表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

見下ろすテーブル

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 けっこう歳を重ねたつもりであっても、まだまだ不明なことが多い。

 ぶっちゃけ、子供のときに想像した大人の姿といったら、全知全能といわないまでも、世の中のことはほとんど、余裕のよっちゃんで知っていてさ。どのようなことにも動じないくらいの存在だと思い込んでいた。

 それが実際になってみると、皮一枚ひっぺがせば子供のころの延長戦でさ。どうにか持ちこたえているものの、ふと童心にかえることができてしまうくらい、分からないだらけの自分がいる。


 そんなことはない、と胸を張っていえるくらい学びと成長を続けている人もいるだろうし、それはそれで尊いもの。でもそれは自分で体験しようと思い、選んだがために学んだものである。

 子供のころの姿。誰もが一度は子供だったけれど、その実態を知れるのは自分の歩んだ一本のレールと、まわりにあって触れたことのある景色だけ。

 子供たちの不可解な行動。その意味は大人になってなお、知ることのできる学びのひとつなのかもしれない。

 最近、友達から聞いた話なのだけど、耳に入れてみないかい?


 友達には息子がいるのだけどね。

 つい数ヵ月前に、ちょいと不可解な行動を見せるようになった。

 息子はおおよそ4~5歳くらいだったね。その息子がテーブルに体重をよくかけるというんだ。

 机のふちに手をあて、自分は足が浮き上がるほどに体重をかけていく。もし傷んでいたならば、いつ壊れてしまってもおかしくないような腕立てに友達には見えた。

 咎められない限り、息子はそれを止めようとはしなかったそうだ。そして意図を聞いても教えてはくれない。

 気になるところではあるが、親に隠し事をしたい年ごろというのも友達には理解できる。

 はた目には注意に飽きた素振りをしながらも、こっそり様子をうかがっていたらしい。


 机のふちへ手をつき、足を持ち上げてどれくらいそうしているのだろう。

 廊下をはさんだ部屋の影、ドアを通して様子をうかがう機会に友達はめぐまれ、試しにそうしながら時間を測ってみた。ちょうど、他のやるべきことはひと段落つき、時間のとれるタイミングだったらしい。

 およそ600秒を過ぎても、息子はそのままの姿勢でいたとか。その間、ろくによそ見をすることなく、下を向いてテーブルの表面をじっとにらんでいた。

 と、ふいに着地する姿を友達は見る。

「終わるのかな?」と思っていると、息子はテーブルの下へ潜り込み、裏側をコンコンと叩き始めたんだ。

 間をおいて数回。それに似た挙動をかつて友達はみたことがあった。いや、厳密には自分もやったことがあった、か。

 かつて自分が小さいころ、映りが悪いテレビや調子の悪いラジオに対して行う「こづき」。あれにそっくりなリズムだったとか。

 それを裏付けるように、いくらか叩いたのち。息子はまたテーブルに手をつけ、足を浮かせるような動きを見せながら、ずっとテーブルの表面をにらんでいたらしい。

 息子の母にあたる妻が、お菓子の声掛けをするまで飽きることなく、ずっとそうしていたのだとか。


 一度、それとなく意図をただしてみたのだけど、はっきりとした答えは返ってこない。しかし、暇さえあればあのテーブル腕立てをやり続けている姿ばかりが目に映る。

 友達は息子が寝静まったタイミングを見計らい、自分も一度試してみることにしてみたようだ。息子が何をしているのか、詳しく知るためにね。

 痩せ気味とはいえ、息子よりは重い自分だ。果たしてテーブルがもってくれるかどうか。

 かつて見た息子の格好を思い出し、長方形のテーブルのうちの一辺、その中点に友達は両手をかける。

 深呼吸をひとつ。手にぐっと力を入れ、テーブルや床が壊れないかを確かめながら、少しずつ体重を移行。いよいよ自分の足を上げていき、腕で身体を支えながらテーブルの表面を見下ろしていく。


 普段の木目が、そこに浮かんでいるべきだった。

 けれども、友達が眼下に見ているものは自分の実家の、いちアングルだったという。

 テーブルのうち、自分がこうして見下ろせる箇所のみがビデオの映像になってしまったかのようだった。しかも実家は、いくらかリフォームを繰り返した現在の様子とは違う。

 まだ友達が幼いときのもの。いまや自分の思い出の中にしか存在しない、懐かしの屋内だったんだ。

 思わず見とれていると、その画面の一番手前。廊下の端から画面内へ走ってくるものがいる。

 幼いころの自分だった。ちょうど今の息子くらいの。

 手にはゴムボールを握っているのを見て、友達も自分の頬が思わず緩むのを感じる。

 あのころはよく、ボールを屋内でもあちらこちらで投げて怒られたりしたっけ……。

 そうふけっている間に、映像の中の自分がふとこちらを振り返った。「ん?」と思う間に、昔の自分がボールを振りかぶると、こちらへ向かって投げたんだ。


 スコン、といいのをおでこにもらった。

 顔がのけぞるほどの剛速球。当然、バランスを崩してしまい、姿勢を維持できなくなる。

 とんとんと、夜の台所に響くボールの音。それはあの映像の中で自分が握っていたゴムボールだった。ただし、形を保っているというのがやっとという、ずいぶんな傷み具合だったとか。

 友達がもう一度、同じ格好をしてみても、もうテーブルはあの光景を見せてはくれなかったらしい。


 詳しい条件はわからない。ただああした格好をとると、過去を見て、触れることができるようだ、と友達は語った。

 もし息子も同じようにしているとしたら、何を見ているのだろう。

 かつて安らぎに満ちていた母胎の中にいたころか。あるいは生まれ変わりというものがあるなら、以前の自分を見ていたのだろうか。

 本当にやばいことがあるまでは、友達も静観するつもりなのだとか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ