第41話 異世界少女のさそいかた①
目の前に広がる、白く大きな布の数々。
体育の授業で使うような高い鉄棒にかけられたそれは、シワもシミもなく広げられていて、学校の体育館より一回り大きい建物の中で迷路の壁みたいに広がっていた。
「わぁ……どこまでも白いんですね」
「ここがうちの名物『絹の小道』だよ。イロウナから持って来たり、ここの工房で織った生地はこうして竿にかけてから整えられて、買いに来る人を待ってるんだ」
「なるほど。ちょっと触ってもいいですか?」
「ああ、ちょっと待ちな。竿の端っこに緑の札がかかってるのがあるだろ? こいつは触ってもいいけど、かかってないのは触っちゃだめだからな」
「わかりました。では、早速こちらを」
赤坂先輩は笑顔でアヴィエラさんに会釈すると、首からさげているICレコーダーのマイクへ絹の生地を近づけてそっとさわり始めた。
「さらさらした手触りですね。光沢もありますし、とても心地いいです」
「へへっ、そうだろ。この生地はウチの国が誇る魔織士が作りあげたものだからな」
「ましょくし、ですか」
「ああ。イロウナが認めてる魔術職のひとつで、糸を一本一本魔術で織り上げてきめ細かい布へ、そして衣類へと仕立てていくんだ。ウチの主力商品のひとつさ」
「魔術を使って織り上げていくんですか! なんだか、幻想的な姿が思い浮かびます」
「あー、そう言ってくれるのはうれしいんだけど……アンタ、さっき何してたの?」
「ああ、さっきのは絹を触っている音を記録してたんです。聴いている人も、手触りが想像出来るようにと」
「ふーん、不思議なことをしてるんだね。で、アタシはこんな感じで案内してりゃいいのかい?」
「はいっ、親切な説明でとても助かります」
「……姫様方。王家のヒミツを聞いといて頼まれたのがコレって、なんかおかしくないですか?」
とても楽しそうな赤坂先輩とは対照的に、アヴィアラさんがちょっと離れている俺達へと困ったような目を向ける。ええ、そうでしょうとも。さっきフィルミアさんに詰め寄られた時には怯えていたぐらいでしたからね。
「いいえ~。わたしたちからのお願いは『他言無用』だけですし、むしろこっちからお願いしているのですから、何もおかしくはないですよ~」
「そうですとも。アヴィエラ嬢の好意に感謝しております」
「や、なんつーか、拒んだらアタシの命がないってぐらいに思ってたんだけど……って、ご、ごめんなさいっ! ついいつもの口調が!」
「そのようなこと、私たちレンディアール王家はしませんよ。それに、いつも慣れた言葉で話していただいて構いません」
「……いいの? ほんとに」
「もちろんです~」
「素のままのアヴィエラ嬢でお願いいたします」
「なんか調子狂うなー。アタシの本陣だってのに」
平然と言葉を返すレンディアールの王女姉妹と、言葉通り困惑したように指でほっぺたをかくアヴィエラさん。他の国の人からしたら、皇族へのこういうフレンドリーな対応はありえないんだろう。
市場通りの青果店でリメイラさんの暴露話を聞いてしまったイロウナ商業会館の会長・アヴィエラさんは、フィルミアさんにとっ捕まったあと『このことは他言無用で~!』とお願いされて、それを受け入れたついでにイロウナ商業会館を見せてほしいというお願いも聞き入れていた。
その結果として、今は赤坂先輩の取材に案内人として同行中。短い言葉でわかりやすく説明はしているんだけど、ICレコーダーを使った先輩の行動に、時々不思議そうな視線を向けてなかなか集中できずにいるみたいだ。
「アヴィエラさん、今おしゃべりしたのを聴いてみます?」
「えっ、ここで聴けるの?」
「はいっ。少し音は小さいですけど、こんな風に」
先輩は一旦ICレコーダーの停止ボタンを押すと、スピーカー部分をアヴィエラさんの耳元に近づけてから再生ボタンを押した。
『わぁ……どこまでも白いんですね』
『ここがうちの商業会館名物〈絹の小道〉だよ。イロウナから持って来た生地はこうして竿にかけてから整えられて、買いに来る人を待ってるんだ』
「うわっ、これがアタシの声!?」
「そうですよ。やっぱり、びっくりしました?」
「いやいやだって、自分の声なんてしゃべってる時ぐらいのしかわからないし! ルイコのはそのままだけど、自分のって全然違うんだねえ。そっかそっか、そういう風に記録していくのか!」
「ふふふっ、アヴィエラ嬢も驚かれましたか」
「この国にいる者であれば、誰でも驚くでしょうね」
「ねーさまもおどろいてましたからねー」
「そういうピピナだって驚いてたじゃねえか」
初めて自分の声を聴くっていう経験をしたアヴィエラさんを、微笑ましく見守っている俺たち見学組。『絹の小道』を見ている間は、通路の幅の関係もあってピピナとリリナさんも見学組へと移動していた。
「それにしても、イロウナの絹というのはかくも美しきものなのだな」
「本当にな。男の俺でも、この生地は見事だって思うよ」
目の前にある大きな絹の生地を触ってみれば、指の先に滑るような感触が伝わってくる。劣化を防ぐためか窓は全部木戸で閉じられているけど、壁や天井のガラス皿に入れられた陸光星の光を受けて、思わず見とれそうになるくらい多くの生地が淡い光沢を放っていた。
「これだけ大きい生地を魔術で織るなんてなぁ……まるでおとぎ話みたいだ」
「何を言う。我らからすれば、日本での出来事のほうがおとぎ話のようなものだぞ」
「ですね~。〈らじお〉や〈でんきがっき〉とか、夢物語に出てきてもおかしくないものですし~」
「ピピナたちのなかまがいないのもしんじられないです」
「そ、そうなのか?」
「サスケ殿がそう思われるように、私たちも〈ニホン〉に多くの不思議を感じているということですよ」
「なるほど」
ちょいと感じたことを言ってみたら、みんなから総ツッコミを食らった。言われてみれば、俺たちからしたら不思議なことがこっちじゃ当然なわけで、その逆があってもおかしくないのか。
「では、そろそろ続きに戻りましょうか」
「ああ、いいよ。こうなったら、アタシがこの会館の魅力をたっぷり教えてやる!」
そんな中でも、先輩は俺みたいに圧倒されることなく取材を続けていく。アヴィエラさんもそんな先輩が気に入ったみたいで、さっきよりも先輩との距離を縮めていた。
「アヴィエラ様」
「ああ、じい。どうしたの?」
と、先輩がICレコーダーを操作しようとしたところで小柄なじいさんがのそりと部屋へ入ってきた。
「いえ、客人はどうなさったのかと思いまして」
「なに、心配? ちゃんとやってるから安心してってば」
「老骨としてはいささか不安で」
ちょっとふてくされた声を気にした様子もなく、じいさんは主であるはずのアヴィエラさんへ思いっきり毒を吐いていた。
「心配しなくて平気だってのに。みんな、今ここに来たのがうちのお目付役のイグレールだよ。アタシの次のお偉いさんってとこ」
「イグレール殿、お久しぶりです」
「イグレールさん、お元気そうでなによりです~」
「おお、レンディアールの。エルティシア様もフィルミア様も実に久しいですな」
じいさん――イグレールさんと面識があったのか、ルティとフィルミアさんは深々とあいさつしてイグレールさんもそれに応じてみせる。
「で、そちらの見かけないお人らは?」
「こっちはアカサカ・ルイコで、そっちにいるのはマツハマ・サスケ。ふたりとも、エルティシア様とフィルミア様の友達さ」
「初めまして、赤坂瑠依子と申します」
「どうも。松浜佐助っていいます」
「友達……? ああ、こちらの王家は平民もそのように差配するのでしたな」
レンディアールのお姫様姉妹とは対照的に、俺たちへ一瞬怪しそうな視線を向けてきたイグレールさん。この人が見せてくる反応のほうが、普通っちゃ普通かもしれない。
「失礼じゃないか、じい。国が変われば立場も変わるんだから、そういう目で見ちゃダメだ」
「ふむ、これは失礼を。儂の名は『イグレール・モンティーヴァ』と申す。くれぐれも『商姫様』へ無礼のないように」
「あ、はい、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
口元は笑ってるんだけど、目つきは鋭いまま自己紹介してくるし、どことなく投げやりな言い方だし……まあ、そういう風に見てくる人もいるんだって思うようにしておこう。
「案内はちゃんとしてるから。じいはさっさと朝の業務に戻ってよ」
「むう……仕方ありませんな。くれぐれも姫様方へ失礼のないように」
「はいはいっ!」
アヴィエラさんは強引にイグレールさんの背中に手をやると、部屋から押し出して両開きの木戸を思いっきり閉じた。
「はぁ……ごめんな。うちの国だと身分差があるせいで、ああいう態度をとるのが多いんだ」
「いえ、アヴィエラさんのさっきの言葉だけでもありがたいです」
「わたしも、アヴィエラさんに普通に接してもらえるだけで十分です」
「そう言ってもらえると助かる。アタシも、ちゃんとここのみんなにサスケとルイコのことを説明していくからさ」
心底困ったようなアヴィエラさんの表情が、俺と先輩の返事で一気に引き締まる。この頼もしさ、俺も見習わないと。
「んじゃ、仕切り直して行こう! ウチのもう一つの主力商品で『魔石』ってのがあるから、そいつを紹介させてもらえないかな」
「はいっ、是非ともお願いしますっ」
アヴィエラさんの勢いにつられたように、先輩も笑顔で続く。イグレールさんのせいでちょっぴり残ってた不快感も、今のですっきり吹き飛んでいった。
「今度は妖精ちゃんたちたちもおいでよ。とびっきりのを紹介してあげるから」
「わーいっ、ありがとですよー!」
「イロウナの魔石は気になっていたので、是非とも」
「姫様たちもサスケもじっくり見ていきな。なんか気に入ったのがあったら、お手頃にしとく」
「あははっ、商魂たくましいですね。佳き心意気です」
「だろっ」
そう思えるぐらいに、アヴィエラさんの笑顔はとてもさわやかで。
「ルイコにはこれがいいかなー。ほら、これを持ってみて」
「黒くて少し角張った石ですけど……きゃっ、なっ、なんですかこれっ!?」
「こいつは『記石』。忘れないようにと思い描いた言葉が、目の前へ文字として浮かんでくるんだ。演説とかでも使えるように裏側からは何も無いようにしてるんだけど……って、読めないなこれ。ニホンの言葉なの?」
「そうですね。この番組をどう組み立てようかを書いたメモが、わたしたちの国の言葉で浮かんでます」
「そっか。他国の人でも使えるなら、それを売りにしていくのもアリだな!」
「ピピナちゃんにはこいつがいいか。ちょっと大きいけど、抱えられるかい?」
「だいじょーぶですよ。ピピナのだいすきな、きれーなみどりいろのいしです」
「んじゃ、それを持って『来い』って念じてみな」
「はーいっ。んーと……『こーいっ!』」
「ぴぃっ!」
「わきゃっ!? な、なんかひよこさんがでてきましたよっ!?」
「おー、ピピナちゃんだとそいつが出てくるのか。この『呼石』を使うと、1日に10分間だけ背中に乗せてくれる動物が呼べるんだ。ほら、ちょっと乗ってみ」
「んしょっと。わわっ、ぽてぽてってあるいてますっ! あははっ、こっちにいくですよー!」
「リリナちゃんに合いそうなのはコレっと。はいっ、これを目の前にかざしてみて」
「はあ、何やらガラスのように透明な石で……と、あの、板のように変化しましたが、これをどうすればいいのでしょうか?」
「そのままのぞき込んでみて。この『視石』は、持った人の眼に応じた形へ変化して見やすくしてくれるんだ」
「なるほど。確かに、平時よりもはっきりと見えますが……何故、これを?」
「値札とか見るとき、ちょっと目つきがキツそうだったからさ。もしかしたらって思ったんだけど、どうだい?」
「素晴らしい……そのようなことまで気付かれるとは」
「はー……まるで水を得た魚だな」
「うむ、これがアヴィエラ嬢の本領なのだろう」
「思わずうっとりしちゃいますね~」
『魔石』が展示されているフロアへ案内された俺は、ルティとフィルミアさんといっしょにちょっと離れたところで、いきいきとしたアヴィエラさんの姿を目の当たりにしていた。
セールストークも決して押しつけがましいものじゃなく『これなんてどう?』って感じだし、案内された魔石もそれぞれみんなに合ったものみたいで、先輩たちを夢中にさせている。これが『商姫』の実力ってやつなのか。
「でも、リリナちゃんの目が悪いなんて初めて知りました~……」
「リリナの性格からして、我らには言えなかったのでしょう。その観察眼もまた、アヴィエラ嬢の『商姫』たる所以かと」
「エルティシア様とフィルミア様も、よかったら案内しようか?」
「今はルイコさんたちの番ですし、わたしたちはまた後日うかがいますよ~。それよりも――」
フィルミアさんはそこまで言うと、声を掛けてきたアヴィエラさんへと歩み寄りながら、
「今みんなに紹介していただいた魔石ですけど、おいくらですか~?」
「即決っ!?」
肩掛けカバンから取り出した財布代わりの袋の紐を、一気に緩めてみせた。
「あの、フィルミア様。私は別になくても平気なのですが」
「だめですよ~。ちゃんと見やすい方がいいはずですし、ニホンにあった〈メガネ〉みたいにしてみれば、きっと可愛いはずですから~」
「か、可愛い……? 私が……?」
「〈メガネ〉? なにさ、それ」
「ああ、ちょっと待ってください。メガネ、メガネと……ああ、これですね」
スポーツバッグからメガネケースを取り出した俺は、しまってあったメガネを掛けてアヴィエラさんのほうを向いてみた。視力自体はそんなに悪くないんだけど、ラジオ関係でPCを使うことが多くなるからと父さんが買ってくれた、ブルーライトカットのメガネだ。
「こうやってかけて、両側にあるガラスのレンズ――板で目を見やすくするんです」
「ちょっと見せて」
「うわっ!?」
ち、近いっ! ずいっと顔を近づけてくるから、アヴィエラさんの息がめっちゃかかってくるし!
「これって鉄……? ガラスの板は、細い鉄で囲んで固定してるのか」
「あ、あのー、アヴィエラさん?」
「ちょっと待てって。耳と鼻のは樹脂かなにかかな。鉄の枠にひっつけて滑りにくくしてるみたいだけど……」
「ほう。フィルミア様が仰っていたことが、なんとなくわかったような気がします」
あのー、リリナさん? 感心してないで、助けてほしいぐらいなんですけど?
「ここは蝶番で開閉可能で……ふむふむ、ありがと。だいたいこんな感じってのはつかめたよ」
「は、はあ」
やべ。超至近距離でにかっと笑ったの、すごく可愛いし。思わず見ていてドキッとするくらいにまぶしい笑顔だ。
「フィルミア様、こういう感じの枠を作ればいいんだよね」
「はい~。ですが、可能でしょうか~?」
「可能も可能っ! リリナちゃんの顔をちょいと採寸させてもらって、今からならお昼過ぎに渡せるんじゃないかな。お代は……視石が1個につき銅貨50枚だから、2個合わせて銀貨1枚。記石が銀貨4枚で呼石が3枚ってのを合わせると、全部で銀貨8枚だね。視石用の鉄枠は、おまけってことにしとこう」
「おまけだなんて、そんなわけには~」
「いいんだ。さっきは悪い気分にさせちゃったんだし、そのくらいはさせておくれよ」
「……では、よろしくお願いします~」
「あいよっ。銀貨8枚、確かにお預かりだ」
仕方ないとばかりに苦笑いしたフィルミアさんが銀貨を渡すと、アヴィエラさんは軽い口調で笑って受け取ってみせた。その直前の申し訳なさそうな口調からすると……やっぱり、イグレールさんの言葉が引っかかってるんだろう。
「んで、出来上がったらどうする? 取りに来る? それとも、市役所まで届けに行こうか? できたら、リリナちゃん本人に出来映えも確認したいところなんだけど」
「そうですね~」
「あの、姉様」
と、フィルミアさんが考え始めたところで隣りにいたルティが割り込んできた。
「もしアヴィエラ嬢に差し支えがなければ、是非ともわが家へ招待したいと思うのですが」
「招待?」
「はいっ」
そして、首を傾げるアヴィエラさんへ大きくうなずくと、
「本日の礼として、アヴィエラ嬢を当家へ招待させていただきたく」
「……アタシを?」
「その通りです」
当然だとばかりに、満面の笑みを向けてみせた。




