第47話 異世界少女たちの音楽事始め①
『次は、銀座、銀座。五越、竹屋前です。乗り換えのご案内です。銀座線、丸ノ内線はお乗り換えください。The next station is Ginza. Please transfer here for the Ginza Line, and the Marunouchi Line.』
「サスケ、〈ギンザ〉ということは次で下車すればいいのだな?」
「おう、もうすぐだぞ」
地下鉄の車内放送に耳を澄ませていたルティが、目をぱちっと開いて俺にたずねてくる。
「有楽、ピピナ、そろそろ下りるぞ」
「はーいっ」
「わかったですよー」
目の前で座席に座っていたふたりに声をかけると、外を見るために脱いでいたピピナの靴を有楽がはかせてあげてから、そろって席を立った。
「アヴィエラ嬢、ともに参りましょう」
「ありがと、エルティシア様。サスケ、ちゃんと見てないとふたりで迷子になるからな」
「やめてくださいよ!」
手を握ったアヴィエラさんとルティが、そろってニヤリと笑ってみせる。日曜日の繁華街で迷子になられたりしたら、ケータイも持ってないんだし苦労するでしょうが。
そんなやりとりをしているうちに、車両が少し揺れてだんだんスピードが落ちていく。
『出口は、右側です』
車内放送が流れるのとほぼ同時に、真っ暗だった外の景色に光が射す。すべり込んだ銀座駅のホームには人がたくさんいて、向かいに止まっていた反対方向への電車へ次々と乗り込んでいた。
『銀座、銀座。中目黒行きです』
開いたドアから外へ出ると、続いて人が流されるように下りていく。ホームの半ばで振り返って待っているうちに、手を繋いだルティとアヴィエラさん、そして有楽とピピナがそれぞれ手を繋いで俺のところへやってきた。
『5番線は、発車いたします。閉まるドアにご注意下さい。駆け込み乗車はおやめ下さい』
「乗っているときから思っていたのだが、ずいぶんていねいに案内するのだな」
「東京の地下鉄はたくさん路線や行き先があるから、乗り間違ったりしないように案内してるのかもな。時間通りに走らないといけないし」
「なるほど。他の国の言葉でも案内しているあたり、なかなか行き届いているものだ」
「アタシはもうちょっと静かなほうがいいよ。ほら、〈デンシャ〉で女の人が案内してた声ぐらいにさ」
「『本日も、日比谷線をご利用いただきましてありがとうございます』って感じに?」
「おおっ、そうそう。さすがはカナ。声で仕事をしてるだけあるな」
「えへへー」
アヴィエラさんのほめ言葉に、有楽が照れ笑いを浮かべる。確かに本職っぽくきこえるあたり、なかなかのものだ。
「んじゃ、そろそろ上に行くぞー。有楽、後ろから見ててくれな」
「りょーかいしましたっ」
有楽の返事を確認してから、先導するようにエスカレーターに乗り込む。俺の後ろにピピナがいて、続いてルティ、アヴィエラさん、有楽って順番だ。
若葉駅で初めてエスカレーターに乗ったときには慌てていた異世界組も、今はもう慣れたみたいでちゃんと立ち止まって上へあがるのを待っている。自動改札機へ向かったあとも、ちゃんと投入口に切符を入れて改札機を通過していた。
「さすけ、このあとはどーやっていくんです?」
「んーと、A2出口だって言ってたけど……ああ、あったあった。あの階段を上るんだ」
「またかいだんですか。ちょっとめんどーですね」
「地下に潜ったり地上に昇ったりだからな」
ピピナとふたりで苦笑し合いながら「A2」と書かれた案内板わきの階段を上がって行く。
そんなに長くない階段を上ると、さっきまでいた秋葉原と同じでこっちも快晴。車道を大勢の人が歩いてるってことは、こっちは歩行者天国でもやってるのかな?
「うわー……」
「これは……」
上がって少し歩いたところで、アヴィエラさんとルティのため息交じりの声が上がった。
「すごいですねー!」
そして、隣にいたピピナが感激したように声を上げる。ふたりと同じように見上げながらってことは、
「すごいって、高い建物がか?」
「そーですよっ! レンディアールじゃ、こーんなにたかーいたてものはおしろととけいとーぐらいですっ」
俺の問いかけに、両手を広げたピピナが飛び跳ねながらかわいらしく驚いてみせた。確かに、前を向いても後ろを向いても道の両脇には高いビルだらけ。見ようによっては今にも迫ってくるような迫力があった。
「でも、さっきの秋葉原も同じようなものだったろ」
「いやいや、全然違うよ。地面の下から上がって最初にこれを見せられたら、とんでもない迫力だって!」
「左様。アヴィエラ嬢が仰る通り、こうしていきなり見せられると……ん? なぜ〈クルマ〉用の道を人が歩いているのだ?」
「ああ、今日は歩行者天国なんだ」
「ほら、あの看板に12時から18時までって書いてあるでしょ。休日のこの時間は特に混雑するから、安心して歩けるように車道――えっと、車用の道も使って人が歩けるようになってるんだ」
「なるほど、歩行者用の道での混雑を緩和するためか」
「〈クルマ〉なんてないアタシたちの世界には、なかなか縁のない話だね」
「でもでも、ひろいみちであるくのはたのしそーですっ!」
俺と有楽の説明に、異世界組のみんながそれぞれの反応を見せる。って、こらこら。
「わわっ、なんでえりをつかむですかっ!?」
俺の前を横切っていこうとする妖精さん(子供サイズ)の襟をつかんだら、じたばたされたあげくに文句まで言われた。
「これからまだ用事があるってのに、遊んでどうする」
「用事が終わったら、またこっちに来ようね」
「うー、わかったですよ」
不満そうなピピナではあったけど、有楽がなだめたらあっさりと引き下がってくれた。
秋葉原で買い物を済ませた俺たちは、また地下鉄に乗って同じ路線にある銀座へ来ていた。とはいっても、俺たち自身に用事があるわけじゃなく、ここで用事をこなしてる人がいるってことなんだけど。
「っと、ここだな」
その人たちがいるのは、駅の出口から道なりに歩いてすぐのビルの中。
「でかっ!?」
「こ、これが楽器を扱う店だというのか!?」
目の前の入口はガラス張り。見上げた外壁もタイル状に並べられたガラスだけど、こっちは淡かったり濃かったりと、いろんな色合いの金色に彩られている。高さはさっきまでいたラジオマーケットの倍以上で、そのてっぺんには「KAWANA」――日本の有名楽器メーカー「カワナ音楽館」のロゴが堂々と掲げられていた。
「きんきらきんですねー!」
「いやー、俺も初めて見たけど……すげえな、こりゃ」
「このあいだは見る余裕がありませんでしたけど、こうしてみるときれいですねー」
「ん? このあいだって、こっちに来たことがあるのか?」
「ほら、このあいだ言ってたオーディションのスタジオがこの近くだったんです」
「あ」
「って、そこで固まらないでくださいよ! まだ結果も出ていないんですから!」
言葉に詰まった俺へ、有楽が抗議の声を上げる。
ちょうど1週間前にアニメのオーディションを受けた有楽に、まだ当落の連絡は来ていない。あまり触れるものじゃないから話題には出さなかったんだけど、今のところは言われたとおりにしておいたほうがよさそうだ。
「あー……ごめんな。んじゃ、今のはノーカンで」
「それでいいんです、それで。それじゃあみんな、行こっか」
「うむ」
「あいよっ」
「はいですっ」
元気な有楽の呼びかけで、みんなが店へと入っていく。楽しんでる邪魔をするのも悪いし、俺もいつも通りでいることにしよう。
店の中に入ると吹き抜けのイベントスペースみたいになっていて、その真ん中にはグランドピアノが置かれている。看板にはピアノリサイタルの案内が出ていて、14時から次の回が始まるらしい。
だけど、俺たちの目的はこっちじゃない。スペース右手側にあるエレベーターはもうピピナが上へのボタンを押していて、すぐにドアが開いて俺たちを迎え入れてくれた。
「先輩たち、4階でしたよね」
「ああ。アヴィエラさん、押してみます?」
「いいのか? んじゃ、押させてもらうよ」
他に乗った人が別の階を押していく中で、まだ押されていなかった「4」のボタンがアヴィエラさんに押されて点灯する。それからすぐに扉が閉まって、少し浮き上がるような感覚が俺たちを襲う。
「まだまだ慣れないね、この上へあがってく感覚ってのは」
「そのうち慣れるでしょう。我も、今は楽しみにしている感覚です」
苦笑いを浮かべるアヴィエラさんと、言葉通りに楽しそうなルティ。このあたりは、来日経験の差らしい。
2階、3階と止まって人が降りたり乗ったりして、少し時間をかけながらようやく4階へ。エレベーターの扉が開いて、俺たちを迎えてくれたのは、
「凄っ!?」
「またきんきらきんですよっ!?」
天井にまで届くショーケースに整然と並べられた、数十本ものトランペットやホルンだった。
「日本の楽器というのは、飾るようにして売られているのか……」
「見栄えもいいし、購入意欲をそそりそうだよな……」
目の前にある楽器群のように、ルティとアヴィエラさんが目を輝かせる。ショーケースのいちばん上にはライトが埋め込まれていて、カバー越しに届いた明かりがトランペットやホルンをまばゆいばかりに照らしている。その奥のショーケースにも大小いろんなサックスやトロンボーンが展示されていて、こっちもきれいにライトで彩られていた。
それでいて、壁や床は落ち着いたブラウン調で統一されて派手さが抑えられてるんだから、まるで博物館にでも迷い込んだみたいだ。
「お客様、なにか楽器をお探しでしょうか?」
「あ、いえ、そういうわけでは」
と、一歩引いてショーケースを眺めていた有楽に女性の店員さんが声をかけてきた。
「こちらに、本日試奏の予約をしていたるいこ……じゃなかった。赤坂さんが来ていると思うんですけど」
「赤坂様のお連れ様ですね。ただいま試奏室にいらっしゃいますので、案内させていただきます」
にこやかに応じた店員さんが、一礼してゆっくりと店の奥の方へと歩いていく。後をついていくと、中がいくつかの壁と分厚い木製の扉で仕切られているガラス張りの部屋へと突き当たった。
扉の上には「試奏室」と書かれたプレートが埋め込まれていて、その中のひとつに長い髪の人影がぼんやりと見えた。
「こちらになります。試奏中ということもありますので、まずは扉をノックをして御確認のほどをお願いいたします」
「わかりました。ありがとうございます」
「どうぞ、ごゆっくり」
俺たちの一礼に、店員さんが笑顔で一礼を返してさっそうと去って行く。それからすぐに有楽が分厚い木の扉をノックすると、中の人影が動いて扉の前までやってきた。
「はーい……あっ、みんな来たんだねっ」
ドアを開けたのは、明るいグレーのスーツを身にまとった赤坂先輩。
「さあさあ、みんな入って」
「それじゃあ、失礼します」
誘われて入った試奏室には小さなテーブルだけがあって、6畳間な俺の部屋よりもずいぶん広く感じた。ドアが閉じたら店内にかかっていたBGMが聴こえなくなったあたり、しっかりと防音対策がしてあるらしい。
「みなさん、いらっしゃったんですね~」
その奥で、淡く青いドレス姿のフィルミアさんが髪と同じ銀色の楽器――フルートを手にして立っていた。
「お待ちしておりました」
隣には、深い紺色のスーツをまとったリリナさんの姿も。さっきまで吹いていたのか、フィルミアさんと同じように両手でフルートを持っていた。
「ミア姉様、とてもお似合いです!」
「ありがとう、ルティ~」
「ねーさまも、そのがっきとすーつすがたがりりしいですっ!」
「そうか? 音色のほうは、私には少々柔らかすぎるのだがな」
駆け寄ったルティにフィルミアさんは優しく微笑んで、リリナさんはピピナにちょっと照れたようにはにかんでみせた。いやいや、今のリリナさんにはフルートの音色って合うと思いますよ。
「お疲れ様、松浜くん。キットは買えた?」
「はい、父さんが常連だったんでなんとかなりました。先輩のほうも順調ですか?」
「うんっ。フィルミアさんもリリナさんも楽しんでるよ」
「それならよかった。ありがとうございます、先輩」
「いいのいいの。わたしも、いっしょに選んでて楽しかったから」
満足そうに笑う赤坂先輩の視線の先で、レンディアールのみんなも笑顔で談笑している。突然のスケジュール変更でどうしようかと思ったけど、先輩のおかげでどうにかできた。
本当なら、今日はみんなで秋葉原に行く予定だった。
金曜日の夜にルティが秋葉原行きをを決めて、土曜には赤坂先輩と有楽と、遅れて日本に来たフィルミアさんたちに説明して確定。わかばシティFMへ行く前に、夜勤へ向かう父さんにそのことを言ったら、
『いやぁ、そりゃ無理だろ』
『えっ』
『ラジオマーケットは通路が狭いし、大勢でゾロゾロ行っても迷惑かけるだけだぞ』
『えー……』
何考えてるんだとばかりに苦笑いされて、スケジュールの変更を余儀なくされた。
幸い、生放送前に平謝りで説明したら先輩が別行動を提案してくれて、音楽が大好きなフィルミアさんとリリナさんを楽器屋さんへ案内することに。途中までは同じ日比谷線だから、後で俺たちが銀座へ合流すればいい……ってことになったわけだ。
本当、先輩には頭が上がらないや。
「ふたりとも、フルートにしたんですね」
「はい~。レンディアールにある木笛によく似ていたので選んでみたら、指使いも同じでとても吹きやすくて~」
「木笛の穴は塞ぎにくく感じることもあるのですが、こちらの〈ふるーと〉は〈きぃ〉を押せば塞げるというのがいいですね。見た目よりも軽やかな手触りというのも、実に佳きものです」
満足そうに話すフィルミアさんとリリナさんの両手には、大事そうにフルートが抱えられている。フィルミアさんのかわいらしさといい、リリナさんの凛々しさといい、まるで前からずっとフルートを吹いていたようなたたずまいだ。
「姉様、もしよろしければ吹いてはいただけないでしょうか」
「そーですっ。ミアさまとねーさまのえんそー、ピピナもきいてみたいです!」
「こらこら。まだ吹き始めて間もないんだから、あんまり無茶言うなって」
「大丈夫ですよ~、ふたりでよく木笛を合わせて吹いていましたし。ね、リリナちゃん~」
「えっ? ……わ、わかりました。仕方ありませんね」
突然の振りにうろたえるリリナさんだけど、期待に満ちたルティとピピナの視線をまともに受けてすぐに陥落した。ふたりとも、じーっと見てるんだもんな……
「では、いつもの曲でいきましょう~」
「それならば大丈夫です」
うなずき合って、ふたりがフルートを構える。
視線を合わせたまま、一拍、二拍、三拍とゆっくりフルートを揺らしていく。四拍目で大きく揺らしながら大きく息を吸い込むと、その息が吹き込まれて楽器が柔らかな音色を響かせ始めた。
ゆったりとしたメロディは、フィルミアさんがこのあいだ先輩のラジオで歌った『祈りの歌』。それをハーモニーで奏でたり、同じ音を高低に分けて吹いたり、追いかけるように吹いたりと様々な表情を見せていった。
フィルミアさんは、優しさに満ちた表情をリリナさんに向けて。
リリナさんは、メガネ――視石の下のやわらかな眼差しをフィルミアさんに向けて。
息の合ったふたりの音色が、試奏室に所狭しと響いていく。
フルートのキィの上を指先が跳ねれば、メロディも軽やかに跳ねる。
くちびるから吹き込まれる息が多ければ、豊かな音色に。緩ければ、か細い音色に。
初めて吹いて間もないとは思えない、いろんな表情の音色がふたりの間でつむがれていった。
「……ふうっ」
1コーラス分を吹き終えてしばらくしてから、ふたりが構えを解いてフルートを胸元に持ち直す。その仕草もとても様になっていて、
「いかがでしたでしょうか~」
「まだ未熟なれど、楽しめていただけたらよいのですが」
「ふたりとも、とても素晴らしい演奏でした!」
「ねーさまもミアさまも、とってもやさしーおとですっ。ピピナもだいすきですっ!」
そばで聴いていたルティとピピナが、興奮しながらふたりへ尊敬の眼差しを向けるほどだった。
「いやー……凄いっす。吹き始めてすぐでこれですか」
「開店時間の11時に来てから、ずーっと吹いてたもの」
「えっ、他の楽器は?」
「ふたりともフルートを気に入っちゃって、これだけ。ふたりの言うとおり、レンディアールの楽器に似ていてしっくり来たみたいだね」
「てことは、2時間ぐらいつきっきりでこのうまさ……いやいや、やっぱり凄いですって」
ずっといっしょにいたふたりだからわからなくもないけど、こうしてすぐ吹けるってのは凄い。フィルミアさんは歌だけじゃなく演奏も上手いってことだし、リリナさんもその相方を務めるだけの実力があるってことだろう。
このふたりの演奏なら、またじっくりと聴いてみたいもんだ。
「ミア姉様、その〈ふるーと〉は買うことにしたのですか?」
「そうですよ~。わたしとリリナちゃん用にと、あとは研究用にひとつ買うから全部で3つですね~」
「我が国でも作れないかということですか。しかし、リリナも買うとは珍しいですね」
「もしレンディアールでも作ることができたら、私とフィルミア様とで広めてみようと思いまして」
「それと、わたしたちからルティへ贈りたいものがあるんですよ~」
「我へ、贈りたいものですか?」
「はい~」
「はいっ」
ふたりはまた視線を合わせると、小さくうなずいてから揃ってルティのほうを向いた。
「〈らじおきょく〉が始まる日に、わたしとリリナちゃんの演奏を贈らせてはいただけないでしょうか~」




