんと言ってやんないと分かんないんだから、この子!」
岡部さんに強く言われた伊勢くんはちらっと私を見てから、顔を赤くして私から視線を逸らした。
「その、昔から可愛いなというくらいしか思わないんだけど」
「はぁ⁉ なにそれ、分けわからないんだけど⁉」
「い、いや、分からないのはむしろこっちというか……なんで助けに来たはずが、さっきから宇都宮さんを褒めてばっかなんだ俺は」
伊勢くんは岡部さんに怒鳴られて、嘆くようにそんな言葉を口にした。
今、伊勢くん私を助けに来たって言ってくれた?
私は思いもしなかった言葉に目をぱちくりとさせる。
「なになに、どしたん?」
すると、私たちのもとに見覚えのあるぼさぼさの髪型をした男の子が近づいてきた。私と変わらない身長なのに、がに股で歩くせいか少しだけ大きく見える。
そして、その男の子を見た野崎さんたちはきゃあっと声を上げて嬉しそうに近づいていった。
「長谷川君!」
「長谷川君、こいつ宇都宮だよ。宇都宮が感じ悪くてさ、その連れの男の子も感じ悪いの」
野崎さんたちが長谷川君の腕に抱き着くと、長谷川君はニヤニヤと嫌な笑みを浮かべていた。
「宇都宮? なんだ俺に振られた女じゃんかよ。今さら頭下げて俺と付き合いってか?」
すると、伊勢くんは目をぱちくりとさせていた。
それから、伊勢くんが信じられないといった顔を向けてきたので、私はぶんぶんと首を横に振る。
「違うから! 伊勢くん、私そんな奴に告白なんかしてないからね!」
「まぁ、そうだよな……ちんちくりんすぎるもんな」
伊勢くんは当然のことを言うかのようにそう口にした。伊勢くんは私の言った言葉を全く疑うことなく、納得したように頷いていた。
私はそんな伊勢くんの反応に嬉しさよりも驚きが勝ってしまっていた。
「そんな奴? ちんちくりんだと? ……どうやら、少し躾が必要みたいだな」
すると、長谷川君がプルプルと肩を震わせて、青筋を立てながら伊勢くんに近づいていった。
私はそんな長谷川君を見てハッとする。
「伊勢くん、逃げて! 長谷川君、中学で一番喧嘩強かったらしいから!」
「え、こいつが? いや、えぇ?」
伊勢くんは長谷川君が向かってきても全く逃げようとせず、ただ疑うような目を向けていた。
すると、長谷川君は伊勢くんにこぶしを振り上げた。
「俺を馬鹿にしたことを後悔するがいい! おらぁ!!」
「伊勢くん、危ない! って、あれ?」
長谷川君が伊勢くんを殴ろうとすると、伊勢くんは長谷川君の手を軽くパンっと弾いた。
「……嘘だろ。こんな猫パンチ初めて見たぞ」
「猫パンチだと⁉ 馬鹿にすんな!」
長谷川君は何度も伊勢くんに殴りかかろうとするが、伊勢くんに軽くかわされてしまっていた。
やがて、長谷川君はかわされ続けて疲れたのか、膝に手をついて肩で息をしていた。
「は、長谷川君?」
「あれ? 長谷川君ってうちらの中学で一番強かったんじゃないの?」
すると、野崎さんたちが長谷川君に疑いの目を向け始めていた。
何度もいなされ続ける姿は、とても中学時代に喧嘩で一番強い男の子には見えなかった。
「まともに女を侍らすこともできない男が、はぁ、はぁ、粋がってんじゃねぇぞぉ」
「いや、どう見て見ても粋がってるのはそっちにしか見えんって。まぁ、あれだ。正当防衛ってことでいいんだよな。えっと、確か体育でやったときは、こうして、こうかっ」
伊勢くんはそう言って長谷川君のシャツを握ると、ぐんっと力強く引き寄せた。そして、次の瞬間長谷川君の足を払って、長谷川君を背中から床に落とした。
「いったぁ!」
「「長谷川君!!」」
今のって、柔道技? 伊勢くん、男の子なのに柔道なんてできるの⁉
野崎さんたちが心配そうに長谷川君の名前を呼ぶと、伊勢くんは転んだ長谷川君を力づくに起こす。
それから、伊勢くんは野崎さんたちの方を見ながら口を開く。
「あのな、お前も俺も男女比が一緒だったら見向きもされない人種だからな。そんな俺たちに女子たちが優しくしてくれるんだから、女子たちに感謝すべきだろ? 横柄すぎたり、嘘ばっかついたりすると人がどんどん離れていくぞ」
「ひゃ、ひゃい」
しかし、長谷川君は腰が抜けてしまったのか、上手く立ち上がれずにぺたんと座り込んでしまった。そして、さっきまでの威勢はどこへやら、怯えるような目で伊勢くんを見ていた。
伊勢くんはそんな長谷川君を申し訳なさそうに見ていた。
「いや、別にこうしろって脅しているわけじゃなくてーーん? 警備員?」
伊勢くんは長谷川君の背中を撫でてから、目を細めて遠くを見てそう言った。それから、伊勢くんは顔を青くさせて私のもとに駆け付ける。
「う、宇都宮さんっ、逃げよう!」
「え、伊勢くん⁉」
伊勢くんはそう言うと、私の手を取って走り出した。
警備員が何かを叫んでいたが、伊勢くんは私の手を引いてどんどん加速していく。
私の手を強く引いてくれる伊勢くんの手が力強くて、私は伊勢くんが男の子だということを再確認させられてしまった。
……もしかしたら、このときのために運動音痴を克服したのかもしれない。そんなふうに考えてしまう私は、少し乙女すぎるかもしれなかった。
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