霧崎詩音の質問
オレの人権なんて、この姉の前では無意味。
しかし見られて困るようなものは、ある意味無い。
というのも、例えばエロサイトの閲覧履歴が見つかった時も『生物として性欲はあって当然の欲望。性欲をなくした種族は滅びるのみ』とかいう、高尚な真理を説かれたことがある。
とはいえ、恥ずかしいものは恥ずかしいので、極力履歴は削除するようにはしているが、なぜか詩音はそれを知っている。
それを問い詰めて『ブラコンだから』とか言われた日には、引きはするもののまだかわいいと思えるが、もし含み笑いでも浮かべられた日には、あまりの恐ろしさに逃亡計画の早期実行まで考えてしまうだろう。
というわけで、今更オレの秘密を暴こうとは思っていないはずなので、ますます詩音の行動の意図がわからない。
もしかすると、自分のスマホが壊れてしまい、時間が時間なので修理もできないため、オレのスマホを使っている、というのが一番高い可能性だろうか。
「鋼樹」
「……なに?」
詩音の呼びかけは普通。いつものように十代とは思えないほどの、大人びた穏やか且つ艶やかな声質から発せられた言葉は、特に機嫌が悪い様子もない。
ただ、あまりいい予感もしない。
これは幾多の無理難題を押し付けられた弟の勘がそう言っている。
「こういうファンタジー漫画が好きなのですか?」
その問いかけと同時に、詩音は手に持つスマホの画面をこちらに向ける。見えた画面を確認すると、オレが風呂に入る直前まで読んでいた漫画だ。
内容はよくある異世界転移もので、主人公の高校生が間違って召喚されて神様にチート能力を授けられて無双し、ハーレムを築いていく。
あまりにも普通な質問が投げかけられ、逆に警戒してしまう。
今まではオレに対しては傍若無人で暴虐の魔王だが、それでもオレを趣味を頭ごなしに否定することはなかったが、まさか詩音がお気に入りの新聞四コマではないからという理由で、オレを罵倒するつもりか? それはあまりにも理不尽が過ぎる。
「まぁ好きかな。
テンプレテンプレってよく言われるけど、中には本当に面白いものもあrから、時間がある時はとりあえず無料で読めるものを読み漁るぐらいには」
これには、普段は詩音の命令を聞いているので中々時間が取れない、という皮肉を込めているのだが……ブチ切れるかな?
「そうですか」
しかし詩音の態度は変わらず。
……うーん……質問の意図がわからん。
「それと、こういう女性が好きですか? それとも私のような女性が好きですか?」
次の質問。
詩音はスマホの画面をスライドさせ、漫画のヒロインの一人であり、詩音とは真逆の妹系美少女が描かれたページを表示させる。
質問の意図は相変わらずわからないが、答えは簡単。その二択なら妹系一択だ。
暴虐の姉の影響もあり、色気ムンムンの姉系ヒロインはどれだけ性格がよくても絶対裏がある、と思ってしまうようになり、どうしても好きになれない。
そのため、余計に隣の芝生が青く見えてしまい、漫画を選ぶ基準は妹系がメインヒロインであることがとても重要になる。
なお、妹を持つ兄たちからは『それは幻想だ』と一蹴されるが、それはこちらも同じで『包容力溢れる巨乳の優しい姉なんて存在しない』とカウンターを食らわす。
だからこそオレの答えは決まっている。
だが、これは何かの罠に違いない。
気を使って姉系を選べば『近親は考えを改めたほうがいい』と変な忠告をされ、妹系を選べば『年端もいかない少女に手を出す犯罪者には粛清が必要』などと罵られること間違いなし。
つまり、この問いに関する完璧な答えはない。
しかしそれでも、何かしらの答えを出さなければ詩音は納得しないので、オレは永遠にこの状況から解放されることなく、学校に行っても一時的に解放されるだけなので、帰宅すれば同じ状況が続く。
しかしこれはある意味チャンスではなかろうか?
っこでガツンと言ってやれば、詩音の普段の態度に変化が見られるかもしれない。
「……漫画のヒロインは可愛く描かれているから、どっちがいいとか、ないかな……」
……ダメだった。日々積み重ねられた詩音のプレッシャーから逃れることはできず、ガツンと言えない。
弱い。あまりにも弱い……
「そうですか。
それではお金を渡すので、炭酸茶を買ってきてください」
それでは!? どういう嫌がらせだこれは!? そもそも炭酸茶ってなんだよ!? いつも通り緑茶とかにしとけよ! このお茶大好き系姉属性め!
ますますもって質問の意図がわからん!
しかし逆らう度胸もなく、風呂上りだというのに詩音が見守る中、黒のシャツに黒のハーフパンツという、近所へ買い物に行くためのラフな服装に着替える。
そして詩音は胸元から百円玉二枚を取り出す。
……どっから出してんだ……まさかそれをやるためだけにパシらせる、なんてことはないよな……?
「くれぐれも気を付けてくださいね」
そう言って詩音はオレの手を取って、ぎゅっ、と二百円を握らせると、冷たいはずこの硬貨は生暖かった。
だがしかし、今更そんな色仕掛けが通用するはずもなく、オレの心の中は、スン、と冷めきっていた。
「……まぁ夜遅いしな」
コンビニは徒歩十分ほどの距離にあるとはいえ、絶対に安全、なんてことはない。
もしかすると通り魔に会うかもしれないし、飲酒運転でなくとも車に突っ込まれるかもしれない。
パシリ生活は長く体力には自信はあるが、トラックにでも突っ込まれようものなら一発アウト。それでも異世界転移で新たな生活、ならまだ救いもあるが、現実は甘くない。
被害者と加害者が生まれ、誰も幸せになることなんてない。
……詩音がオレに対して生命保険をかけていた、とかなら話は別かもしれないが……ないよな? そこまで酷くないと信じたい……
さて、色々気になることはあるが、謎の炭酸茶を買ってきたら質問の意図がわかるかもしれない。
そんなことを思いつつ玄関へ向かい靴を履いたところで、スマホは詩音の手の中、ということを思い出すが、普段から頻繁に扱うほど中毒者ではないので、このぐらいの距離と時間なら必要ない。
玄関を開け、一応外に怪しい人や車の通りがないことを確認し、夜の闇へと一歩踏み出す。
「私は女神アイリ。
あなたを選ばれし者として、この地に呼び寄せました」