第56話 異世界"商"女をとりまく事情②
「さすけ、ルティさまたちをおふろへあんないしてきたですよー」
「おう、あんがとさん」
「なんだ、ピピナが皆様を呼んできたのか」
「はいですっ。さすけがおふろからあがるのをまって、すぐににわにいたみんなをよんできたです」
「気がはやるのはわかるが、慌てすぎると誰かに気取られてしまうぞ」
「だいじょーぶですよ。そんなへまはしません」
「そうだといいのだがな」
小さい背格好で、えっへんと大きめな胸を張ってみせるピピナ。リリナさんもそこそこ大きい方だから……やっぱり、姉妹ってことなんだろうな。うん。
「では、この後はエルティシア様とサスケ殿からの指示通りに」
「すいません、リリナさん。なんだか変なお願いをしちゃって」
「構いませんよ。別に悪いことを頼まれているわけではないですし、私としても皆様から伺ったことは気になるので」
かぶりを振ったリリナさんから、笑みがすうっと消えていく。
ルティやピピナと相談した結果、もうひとりだけブローチのことで協力してもらおうと決めたのがリリナさんだった。
ピピナ同様に術を使えるのもそうだけど、トラブルさえなければ一番冷静に判断ができそうだっていうのも大きな理由だった。
全員に事情を話して、アヴィエラさんを疑って欲しくないっていうのもあったけど……こればっかりは、どう転ぶかによって変わるのかもしれないのが怖い。
「ありがとうございます。ピピナ、ブローチの場所はわかるか?」
「えーっと……はいっ、あったです。やっぱりだついじょーからそんなけはいがするです」
「そっか」
脱衣場か。脱衣場ね。
……脱衣場かー。
「というわけでリリナさん、結界のほうをお願いします」
「わかりました」
小さくうなずいて、目を閉じたリリナさんが一瞬にして姿を消す。
あの紅いブローチに結界を張ってもらって、一時的に外からの音を遮断してもらおうって腹づもりだったんだけど……さすがに、男の俺が現場に立ち会うわけにはいかないもんなぁ。
「ねー、さすけ」
「ん?」
俺に声をかけたピピナが、ぽふんと隣に座って不安そうに見上げてくる。
「あのほーせき、なんなんでしょーね」
「さあ、な」
「わるいことに……つかわれたり、しないですよね?」
「それはない……って、思いたい」
やっぱり、ピピナもそれが心配だったか。でも、朝イチで来た時から張り切ってたし、田植えのときだってすっ転んで泥だらけになっても面白そうに笑って楽しんでたし、アヴィエラさんが悪用するなんてことはないと思う。
もし、悪用するのだとしたら――
『先代からの会長就任2周年祝いだって、じいに渡されたんだ。イロウナの代表なんだから、外に出るときゃこれをつけろってうるさくってさ』
『友達……? ああ、こちらの王家は平民もそのように差配するのでしたな』
『くれぐれも〈商姫様〉へ無礼のないように』
「どっちかっていうと、イグレールのじいさんが怪しいんだよ」
「あのいけすかないおじーさんですか」
「言うね、お前も」
「だって、ほんとーのことじゃないですか。ともだちをさげすむよーなめでみるし、アヴィエラおねーさんのことばもききながして、あんなたいどはないですよっ!」
ぷんすかぷん、と長い耳をぴんと立たせながら怒るピピナ。
「って、あれっ?」
だけど、すぐにはっと気付いたように俺を見上げて、ぴんと立たせていた耳がへにょんと垂れていった。
「なんか、じぶんでいっててぐさぐさささってきたですよ……」
「あれは不可抗力だったんだって。俺にも原因があったのは確かだし」
「むぅ」
「泣くな泣くな」
自分で言ってて、涙が浮かぶくらいショックだったのか。でも、よくよく思い出してみればリリナさんとピピナとも出会った頃は険悪だった。今こうしてのんびりとしゃべってるのが信じられないぐらいに。
「ピピナとは、ちゃんと話してわかりあえたからいいんだよ。じいさんとも話せばわかる……って思いたいけど、もしあのブローチをじいさんが何らかの目的で渡したとなると、俺らはずいぶん疑われてそうなんだよなぁ」
「ピピナたち、なにもわるいことはしてないですよ?」
「俺たちはしていなくても、そう思う人がいてもおかしくないってことだ。俺たちはいつも意識してないけど、ここに住んでるイロウナの人たちにとって、アヴィエラさんはいちばん偉い人なんだからさ」
ヴィエルの人たちは、素直な人たちが多いと思う。もちろんルティやフィルミアさんと付き合いがあるのはもちろん大きいんだろうけど、気軽に話しかけてきてくれたり、こっちからの話題にも乗ってきてくれたりする。
でも、イロウナの人たちからしてみたら俺たちは異国人だし、じいさんみたいに国の代表とも言える人にひっついてるのを快く思ってない人がいてもおかしくはない。
「なんか、いろいろめんどーですねー」
「まあ、全部想像でしかないけどさ。アヴィエラさんに聞いて、それから判断しようぜ」
「はいですっ」
涙を引っこめたピピナが、にぱっと笑って大きくうなずく。やっぱり、ピピナはそうでないとな。
それからしばらくの間、俺とピピナは紅いブローチのことからは離れて、ルティと始めたリコーダーのことや若葉市で見つけたらしい美味しそうな食べ物屋さんのことを話した。
日本にいるときはいつもは赤坂先輩のマンションに泊まってるピピナも、先輩がいないときにはルティと出かけたりしてずいぶん日本生活をエンジョイしているらしい。
普段みんなでいる時は1対1で話すことがなかなかないから、さっきのリリナさんやピピナとの会話ってのはなかなか新鮮だった。落ち着いたら、ルティにフィルミアさん、そしてアヴィエラさんとも改めてしゃべる場を作ってみたいな。
「ただいま戻ったぞ」
「ふー、さっぱりしたぁ」
ルティとアヴィエラさんが応接室へ入ってきたのは、ふたりで話し始めてからたっぷり経ってからのこと。紅いブレザーと着替えらしいまっさらな白いドレスを着たふたりの顔は、まだ風呂上がりだからかほんのりと赤かった。
そして、それ以上に紅い石のブローチは相変わらずアヴィエラさんの胸元につけられている。
「おかえりですっ」
「おかえり。って、リリナさんは?」
「リリナは、ミア姉様とカナにみはるんを連れて上へ行ったぞ。なんでも〈かめら〉でいろんな服を着た姿を撮影してもらうそうだ」
「は?」
「ね、ねーさま……」
『なんとか足止めをお願いします』とは言ったけど、そんなことはまったくお願いしてない。お願いしていないのに……やっぱり、リリナさんはどんどん染まってきてるよ。うん、間違いなく有楽に染めらていってる。
「では、アヴィエラ嬢はそこへおかけになって下さい。私がお茶をいれますので」
「あっ、ルティさま。ピピナがやるからいーですよ。アヴィエラおねーさんとすわってまっててください」
「ん? いや、しかし」
「いーんですいーんです」
ピピナはぱたぱたと入口近くのワゴンへ向かうと、慣れた手つきで茶こしへ茶葉を入れて、鉄皿と熱い石で保温された鉄瓶からティーポットへとお湯を注いでいった。
「おっ、ピピナちゃんも結構やるじゃん」
「もしかして、リリナが?」
「はいですっ。ねーさまがたくさんおしえてくれたから、ピピナもやってみたかったですよ」
楽しそうに進めていくひとつひとつの仕草に、凛としているリリナさんとはまた違うかわいさがある。懐中時計を見ながら待つ様も、ティーポットからカップへとお茶を注ぐ姿も、小さなメイドさんって感じがしてとても微笑ましい。
「サスケものむですか?」
「もらおうかな。カップ、そっちに持っていくよ」
「ありがとーですっ」
ピピナがいるワゴンへカップを持っていくと、ルティとアヴィエラさんの分に続いてお茶を注いでくれた。白いカップに深く紅い色が映えて、湯気からするお茶の香りも心地いい。
「おまたせですよっ」
そのまま、流れるような動きで4つのカップを載せてテーブルへと戻っていく。俺が持って行ったカップを初めに俺のところへ置いて間違えないようにしたあたり、喫茶店の息子な俺から見ても満点の対応だと思う。
「ありがと、ピピナちゃん」
「ありがとう、ピピナ。がんばって覚えたのだな」
「ねーさまのおてつだいをして、やってみたくなっただけですよ。ピピナもいっしょにのむですね」
「ああ、いただきます」
「いただきますっと」
「いただきます」
ルティの正面に座って、俺もいれたてのお茶に口をつける。そのまま口へ含んで飲み下すと、ほどよい温かさと、少し甘めなぶどうの香りと味が口からのどへと駆け抜けていった。
「おおっ。美味いね、このお茶」
「これは……リリナがいれるのとは、また違う味わいだな」
「ルティさまたちのたうえちゅーにおかいものへいったら、このあいだのくだものやさんで〈くれでぃあ〉のしろっぷをつくってたですよ。ねーさまとあじみをしたらおいしかったからいれてみたですけど、どーですか?」
「うむ、美味しいぞ。味の主張が強いクレディアと聞くと意外だが、こうして飲んでみると納得の味わいだ」
「ほんとーですか!?」
「ああ。アタシもひとくち飲んで『美味い!』って思ったね」
「俺も。さっきリリナさんが入れたのは香り中心で、ピピナが少し多めにシロップを入れたのは味わいがあってどっちも美味いよ」
「えへへっ、そーいってもらってよかったです!」
うれしそうに笑って、ピピナがぱたぱたと背中の羽をはためかせる。ルティもアヴィエラさんも、そして俺自身も落ち着けた、ちょうどいい香りと温かさのお茶だった。
「それで、アヴィエラ嬢。先ほどお誘いした件ですが」
「ああ、話があるんだっけ。〈らじお〉の話かい?」
「いえ、その……少々、伺いたいことがありまして」
「伺いたいこと、ねえ」
少し言いづらそうに切り出したルティに対して、きょとんとしながら受け止めるアヴィエラさん。少し首をかしげながらお茶を飲み続けてる姿からは、やっぱり何かを企んでるとかそういう気配は感じられない。
「その胸元にある紅い宝石ですが、サスケによると先代の会長殿からいただいたとか」
「そうだよ。就任2周年の祝いとか中途半端にも程があるけど、じいたちからもしつこく言われてさ」
「ですが、アヴィエラ嬢の美しき姿によく似合う輝きだと思います」
「ありがと」
その上、ルティからの褒め言葉も素直に受け止めている。これもまた、アヴィエラさんは何も知らないって材料になりそうだ。
「アヴィエラさん。そのブローチって、やっぱり魔石なんですか?」
「そうみたいだね」
「みたい、って」
「だって、ただ魔力が脈打ってるだけだもん。じいに聞いても知ってるのは先代だけだっていうし、アタシよりずっと高位だから調べようもないもんさ」
「なるほど」
続いて俺もたずねてみたけど、あっけらかんと言われるとこれ以上はお手上げだ。こうなると――
「あの、アヴィエラおねーさん」
あとは、ピピナに託すしかない。
「ピピナは、そのほーせきがどんなものかがみえてるんですけど」
「えっ、ホント!?」
って、テーブルに手をついて乗りだしてきたよ!?
「は、はいですっ。その……なんといーますか……」
「なになに? どんな働きなんだい?」
その上、わくわくしながら目を輝かせてたずねてくる。
やっぱりシロだよ。絶対にシロだ。これでクロだったら、とんでもない演技派だ。
「えっと……そのいし、どうも〈こえ〉とか〈おと〉をすいとるみたいなんです」
「は?」
で、ぽかーんとしてるし。
「声とか、音を吸い取る?」
「はいです」
「……それまた、何のために?」
「それを聞きたかったから、こうしてアヴィエラさんを呼んだんですよ」
「へー」
そして、なんでもないように相づちを打つと、
「ふーん……」
つけていたブローチを外して、耳元に近づけて、
「えぇぇぇぇぇぇ……?」
ためいきをついてから、戸惑うようにそのブローチを見つめていた。




