第68.5話 ふたりの少女と『音』という名のたからもの②
「明日の録音も、この音が録れたなら絶対に大丈夫です」
「ふふっ、自信たっぷりですね~」
「当然です。私たちには、この『れこたろーくん』がいますから」
短く答えながら、れこたろーくんを胸元へ引き寄せます。
性能はもちろんのこと、こうしてみぃさんも、私自身も魅了するほどに綺麗な音を取り込んでくれたのですから……きっと、大丈夫なはず。
「『れこたろーくん』というのは、この〈あいしぃれこぉだぁ〉のお名前ですか~?」
「はいっ。愛着があるものには名前をつけると長く寄り添うことができると、小さい頃におばあちゃんから教わったことがあるので」
「まあ」
短く驚いて手を口にあてると、またみぃさんがふふっと笑いました。
「わたしも、同じようなことをお母様から言われたことがありまして~……日本で買った〈りこーだー〉と〈ふるーと〉にも名前をつけてるんですよ~」
「本当ですかっ」
「〈りこーだー〉は『くろくん』で、〈ふるーと〉は『ぎんくん』って呼んでるんです」
「それは実にいい名前です」
リコーダーはプラスチックなら黒いのが多くて、フルートなら銀色なのがほとんど。実にシンプルで、愛着が湧きそうな名前ではありませんか。
「小さい頃、お母様から木笛を授けていただいたときに『あなたの音を彩る友なのですから、名前をつけてあげなさい』と~」
「おお……なんと素晴らしい言葉」
「みはるんさんのおばあさまも、きっと身近にあるものを大切にされていた方なんでしょうね~」
「ええ。みぃさんのお母さんも……ということは、この国の王妃様がそのようなことを?」
「小さい頃の教えではありますが~」
私の問いに、ふふっとみぃさんが笑います。
「兄様方や姉様方は忘れていらっしゃるかもしれませんけど……ただ一人、志学期に音楽を選んだわたしへ授けていただいた木笛のことを思うと、どうしてもつけずにはいられなくて~」
さっきの楽しそうなものとは違う、赤らんだ照れ笑い。
ライトノベルやアニメなどで見るお姫様というのは、高貴で近寄りがたい雰囲気をまとっているものです。るぅさんには時折そう感じることがあるのですが……みぃさんには、それが一切ありません。
まるで、私たちと同じ普通の女の子みたいで。
「明日、『れこたろーくん』に『くろくん』たちの音色を保存していただくのが、とっても楽しみです~」
「あの、みぃさん」
表情を見せるのが下手で、全くしたことがないというのに。
「今回は私たちだけでしたけど……今度は、みぃさんとりぃさんもいっしょに森へおでかけをしませんか」
人付き合いなんて無縁だった私は、るぅさんの照れ笑いを見ていたらお誘いをしたくなってしまいました。
「それで、さっきのような音を背景にして『ぎんくん』と『くろくん』の音色を録るんです」
「森の音を背景に、ぎんくんとくろくんの音を……」
私の申し出にぴんとは来なかったのか、しばらく頬に人差し指をあてるみぃさんでしたが、
「それは、とってもいいかもしれませんね~!」
「でしょう?」
身を乗り出して今日いちばんの笑顔を見せてくれたあたり、ジャストフィットな提案だったようです。
「その音を、レンディアールのラジオでも流してみるのもよいのではないかと」
「なら、ぎんくんとくろくんといっしょにたくさん練習しなくてはいけませんね~」
余計かもしれないさらなる提案を、こともなげに受けるみぃさん。るいこ先輩のラジオでアカペラを歌い上げたぐらいなのですから、これしきのことではうろたえないのかもしれません。
それならば、私も全力でれこたろーくんを駆使するまでです。
「れこたろーくんといい、学校で操っていた〈ぱそこん〉といい、みはるんさんは音を操るのが大好きなんですね~」
「操る……といいますか、私は音自体が好きなんです」
「音自体、ですか~」
「はい」
短く返答しながら、胸元へ引き寄せていたれこたろーくんをテーブルへと置きます。
「私が初めて自分だけの部屋をもらった日は雨で、寝るときに電気を消したらしとしとと雨音が聞こえてきたんです。急かすわけでもなく、だからといってゆっくりすぎもしないその音を聴いていたら、そのまま気持ちよく眠ってしまいました」
今でも、その時のことはよく覚えています。
マンションから星ヶ谷市にある一戸建てへ引っ越して、私の部屋がもらえた初めての日のこと。とってもおめでたい日が雨で憂鬱だったのに、眠る間際の雨音はとっても優しくて。
「それから、私は音に耳を傾けるようになったんです。雨音だけじゃなくて、ごはんを作るときの包丁やお鍋の音とかに」
「わかります~。包丁のとんとんって音とか、お鍋が煮えてるときのぐつぐつって音は心がやすらぎますよね~」
「そうっ、そうなんですっ」
わかってます。みぃさん、音の良さのことをちゃんとわかっています!
「だから、私はいろんな人が作った音を集めたり、自分でも身近にある音を集めるようになりました。寝る前や起きるときに音が流れるようにして、いい目覚めを迎えられるようにと……今は、さすがにそこまではしなくなりましたが」
「でも、音はこうしてたくさん集めてるんですね~」
「はい。私にとって、音というものは宝物なのです」
小さい頃、おばあちゃんに買ってもらったテープ式のレコーダーを肌身離さずいたことで、引いていったまわりの知り合いはたくさんいる。それでも、私にとっては大切なものでした。
壊れて使えなくなってしまった今でも、お守りとしてかばんの中にしまっているぐらいに。
「わたしは、小さい頃はひとりで眠れなくて、よくお母様やリリナちゃんのベッドにもぐっていて……そんな時に、お母様もリリナちゃんも歌をうたってくれたり、木笛を吹いてくれたりしたんです」
私の告白を継いで、過去のことを話してくれるみぃさん。
その声はどこか懐かしそうで、思い出すかのように瞳も閉じて。のんびりとした口調も、どことなくすらすらと聞こえます。
「その歌声や音色はわたしの宝物で、どうしても忘れられなくて……わたしも、人にやすらぎを分けられる人になりたいって、そう思ったんです~」
「だから、この街にある音楽学校に入学したんですね」
「はい~」
まぶたを開いたみぃさんが、緑色の瞳をこちらへ向けて笑みを浮かべます。
まだ見ぬ王妃様に、みぃさんのそばで付き従っているりぃさん。小さい頃をいっしょに過ごしたふたりからの影響であれば、それは揺るぎのない思い出なのでしょう。
きっと、私の小さな頃の思い出と同じように。
「まだまだ未熟者ではありますが~、いつかレンディアールだけではなく、イロウナやフィンダリゼでもわたしたちの音楽を広めたいなあなんて~……ああっ、これは秘密ですよ~? ここだけの、みはるんさんとだけの秘密にしてください~」
「ええ、いいですよ」
勢い余って言ってしまったのか、あわてるみぃさんに即答しました。だったら、私だけが秘密を聞くのは不公平でしょう。
「私も、同じく秘密にしてほしいことがあります」
「なんでしょうか~?」
不思議そうにきょとんとするみぃさんを見て、私の頬がぴくりと動きます。
珍しいことに、どうやら頬が緩んでいるようで……こんなの、アヴィエラお姉さんやななみん先輩と出会った時ぐらいなのに。
「私がこのICレコーダーに『れこたろーくん』という名前をつけたことを秘密にしていただけないかと」
「でしたら、私のくろくんとぎんくんのお名前のことも~……」
「みぃさんもですかっ!」
「だって、ルティやニホンのみなさんに知られたらはずかしいじゃないですか~!」
「私も、みぃさん以外に知られたら穴を掘って埋まりますっ」
「そうですよね、そうですよね~!」
「では、ここは私とみぃさんの秘密ということで」
「はい~、わたしとみはるんさんの秘密ということで~」
話しているうちに、私たちはいつの間にかテーブルの上で手を取り合っていました。
こんなことは、初めて。
いつもふざけてみせて、人の輪からは一歩引いていた私がこんなことをするなんて。
「みぃさん、こういうときにする約束の歌って知ってます?」
「約束の歌、ですか?」
「日本に古くから伝わる歌で、こうするんです」
私はにぎったみぃさんの手をほどいて、右手の小指同士をからませていきました。
みぃさんは白くて細い指で、私は肌色でほんの少しだけ長い指。それをきゅっとからませると、指のお腹からみぃさんの体温が伝わってきます。
「ゆーびきーりげーんまーん、うーそつーいたーらはーりせーんぼーんのーます。ゆーびきーったっ」
節を付けながら、リズムごとに上下へ揺らしていた指を最後に外します。
小さな頃から、お母さんやおばあちゃんとことあるごとにしてきた約束。それを、こうして時間を飛び越えて、全く違う世界で教えることができるなんて……まるで、夢みたいじゃないですか。
「か、かわいらしい歌ですけど~、〈はりせんぼん〉ってなんですか~?」
「文字通り、とがった針を一千本です」
「そ、そんな契約を~!?」
おやおや。ただの脅し文句なのですが、本気にとられてしまいました。
「みぃさん、これはただの例えです。それだけの覚悟をもって約束しているというだけで」
「そういうことでしたか~……では、今度はわたしもやってみましょうか~」
「はいっ」
今度は、みぃさんが差し出した小指を私が小指をからめ取ります。
やっぱり、みぃさんの指はあったかくて、ほんわりとして。
「「ゆーびきーりげーんまーん、うーそつーいたーらはーりせーんぼーんのーますっ」」
さっきはひとつだった歌声が、ふたつに重なるだけでもっともっとあたたかくなるなんて……そんなこと、思いもしなくて。
「「ゆーびきーったっ♪」」
ついつい、本当についつい、私は声をはずませていました。
「ふふっ」
それがなんだかおかしくて、思わず笑ってしまいます。
「あははっ」
続いて、みぃさんからも笑い声。
それはまるで、子供のころに戻ったようで。
「これからもよろしくお願いします、みぃさん」
「わたしこそ、よろしくお願いします~」
今まで数えられるぐらいしか言わなかった言葉が、自然と出てきます。
「音仲間として、みはるんさんにはいろいろ教わらなければ~」
「私も、みぃさんにこの世界の楽器のことなどを教えていただきたいです」
「でしたら、今度こちらへ来たときは体験入学でもしてみますか~?」
「体験入学なんてできるんですかっ」
「はい~。そこで、わたしがいろんな楽器を弾いたり吹いたりして、みはるんさんが録音して~」
「それは願ったり叶ったりです!」
まだ会ったばかりの私とも、こうしてのんびりとみぃさんのペースで話してくれる。
それはとても心地がよくて、私もそのペースにいつの間にか乗っていました。
松浜くんと神奈っちがうらやましくて、いっしょについてきた異世界で。
わたしは、17歳になってから初めてのお友達と出会うことができたのかもしれません。




