第70話 みんなで作る、異世界ラジオ②
からかうような声に顔を上げると、ほうきの柄の先に両手を重ねて、さらにそこへあごをのせた母さんがニタニタと笑っているのが見えた。店内の照明を半分落としてあるから、薄暗くて怖ぇよ!
「セーシュン? セーシュンとは、いったいなんなのですか?」
「ルティちゃんや佐助の年代にはよくある光景よ」
「ふむ。サスケと我はセーシュンの年代なのか」
だ、だから、きょとんとした顔で俺を見上げないでくれっての! 面と向かって言えないけど!
「そうそう。セーシュン、セーシュン」
「かーあーさーんー!」
「わー、佐助が怒ったー」
さすがにガマンできなくて怒っても、母さんはどこ吹く風とばかりにわざとらしくケタケタ笑うだけ。ダメだ、この母さんは何とかしないと。
「まあ、おふざけはここまでにして。ふたりとも、食器洗いが終わったら上がっていいわよ」
「終わったからそうさせてもらうよっ」
「サスケ、まだ菜箸やおたまが残ってるぞ」
「うっ」
この場から逃げようとしたところで、俺のエプロンのすそをくいっと引っ張るルティに引き留められた。ちょっと怒ったルティもかわいらし……いやいやいやそうじゃない! そっちじゃないんだ!
「わ、わかった。ちゃんと洗っていくよ」
「うむ、そうでなくては」
「ふふっ。なんだか懐かしいわねー……」
母さんは何事かをぽつりとつぶやくと、ふっと微笑んでからホールの掃除へと戻っていった。よかった、ようやく解放されるのか……
それからは静かに掃除する母さんと楽しそうにふきんで拭くルティを横目に、ただひたすらに食器をすすいでいった。
「サスケは、小さな頃からこうしてチホ嬢の手伝いをしているのだな」
「基本的に、平日は母さんがひとりでやってるから。そんなに大きくない喫茶店だけど、それでも洗い物はいろいろ出るし」
「やはり、洗い場に食器がたまるのは気持ちのいいものではないと」
「そういうこと。ルティも、フィルミアさんやリリナを手伝ってるとそう思うんじゃないか」
「洗い場に限らず、やはり生活の場はきれいにした方がいい。しっかり片付ければ、その分気持ちに余裕が生まれるというものだ」
俺がすすいで渡した菜箸をふきんで拭いながら、ルティが横目で見上げて言葉通りの余裕そうな笑みを向けてくる。
「あー、それはわかる。先にやっておけばあとは楽だってなるし。でも、ついつい後回しにしちゃうんだよな」
「サスケはピピナにそっくりなのだな。やるべきことを後回しにしては、よくリリナに怒られて」
「掃除をサボったりとかか」
「ああ。最近のピピナは、楽しく真面目にしているが」
「みたいだな。この間のメイドさんスタイルやお茶にはビックリしたよ」
「茶をいれるときの手つきには、我も驚いた。リリナとは違う我流で、ピピナ独特の味わいを作り出していて……あれは、ピピナだからこそのものであろう」
「本当になぁ。俺も、ピピナを見習ってもっといろいろがんばらないと」
「我とてそれは同じだ。サスケ、ともにがんばろうではないか」
「おうよっ」
かわいらしい緑の瞳に力をこめるルティに、俺も笑いながらつられて返事をした。
出会った時から魅力に満ちていたこの瞳を見ていると、そう言いたくなる引力がある。妹うんぬんは別にして、やっぱり俺はこの自信に満ちた瞳が――
「あら、来たみたいね」
と、ルティの瞳に惹き込まれそうになったところで上への階段横にある裏口からチャイムが鳴って母さんがカウンターに入ってくる。
「はーいっ」
「こんばんは、おばさま」
「瑠依子ちゃん、いらっしゃい。だいたい言ってた時間通りね」
そのままドアを開けると、赤坂先輩が姿を見せた。
「こんばんは、赤坂先輩」
「ルイコ嬢、お待ちしておりました」
「松浜くん、ルティさん、こんばんは」
入ってきた赤坂先輩はグレーのスーツ姿で、いつもは下ろしているウェーブ気味な長い髪を大きく編んで体の前に垂らしている。
いつものふんわりとした雰囲気にプラスされている大人っぽさに、先輩の新しい一面を垣間見た気がした。
「ごめんなさい、思ったよりもお仕事が長引いちゃって」
「構いませぬ。もしや、明日のルイコ嬢の〈ばんぐみ〉づくりででしょうか?」
「それもありますけど、詳しいお話は松浜くんとルティさんのお手伝いが終わってからにしましょう」
ちょっと疲れを滲ませながら、先輩が両手をぽんっと合わせて微笑む。大学生をしながらラジオ局のアルバイトっていうのは、結構大変なんだろう。
「瑠依子ちゃん、夕ごはんは?」
「局の方で、ちょっとだけ頂いてきました」
「だったら、まだあるから用意するわ。リリナちゃんが作ってくれた夏野菜のトマトグラタン、とっても美味しいんだから。サスケ、ルティちゃん、あとは任せてもいいわよね?」
「りょーかい」
「我らも、洗い終わり次第上へ参ります」
「おっけー。じゃあ瑠依子ちゃん、先に着替えちゃいなさい」
「えっ、着替えって……?」
「今日のお昼時に、瑠菜がごはんついでにって持ってきたのよ。ついでに泊まってきちゃいなさいって言っといてって」
「お母さんがですかっ!?」
そんなやりとりをしながら、赤坂先輩は母さんといっしょに階段を上がっていった。
「瑠菜おば……いやいやいや、瑠菜お姉さん、また来てたのか」
「うむ。夕方前にヒサナガ殿と来店して、我とピピナの接客を所望されていた」
「またあの人は……」
瑠菜お姉さんは母さんの幼なじみで、海外へ行く前もこの間帰ってきてからも旦那さん、兼赤坂先輩のお父さんな久永さんとよくうちの店へ顔を出している。
いわゆる家族ぐるみでのつきあいってやつだけど、いいかげん俺をガキんちょの頃と同じように見るのはやめてほしいんだよなぁ……あの目を見ると、小学生の時に「瑠菜おばさん」って口走って『お話し合い』させられたトラウマが蘇るんだ。
「さて、最後の仕上げと参ろう。我らも居間へと戻らねば」
「だな」
まだ瑠菜さんの本性を知らないらしいルティの呼びかけに、俺は軽く応えてから小物洗いを再開した。
* * *
さて、大々的にラジオを放送するには欠かせないものが結構ある。
まず1つ目は、ラジオ局。これは基本中の基本。
2つ目は、スタッフさん。プロデューサーさんやディレクターさんに、音響さんに構成作家さんといったいろんな人がいるけど、わかばシティFMのようなコミュニティFMの場合はそれを全部ひとりかふたりぐらいでまかなうことが多い。
3つ目に、パーソナリティ。音楽とか放送学習用の専門局じゃない限り、必ずといっていいほどマイクの前に座ってしゃべる人がいる。
4つ目は、音楽。もちろんトーク中心だったりすると音楽がかからないこともあるけど、それでも番組のオープニングやエンディングにはかかったりするし、なんといっても番組を彩る重要な要素のひとつだ。
そして、5つ目は――
「また、ずいぶん増えましたね」
「えっと……これ、全部あたしたちの番組へのメールですか?」
「ラジオドラマへの感想メールを抜いてあるから、松浜くんと神奈ちゃんのコーナーのだけだよ。全部含めたら38通で、コーナー用は26通だったかな」
「にじゅう、ろくつう……」
赤坂先輩から告げられた数をつぶやき返したかと思うと、有楽は先輩が手にしている紙束に向けていた視線を、ギギギと音がしそうなぐらいぎこちなく先輩へと向けた。
レモン色で無地なパジャマを着ているのが赤坂先輩で、薄いピンク地に赤い猫の肉球柄のパジャマを着ているのが有楽。ふたりのパジャマ姿を見るのは、初めてルティがこの街へ来た日以来だ。
「せんぱい、OBさんやOGさんの総動員でもしたんです?」
「してないっ、してないよっ!?」
「じゃあ、せんぱいががんばってこれだけのネタを書いたとか?」
「そんなこともしてないってばっ! 身内からのメールは七海ちゃんと空也くんの一通ずつぐらいで、あとは純粋に番組を聴いた人たちからのメールだよ。はいっ、松浜くんから読んで、神奈ちゃんに渡してあげてね」
そう言って、俺と有楽のはす向かいに座る先輩が呆れながら紙束――リスナーさんからのメールを俺へと手渡した。
他の民放の局とかからしたらあまりにも少ない、薄いメールの数なんだろうけど、番組を始めた頃は桜木姉弟とOBの先輩たちといった身内からしかメールが来なかったことを思うと、とても厚くて、とても重い。
今いるのが自宅のダイニングでも、スタジオにいるときと変わらないくらいのプレッシャー……いや、それ以上にすら感じられる。
「おっ、そっちの事務所でやってる番組のリスナーさんみたいだぞ」
「す、すいません、そのメール見せてくださいっ。『P.S.このあいだの〈急いでやってます!〉聴きました。面白かったので、生放送も聴きます』……わぁっ、本当にリスナーさんからだぁっ!」
「このあいだ、事務所のラジオで宣伝したのが効いたのかもな」
「そうかもしれません。えへへっ、宣伝してよかったぁ!」
ラジオにとって欠かせない、最後にして最大のもの。それは、リスナーさんからのメールやハガキにFAX。いわゆる『反応』だ。
こういった反応がないとコーナーやリクエストは成り立たないし、なんといっても人気の判断材料になる。俺たちがやっているような高校生の番組で身内からメールが送られてくるのも、これまでずっと続いてきた番組を守るためっていう側面があった。
コミュニティFMのような小さな局で、しかも学生用の枠が用意されているのにそれはないって思われるかもしれない。でも、俺たちの番組だけじゃなく他の番組でも少なかったりしたら、枠どころか局自体の存続が危ぶまれることだってあるかもしれないわけで……
「うわー。これ、絶対に紅葉ヶ丘からのだ」
「またですかっ」
「絶対そうだって。ほら」
見覚えのある文面に思わず声を上げた俺は、手にしていたメールから一通を有楽へと差し出した。
「『ふたりとも、10歳ぐらい若返った気持ちで番組を進行して下さい』……って、このあいだは11歳でしたよね!?」
「その前は12歳だから、1歳ずつ上げればネタ被りにならないとか思ってるんだろ」
「るいこせんぱいがメアドとか消してますけど、バレバレですよねー……あとで明日のあっちの番組に、ネタメールを送っちゃおうかな」
「大いに結構。自由にやっちまってかまわんぞ」
ぼそっとした有楽のつぶやきが楽しそうだったんで、ついつい煽ってみる。個人情報の保護用に先輩がメールアドレスとかを消してきても、文体が似通ってればバレバレだ。
「わかりました。あっちの2年生女子コンビに、このフレッシュな1年女子が若さで目に物を見せてやりますよっ」
「女教師を演じた時点で、フレッシュも若さも過去のものじゃね?」
「過去じゃないですー! 未来を先取りしただけですー!」
ちょいとからかってやると、ムキになった有楽が身を乗り出してきた。いつものこととはいえ、これはこれで面白くてなかなかからかいがいがある。
「へー。さすけとかなって、〈すたじお〉のがらすのむこーでこんなかんじにはなしてたんですねー」
「そうだぞー。1枚1枚メールを見て、どのネタがいいのかとか選んだりしてるんだ」
妖精さんモードでテーブルにちょこんと座っているピピナが、テーブルに置かれたメールを興味ありげにのぞき込んだ。
赤いパジャマ姿で手のひらサイズ+透明の羽ってのが、ファンタジーと現実のミスマッチっぽくてまたまた可愛らしい。
「あたしたちの番組の場合は、『お題』のネタを5つ決めておくんだ。それをるいこせんぱいにカードにしてもらって、生放送の本番で松浜せんぱいが引くってわけ」
「そーなんですかー。ほーそーちゅーとちがってピピナもきこえなかったですけど、こんなふうにおしゃべりしてたんですねー」
「雑談しているように見えたが、そういう仕事も兼ねていたのだな」
ピピナに応じるように話へ加わってきたルティも、ピピナと同じ赤いパジャマ姿。お風呂に入るまで着ていた黒地に赤い模様のTシャツで、有楽といっしょに買ってきたものらしい。
「雑談しながら打ち合わせをしてるようなもんだな。『こんなネタがありますよー』って確認して、どんな感じで進めるかをシミュレーション……えっと、想定する感じでな」
「なるほど。だから〈ばんぐみ〉が始まるよりも前に〈すたじお〉へ入っておくのか」
「そういうこと。んで、明日はそれが出来ないからここであらかじめやってるってわけ」
ふむ、と納得がいったようにうなずくルティへ、さらに説明を重ねていく。




