第88.5話 ピピナとリリナのふたりごと③
* * *
「『わかりました。それでは〈らじお〉がエルティシア様に見合うかどうか、私が見定めようではありませんか』」
「『そ、そんなことをしなくてもいーですよ!』」
「『そうやって甘やかすから、お主もエルティシア様も惰弱になられるのだ!』」
「『だ、惰弱だと!? 私が惰弱になど、いつなった!』」
「『賊に対峙する力を振るわず、〈対話〉へと逃げたからこそ惰弱だと申したまでです』」
飛び交い合う、厳しい言葉。
その言葉につられて、自然と表情も厳しいものになるのだが、
「『くっ……わ、わかった。それではリリナよ、お主も〈らじおばんぐみ〉に出てもらおうではないか』」
「『私が? この変な機械を使ってですか?』」
「『そうだ。対話を〈惰弱〉と申すからには、そなたはきっと素晴らしい対話ができるのであろうから』」
「『なっ……わ、私には、対話など必要ありません』」
「『おんやー? ねーさま、おじけづいたですかぁ?』」
「『わ、私がいつ怖じ気付いた! よし、わかった。わかりました。私も〈らじお〉に出て、対話など簡単なのだと証明してみせましょう』」
挑発的な口調につられるようにして、エルティシア様とピピナの言葉へと乗っていく。
全ては、台本のとおり。それでも、台詞の表情につられて普段使わないような頬の筋肉がひとつひとつ活性化していく。
「『では~、わたしもリリナちゃんといっしょに〈ばんぐみ〉に出ますね~』」
「『い、いけませんっ! フィルミア様まで、このような戯れに付き合わずとも!』」
「『いいじゃないですか~。せっかく見知らぬ街で、見知らぬ遊びと出会えたのですから~』」
「『あ、遊びじゃないんだけどなー?』」
「『俺らにとっては、一応仕事だし』」
「『まあまあ、みんな初めてなんだしね。それじゃあ、みんなでいっしょにラジオをはじめてみましょうか』」
「『うむっ、今日もよろしく頼むぞっ!』」
ルイコ嬢の言葉に導かれて、エルティシア様が自信満々に言い切る。
そして、次はいよいよ我々の出番となるわけで。
「『異世界ラジオのつくりかた』第2回」
「『みんなとラジオでお話しましょ~』」
私が題名を、続いてフィルミア様が副題をゆったりと言っていく。しかし、台本を見たときからもうひとつ足したいと思っていた私が、
「『わ、私は、お話しなんてしませんからねっ!』」
「「ぶふっ!?」」
「ね、ねーさまがへんになっちゃったですー!?」
そう即興で言葉を足したところ、サスケ殿とカナ様は噴き出して、ピピナからはとんでもない物言いをされてしまった。
「失礼な。カナ様に倣って、私も即興で付け加えてみただけだ」
「えふっ、えほっ、えほっ……り、リリナちゃんがアドリブとか、不意打ちにも程があるよっ!?」
「いやー、俺も驚いたわ……リリナさん、結構お茶目なことをしますね」
むせていたカナ様とサスケ殿からも、ずいぶんな物言いをされる。むぅ……あまりにも唐突すぎたのであろうか。
咳き込んでいるふたりが背にしている窓の外は、すっかり真っ暗。
夕食を終えて応接室に集まっていた私たちは、昨日に続いて〈らじおどらま〉の読み合わせをしていた。
はじめは軽く言葉だけで読み合わせて、場面の詳細を確認してから2回目の読み合わせへ。そして現在の3度目は、より感情を込めたものへと移行していた。そのため、昨日カナ様がされていたように即興で言葉を付け足してみたのだが……これは、不評ということなのだろうか?
「では、ただいまのは今回限りということで――」
「なにを言うんですかっ」
諦めて退こうとしたところで、みはるん様が机に手をついて身を乗り出してきた。
「今のは意外性があっていいと思います。ぜひぜひ使いましょう」
「俺も、突然で驚いただけですから。今のは、またやってもいいと思いますよ」
「そうそう。今のは、今回のリリナちゃんのキャラ――えっと、人物像に合っててとってもよかったんじゃないかな」
「そ、そうですか」
なるほど、ただ驚いてしまったというだけだったのだな。確かに、思いついたことを予告すらせずに言ったのだから仕方あるまい。
「ふふっ、ふふふふっ」
「え、エルティシア様?」
聴き慣れない声に視線を移すと、笑いをこらえきれないのかエルティシア様が肩を細かく震わせていた。
「いや、すまぬ。今日のリリナは興に乗っているなと思ってな」
「そうですね~。わたし、こんなに楽しそうなリリナちゃんを初めて見ましたよ~」
「フィルミア様まで……」
エルティシア様の右隣にいらっしゃるフィルミア様は、対照的に微笑ましそうに私を見ながら両手をぽんと合わせている。
「リリナさんは、何か演技をした経験があるんですか?」
「いえ、演技をしたことなどは一度も。ただ、ここでひとつ言葉を足すと面白いだろうなと思っただけでして」
「それだけで、あんなに堂々とアドリブできるなんて……うむむむ、普通の演技でもとってもノリノリだし、これは楽しいことになってきましたよ?」
「そ、そんな、畏れ多いです」
私の隣に座るルイコ嬢へ答えれば、向かいに座っていたカナ様が期待に満ちたような視線を向けつつ私のほうへ身を乗り出してきた。
思わず口にしたとおり、私の演技はそのような言葉をかけられる程ではない。でも、一方でそう言われてうれしく思う私もいる。
初めてまともに演じたものを、皆様にそう評価をしていただけたのだから。
「…………」
でも、その中でただひとり。
エルティシア様の左隣に座るピピナは、ただ私のことをじっと見つめていた。
「よーしっ、リリナちゃんにやる気もらったっ! せんぱい、このままBパートの練習に行っちゃいましょう!」
「今の勢いを止めるのはもったいないもんな。ルティもピピナも大丈夫か?」
「は、はいですっ!」
「ああ、望むところだ。姉様、ルイコ嬢、我らも参りましょうぞ」
「ふふふっ。リリナちゃんががんばるなら、わたしもがんばらないと~」
「そうですね、私も負けていられませんっ」
「え、ええっ?」
口々に、気合を込めた言葉がかけられうろたえる中で。
ぼーっと見つめてくるピピナの瞳が、なぜだか印象に残っていた。
その勢いのまま練習を続けて、解散をしたのは結局夜の11時。
7時からずっと練習していただけあって皆がへとへとになるほどではあったものの、演技がよく弾んだことで充足感に満ちた表情をしていた。
「ねーさま、きょうはおつかれさまでした」
「うむ。ピピナもご苦労だったな」
それは、私たち姉妹も同じ。
皆が部屋へ戻ったあとに片付けて、最後に湯浴みをして自室へ戻った私たちも、力で生み出した風で髪を乾かしながら互いをねぎらい合った。
身にまとっているのは、薄緑色をした揃いの寝間着。ニホンで買った『きゃみそぉる』なる寝間着は、こちらで一般的な布を巻き付ける形式とは違い、頭から体を通すだけなので気軽に着ることができた。
「♪~」
大柄な私とは違い、小柄なピピナが着た姿はとてもかわいらしい。
櫛で髪を梳かしていた私は、気持ちよさそうに頭上から風を受けるピピナを眺めてしみじみとそう思った。
「うん? ねーさま、どーしてピピナをみてるですか?」
「いや、その姿がかわいらしいと思ってな」
「ねーさま、さいきんよくピピナのことをそーいいますよね」
「今までが言わなすぎだっただけだ」
「むぅ……なんだかむずむずするですよー」
「失敬な」
言葉通り、こそばゆそうなピピナへ短く言葉を返す。
ちょっぴり本心を込めて。それ以上に、こうして軽口を叩き合える楽しみを込めて。
「よいしょっと。ねーさま、ちょっとくしをかすです」
「いいのか?」
「いーんですよ。ピピナのよるのおたのしみなんですから」
椅子から下りたピピナへ獣毛製の櫛を渡すと、そのまま後ろへ回り込んでいく。続いて『んしょっ』という声が聞こえたところで、再び背中へ髪を梳く感触が走り出す。
「はぁ……」
不思議なもので、自ら髪を梳くのと誰かに梳いてもらうのでは感触が違う。まだ幼いフィルミア様に梳いていただいてから、つい最近まで久しく感じることのなかったその心地よさに、私は思わず息を漏らした。
「きもちいーですか?」
「ああ、ちょうどいい塩梅だ」
「それならよかったです」
姿は、見えない。
でも、聴こえてくる声と感触で、ピピナがそこにいるのだと確かに感じさせてくれる。
つい先日まではひとりきりだったこの部屋で、愛すべき妹が。
「ねーさま」
「なんだ?」
何気なさそうな呼びかけに応じて、しばらく髪を梳く感触だけが続く。
「なんとなくなんですけど」
続く言葉が出てきたのは、濡れ髪が軽くなってきた頃。
「さっきえんぎをしてたねーさま、なんだかまえのねーさまみたいでした」
「ニホンの皆様と会う以前のか?」
「はいです」
「あの頃の私を思い出しながら演じていたのだから、当然だろう」
「それもそーなんですけど」
んー、としばらく唸ってから、また言葉が途絶える。
ルイコ様が書いた物語の中で、私は頑固者の従者という役割になっている。異世界に迷い込み、エルティシア様がお困りだろうと思い込んでいたところでニホンの皆様方と〈らじお〉に興じているのを見かけ、腹を立て連れ帰ろうとする役割だ。
本来の私とサスケ殿との出会いと比べれば、ずいぶん穏便に脚色されている。細剣を突き付け、半ば誘拐のようにレンディアールへと連れ去ったことなどを書きようも無かったのだろうが、物語としても今の私たちの間柄としても、とても適していると思う。
「なんとゆーか、まえのねーさまもあんなふーにえんじてたのかなっておもったですよ」
しかし、ピピナが発した言葉は予想外で。
「前の私が、演じてた?」
「はいです」
思わず振り返って見合ったその瞳は、応接室で私をじっと見ていたものと同じだった。
「いまのねーさまって、そのままのねーさまですよね。でも、まえのねーさまは『じゅーしゃ』ってことにこだわってえんじて、いまみたいなねーさまをかくしてたきがするです」
「それは……」
ピピナの指摘に面食らったものの、よくよく考えてみれば腑に落ちる指摘だ。
従者であることにこだわった私は、フィルミア様にかしずき、エルティシア様に王家の者たれと接し、ピピナには私と同じようになれと強要してきた。
母様の願いでこの世界へ生まれ落ち、やがて生まれてくるフィルミア様を守れる存在になろうと思い込み、それがいつしかねじ曲がってしまって……従者であろうと、頑なになって。
幼い頃から私を知るピピナなら、確かに『演じていた』と見てもおかしくはない。
「だから、こんかいのねーさまもこだわってえんじてるなーって、そーおもってですね」
「……そうか」
今回の私は、そんなかつての頑なな私を演じているのだから。
「ピピナには、怖い思いをさせたのかもしれないな」
「なにがです?」
「昔の、ピピナが嫌いだった私を思い起こさせてしまって――」
「と、とんでもないですよっ!」
謝ろうとしたところで、ピピナがぶんぶんと首を左右に振る。
「ピピナは、ねーさまってすごいなーっておもっただけです! ピピナはふつーにそのままえんじてるだけなのに、ねーさまはまたべつのねーさまになってて、でも、ねーさまはやっぱりねーさまで」
「ピピナ……」
「おちゃめなねーさまとか、かわいいねーさまとか、いっぱい、いーっぱいあたらしいねーさまがみられて、うれしーんです。ほんとーです。ほんとーなんですよっ」
どうしても自分の想いを伝えたいのか、湧いては出てくる言葉を口にしながら小柄なピピナが両手と羽を大きくばたつかせる。
また、私は余計な思い込みをしてしまったのか。
「すまない、私の早とちりだったようだ」
「そーです、そーですっ。ピピナ、ねーさまがきらいなんておもったことはほとんどありませんっ!」
「ほとんどということは、少しはあったと?」
「え、えっと……さすけとなかがわるかったころのねーさまは、ちょっと」
「その頃の私は、確かにそう思われても仕方あるまい」
意地悪っぽく尋ねてみたら、ピピナが上目遣いで素直に明かしてくれた。確かに、あの頃はサスケ殿たちを傷つけても厭わないとすら思っていたのだから、怖がられて当然だ。
私とて、あの時のことを振り返ると今でもサスケ殿に頭を下げたくなる思いなのだから。
「んーと、えーっと……こ、こわいねーさまはやーですけど……りりしくてかっこよくて、かわいくてたのしいねーさまはだいすきですっ!」
「っ!」
上目遣いからちゃんと顔を上げて、ピピナがかわいらしい笑顔を見せてくれた。
あんなに私を恐れて、遠ざかり反発していたピピナがだ。
そして、告げてくれた言葉を何度も反芻する。
凛々しくて、格好いい私が。
かわいくて、楽しい私が。
大好きだと。
一点の曇りも無い、輝かしい笑顔で。
「ありがとう、ピピナ。私も、元気なピピナが大好きだ」
「ねーさま……はいっ!」
その笑顔に吸い寄せられるようにして、こつんと額をくっつけ合う。
私たち妖精にとっての、親愛の証し。
再び縁を通じてからも幾度かしていたが、今宵のこの繋がりは格別の温もりだ。
「ねーさまは、ピピナのもくひょーです。だから、これからもねーさまらしくいてください」
「わかった。ピピナもピピナらしく、これからずっと元気でいてほしい」
「もちろんですっ!」
くっつけていた額を離すと、ピピナははにかむようにして笑った。
異世界に迷い込んでしまったエルティシア様を元気付け、ニホンの皆様方とも仲良くなり、そして異国の女性をも支えた、この笑顔。
自分からこの笑顔を拒んでいたなんて、私はどんなにもったいないことをしていたのか。
「あははっ」
「えへへー」
まばゆいばかりの笑顔につられて、私まで喜びが湧いてくる。
今日一日、元気でいっしょにいられてよかったと。
明日も元気でいっしょにがんばろうと、そう思えるぐらいに。
「明日も、ともにがんばらねばな」
「はいですっ! あしたはにほんへいくひですし、もっともーっとがんばるですよ!」
「そうだな。こちらでも向こうでも、私たちの腕の見せ所だ」
「ですねー。ピピナ、きょーいじょーにいっぱいいっぱいがんばってえんぎするですっ!」
そのまま私たちは、夜更けにもかかわらずふたりでしゃべり合った。
もう眠る前だというのに、湧いてくるのは眠気でなく元気ばかり。
明日も早いのだが、こればかりは致し方あるまい。せっかくできた姉妹の時間なのだから……今は、それを大切にしたい。
エルティシア様がいて、フィルミア様がいて、サスケ殿とカナ様がいて。ルイコ嬢にみはるん様がいて、アヴィエラ嬢がいて……そして、ピピナが隣にいて。
〈らじお〉が形になるのは先だけれども、ピピナを笑顔にしてくれた皆といっしょならば、きっとうまくいくはず。
そう確信しながら、私は大好きなピピナといっしょにあたたかい夜を過ごした。




