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第68.5話 ふたりの少女と『音』という名のたからもの①

 スポンジの重みと革の柔らかさが、両耳を優しく包む。

 外からの声はほとんどさえぎられて、まるで小さな物音のように。プラスチックの耳当てから離した手でノートPCのソフトを操作すれば、耳元から流れ始めた音の向こうへと消えていきました。

 今、私がいるのは部屋の中。

 でも、耳元のヘッドホンから聴こえてくる音はそよ風に揺れた木々の音。

 時々甲高い鳥の鳴き声も混じって、ひとたび目を閉じれば森の光景が鮮やかに浮かんできます。

 機械的な音がなにひとつない、自然の効果音。これだけでも十分の仕上がりなのに、まだまだ続きがあるのです。

 しばらくたって、さくっ、さくっと草を踏みしめるような音が近づいてくる。

 軽やかな足音はゆっくりと、確実に大きくなっていって……唐突に、途切れる。


『神奈っち、おっけーですよ』

『あの、こんな感じでいいんですか?』


 それから5分ぐらいして被さってきたのは、私と神奈っちの声。

 低くて起伏がない私の声と違って、神奈っちの声はころころとかわいらしい。姿形は見えなくても、すぐ目の前にいるような息づかいを感じるくらいに。


『おっけーです。超おっけーです。第7話にぴったりな音が録れました』

『せんぱいの中で、7話の森の中ってこんなイメージだったんですね』

『クローンとなったウィルを見てショックを受けて、リューナが家を飛び出す……空也先輩は〈外〉としか書いていませんけど、こういう場所かなと』

『なるほどなるほど。あたしも台本を持ってくればよかったなぁ』

『帰ったら、データーをお渡ししましょう。思う存分に練習してください』

『本当ですか? えへへっ。ありがとうございます、みはるんせんぱいっ!』


 ああ……そのかわいらしい声が、私を楽しそうに呼んでくれるなんて。


『ありがとうございます、みはるんせんぱいっ!』


 ちょっと戻して、もう一回。


『ありがとうございます、みはるんせんぱいっ!』


 またちょっと戻して、もう一回。


『ありがとうございます、みはるんせんぱいっ!』


 またまたちょっと戻して、さらにもう一回。

 たまたま録れたとってもナイスなテイクに、タッチパッドを操る私の指が自然と動きます。

 ノートPCの液晶に映る音声ソフトの波形は無機的なのに、再生してみればこんなにも表情豊か。『デジタル技術は冷たい』とクッソつまらない陰口を叩く人たちがいますが、ひとたび使いこなせば暖かみを宿せるというのに……避けてしまうなんて、もったいない。

 ICレコーダー、通称『れこたろーくん』が作り出した音声ファイルだって、無機的なファイル名を「【効果音】森の中(神奈っちごほうびボイス付き).wav」にすれば、ほら、すぐに神奈っちとの愛の記憶が呼び出せる素敵なファイルになるじゃないですか。


「完璧です。実に完璧です」

「なにが完璧なんですか~?」


 耳をおおっていたヘッドホンを外しながらつぶやくと、はす向かいからのんびりとした、それでいてほわほわとした声がかけられました。


「みぃさんではないですか」


 顔を上げてみれば、みぃさん――本名・フィルミアさんが私のはす向かいに座っていつものほんにゃりとした笑顔を向けてくれています。

 肩を出した青と白のドレスの上に、よりいっそう際立つ白い絹のエプロン姿。レンガで作られたかまどを背にして座る姿は、一国のお姫様とは思えないほどに家庭的で実にグッドです。ついつい、ポケットからスマートフォンを取り出してカメラで撮りたくなるぐらいに。


「どうしたのですか、こんな時間に」

「明日の朝ごはんの下ごしらえをしようと思ったんですけど、みはるんさんが楽しそうだったのでながめていました~」

「……私などを見ていても、面白くはないですよ?」

「そんなことはないですよ~」


 つい照れくさくなって、にこにこと笑うみぃさんから視線をそらす。すっかり闇が下りた窓には私の無愛想な顔が映って……みんなみたいな華なんて、私にはないのに。


「みはるんさんこそ、ここでなにをしていらっしゃったんですか~?」

「私は、神奈っちやりぃさんたちが部屋でアナウンスの練習をし始めたので……邪魔にならないように、こちらで作業をと」

「食堂でなくても、応接室を使っていいんですよ~」

「せっかくりぃさんがお掃除したばかりなのに、すぐに使っては悪いではないですか。それに、こちらもなかなか趣きのあるいいお部屋ですから」

「でしたら、いいのですが~」


 そらしていた視線を、またみぃさんへ。

 きょとんとしていたみぃさんの後ろにあるのは、レンガ製のかまどがふたつと手押しポンプで汲み上げる石造りの水場。電気製品なんて一切ないキッチンと10人は座れる木製のテーブルは、淡いオレンジ色をした陸光星の光とよくなじんで、暖かさすら感じるほどで。

 そんな光景の中で、みぃさんはいつもそこにいるかのようになじんだ仕草で、私へ微笑みかけてくれます。


「それで、なにが完璧だったんですか~?」

「昼間に森で録った効果音が、とてもいい出来だったのです。私が思い描いていた以上に綺麗で、鮮やかで」

「〈こうかおん〉ですか~。みはるんさんの得意分野でしたね~」

「はいっ」


 ぽんっと合わせる両手がかわいらしくて、ちょっと強めにうなずく私。このあいだの学校でのことを、みぃさんは覚えてくれていたようです。


「もしよかったら、私も聴かせてはいただけないでしょうか~?」

「みぃさんがですか?」

「はい~。みはるんさんがどんな音を保存してきたのか、わたしも聴いてみたいです~」


 小首をかしげたみぃさんの短い銀髪が、しゃらんと揺れます。そんな、わくわくした顔を見せられては……


「もちろん、よろこんで」


 ふたつ返事に決まっているじゃないですか。


「ありがとうございます~!」

「それでは、このヘッドホンを。と、その前に……目をつむっていただけますか?」

「ええ、いいですよ~」


 何の疑いもなく、目を閉じるみぃさん。つぶらな緑の瞳がまぶたにさえぎられても、また別のかわいらしさが生まれて、


「では、行きます」

「わっ」


 ヘッドホンをかぶせてあがった小さい声までもがかわいらしいんだから、まったくもってたまりません。

 そのままノートPCを操作して、音声編集ソフトの再生ボタンをクリックします。そうすればさっきまで私が聴いていた効果音が再生されて、きっとまぶたには森の光景が広がって……


「はぁ~」


 あの、ちょっと待ってください。


「ああ……本当に、森の中ですねぇ~」


 まるでお風呂につかっているように、うっとりとするなんて。

 昨日いっしょに入っていたときのような表情を、この音声ファイルで浮かべてくれるとは……私まで、うれしくなってくるじゃないですか。

 ダメです、もう我慢なんてできません。


「んしょっと」


 パジャマのポケットの中からスマートフォンを取り出して、手早くカメラアプリを起動。ああっ、いいです。液晶の中に収まってるみぃさんwithヘッドホンとか、もう撮るしかないですよ。

 本能が求めるがままの勢いで、シャッターアイコンを高速でタップしていきます。パシやパシャというシャッター音はうるさいのですが、ヘッドホンは密閉型な上にそこそこの音量があるWAVファイルなので届くことはないでしょう。私だって、みぃさんが食堂へ来たことに気付かなかったのですから。


 きっと、みぃさんの今の意識は森の中。森へ行けばこのような姿は見られるのでしょうけれども、食堂でこんなに美しい表情を撮ることができるとは……ナイスです。ナイスですよ、私。


「なるほど~」


 おっと。

 ひとつ、くすりと楽しそうに笑ったところでみぃさんがヘッドホンを外そうと手を両耳に伸ばしました。いけません。ばれないようにスマートフォンをしまわないと。


「確かに、森の音に満ちています~」

「日本にも森はあるのですが、私たちが住む街からは遠かったので絶好の場所でした」


 ヘッドホンを外すのを手伝いながら、みぃさんの感想に応えます。本場に住むみぃさんの言葉なら、十分な太鼓判と言えるでしょう。


「でも、この音をどうするつもりなんですか~?」

「『dal segno』の効果音に使います。もうすぐ収録する場面でこういう森の中の音が欲しかったのですが、既存のものではどうしてもしっくりくるものがなくて……でも、この音なら大丈夫です。きっと、いいシーンになるはずです」

「それならばよかったです~。『だる・せーにょ』はわたしも大好きなので、どんな場面になるか楽しみですよ~」

「かなり重要なところなので、私もななみん先輩と神奈っちの演技がとても楽しみです」


 いくらいい効果音が録れたとしても、この音に乗っかる演技がなければ始まりません。でも、ななみん先輩が演じるリューナと、神奈っちが演じるエリシアであればきっと大丈夫なはずです。

 ファンタジーの世界から来た本場の人たちを、こうしてとりこにするぐらいなんですから。


「みぃさんも、今度学校へ収録を見に来ませんか?」

「そのお誘いはうれしいんですけど~……わたしは最後まで〈らじお〉を通して聴いてみたいです~」

「なるほど、それは一理あるかもしれません」


『dal segno』はあくまでもラジオドラマ。目の前で演技を見るのも迫力はありますが、やはりラジオを通して聴くのが本分とも言えるでしょう。


「でも、リリナちゃんは演じ方の参考にと行きたがっていましたから~。そのときは、よろしくお願いしますね~」

「はいっ、お願いされましたっ」


 異世界の王女様からのお願いとなれば、聞かないわけにはいかないでしょう。


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