あと三日
人が人を愛する理由なんて夫々だ。そして恋心を抱くきっかけも夫々であり、大抵はほんの些細なことだったりする。
俺が新入生の年、大学進学に向けての内申点稼ぎのつもりで入った生徒会。そこにたまたま当時二年生で生徒会長を務めていた彼女がいただけのこと。書記として生徒会に入りしたてで右も左も分からない俺に、彼女は自ら生徒会に関する様々なことを教えてくれた。
入学式の時の祝辞で見た時は綺麗な人だな程度にしか思っていなかった彼女に、俺はいつの間にか惚れていた。今となってはきっかけが何であったかなんて思い出せない。それくらい些細なことということだ。
それからも日常の小さなことで恋心を募らせて、でもそれを言葉にすることはなく。そうして一年が過ぎ副会長が卒業し書記だった俺が副会長へとなって。想いの丈を伝えられぬまま悪戯に一年が経ってしまっていた。
「あと三日ですね、会長」
つい昨日まで執り行われていた校内イベントで使用した小物が散乱している生徒会室に俺と会長の二人きり。他のメンバーは三日後の行事に向けて忙しなく動き回っている。
「そうね」
噛みしめるように彼女が小さく呟く。
三日後に彼女は卒業する。卒業後は誰しもが一度は名前を聞いたことのある有名な女子大に進学するのだそう。
ついこの間行われた次期生徒会立会演説選挙の結果、副会長を務めていた俺は会長に、初期だった後輩が副会長に当選したので今は引き継ぎ作業をしており、先輩にとっては生徒会での最後の雑務となる。
つまりこの引き継ぎが終われば彼女は生徒会関係者ではなくなる。もうこの部屋で彼女と会うこともないのだと考えると心臓が掴まれているみたいに苦しかった。
「……会長」
「?」
「俺、会長になってもいいんですかね……」
絞るように出たのは自分でも情けない声だった。
「何言ってんのよ。アンタが立候補したんでしょ?」
綺麗に重ねられた書類の束。その一番上の一枚を手に取り俺に前に突き出す。俺の名前の横に“生徒会会長”の文字。少し行間を空けて隣には他の新生徒会のメンバーの名前とクラスと役職が明朝体で綴られている。
彼女は自分をしっかりと持っており、常に振り向かず前だけを見つめて歩いている芯の通った人だった。いつも誰かに手を差し伸べては拾い上げていた。その人が二度と弱音を吐かないようにと鼓舞激励しては背中を叩いて前を向かせていた。故に生徒会長として生徒から尊敬されていたし、俺も恋心を抜きにしても彼女への尊敬は大きかった。
「そうですけど……本当に俺でもいいんでしょうか」
だからこそ、そんな人の後釜が俺でいいのだろうかという重責が今になって押し寄せてきたのだ。彼女の卒業という抗いようのない現実を叩きつけられている。
自然と溜め息が漏れ、俺の弱音を聞いた彼女の眉がピクリと動く。彼女は弱音を嫌う人だから、きっといつもの調子で叱られてしまうと反射的に背筋を伸ばしていた。
けれども室内に響いたのは叱声ではなく極めて柔らかい、自信に満ちた言葉だった。
「アンタなら出来るわよ。なんたってあたしが票を入れたんだから」
自信を持ちなさい、と力強い眼差しを向けられる。嗚呼、この瞳が好きだった。この眼差しを独占したいと常に願っていた。けれども今はこの恋心を成就させたいという気持ちより彼女に託された責任をしっかり全うしたいという信念の方が強かった。
生徒会に入った当初はあくまで内心目的であって自分が会長に立候補するなんて考え及ばなかっただろう。二年前の打算的な己を顧みると自然と口角が上がる。
「弱音言ってすいませんでした。俺、生徒会長やりきります」
「それでいいのよ。アンタはそうやって前向いて笑ってなさい」
俺の決意を聞いた会長は満足そうに笑って、再び引き継ぎの書類に視線を落とした。
「アンタのそういう弱音吐いてもすぐに立ち直る所、好ましく思ってるのよ」
「俺も、会長のストレートにものを言う所、好きです」
「ふふっ、ありがとう。でも“会長”はもうアンタのものよ」
今まで彼女が座っていた椅子に今は俺が座っていて。彼女は今出払っている副会長の席に座り、この二年間見てきたいつもと変わらない真剣な表情で俺の記入した書類に目を通している。
嗚呼、この人を好きになって良かったな。先程とは違うことを思ってしまう俺の顔はきっと憑き物が落ちたように清々しいのだろう。
「そんなことより、ちゃんと考えてるの?」
「何がです?」
「三日後に喋る送辞の内容よ」
「……ちゃんと考えてますよ」
「嘘吐くな」
やっぱ会長にはかないませんね、と苦笑を浮かべて手元のノートに何を言うべきで何を言いたいかを書き綴っていく。
「ふふっ。相変わらず汚い字ね」
会長は悪戯っぽく笑うと、目を通し終えたであろう書類に判を押してファイルに挟んだ。
「あと三日ですね」
「あと三日ね」




