第49話 異世界少女たちと音芝居①
『ね、ねえ……なんなの、その、棺みたいな箱は……』
『棺? バカにしないで。これは、お兄ちゃんが遺した希望の箱だよ』
『希望の箱?』
『なんだ。お兄ちゃん、お姉ちゃんには教えてなかったんだ……いっしょにお仕事をしていたのに』
頭上のスピーカーから、女の子の声が降り注いでくる。
片や、大人びた女の子の震えるような声。
片や、可愛らしい声色なのにわざとらしく嘲るような幼い声。
『これは、もう一度生まれるための箱。お兄ちゃんが、この部屋へ大事に隠していた日記にあった……お兄ちゃんを、もう一度生まれさせるための箱』
『っ! まさか、エリシアちゃん!?』
『あははっ、気付くのが遅いよぉ。今度は、あたしがお兄ちゃんをひとりじめしちゃうんだから』
『ダメ! それだけは……命の輪を乱す行為だけは、絶対ダメっ!』
『そんなの、あたしには関係ない』
震える声は、すがりつくような絶叫へ。
可愛らしい声は、突き放すようなつぶやきへ。
『もう、二度と奪わせないんだから……あたしの、大好きなお兄ちゃんを』
『ダメっ! 開けちゃ、それを開けちゃダメぇ!』
「ふむ、神奈くんの突き放し具合も堂に入ってきたね」
「七海せんぱいがほんとにすがりついてきそうでしたから、ここは突き放さなくちゃって思って」
「いい心持ちだ。ここは振り払うような意気でなくては」
「はー……」
「本当に、おふたりが演じてるんですね~……」
その声の主である桜木七海先輩と有楽のやりとりを、リリナさんとフィルミアさんがお揃いの紺色のスーツ姿で目を丸くしながら眺めていた。
「何度聴いても演技とは思えぬ気迫を、ナナミ嬢とカナは持ち合わせていると思います」
「ピピナもまいしゅーきーてますけど、ふたりのやりとりからはみみがはなせないですよー」
その隣で、いつもの紅いブレザー姿のルティと緑のドレス姿のピピナが揃ってうんうんとうなずく。
「空也先輩、録音レベルはこのくらいでいいですかね?」
「うーん……前半のモノローグが小さいから、もうちょっと音量を近づけたいところだね。音割れしないようにリミッターかけながら調整かな」
「わかりました」
で、俺は桜木空也先輩と肩を並べてPCのモニターとにらめっこ。目の前の液晶モニターには音の波形が目に見えるように映し出されていて、編集用のソフトを使いながら音量を調整していた。
みんなで秋葉原と銀座へ行ってから、4日後の木曜日。
前日にラジオドラマ「dal segno」第4話の収録を終えた俺たち放送部員は、若葉南高の放送室奥にある調整室で録音状態をチェックしていた。
今回はほとんど二人芝居状態ということで、七海先輩と有楽は椅子にも座らず壁の上にあるスピーカーを見上げて仁王立ち。俺と空也先輩は、感情の起伏が激しい回だったこともあって編集ソフトで録音レベル――音量が大きすぎていないかを慎重に確認。で、ヴィエルでの公務や学習が少なめだったルティたちが見学しに、うちの高校へ来ていた。
大学のゼミで来られない先輩の代わりにルティとピピナが道案内をして来たあたり、ふたりとも相当若葉市の地理になじんできたらしい。
「ルティ君だけではなく、お姉さんやお友達にも聴き入っていただけたようでよかったです」
「普段こういう劇を見たり聴いたりはしないんですけど、真剣な演技というのは惹きつけられるものなのですね~」
「私は物語を読む際に場面を想像しながら読むのですが、こうまで生々しいやりとりを想像したことは……おふたりは、どのように想像しながら演じてらっしゃるのですか?」
「ボクは、19歳で新婚早々夫を事故で亡くした女の子を想像して『この子ならどうするか』ってのを考えます。置かれた状況をひとつひとつ自分で考えて消化して、自分のものにしていって」
「あたしは、大好きなお兄ちゃんをとられた上に死なれちゃって、感情が壊れかかった10歳の女の子の気持ちを考えてるかな。そういう立場になったことはないけど、もしそうなったらっていうのを夜中のベランダで座りながらずっと考えるんだ」
「おや、奇遇だね。ボクは夜明け前に公園のまわりを走りながら考えてた」
「そこまでなりきろうとするのですか」
「この物語の中にいるのは、ボクたちじゃなく『リューナ』と『エリシア』だから。かけらでもボクたちらしさを出したら、物語は壊れちゃうよ」
「なるほど~」
少しおどけながら、でも真剣な目つきで話す七海先輩に、リリナさんとフィルミアさんがうんうんとうなずく。このあいだのルティといい、どうも「dal segno」はレンディアールの王家姉妹を惹きつけるものがあるらしい。
「さすけ、このぎざぎざはなんですかー?」
「うおっ!? こ、こら、潜り込んでくるなっての」
チラチラとそのやりとりを見ていたら、調整卓の下を潜り込んできたらしいピピナの姿が膝下から現れた。そのままんしょんしょと俺の膝の上に座って、抗議を気にすることなく液晶を指さしてきたあたりはやっぱりフリーダムだ。
「これは、人が出した声を見えるように記録したもの……って言えばいいんですかね?」
「いい答えだ。ピピナさん、僕が『はい』って言ったら、このマイクに向かって何かしゃべってみてくれるかい?」
「はいですっ」
俺が手放したマウスをにぎって、空也先輩が手早く編集ソフトで新規ファイルを作っていく。
「はいっ」
そして、赤い丸マーク――録音のボタンをクリックして、
「ピピナですよー。ピピナ・リーナですよー!」
ピピナがしゃべりやすいように、わかりやすくマイクに手を差し出してみせた。ピピナも楽しそうにマイクへ向かってしゃべってるあたり、狙いは上手くいったらしい。
「じゃあ、おしまい。そうすると……ほら、こんな感じにギザギザが出てくるんだ」
「わー」
黒く四角い停止ボタンを押してしばらくすると、編集ソフトの画面にずらずらと黒い波形が描かれていく。
「これが、ピピナさんの声の記録。再生するから、聴きながらこのギザギザをよく見てみてね」
『ピピナですよー。ピピナ・リーナですよー!』
「わわっ、ほんとにギザギザにあわせてきこえてくるですよ!?」
「ほほう、そのように見えるのですか」
「このあいだ歌ってくれたルティさんの歌も……ほらっ、このとおり」
「私の歌を、まだ保存して下さっているのですか! ……なるほど、声の強弱に合わせて、ノコギリのような線が大小に波打っていますね」
先輩が『ルティくんのうた.wav』というファイルを開いてみれば、長めの波形がウインドウの中にずらずらと描かれていった。その直前に『ピピナくん、しゃべる.wav』というファイルを手早く保存していたのは、気付かなかったことにしておこう。
「ルティくんのギザギザもピピナくんのギザギザも、この画面の中に収まってるよね。松浜くんは、ギザギザがこの画面からはみ出さないように調整しながら見張ったり、音と音を繋げたりする仕事をしているんだよ」
「はみ出さないようにと仰いますが、この線がはみ出してしまったらいったいどうなるのですか?」
「うーん……そうだねえ」
あ、今先輩が笑った。くちびるの端でニヤッと笑ったぞ。
「このあたりがわかりやすいんじゃないかな」
『桜木七海、15歳。ボクの世界は、ボクが作る……そして、この学校をボクの世界にしてみせる!』
「なっ、何をしてるんだ空也!? それはボクが入部したときの!」
「クリッピングしたらどうなるかってのを、ルティちゃんに聴かせてあげてただけだよ」
スピーカーから格好付けたような声が流れてきたかと思ったら、いつも大胆不敵な七海先輩が血相を変えて空也先輩へ詰め寄った。って、まさか、これって七海先輩の!?
『この学校をボクの世界にしてみせる!』
「ほら、最後らへんでプチプチッて聴こえてくるのが、音が大きすぎると出てくる致命的な雑音なんだ」
「なるほど」
うん、確かにクリッピングノイズが聴こえてますね。叫んでるところでプチプチって言ってる。
『この学校をボクの世界にしてみせる!』
『この学校をボクの世界にしてみせる!』
『この学校をボクの世界にしてみせる!』
「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
何度も再生させてプチプチって言わせてるけど、悶えてる七海先輩の頭からも聴こえてるような気がするのは気のせいだろう。うん、きっとそうだ。
『この学校をボクの世界にしてみせる!』
「それじゃあ松浜くん、あとは頼むねー」
「待てぇぇぇぇぇぇぇぇ! ぎゃんっ!?」
空也先輩は七海先輩の懐をくぐり抜けると、猛スピードで調整室、そして放送室から出て行った。それを追って七海先輩も調整室を出て行って……あ、扉にぶつかった。
「な、何だったのだ? 今のは」
「時々こうしてじゃれ合うんだよ。桜木姉弟は」
「せんぱいたち、お互いをからかい合うのも好きですからねー。そっかぁ……七海せんぱいって中二病だったんだ」
「中二病っていうより決意表明だろ。空也先輩ってば、ご丁寧に隠しフォルダまで作って保存してまあ」
「あの、カナ様、サスケ殿。『チューニビョー』とはいったいなんなのでしょうか?」
「えっ」
首をかしげるリリナさんに、思わず言葉が詰まる。よく有楽が使ったりクラスのゲーマー連中が口にはしてるけど、こう実際説明するとなると難しいな。
「『中二病』っていうのは、中学校の2年生にあたる14歳ぐらいになると物事を背伸びして見たくなって、それを表に出した時のことを示す……って、事務所のせんぱいが言ってたよーな」
「14歳……我の〈らじお〉作りもそう言えるのだろうか」
「違う違う。どっちかというと『大人びた』ってのがぴったりだろ」
「ルティちゃん、最初に会ったときはもうちょっと年上に見えてましたからね」
「どっちかとゆーと、ちょっとまえまでのねーさまのほーがあいたたたた!?」
「ピピナ、何を言うのかな?」
「なななななんでもないですぅ!!」
ピピナが何かを口走りそうになったところで、リリナさんが空いた席から身を乗りだしてピピナの左耳をぎゅうぎゅうと引っ張る。羽を隠すときに耳も丸くして人間っぽく見せてるはずが、伸びたせいでいつもの妖精さんっぽく見えていた。
でもリリナさん。その前から耳をぴくぴくさせてたあたり、もしかしてちょっとは心当たりがあるんじゃ……
「ほらほら、リリナちゃんも抑えて~」
「うー、ちょっとしたじょーだんだったのにー」
「今のはピピナの失言だな。リリナ、それくらいにしておいてくれないだろうか」
「わかりました」
苦笑しながらのルティのお願いで、リリナさんがピピナの耳から手を離す。うーうー言いながら耳をさすっているけど、確かに今のはピピナの失言だろう。
「話を戻すが、声が大きすぎると雑音が混じるというのはよくわかった。やはり、我らも〈らじお〉を始めるにあたっては気をつけたほうがいいのだろうか」
「そうだな。このあいだ教えたけど、送信キットにボリュームがあるだろ」
「うむ。ぐるぐる回って、途中で止まるものだな」
「ああ。それを右に回すとしゃべったり音楽を流すときの音が大きくなるわけだけど、許容量を超えたらさっきの七海先輩の声みたいに雑音が乗るんだ」
「んーと、あっちで注意したほうがよさそうなのは……飲食店街と市場あたりかな」
「カナが言うとおり、あのあたりでは喧噪が多いからな。留意しておこう」
ひとつうなずいたルティが、手にした小さなノートにボールペンでメモをとっていく。先輩と有楽に買ってもらったのをしっかり活用しているみたいで、ノートはもう半分以上使われていた。
「おはようございます」
と、調整室のドアを開けて少し背が高めな女の子が入ってくる。




