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第三章 「わたし」と「あなた」

 ヒトは"わたし"と、"あなた"と"あなた"と"あなた"と……無数の「他者」に分けられる。"わたし"や"あなた"には自己があり、それぞれ個人であるといえる。



 本章では"個人"と"集団"の関係について考える。



 まずは定義だ。辞書には"集団"とは"複数の個の集合"とある。だが、筆者はこれに異を唱えたい。



 すなわち集団とは、"複数の個に分けられる前の状態"である。そして個人とは、ある集団から分けられた最小単位だ。辞書は因果が逆転している。



 個と集の関係は、まず集ありき、追って個が造られるのである。原初に個が存在し、それが集まる訳ではない。



 例えば、縁もゆかりも無い都会の雑踏を歩いているとする。瞳に映る人々を、ヒトはどのように認識するだろうか。彼らは群衆であり、曖昧な"集団"である。そこには"個人"など存在しないハズだ。



 "集団"を見るとき、まず私達は彼らを"ヒト"として、他の物から区別する。その後に男女や年齢、外国人か否か、などの基準に従って区別していき、最終的に顔を知り、名前を知って初めて、ヒトは集団から個人を"発見"できる。



 つまり"個"とは原初から存在しているのではなく、"わたし"の"恣意的なものさし」により集から分けられて、はじめて存在するのだ。



 そして、それは"わたし"も同様である。



 "わたし"─自己の形成は、他者や集団とのコミュニケーションを経て、"わたし"と他者との差異が浮き彫りになることで促される。



 母と"わたし"は違う。父は"わたし"ではない。"わたし"は父と母の子である。



 "あなた"は"わたし"とは"違う"。"あなた"の父と母は"わたし"とは異なる。"あなた"はアレが好きで、"わたし"はアレが嫌い。でも同じコレが好き。

 

 

 "あなた"と"わたし"の家族も"違う集団"だ。でも"あなた"と"わたし"は友達だ。その点では、"同じ"だ。このような経験を繰り返して、ヒトは集団から自己を切り分けていく。



 だから全く同じ"自己"を持つヒトは、そのヒトの世界には存在しえないのだが、時にヒトは"自己"と"他者"の区別がつかなくなってしまうことがある。"自分が分からなくなる"のだ。それはアイデンティティ(=自己同一性)の危機や拡散と呼ばれる。



 ヒトは"分ける"ことを思考の営みとしているのに、どうして"自分が分からなくなる"のだろうか。アイデンティティに危機が訪れるのは何故か?


(2.25) 人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。


(3.6) 女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。


(3.7) すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。


(Word project, 『創世記』)

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