第59話 異世界少女(?)と授業のお時間①
大きな部屋の真ん中にある、大きく四角い机。
それぞれ4人ずつは座れそうな机に向かっているのは、俺と中瀬と有楽の3人だけ。
いつもなら奇行をしたり騒がしかったりするふたりだけど、さすがに高校のテスト勉強っていうこともあってか、静かに教科書とにらめっこしてノートへと書き込んでいる。
白地に荒々しく「絶品」って筆書きされたTシャツ姿の中瀬は、俺の真向かいで世界史の教科書と格闘中。赤地に黒のボーダー柄なパーカーを羽織った有楽は、数学Ⅰの教科書とにらめっこしながら中瀬のほうを見たりして、
「あのー……みはるんせんぱい。ちょっと教えてください」
「なんでしょうか」
「えっと、整式のほうがちょっと」
「乗法ですか? それとも、減法でしょうか?」
「あ、あははははは……加法も含めて全部です」
「……神奈っち、数Ⅰの最初も最初じゃないですか」
「す、数学は苦手なんですよー! 中学の頃からずーっと!」
時々、こんな風に中瀬へヘルプコールを仕掛けていた。
「その前に聞きたいのですが、何故神奈っちは松浜くんに聞かないのでしょう」
「せんぱい、数学はさっぱりだから聞くなって」
「松浜くん?」
「俺に聞くのは絶対やめとけー」
そんな俺が目を通しているのは、現代文の教科書。このあいだまで授業でやっていた『世界が忘れた落とし物』っていう短編小説を改めて読み解いてるわけだけど『〈スパナのような骨〉を隆春がどのような思いで振りかざしたか』とか言われても、なにが満点の正解になるのかとかさっぱりわからない。そのあたりの描写が、原作でもバッサリ切られてるしさ。
「数Ⅱはいったいどうするんです?」
「桜木姉弟直伝の一夜漬けで」
「あたしも数学はそうしようと思ったんですけど、やっぱり不安で」
「神奈っちはよくわかってます。松浜くんは、そのまま赤点になってしまえばいい」
「残念ながら、俺や先輩のヤマはよく当たるもんでな」
「ロクデナシな先輩後輩ですねっ」
「はっはっはっはっ」
1年1学期の中間テストで40点を取って、焦って期末で数Ⅰ重視にしたら他の教科まで巻き添えのボロボロだったからそうしたってまでですよ。ええ。
「まったく、進学はどうするつもりなんだか」
「俺は日文学科志望だから、数学とかほとんど関係ないし。数Ⅲもとるつもりねえし」
「で、本命でポカをかますパターンと」
「予言すなっ!」
相変わらずの無表情で言うもんだから、思わず身を乗り出してツッコんじまった……学年順位ひとケタの常連に言われたら、シャレにならねえよ。
イロウナ商業会館での騒動から、一夜明けた午前中。
朝飯を食べ終わった俺たちは、空き部屋を借りて高校の中間テストに向けた勉強をしていた。
ここにはもちろんテレビがないし、携帯ゲームも持って来てない上にスマホは通信不可。その上フィルミアさんが音楽学校へ行ってルティがリリナさんから講義を受けているから、何の誘惑もなくひたすらに勉強に打ち込むことが出来た。
とはいっても、朝8時から2時間ほとんどぶっ続けで勉強していれば、さすがに飽きもしてくるわけで。
「松浜せんぱい、午後の用意はできてます?」
「ああ。中瀬のほうは大丈夫か?」
「当たり前じゃないですか。国境地帯へ行くということで、装備はしっかり整えてきました」
だらだらとした雰囲気になっていくうちに、外出する午後のことへと話が移っていた。
「装備?」
「はい。とりあえずは、こんなものを」
中瀬は身をかがめると、机の下からテーブルの上へカバンを置いてそのままチャックを開けた。続いて中から取り出したのは、大きめなマイクつきのICレコーダーともこもこした風除け――ウインドスクリーンに、縮めてあるモップのハンドル?
「ICレコーダーとウインドスクリーンはわかるけど、モップのハンドルとかどうするんだよ」
「それはもちろん、このように使うのです」
自信ありげに言った中瀬が、ICレコーダーのストラップをモップのハンドルの先へとフックのように引っかける。その部分を養生テープでグルグル巻き付けて、毛でもこもこしたウインドスクリーンをマイクに取り付けてからハンドルを伸ばすと――
「てれれてっててーん。マイクブームー」
「自分でSEを付けんな」
どこぞの青い猫型ロボットが道具を取り出したみたいに、自信ありげなポーズをとりながら即席の竿――正式名称『マイクブーム』を掲げてみせた。
「これって、よくテレビの収録とかで見かけるやつですよね? いったい何に使うんです?」
「もちろん、効果音の収録に決まっています」
「中瀬、お前ついに収録まで手を出すのか」
「だって異世界ですよ? 『dal segno』にぴったりなんですよ? 異世界の町とか自然の効果音なんて、録りたくて録れるものではないじゃないですかっ」
「そりゃあ、確かにそうかもしれないけど……つーか、このレコーダーいったいいくらするんだよ。立派な画面とかボリュームとかたくさんあるし」
「4万円ですね」
「よ、よんまっ……!?」
こ、こいつ、高校2年生にして、個人で4万円のレコーダー持ちだと……!?
「思えば、今日という日のためにこの子と出会ったのかもしれません。バイト代を持って秋葉原を歩いていたらこの子が目に止まって、この2つのマイクの輝きがまるで『買って? ねえ、ボクを買って?』と言っているかのようで……ついついお年玉まで使って買ってしまったのですが、今日、いよいよ、この日が、この子のデビュー戦となるのですっ!」
「わかったから! わかったからその大事な子を俺に突き付けるな!」
ぶつかるから! ぶらーんぶらーんしてぶつかるから! 無表情で力説も怖いから!
「クリアな環境音をXYマイクで取り込み、そのマイクもオプションで取り替え放題。バッテリー満充電からの録音時間は20時間以上で音質も44.1キロヘルツ16ビットから192キロヘルツ24ビットまでと至れりつくせりとくれば、効果音どころかライブのハイクオリティな収録まで可能なわけで……ああっ、レンディアールの皆さんが演奏する楽器や歌の収録なんていいですね。絶対素晴らしいですねっ!」
すっかりスイッチが入ったみたいで、いつもは抑揚の無い中瀬の声にどんどん興奮が混じっていく。つーか、目がぐるぐるしてるぞコイツ!
「あの、どうされたのですか? 少々騒がしいようで――」
「りぃさん、ひとこと」
「ひっ!?」
「こらっ、リリナさんにぶつかるだろうがっ!」
ドアを開けて部屋をのぞき込んできたリリナさんへ、中瀬がマイクブームに釣られたICレコーダーをずいっと突き付けた。ほら、リリナさんびびってるからやめなさい!
「な、なんなのですか? このごつごつとした機械は」
「あー、中瀬ご自慢のICレコーダーらしいです」
「あいしぃれこぉだぁ……ルイコ様が持ってらっしゃるのに比べて、かなり大きいようですが」
「その分高性能なのが、この『ろくじぇい』くんのお利口なところです」
「『くん』付けかよ」
そのうち、ほおずりとかなでなでとかしたりせんだろうな。話しかけたりとか、絶対にやめてくれよ。
「ところで、リリナさんはどうしてここへ? もしかして、うるさかったですか?」
「それがないとは言いませんが、エルティシア様への講義が終わったので様子を見に来たのです。勉強をなさると仰っていたのに、まさかおしゃべりに興じているとは」
「いやー、2時間もぶっ続けでやってるとさすがに飽きてきちゃって。ルティちゃんは休憩中?」
「エルティシア様ならば、先ほどピピナとともに買い物へ出られました。ふたりで、昼食用のサンドイッチ作りに挑戦してみるとのことでしたので」
「サンドイッチ……るぅさんとぴぃちゃんの手作り……」
「おーい、よだれ、よだれ」
「はっ」
俺が指摘したとたんに、後ろを向いた中瀬がごしごしとハンカチで口の周りをぬぐう。向き直ってまた無表情になった顔がちょっと赤いのは、ご愛嬌ってことにしておこう。
「じゃあ、あたしも手伝ったほうがいいのかな」
「そのあたりは大丈夫かと。先日、ピピナにある程度のことは教えておきましたから」
「そっか。最近のリリナちゃん、ピピナちゃんとすっかりなかよしさんだね」
「皆様のおかげです。近頃は、いっしょにベッドで眠ってくれるようにもなりました」
「そこにあたしが入る余地はあるかな?」
「私も」
「ねーよ。姉妹の大切な時間を邪魔すんな」
気持ちはわからなくないけど、さすがに仲直りしたての姉妹の間に入るのはどうかと思うぞ。
「では、りぃさんも昼頃までは予定がないというわけですか」
「そうですね」
「では、少々お願いをしたいのですが」
「はい。私にできることであれば、なんなりと」
無表情のまま目を輝かせている中瀬を見てると、また何を言い出すんだって不安が――
「せっかくこの場にいらっしゃったので、りぃさんに授業をしてもらえないかと」
「授業、ですか?」
「はい。この世界のことを、私に教えてほしいのです」
芽生えたところで聞こえてきたのは、意外にも普通のことだった。
「えっ……ああっ。確かに、みはるん様にはまだ説明しておりませんでしたね」
「ただ『レンディアール』という異世界があると聞いて街を歩いたっきり、まだ何も知りません。私もラジオ作りのお手伝いをするからには、基本は押さえておきたいです」
「それいいですねっ。松浜せんぱい、いい機会だからあたしたちも詳しく教えてもらいましょうよ!」
「そりゃあ、俺も願ったり叶ったりだけど……リリナさん、大丈夫ですか?」
「ええ。そういうことであれば、喜んで授業をさせていただきます」
俺たちのお願いに、執事服でメガネ姿のリリナさんがにっこりと応えてくれる。背中の透明の羽も軽くぱたぱたしているあたり、うれしい申し出だったらしい。
昨日、商業会館から帰ってからはずっとルティといっしょにアヴィエラさんに付き添ってくれていたし……本当、頭が上がらないや。
「ありがとうございます、リリナ先生」
「リリナせんせー」
「りぃさん先生ですか。確かに、そのようなたたずまいにも見えますね」
「せ、先生だなんて。私、複数の人たちへ教えるのは初めてなのですが」
「大丈夫だよ。ルティちゃんにやってるみたいに教えてくれれば」
「そうそう、いつも通りで」
「では、そのようにいたします」
ちょっと顔を赤くしながら、リリナさんはまんざらでもなさそうに机の近くにある黒板の前へと立った。




