ワープ事故
それは、後に“アストレイア号消失事件”と呼ばれる、宇宙史上でも類を見ない大規模な事故であった。
ワープ航行とは、本来、恒星や惑星の重力圏から十分に離れた宙域でのみ実行が許可されている。
ひとたび重力波干渉が発生すれば、船体ごと時空の層に引きずり込まれる危険があるからだ。
しかしその日、**豪華旅客船〈アストレイア号〉**は、あえて禁断の宙域でワープを敢行した。
原因は──ハイジャック。
「重力圏を離れるまで待て!」という航法士の警告を無視し、
武装した犯行グループは操舵AIを強制的に上書きした。
「当局が迫ってるんだ! 今すぐ跳べ!」
「船体質量なんて誤差だ、跳躍座標はここでいい!」
冷静さを失った者たちは、豪華客船を軍艦並みの出力でワープに突入させた。
その瞬間──。
船体がきしむ。
警報が鳴り響く。
艦内の全員が、一瞬、耳をつんざくような無音を感じた。
【警告:ワープフィールドに異常発生。重力波干渉を検出──】
【臨界を超過。時空層の安定が崩壊しています!】
次の瞬間、船体を中心に青白い光の奔流が走った。
ワープコアが暴走し、時空そのものが**“縮爆”**を起こしたのだ。
船は──空間に閉じ込められた。
ワープ空間。
それは“移動”ではなく、“空間そのものの裏側”を通る特殊領域。
通常の物理法則は一切通用せず、座標、時間、質量──すべてが曖昧に溶け合う。
アストレイア号は、そこで凍結した。
ワープの座標上では存在しているが、現実には“どこにもない”状態。
「コア制御が効かない! 座標固定が……っ!」
「フィールドが収縮していく! このままじゃ……!」
絶望が広がる中、奇跡的に一部の区画で自動脱出装置が作動した。
左舷の客室ブロック──約四十室が切り離され、独立した防御シェルが展開される。
【非常回避プログラム起動】
【転移経路:確率領域内に確定──】
切り離された区画は、青い閃光に包まれた。
──そして、閃光の中に、一人の青年の姿があった。
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──鼓動の音。
どこか遠くで、低い警報が鳴っていた。
ミズキは、重たいまぶたを開いた。
視界の先には、白い天井と、焦げた匂い。
耳の奥では、断続的な機械音が鳴り響いている。
「……ここは……」
意識が戻るにつれ、金属とオゾンの匂いが強まる。
倒壊した壁、散乱した荷物、床に転がるシート。
そして、かすかにうめき声が聞こえた。
(……他にも、生きている人がいる?)
咄嗟に駆け寄る。
若い女性が倒れていた。呼吸は浅いが、まだ息がある。
医療端末らしき装置を探し、近くの非常キットを見つけた。
──奇妙な文字で書かれた操作盤。
しかし、ミズキには読めた。
「……止血モード……これだな。」
淡い光が傷口を照らし、女性の呼吸が安定する。
ミズキは、ほんの一瞬だけイシュタルの声を思い出した。
> 『この世界の理を読む力を、あなたに。』
(……この加護、思ってたより便利だな。)
数時間後、救助艇が到着した。
灰色の装甲服を着た兵士たちが、次々と生存者を担架に乗せて運び出していく。
胸のエンブレムには、「アカシック連邦宇宙軍」の徽章。
「大丈夫か? 負傷している者は優先的に搬送する!」
「こちら、生命反応あり! 医療区画へ!」
ミズキは無言で誘導に従った。
外に出ると、宇宙空間の向こうに、巨大な艦影が見える。
艦体番号【UFS-09 ノーザン・クロス】。
冷たい星光に照らされたその姿は、まるで鋼の神殿のようだった。
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救助艦の医療区画。
白い光が眩しい。
生存者たちは整然と並べられ、端末で次々に身元照合が行われている。
「氏名をどうぞ。」
「ブラン・フェリス、客室C-47……」
「確認、登録済み。家族宛ての連絡を開始します。」
ミズキの番が来た。
端末を向けられ、無意識に答えていた。
「火雷 水木。JCN技術研究員です。」
検査官が端末を操作し、数秒後──顔をしかめた。
「……もう一度、氏名をお願いします。」
「火雷、水木。」
「……出身地は?」
「日本。……地球の日本だ。」
検査官は眉をひそめ、背後の兵士に目配せした。
端末の画面には、冷たい赤文字が点滅していた。
【該当データなし】
【遺伝情報:登録なし】
「……すまないが、少しこちらへ。」
腕を取られ、別室へと連れて行かれる。
周囲の目線が、ほんの一瞬だけ冷たくなった。
狭い隔離室。
無機質な壁と、監視用の光学センサー。
しばらくして、黒い制服の男が入ってきた。
「火雷 水木君、だな?」
「……ああ。」
「確認のために言っておく。君の名前、出身地、遺伝情報──
すべて、アカシック登録網に存在しない。」
「登録網?」
「この時代の人間は、出生と同時に全遺伝子と精神波形が登録される。
“未登録者”は存在しない。君がどこから来たのか、説明してもらおうか。」
(……来たな。)
ミズキは、苦笑しながら言葉を選んだ。
「説明したところで、信じないと思うけどな。」
「やってみろ。」
「──俺は、“別の時代”から来た。」
男の表情が固まった。
「……別の、時代?」
「ああ。タキオン素粒子の実験中に事故があって、気がついたらここにいた。
これ以上は俺にも説明できない。だが、それが真実だ。」
沈黙。
やがて、男は短くため息をついた。
「……興味深い話だ。だが、我々には“証拠”が必要だ。」
そう言って、部屋を出ていった。
扉が閉まり、無機質なロック音が響く。
「……まあ、当然だよな。」
ミズキは苦笑し、壁にもたれた。
しかし、胸の奥では、あの“何か”が静かに脈打っていた。
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外の観察室。
モニターには、ミズキの生体波形が表示されていた。
そこには、見たこともない異常パターンが浮かんでいる。
「脳波の振幅が常人の三倍。
だが、P.S.I.反応とは一致しません。」
「何らかのエネルギー干渉……これは一体?」
主任科学士が唇を噛んだ。
「──分類不能。コードを発行しろ。
“N/A(Not Applicable)”。」
隔離室の中。
ミズキは天井を見上げ、独りごちた。
「イシュタルさん……転生じゃなくて転移、か。
どうやら、まだ始まりそうにないな……俺の“第二の人生”。」




