第37話 異世界ラジオの進めかた②
「あら、おかえりー」
「ただいま」
「おじゃまいたします~」
「失礼いたします」
カウンターの中にいる母さんにあいさつすると、フィルミアさんとルティも続いてあいさつした。
「接客は慣れたみたいだな、リリナ」
「はい、チホ様より柔らかい物腰でと助言を頂いてからずいぶんと。エルティシア様もフィルミア様も、無事御役を果たされたようで」
「なんだ、聴いていたのか」
「サスケ殿とカナ様の〈ばんぐみ〉から〈らじお〉を聴かせていただいたのです。あの、ルイコ様はどちらへ?」
「所用を済ませてから来られるようですよ~」
「そういうことでしたか。では、こちらのほうへ」
リリナさんはにこやかに笑うと、俺たちがいつも使ってる奥の席へと案内してくれた。
青く長い三つ編みはいつも通りだけど、背中にあった羽は消えていて、とがっていた耳も丸みを帯びているから人間そのものにしか見えない。
「いやー、菜緒ちゃんが風邪でどうしようかと思ったけど、リリナちゃんが手伝ってくれてほんとに助かったわ」
「チホ様には〈ほっとけえき〉の作り方も伝授して頂きましたので。先日我らに無料で振る舞って下さったことも考えれば、手伝っても足りないぐらいです」
「あははっ、私のケーキが妖精さんに惚れられる日が来るなんてねえ」
満更でもない感じで、母さんが笑いながら腕組みをする。
母さんが言うとおり、実はリリナさんが妖精だってことはとっくにバレていたりする。それもこれも――
「当然です! 我らの世界にあるパンケーキと似ているようで、全く違うふわっとした食感と広がる甘さ! それを果物や氷菓で彩るとは……奇跡そのものです!」
あ、また羽が広がった。
「リリナちゃん、羽、羽が出てますよ~」
「はっ!? し、失礼しました……」
フィルミアさんに指摘されたリリナさんが、少ししゅんとしながら羽を消す。とまあ、人間のように見せていたはずが、母さんのホットケーキを食べたらこんな感じで興奮してバレたってわけだ。
「あははっ。じゃあ、うちの味にもっと慣れてもらうために、もーっと食べてもらおっかなー」
「い、いえ、そういうわけには……」
からかうように、母さんがリリナさんのメイド服のフリルをうりうりとつつく。あー、これは『正直に堕ちちゃいな!』って顔だ。
「ねーさま、しょーじきになるですよー」
と、意図を汲み取ったように母さんの頭の上からピピナがぴょこんと顔を出す。こいつも、すっかり母さんに慣れたらしい。
「わ、私はずっと正直だ!」
「ふふーん、そーですかそーですか。ではではちほおねーさん、ピピナに3まいほっとけーきをやいてください」
「いいわよー。おねーさんがどんどん焼いてあげちゃう!」
「くっ……ず、ずるいぞっ」
「ピピナがすなおなだけですよー」
自由奔放なピピナに、生真面目なリリナさんが翻弄されている。このあたりがふたりの「らしさ」なんだろう。
それにしても……母さんってば、おねーさんなんて自分で言うかね。
「そうそう。佐助、お夕飯は瑠依子ちゃんが来てからでいいのよね?」
「えっ? あ、ああ。7時前には来るって言ってたから」
「おっけー。それじゃあ、先に妖精ちゃんズのホットケーキを焼いちゃおっと」
「ありがとーですっ!」
「わ、私は……」
「いちごのアイス、つけちゃうよ?」
「よろしくお願いいたします」
「おっけー。じゃ、みんなで座って待っててね」
母さんの悪魔のささやきに、あっさりと陥落するリリナさん。ツボを心得たらそこばっかり狙ってくるんだから、母さんは本当に恐ろしい。
「ねーさまもかたなしですねー」
「うるさいっ」
俺たちが奥の席に座ると、リリナさんは向かいの通路側の席に。ピピナはテーブルの上へ飛んで来て、そのまま調味料置き場の近くにぺたんと座った。
「では、ルイコ嬢が来るまでは今日の復習だな」
「お、やる気じゃん」
「当然だ。いろいろとまとめておきたいものもある」
端っこに座っていたルティは、壁際に置いたモスグリーンのショルダーバッグからノートとボールペン、そして色々な文字や表が書かれた紙――ルティがわかばシティFMの見学中に見つけた番組表を取り出して、テーブルの上へと広げた。
「まず始めにだが、今日我が聴いたのはこの範囲ということでいいのだろうか?」
そして、芯が出ていないボールペンの先っぽで番組表の土曜日の列あたりをそっとなぞる。
「だな。11時の〈土曜のお昼、なに食べる?〉から、18時終わりの先輩の番組までだ」
「ふむ……これだけ長く聴いていて、一日の3分の1にもならないのか」
「とは言っても、全部通して聴く人なんてなかなかいないけどさ」
わかばシティFMの基点は毎朝5時で、放送終了は日曜日の深夜1時。その後はメンテナンスのために電波を停めて、月曜日の朝5時から放送を再開する。その間の164時間は、チューニングすれば必ず何かしら音が出てくるわけだ。
「ふむ……まだまだいろいろと聴いてみる必要がありそうだ」
「そのあたりは、ちょいちょいつまんで聴いてみるといいよ。そうだな……オススメとしては、このあたりかな?」
俺は番組表を指さすと、いくつかの番組を丸を描くようにくるりと示してみせた。
「平日7時からのわかば新聞は地域情報で、13時から16時のスマイルラジオは買い物情報。土曜21時からのライブボックスは……わかりやすく言うと演奏会を収録した番組だな」
「それって、ルティさまとピピナがるいこおねーさんのところできいたのですか?」
「よく覚えてたな。いろんなアーティスト……えっと、音楽家の人たちの演奏が流れるから、フィルミアさんもきっと楽しめると思いますよ」
「ほほー」
おお、フィルミアさんの目がきらりと輝いた。やっぱり、音楽には目がないらしい。
「サスケ、この濃い緑色の部分は?」
「この間ルティも行った、サッカーの中継放送だよ。わかばシティFMの目玉番組だから、こうしてわかりやすくしてるんだ」
「おお、確かにこれならば目を惹くな」
「あとは、リリナさん向けにはこのあとの〈今昔亭鬼若の日曜ひとり寄席〉かな。ひとりだけでしゃべって物語を表現していくの、結構面白いですよ」
「カナ様が務めている〈セイユウ〉のようなものですか?」
「んー、ちょっと違いますね……故事とかになぞらえていく、伝統芸能のようなものと言った方がいいかもしれません」
「こちらの世界の伝統芸能ですか」
「赤坂先輩なら、たぶん録音を持ってるんじゃないかな。あとは明日の15時から放送だから、帰る前に聴けると思いますよ」
「ほほう……それはいいことを聞きました」
物語好きらしいリリナさんには、鬼若師匠の番組に興味を持ってもらえたみたいだ。昔の落語から自分で作った落語までいろんな演目を持ってるから、きっとフィットするのがあるだろう。
「有楽といえば、日曜22時の〈声優事務所クイックレスポンスラジオ 急いでやってます!〉に時々出てますね」
「休息日の夜に……? カナは、かような遅い時間にも仕事をしているのか?」
「いやいや。この間、ルティがわかばシティFMのスタジオで番組を録ったろ? ああいう風に録音しておいて、この時間になったら流すんだ」
「ルイコ嬢が説明してくれた『ほうそうかんりしすてむ』でか」
「そう、それそれ」
わかばシティFMを始めとした多くのコミュニティFM局では、コンピューターを利用した「放送管理システム」に基づいて番組が進行されていく。何時に番組が始まってどの時間にどのCMを入れてるかを事前に決めれば自動的に放送されて、番組の中で流す曲までストックしておけるなかなか便利なシステム……では、あるんだけど。
「ただ、レンディアールだとその方式は無理だ。専用の機材が必要になるし」
「となると、全部〈なまほうそう〉でやる必要が……むぅ、一週間寝ずにやる覚悟がいるな」
「それは別の意味で無理だよ。まずは短い時間で試験放送をして、それからそっちのライフスタイルに合わせて、放送時間を決めていったほうがいいんじゃないか」
「そ、それもそうか」
気持ちが先走っていたのか、ルティが少し恥ずかしそうに視線をそらした。気持ちはわからなくないけど、さすがにいきなり大きなことをやろうとしてもさ。
「さすけ、さすけ」
「どうした?」
「このちっちゃいもじがぎゅーっとつまったばんぐみはなんなんです?」
番組表の脇にぺたんと座っていたピピナが指さしたのは、日曜夜の20時半。妖精さんの手に負けないぐらい小さな文字で書かれていたのは、
「『若葉市在住VLiver天森わかばが30分枠買ってみた』か」
「『ぶいらいばー』とは、はじめて聞く言葉ですね~」
「日本でもわりと最近広がってきた言葉なんで。普段はネットで若葉市とか日常のことを話してる人なんですけど、なんでも一年分の番組枠を自腹で買ったらしいんです」
「ばんぐみわくをかう、です?」
「ああ」
こてんと首をかしげるピピナへうなずいてから、番組表の下の方に書いてある場所へと指をすべらす。
「『この色の放送枠は、若葉市および周辺4市1町に在住する住民向けの放送枠です』ってあるとおり、青緑色の枠は『自分もラジオでしゃべりたい』って人が買うことが出来る時間帯なんだよ」
「わざわざ自ら費用を出してまで、『ばんぐみ』の時間を買うというのか」
「そういうこと。これが結構人気で、番組が終わって枠が空くたびにすぐ埋まるんだ」
「話したいことがある人が、それだけ多いという表れでしょうか。だとすると、カナ様が時折話されているというこちらの枠も?」
そう言いながらリリナさんが指さしたのは「声優事務所クイックレスポンスラジオ 急いでやってます!」の欄。確かに、こっちも背景が青緑に塗られている。
「ええ、事務所の社長さんの実家が若葉市だそうで。声優さんたちのお仕事情報とか日々あったこととか話していて、結構人気の番組なんですよ」
「なるほど、演者の方々の宣伝にもなるというのはよいですね」
感心したように、リリナさんが小さくうなずいた。
最初はこれまでのことがあったから関心を持ってもらえるか心配したけど、ラジオのことをルティとピピナがしっかり説明してくれていたおかげか、こうして俺たちに協力してくれていた。
「そうなると、こちらの薄い緑色の枠にある『ばんぐみ』はどういうものだ?」
「そっちは、『レディオフォレスト』っていう会社が作った番組だな」
「れでぃお……『わかばしてぃえふえむ』ではなく?」
「日本中のコミュニティFMに向けた番組を作っている、専門の会社があるんだよ」
「んー……? 〈わかばしてぃえふえむ〉だけで作ればいいものを、何故わざわざ他の者が作った番組を放送しているのだ?」
「あー」
説明すればするほどわけがわからないらしく、ルティが困ったように俺のことを見上げている。
本当ならあんまりおおっぴらに言えることじゃないんだけど……これから始めるルティたちにだったら、話しておいたほうがいいか。
「わかばシティFMの場合は、正直に言って人が足りないんだよ」
「足りない? こんなにも〈ばんぐみ〉を作っているのにか?」
「まず、番組に出ている人たちのほとんどがラジオ以外の本業を持ってる。俺と有楽や赤坂先輩が、本来は学生って具合にな。もっと番組を作るとなると人を増やせって話になる上に、資金が必要になってくるわけだ」
「む、〈すぽんさぁ〉という、資金の供給源か」
「正解。よく知ってるな」
「ルイコ嬢から教えて頂いた。無論、上手くいかなかったときの行く末も」
「なら話が早い。だから、適切な量の番組はわかばシティFMで作って、空いたところは番組を作っている会社から放送する権利を買って流すってわけ」
「なるほど……いろんなことを踏まえて、番組というのは作られていくのだな」
難しそうな顔をしたルティが、腕を組みながら番組表に視線を落とす。
その中にある平日夕方やド深夜、そして土日の早朝の「Playlist」シリーズは金も人も使わないいい例で、局内にあるCDのライブラリから選曲して、時間に収まるよう計算してから放送管理システムで自動的に流せばOK。かかるコストは、著作権の使用料だけのお手軽番組だ。
昔は深夜のワイド番組とかもやってたらしいんだけど、かなり前に不況のあおりを喰らって切り替えたって局長さんが言ってたっけ。
「そうなると、我らの場合は資金は問題ないにしても、人員をどう集めるかが問題になってくるのか」
「問題なぁ。それも追加しておくか」
ため息混じりなルティのひとりごとを聞きながら、俺もポケットからメモ帳と短めのボールペンを取り出す。最初のページを開いて出てくるのは、箇条書きでまとめておいた開局までの課題の数々。
1.送信塔をどうするか
2.放送エリアの拡大方法
3.レンディアール製の送信機の開発or調達
4.同じく、受信機の開発or調達
5.電力を確保する方法
6.番組内容の検討
7.レンガづくりの家でのリスニング対策
大きく書いたそのまわりには細々とした書き込みがあって、書ける隙間もあまりない。人員のことは、だいたい5と6の間に線で引っ張っておけばいいか。
「こうしてサスケが書き出した課題の数を見ると、山積みなのだと思い知らされる」
「ゼロから始めるなら、なんだってそうだよ」
「わかってはいるのだが、な」
困ったように笑いながら、ルティが目を向けているのは俺の手元にあるこの手帳。いやいや、俺がこういうことを整理するのが下手だから……と言いたいところだけど、実際にやることがたくさんありすぎるんだし、否定は出来ない。
「まだまだ先は長いんだし、ひとつずつしっかり片付けていこうぜ」
「うむ、我に出来そうなことがあったら教えてくれ。調べるべきものもあれば、先に知っておきたい」
「もちろん。まず、『焦りは禁物』は最優先ってことで」
「そ、それは最初からわかっているともっ」
少しからかい気味に言えば、ルティは少しほっぺたをふくらませて抗議してきた。出会った頃は抱え込むことが多かったから、こうして聞いてくれると一歩進めたのかなって思う。
「困ったことがあったら、いつでも言ってくださいね~」
「私とピピナもそのためにいるので、なんなりと仰ってください」
「ですですっ」
「ありがとうございます、姉様。リリナとピピナもありがとう」
しかも、今はルティの親しい人たちもいるんだから、心強いにも程がある。
まだまだ始まったばかりではあるけど、レンディアールに住んでいる子たちも手伝ってくれることになったのは本当に助かった。




