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第二章 「恣意的なものさし」

 モノを分けるとき、ヒトは何を基準にしているのだろうか。



 例えば、サルとヒトは何故"異なる動物"としてカテゴライズされているのか。それは姿形であったり、遺伝子であったり。なにかしら"科学的な事実"により理由付けが為されている。



 "科学的な事実"を、なにやら全宇宙の真理のように絶対視する者もいるが、そんなことはない。前章でも述べたが、"科学"は"ヒト"が世界を分けて、分類するという知的行為に過ぎない。



 かつて哲学者プロタゴラスは言った。"人間は万物の尺度である"。物事のヒト基準であり、絶対的な基準は存在しえないという主張だ。プロタゴラスの主張を少し頂戴し、曲解して、私の意見に変えておこう。



 即ち、"科学的な事実"は"ヒトが、ヒトの立場からモノを分ける際に用いられている主観的基準"である。



 アフリカゾウとインドゾウを例に出して考える。



 彼らは同じ"ゾウ科"の生物だが、それぞれアフリカゾウ属とインドゾウ属という異なる属種にカテゴライズされている。これは"分類学的階級"という"科学的な事実"による基準だ。



 だが"分類学的階級"を知らない初学者もいる。彼にとってはアフリカゾウもインドゾウも、同じ"ゾウ"でしかない。基準を知らない者は、その基準を教えられて初めて、"ゾウ"をアフリカゾウとインドゾウの二種類に、"科学的な立場から"分けられる。



「いやいや、その初学者が知ってようが知らまいが、アフリカゾウとインドゾウがそこに存在するというのは絶対的な事実である」と反論する方。



 仮に、アフリカゾウには、アフリカゾウだけが見分けられるような"民族"が数千年前からあり、"西ゾウ"と"東ゾウ"に分けられているとする。この仮定に従えば、"西ゾウ"と"東ゾウ"と"インドゾウ"の三種類が存在することが、アフリカゾウにとっての事実となる。



 そんな"科学的な事実"はないが、未来にヒトが"発見"するかもしれない。すると"科学的な立場から"区別されてないものが、発見された途端にヒトによって分けられ、"科学的な事実"となる。それは、アフリカゾウにとっては昔からある区別なのにも関わらずだ。



 つまり、結局ヒトは、ヒト自身が決めた"恣意的なものさし"で物事を見ているに過ぎないということだ。そして、科学や倫理は数ある"ものさし"の一つであって、時代や文化によって異なる。



 かつて、"白人"から見たとき、"黒人"はヒトではなかった。当時、これは差別ではなく"科学的な事実"だった。だが、現代において、それらは全て間違っていると分かり、ヒトは"科学的な事実"の基準をしれっと変えた……というのは"歴史的な事実"である。これもまた、"ものさし"の一つだ。


(1.12) 地は青草と、種類にしたがって種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ木とをはえさせた。


神は見て、良しとされた。

     

(1.21) 神は海の大いなる獣と、水に群がるすべての動く生き物とを、種類にしたがって創造し、また翼のあるすべての鳥を、種類にしたがって創造された。


神は見て、良しとされた。

     

(1.25) 神は地の獣を種類にしたがい、家畜を種類にしたがい、また地に這うすべての物を種類にしたがって造られた。


神は見て、良しとされた。

     

(2.1) こうして天と地と、その万象とが完成した。


(Word project, 『創世記』)

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