第54話 異世界少女たちと異世界の宴③
ふたりでしゃべっているうちに通り過ぎそうになっていたみたいで、振り向くと有楽は立ち上がって大きく手を振っていた。
「ヴィラ姉もいっしょだったんだね。こんばんはっ!」
「こんばんは。相変わらずカナは元気だね」
「これがあたしの取り柄だからねー」
えへへーと笑いながら有楽が端の席へと移動して、空いたところにアヴィエラさんが座る。ちょうど、端にいる俺のはす向かいってところだ。
「有楽はコモモのサラダにしたのか」
「はいっ。このあいだ食べたらおいしかったから、これがいいかなって」
「いいチョイスだ」
有楽がトングで皿に取り分けていたのは、その名の通りプチトマトみたいなサイズの桃を使ったコモモのサラダ。グリーンリーフやきゅうりのような野菜と、酢を使ったシンプルなドレッシングを混ぜ合わせたサラダで、甘みも酸味も楽しめる独特のサラダだ。
「おお、アヴィエラ嬢ではないですか」
「こんばんは、アヴィエラさん~」
3人で雑談をしていたら、両手に大皿を持ったルティとフィルミアさんが席へと戻ってきた。こんがりと焼けた鶏肉からスパイスと鶏の美味そうな香りが漂ってきて、胃袋がぐっと鳴りそうになる。
「こんばんは、エルティシア様とフィルミア様。店先でサスケと会ったんだけど、いっしょにいいかな?」
「もちろん構いませんが、食事のほうは?」
「いいのいいの。ハシゴの締めでたまたまサスケに会っただけだから、アタシにはこのスープがあれば十分。ちゃんとアタシの分は自分で買ってあるよ」
にんまりと笑いながら、アヴィエラさんがぽんぽんとスープ入りの木製バケツを叩く。一瞬俺へ目配せしたあたり、アヴィエラさんのおごりだってことは言わないでおこう。
「わかりました。ただ、皆で取り分けやすいものを選びましたので、もしよろしければアヴィエラ嬢も」
「こっちもオマケで大盛りにしてもらったから、ヴィラ姉もいっしょに食べよ!」
「ありがと。んじゃ、スープのつまみにちょいちょいもらうか」
ルティと有楽の勢いにおされたのか、アヴィエラさんはちょっと困ったように笑ってみせた。ふたりからスプーンとフォークに取り皿まで差し出されたら、そりゃあ断るわけにはいかないよな。
「わわっ、アヴィエラおねーさんです!」
「こんばんは、アヴィエラ嬢」
続いて戻ってきたのは、ふたりしてパンの入ったかごを持って飛んでいるピピナとリリナさん。そのままぱたぱたと飛んでくると、フランスパンのように長く焼かれたパンから香ばしい匂いが漂ってきた。
「妖精さんたちもこんばんは。ちょっとお邪魔してるよ」
「おねーさんならだいかんげーですよ!」
「ええ。おまけで少々多めにしていただけたので、アヴィエラ嬢もぜひ」
「ピピナちゃんとリリナちゃんもか。って、後ろにいる子は誰だい?」
「…………」
笑顔のピピナとリリナさんの後ろにいる中瀬に気付いたらしく、きょとんとしたアヴィエラさんが声をかける。その中瀬も、じーっと無表情でアヴィエラさんを見つめ返していた。
「俺と同級生で、中瀬海晴って子です。中瀬、この人はこっちでお世話になってるアヴィエラ・ミルヴェーダさん。イロウナって国の出身で、商業会館の会長をしてるんだ」
「初めまして。ミハル、でいいのかな?」
「はい、それで結構です」
「えっ」
『みはるん』じゃないのか?
俺と同じことを思ったのか、有楽もルティもその言葉で呆気にとられていた。
「松浜くんや神奈っちと同じ放送部で、音をいじったりしている中瀬海晴です。よろしくお願いいたします」
「よろしく。アタシはサスケの紹介通り、イロウナって国の商業会館にいるアヴィエラだ。よろしくな」
「はいっ。あの、アヴィエラお姉さんと呼んでもいいでしょうか?」
え、笑顔だと……? 中瀬の満面の笑顔なんて、初めて見たぞ!?
「ああ、いいよ。カナからも『ヴィラ姉』って呼ばれてるし、構わないさ」
「では、そう呼ばせていただきますね」
自然に装ってアヴィエラさんの隣に座ったあたり……こいつ、アヴィエラさんに早速懐いたのか? しかも、持って来た魚らしい揚げ物のあんかけを早速アヴィエラさんへ取り分けてるし。
「ではでは~、みなさんがそろったところでそろそろお食事にしましょう~」
「は、はいっ。みはるん、こちらにも日本と同じように食前のあいさつがあるから、姉様に続いて言ってはもらえないだろうか」
「もちろん。郷に入ったので、郷に従います」
「ありがとう。では姉様、お願いします」
「はい~」
ルティに話を振られて、のんびりと返事をするフィルミアさん。そのにこにことした笑顔のまま両手を胸の前で握って、そっと目を閉じると、
「日々の実りに感謝を。そして、これからの実りへ祈りを」
静かな声で、ゆっくりとつぶやいて、
「『日々の実りに感謝を。そして、これからの実りへ祈りを』」
俺たちも、後を追うようにその言葉をいっしょにつぶやいた。
「なるほど。〈豊穣の国〉にふさわしい、素晴らしいあいさつです」
「日本の『いただきます』もよいが、我はこのあいさつも好きだ。それでは、そろそろ食べるとしよう」
「はーいっ」
フィルミアさんのあいさつとルティの振りで、みんなが有楽の用意したスプーンやフォークを手にして思い思いの料理を口にしていく。
俺が最初に口にしたのは、ルティとフィルミアさんが買ってきたこんがり焼いた鶏肉に香辛料のペーストをのっけたもの。ひとくち食べれば、最初は甘みとコクのあるようなカレーみたいな味が広がって、粒々した種のようなものをプチッとかじると……おおっ、粒マスタードみたいに辛い。辛いけど、ペースト自体の甘さも混じって鶏肉とよく合うわ。
「これ、パンにのっけてもよさそうだな」
「それは名案だ。我もやってみるとしよう」
俺に続いて、右隣の席に座っているルティがパンのかごに手を伸ばす。フランスパンのように長いパンではあるけど手ですぐにちぎれるほどふかふかで、鶏肉をのっけて食べてみるとパンの香ばしさと合わさってとても美味い。
「このお魚のあんかけもおいしいですねー」
「アヴィエラお姉さん、なにか食べたいものはありますか?」
「大丈夫だって。ミハルは、ミハルの好きなものを食べな」
「わかりましたっ」
向かいの女の子3人組も、それぞれ思い思いにいろんなものを食べている。中瀬がちょいと怪しい動きを見せてるけど、まあ害はなさそうだし放っておこう。
「リリナちゃん、コモモ食べますか~?」
「いただきます。って、そんな、切り分けていただかなくても」
「いつも、リリナちゃんには切り分けて出してもらってますからね~。今日は、わたしの番ですよ~?」
「フィルミア様ったら……わかりました。ありがたくいただきます」
ルティの隣に座っているフィルミアさんは、テーブルの上でちょこんと座るリリナさんへコモモのサラダを取り分けてあげていた。相変わらず仲の良い主従だ。
「…………」
そんな中で、リリナさんと同じようにテーブルへちょこんと座っていたピピナは、じーっとアヴィエラさんのほうを見ていた。
いつもだったら、おいしそうなものがあるとすぐがっつくってのに。
「ほら、ピピナ。これ食べるか?」
「えっ? あっ、はい。いただくですよ」
俺の言葉にはっとして、慌てたように笑顔を浮かべるピピナ。俺がフォークに刺した鶏肉を差し出すと、そのままかぶりついてもぐもぐとしっかり噛みだした。
「っ!?」
その直後、ぷちっていう音がピピナのほうから聴こえてきた。
「かっ、からひれふっ、からひれふー!」
そのまま、じたばたともがき始めるピピナ。しまった、あの粒は辛すぎたか!
「ほらっ、これ飲みな」
「はっ、はひっ」
それを見たはす向かいのアヴィエラさんが、すかさず小皿にそそいだスープをピピナへ差し出す。
「ふー……たすかったですー」
それを盃のようにあおったピピナは、ちょっとほっとしたように大きく息をついた。
「その粒はピリッと来るから、ピピナちゃんにはちょっと避けておいたほうがいいかもな」
「ごめんな、ピピナ。俺でも辛かったってのに」
「からいのがにがてって、ピピナがいってなかったからしかたないですよ。アヴィエラおねーさん、ありがとーです」
「いいのいいの。このあいだニホン行きのお返しだって思って」
「じゃあ、そーゆーことにしておきます」
「ピピナ、少々甘いもので口を整えてはどうだ?」
「わわっ、こももですー!」
にこっと笑うピピナへ、ルティがコモモを切り分けた皿を差し出す。さっそく両手でとって食べてるあたり、よっぽど辛かったんだろうな。
「ミハルは、ニホンじゃどんなことをしてるんだい?」
「私は、ラジオドラマ……あの、『音声劇』でわかりますか?」
「ああ、ルイコに聴かせてもらったからわかるよ」
「その音声劇に加えるいろんな音を、考えたり選んだりする役目です」
「音って、後で付け加えるんだっけ。そっか、そういう役目もあるんだな」
自然に話題を切り替えて、アヴィエラさんが何気なく中瀬へ話を振る。さっきからちらっちらっと見ていたのに気付いたわけじゃないだろうけど、さっきのピピナのことといい、やっぱりよく目が行き届いてるよな。
「あれっ。ピピナちゃん、ぼーっとしてどうしたの?」
「えっ? な、なんでもないですよ?」
首をかしげた有楽へ、ピピナがぶんぶんと首を横に振ってまたコモモをかじりだした。
それからも、時々ぼーっとしては俺やルティに声をかけられていたけど……こいつ、いったいどうしたんだ?
* * *
「ふぃー……食った食った」
ベッドに腰掛けて、ぱんぱんになった腹をさする。
屋台街での夕飯を食べ終わった俺たちは、時計塔の自室へと戻ってそれぞれの時間を過ごしていた。
買った食べ物は店の人たちがずいぶんおまけしてくれたらしく、結局はアヴィエラさんがいてもちょっと多いぐらいの量だった。さすがに残すのもどうかと思って、取り残された食べ物はできるかぎり俺が食べておいたわけだけど、
「ねみーなー……」
昼間のラジオの疲れもあってか、満腹感と眠気がまぶたを下へ、下へとぎゅうぎゅうに押し込んでくる。
日本時間に換算すれば、まだ夜の9時前。さすがに今から寝たら夜明け前に目が覚めそうだし、深夜ラジオリスナーとしてはもうちょっと起きておきたい。早寝でもしたら、今後の寝落ち率も高まるし。
「とりあえず、明日の用意でもしておきますかね」
眠気払いにぐーっと伸びをしてから、床に置いたバッグをベッドの上へと引き上げる。中に入っているのは、このあいだ父さんに教えてもらいながら作った無電源ラジオといつものポケットラジオに、着替えと勉強道具だ。
今回の目的は、無電源ラジオの使用テストに送信キットの放送試験。あとは、ルティとフィルミアさんが中瀬に街を案内するらしい。こっちへ滞在する72時間を日本の12時間分に圧縮するってリリナさんが言ってたから、空いてる時間は試験勉強に活用させてもらおうと考えていた。
でも……今日は、さすがにもう無理だ。たぶん、教科書をちょっと読んだだけで眠気にKOされる。とりあえず、ルティから送信キットを借りてきて無電源ラジオの調整でも――
「サスケ、いるか?」
と、ベッドから立ち上がろうとしたところで、ドアをノックする音とルティの声が聞こえてきた。
「ああ、いるぞ」
「少々話があるのだが、いいだろうか」
「おう」
立ち上がってドアを開けると、パジャマのような薄いオレンジ色の寝間着を着たルティと、その肩にちょこんと座るピピナの姿があった。
「ひとここちついてるところに来てしまって、もうしわけない。部屋へ入ってもいいか?」
「別にいいけど、どうしたよ」
「うむ。ピピナが、少なからず気になることを言っていてな」
ドアを大きく開けて部屋へ招き入れると、ベッドの横にある机に備え付けられた木の椅子を引いてルティへ座るようにすすめる。ルティが椅子へ、そしてピピナが机へ座ったのを見計らった俺は、ドアを閉めてベッドへ腰掛けた。
「気になること?」
「……あの、ですね」
当のピピナは言いよどんで、屋台街のときよりも浮かない顔を俺に向けている。それを振り払うように首を横に振ると、意を決したのかはっきりと口を開いた。
「きょうアヴィエラおねーさんにあったとき、なんかようすがおかしいところとかなかったですか?」
「様子がおかしかったところ? そんなの全然なかったし、どっちかっていうとピピナの様子がおかしいのが気になってたんだけど」
流味亭の前で会ったときからアヴィエラさんはいつもみたいに気さくだったし、いっしょに食べているときだってみんなと楽しそうに話していた。全く、おかしいところなんてなかったはずだ。
「そーですか……」
「ピピナには、気になることがあったのか?」
「はいです」
こくんとうなずいてからも、相変わらずピピナは浮かない顔。この表情、はじめてヴィエルへ連れてこられてきたとき以来じゃないか?
「さすけは、ピピナがそらをとぶこえをきくことができるってしってるですよね?」
「ああ、初めて会った頃にそう言ってたよな」
「そのこえが、アヴィエラおねーさんがつけてたあかいほーせきへ、ぜーんぶすいこまれてたですよ」
「えっ?」
「ピピナのこえも、リリナねーさまのこえも、さすけとかなのこえも、ルティさまとミアさまのこえも、みはるんのこえも。それに……」
いつになく、真剣で思い詰めたピピナの言葉には重みがあって、
「アヴィエラおねーさんのこえも、みんな、みーんな、すいこまれてたです」
「あのブローチへ、全部?」
「はい。もしかしたらなんですけど、ピピナたちのかいわがあのいしにためこまれてたのかもしれません」
心配そうなまなざしからは、それが本当なんだってことはよくわかるんだけど、
「貯め込まれていたって、保存されていた……? でも、俺たちの会話なんて保存してどうするんだよ」
「我もそれは気になったのだが……」
「アヴィエラおねーさんのようすもおかしくなったですし……わからないんですよねー」
どうしてもその理由がわからなくて、俺たちは揃って首を傾げることになった。




