第66話 異世界少女たちと広げる、ラジオの輪①
ソプラノリコーダーの音色が、石造りの広間に響く。
小学生になると当たり前のように吹いたり聴いたりして、日本ではとてもなじみの深い音色。でも、今それを吹いている4人は誰もが日本人じゃない。
青く長い髪を三つ編みでまとめて、着ている執事服の背中から透明の羽を生やした長い耳の女の子。
その子がふたまわりくらい小さくなったような、緑のドレス姿の女の子。
執事服の女の子より背が少し小さくて、紅いブレザーを着た長い銀髪の女の子。
そして、その中でいちばん背が高い、青いドレスを着てリコーダーを吹く短い銀髪の女の子。
リリナさんとピピナに、ルティとフィルミアさん。その誰もがソプラノリコーダーの吹き口をくわえて、メロディーを奏でていた。
4人が吹いているのは、民謡〈実りを願う〉。このあいだ赤坂先輩の番組でフィルミアさんが歌ったレンディアールに伝わる民謡を、今度は4人がソプラノリコーダーのユニゾンでゆったりと吹いている。
フィルミアさんが歌った時には願いを込めたような、時にはか細く、時には力強いメロディーだったのが、音の高低で変わる音量とシンプルな音色であたたかく心にしみていく。
リリナさんは淡々と、それでいて落ち着いた表情で。ピピナは小さな手で懸命にトーンホールを押さえながら楽しそうに。ルティは細い指で音を操りながら、真剣に楽譜を追って。フィルミアさんは、みんなを見やりながらいつものほわほわな笑顔で。
みんながみんな、それぞれのスタイルで吹いた音色が合わさって、4人のだけの音色を作り出していた。
俺の右隣にいる有楽は、スマートフォンを横向きにしてムービーの撮影中。左隣にいる中瀬は、昨日俺たちに見せてくれた4万円のICレコーダーをマイクブームに吊して録音中。ふたりとも真剣な目つきで、4人の姿やリコーダーの音色を懸命に収録している。
いつもと全く違うふたりの姿に戸惑うこともなく、小さな舞台に立っているルティたちはリコーダーの演奏を楽しんでいた。
窓からの陽射しが、フィルミアさんの銀色の髪を柔らかく照らして。
穏やかなそよ風が、ルティの長い銀髪をそっと揺らして。
見上げるように視線を向けたピピナへ、リリナさんが片目をつむってみせて。
みんなが作り出す音楽を初めて聴いた俺まで、自分が笑っていることに気付いて。
でも、楽しい時間には必ず終わりがやってくる。
ゆったりとしたリズムがさらに緩やかになって、一拍おいてから低めの音色が優しく、小さく伸ばされて……部屋に、静寂が戻っていく。
そして、しばらくしてリコーダーの吹き口から口を離すと、
「以上、わたしたちによる〈りこーだー〉の合奏で『実りを願う』でした~」
フィルミアさんがぺこりと頭を下げて、続いてルティたちも――
「お見事です、フィルミア様っ!」
「おわっ!?」
ぼーっと眺めていた俺の後ろから、男の子や女の子たちの歓声が押し寄せてくる。振り向くと、金髪や赤い髪とか、色とりどりの髪をした男の子や女の子たちが興奮しながら拍手や歓声を送っていた。
「エルティシア様も素晴らしいではないですか!」
「いつもツンツンしてた妖精さん、あんな優しく吹けるなんて……」
「小さい妖精さんもかわいかったねー。あたし、初めて見たよ!」
「〈りこーだー〉って面白い音色だな」
「うん、木笛とはずいぶん違うね」
「うおぉ……こいつはすげえ」
席が階段状になっているせいか、一番下の最前列にいる俺たちにまでいろんな声が降ってくる。フィルミアさんたちにも聞こえているのか、ルティは顔を真っ赤にしてピピナはぶんぶんと手を振っている。ほんわか笑顔のフィルミアさんとキリッとしているリリナさんは、平常運転らしい。
世界は違っても、興奮すればみんなで語りたくなるのはこっちでも変わらないのかもな。
「フィルミア様、その〈りこーだー〉という楽器はたくさんあるのですか?」
「大変もうしわけないんですけれども、そんなにないんですよ~。でも、楽器工房科のファジペコフ先生にお願いしてありますので、そう遠くないうちに購入できるようになると思います~」
「おう、ワシが一本一本作ってやるからな!」
「ファジ先生お手製ですか! よっしゃ、吹く! 絶対吹きます!」
「ずるいっ、あたしだって吹きたいよっ!」
「だ、大丈夫、大丈夫ですよ~。器楽科のみなさんに行き渡る分を作ってからということですから~」
「お前ら、楽しみにしておけよ!」
「「「やったぁぁぁぁぁ!!」」」
おお、いつもほんわかなフィルミアさんが生徒のみんなや先生に圧されてる……というか、年が俺らに近いせいか昨日まで会った人たち以上にフレンドリーなんだな。それでも、王女様に敬語なのはさすが国の人たちってところか。
「セドレア先生、本日はお時間をいただきありがとうございました~」
「いやいや、新しい楽器の紹介ということであれば歓迎ですよ。みなさん、素晴らしき音色を奏でた王女様姉妹とリーナ姉妹に拍手を!」
いちばん上のいちばん後ろでずっと様子を見ていた白髪のおじいさん――セドレアさんにうながされて、大きな教室に拍手が巻き起こる。俺たちもいっしょに拍手をすると、ただ顔を赤くしていたルティが右手をひらひらと振ってようやく笑顔を見せてくれた。
ヴィエルに来てから4日目。滞在最終日を迎えた俺たちは、ヴィエルの音楽学校へとやってきていた。
『リコーダーを音楽学校に紹介したいから、みんなでいっしょに来てほしい』ってフィルミアさんからお願いされたのは、昨日の物見やぐらでの受信実験前のこと。軽い気持ちでOKしたら、器楽科の教室にある席が全部埋まった上に先生まで勢揃いで、ビビるは緊張するわでもう大変。
「お疲れ様。ルティ、ピピナ」
「おお……サスケか」
「いっきょくだけなのに、なんだかつかれたですよー……」
でも、今回いちばん緊張したのはこのふたりだろう。
「終わってから、いろんな人に話しかけられてたもんねー。よしよし、よしよし」
「……かなにだきしめられてほっとするとか、ピピナはつかれすぎなんでしょーか」
「るぅさん。かむ、かむ」
「だ、大丈夫だ。大丈夫だから」
騒ぎから抜け出した教室の片隅で、おなじみの5人になってひと息をつく。ピピナを捕獲した有楽はそりゃもうよだれが垂れんばかりのゆるゆるな顔で、失敗した中瀬はちっと舌打ちしながら指を鳴らしていた。
お願いだから、日本の学生のダメさ加減を異世界の学校で撒き散らさんでくれ。
「それで、我らの演奏はどうであった?」
「ああ、とってもよかった。ずいぶん練習したんじゃないか?」
「うむっ。こちらへ帰ってから、皆でいっしょにたくさん練習したからな。そうか、よかったか」
「よかったよ! あたしたちにとってリコーダーは当たり前だけど、新鮮に聴こえてもう最高っ!」
「もちろん、曲がやさしいというのはあるでしょう。それを差し引いても、素朴であたたかい演奏だったと思います。ぴぃちゃんも、りぃさんといっしょに楽しそうでしたね」
「たのしかったですよー。ねーさまと、それにミアさまとルティさまとよにんでいっしょになにかをするなんて、のーさぎょーいがいじゃはじめてです」
「ピピナもよくがんばったな。フィルミアさんとリリナさんは……」
途中から苦笑いしながら、未だに騒いでる後ろを振り返ると、
「フィルミアさまっ、私とぜひ重奏を!」
「だめだよっ、ボクが先にここへ来たんだっ!」
「あ、あのっ、みなさ~ん。〈りこーだー〉が来たら、わたしもいっしょに吹きますから~、そんなにあわてなくても~」
「……がんばってる最中か」
さっきまで4人で吹いていた舞台で、すっかり生徒さんたちに囲まれていた。
「皆様落ち着いて下さい。フィルミア様との〈りこーだー〉重奏権は抽選とさせていただきます。これより、ニホン式の決着競技である〈ジャンケン〉で決定いたしましょう」
「「「なにそれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」」」
「り、リリナちゃん~!? わたし、そんなの頼んでませんよね~!?」
「ニホンでは、選ばれし者を決めるための由緒正しき選考方法だと聞いたのですが」
「……おいコラ、有楽」
「な、なんのことですかー?」
目を逸らして口笛を吹いてるあたりで確定だろうが。しかも、上手いもんだから余計腹が立つ。
「姉様が、こんなにも学校で人気だったとは」
「そりゃあ、王女様だしなぁ。ルティは人気だって知らなかったのか?」
「ヴィエルへ移住してから、こちらへ来たことはほとんどないのだ。劇場で、ミア姉様を始めとした生徒の演奏を聴いたことはあるのだが」
「なるほど」
「だから、我もこういった形で音楽学校に来るとは思わなかった。ましてや、今まてしたことのない楽器の演奏で」
「ピピナもですよ。このすがたでであるくことだって、ほとんどないですから」
「ご苦労であったな、ピピナ」
「ルティさま……ああっ、かなもいーですけど、ルティさまもとってもあったかいですー……」
ピピナがふらふらとルティへ抱きつくと、ルティは優しくピピナの頭をなでて労をねぎらった。そっか、俺たちは人間サイズのピピナを見慣れているけど、こっちじゃあんまりこの姿になったことがないのか。
「エルティシア様、友人の皆様」
聞き覚えのある声がしたほうを見ると、さっき生徒へ拍手を促した白髪のおじいさん――セドレアさんが俺たちのほうへと近寄ってきた。小柄なわりには大きく、はっきりとして聞き取りやすい声は教室に来る前の自己紹介から印象的だった。
「おお、これはセドレア殿」
「本日はフィルミア様とともにお越しいただいた上に、演奏までしていただきありがとうございました」
「私のほうこそ、拙い演奏ではありましたが聴いていただいて幸いです」
やせて骨張った顔をほころばせて、セドレアさんが深々と頭を下げる。ルティは来たばかりのピピナを放すわけにいかなかったようで、抱き寄せたままセドレアさんへ軽く会釈を返してみせた。
「いえいえ、木笛とはまた違う笛の音色に思わず聴き入ってしまいました。ひとつの旋律を多くの奏者で吹くというのも、実にいいものですな」
「私もそう思います。姉様とピピナとリリナに、その楽しさを教えていただきました」
「ならば、いつものように我が音楽学校に入るというお話は」
「いつも通り、大変心苦しくはあるのですが」
「それは残念」
交わしている言葉は仰々しいけど、セドレアさんもルティも軽口を叩き合うように言ってるってことはいつもこんな感じなんだろう。
「今は、皆といっしょに〈らじお〉を作るのでせいいっぱいなものでして」
「そういえば、〈らじお〉の長をされているのでしたな」
「ここにいる皆を始めとした、異国から来た友人たちとともに準備を進めております」
「ピピナもいっしょですよっ」
と、ルティに抱きついていたピピナがもぞもぞと動くと、抱きとめられていた腕の中でくるりと振り返って元気に言ってみせた。
「そういうことでしたか。いや、フィルミア様がこの笛と共に不思議な機械を持ち込まれて、薦められるがままに待っていたら様々な曲が聴こえてきたものですから……昨日は、まことに驚きました」
「あのように、音楽やヴィエルにおける話題などを〈らじお〉を通じて伝えようかと考えております。朝にも生徒の皆へ伺いましたが、よく聴こえたようですね」
「聴こえましたとも。学校長も、他の学科の教師たちも皆興味津々で聴き入っておりましたよ」
「好評ならばよかったです。ゆくゆくは、街中へとあの機械とともに広めていければと」
「では、なおさら学校になど入っている暇はありませんな。ぜひとも、音楽に携わる者が奏でた音楽を街中へと広めていただきたいものです」
「はいっ。仲間たちとともに、正式に開局できるよう邁進していきます」
期待するようなセドレアさんの言葉に、ルティが自信を込めて応える。まだ少しずつではあるけど、こうしてラジオのことが街の人たちへ広がっていくのか。
「もし我が校で協力できることがあれば、なんなりと申しつけて下さい。出来る限りの力添えはさせていただきましょう」
「ありがとうございます。私や姉様方も何かできないかと考えておりますので、そのあかつきには是非ともよろしくお願いいたします」
「もちろんですとも。異国から来られた御友人方も、何かあった際には私へ声をかけて下され」
「はいっ。何か思い浮かんだときには、ルティたちといっしょにまたここへ来ますね」
「セドレア先生からも、いい案があったらいつでも待ってますからねっ」
「またこちらへ来た時に、いろんな音を保存させていただきたいのですが」
「いいですとも、いいですとも。この年にして新しい境地と出会えるとは、実に楽しい」
そう言うと、セドレアさんはふぉっふぉっふぉっと笑いながら俺たちから離れて……あ、生徒さんたちが並んでる『フィルミアさんといっしょにリコーダーが吹ける権』の列に並んでいった。もしかして、セドレアさんもやる気なのか。
「なかなか面白い先生だな」
「うむ。姉様が歌ったり演奏する際によく会うのだが、気さくなお方だぞ。木笛やタムルーテを演奏する名手でもあるから、皆で聴きに行ったりもするのだ」
「それは、今度是非とも録音させていただきたいです」
「いいですね。『名手による録音集』とかラジオで流してもいいかもっ」
「それもなかなかいい案だな」
「セドレア殿だけではなく、教員の方々や卒業生の方々に声をかけるのもよいかもしれぬな。みはるん、その時は頼めるだろうか」
「当たり前です。やってやりますよっ」
ルティからのお願いに、中瀬がふんすと高級ICレコーダーを軽く突き出して快諾する。
まだまだ番組内容が揃いきってないから、こういうときに具体的な案が出てくるのはとてもありがたい。ましてや、普段はおふざけに走りやすい中瀬がこうしてやる気を見せてるってのも見ていて安心する。
「んじゃ、しっかりと企画書を作って説明できるようにしないとな」
「ああ。では、その打ち合わせを兼ねて昼食と参……りたいところではあるが」
そこまで言って、ルティが視線を向けた方へとみんなで向き直る。
「じゃん、けん、ぽんっ!!」
「うわぁぁぁぁ負けたぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「やったっ、フィルミア様といっしょに演奏できるよっ!!」
「1回戦、人差し指と中指を開いて出した方のみが勝ち抜きとなります」
「な、そ、そんなっ。リリナ嬢、教師枠でさせてもらうわけにはっ!」
「いくらセドレア殿でも、競技に参加された以上は……そこ、今指の出し方を変えましたね。失格とさせていただきます」
「えぇぇぇぇぇぇぇ!?」
「ううっ……やっぱり、みなさんとも吹きたいですよ~……」
生徒さんたちがリリナさんのまわりで群がって、当のリリナさんは堂々と手のひら――パーを天にかかげているというシュールな光景が広がっていた。
その隣にいるフィルミアさんが、涙目っぽいというか、いつも元気にぴょこんと跳ねてる銀髪がへにょんとしおれてるように見えるんだけど……
「……姉様たちが終わるまで、待っているとしよう」
「……そだな」
割って入れない空気もあって、俺たちはただ見ていることしかできなかった。




