第33話 異世界少女(?)との話しかた①
ジェットコースターって、だいたいは前に進んで走るよな?
最近だと後ろ向きで走ったり、車輪が上にあって足下がブラブラするのもあるけど、上か下を見ればレールはあるし、いっしょに乗ってる人たちの絶叫とかも聞こえるから少しは恐怖感も薄らぐ。
じゃあ、そのどっちもない場合は?
「うぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
そりゃあもう、恐怖感マシマシですよ!
リリナさんに腹から抱え上げられた俺は、ハイスピードで空中滑空のまっただ中。体を支えているのはリリナさんの細腕だけで行く先は見えないし、足下はフリー。その上嫌われて怒られてるんだから、いつ落とされるかわかったもんじゃない。
「リリナさん、やめてっ、やめてくださいっ!!」
「…………」
叫んでお願いしても、リリナさんから返事はない。唯一、背中の透き通った羽が怒ったようにバタバタバタバタとはばたいてるだけで、俺はただ通り過ぎていく景色を眺めながら、手にしていた送信キットを必死に掴み続けることしかできなかった。
ヴィエルから飛び立って、まだ数分ぐらい。街の影はすっかり遠くなって、真下に伸びる土の道の両脇には青々とした農地だけが延々と広がっていた。これって、この間ピピナと来たときのそのまんま逆向き――
「うわぁっ!?」
と思っていたら、ぐいっと下へ引っ張られるような感覚が体を襲う。下に見える道も少しずつ近づいて、
「落ちるっ、落ちますっ!!」
「落としはしませんよ」
ようやく聞こえてきた声は、とても冷たいもので。
「ふぎゃっ!?」
スピードが落ちたように感じた瞬間、俺の背中と腰が壁のようなものにぶつかった。痛みと衝撃で閉じた目をどうにかして開けてはみたけど、チカチカして……って、建物の中?
「り、リリナ嬢、またですか?」
「ああ。すみません、ハンザ殿。ちょっとした用があるので、ここをお借りさせて頂きます」
「決定事項なんですね……わかりました」
少しずつ焦点が定まってきた目をまばたきさせると、黒い警備隊用の制服を着た人がハシゴらしきところを降りていって、そっちを向いていたリリナさんがゆっくりと俺のほうを向くと、
「さて」
長い耳をぴんと伸ばして、床に転がっている俺を金色の瞳で見下ろしてきた。
「な、何するんですか……」
「…………」
俺の問いかけには答えないまま、ただ見下ろしている執事服姿のリリナさん。その目は完全に据わっていて、さっき以上に険悪な雰囲気だった。
「何をするのか、ですって?」
しばらくして開いた口からも、出てきたのは冷たい声。
「決まっているでしょう。マツハマ・サスケ、あなたを〈ニホン〉へ帰すんですよ」
「俺を、日本に?」
「ピピナがルティ様を〈ニホン〉へ連れて行き、そして私が〈ニホン〉へ向かったように、この物見やぐらは世界を移すのにはうってつけの場ですからね」
くちびるの端を上げて、窓から見える青空を背にしたリリナさんが嘲るように言う。 物見やぐらって、この間ピピナが言ってた国境にあったあのやぐらのことか?
「あの、そんなことしてもすぐにピピナが戻してくれるんじゃ」
「あの妹ならそうするでしょう。ですがマツハマ・サスケ、あなたは忘れていませんか? 私が、ピピナの姉だということを」
ふふんと鼻で笑い、馬鹿にした口調で言って顔を近づけてくる。
「あの妹の力を打ち消すことなんて、造作もありません」
「なんだって……?」
「そして、あなたの体がピピナの力を受け付けなくすることも」
「っ!」
そう言って、白い手袋をはめてある右手を俺の頭の前へと伸ばした。
「エルティシア様とピピナとの時間だけではなく、信頼まで奪うとは……いくらふたりとフィルミア様が許しても、私は……レンディアール王家に仕えるリリナ・リーナとしては、これ以上看過できません」
「ま、待ってください!」
それだけは、嫌だ。絶対に嫌だ!
「誤解です! 誤解! 俺は何もしてません!」
「嘘です!」
体を起こしてなんとか弁解しようとするけど、リリナさんの鋭い視線がずっと俺を捉え続けている。
「あなたが〈らじお〉などという妙な機械へ引き合わせたせいで、エルティシア様とピピナは魅了されてしまったんですよ! ピピナの力さえあれば2、3日で帰ってこられたはずなのに……きっと、あなたのせいなのでしょう!? あなたが、ふたりを帰れないようにして!」
そうやって俺を怒鳴りつけていたと思っていたら、目の端に涙が溜まり始めた。
「盗賊に襲われたのではないかと探してもどこにもいなくて、何日経っても音沙汰が無くて、ピピナは『そのうち帰ります』なんてそっけない手紙だけ残して顔も見せないで、フィルミア様はそれで安心して、ずっと私だけおいてきぼりで……心配しきれなくなってピピナの後を追ってみれば、エルティシア様とピピナがあなたと笑い合っていたなんて……絶対に、絶対にあなたがなにかしたからに決まってますっ!!」
そして、ひとすじ流れた涙からいくつもの雫が伝わっていって、
「お願いだから……ひくっ、私から、皆との、大切な時間を……奪わないでっ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」
リリナさんの声も、絞り出すような泣き声へ変わっていった。
「えー……」
勝手に俺を責めて、勝手に俺を怒って、勝手に俺の前で泣き出して。目まぐるしく変わっていく状況に、俺はただため息をつくしかなかった。
それでも、俺の心にチクリと刺さる言葉があったのは確かで。
「ばかっ! まつはまさすけのばかっ、ばかぁっ! うぇぇぇぇぇぇ……」
リリナさんはそのまま泣き続けて、そのうち人間サイズからピピナと同じ妖精サイズへと服装ごとぽんっと変化した。どうやら、感情の高ぶりも姿形の維持に関わっているらしい。
「ひくっ……うぇぇ……」
ひとしきり泣いたのか、号泣からしゃくり上げるような泣き方へと変わっていく。人間サイズの時に流した涙を浴びた形になったこともあって、リリナさんは雨に降られたみたいにすっかりずぶ濡れになっていた。
「あの、よかったら、これ」
さすがにそのままにしておけなくて、俺はズボンのポケットからまだ一度も使っていないハンカチを取り出して小さなリリナさんへ差し出した。
「……いらないっ」
「今朝頂いてから全く使ってないです。あと、後ろ向いてますから」
リリナさんの目の前へハンカチを置いて後ろを向くと、しばらくしてから布がこすれるような音が聞こえてきた。
ちょっと見上げれば周囲を監視するための窓があって、そこから青空とぷかぷか浮かぶ雲を見ることができる。中腰にでもなればまわりも見られるんだろうけど、今はさすがにそんな気分じゃない。
「……もういいですよ」
しぱらくして聞こえてきた声に振り向くと、人間サイズに戻ったリリナさんが金色からオレンジ色になった目でまた俺をにらんできた。とはいっても、長い耳はへにょんと垂れていて、可愛らしくぶんむくれた表情を俺に見せていた。
「今の礼だけはしておきます。最後に、何かエルティシア様とピピナへ言い残すことはありますか?」
「あ、いえ。それよりも、今はリリナさんとちゃんと話をさせて下さい」
「ふんっ。どうせ今のを話の種にして、エルティシア様やピピナへ伝えるんでしょう」
「そんなこと絶対にしませんって。ただ、ひとつ謝らせてほしいんです」
俺はそう言ってから背筋を伸ばして、正座すると両手を木の床へつけた。
「ごめんなさい。さっきは『何もしてません』って言いましたけど……俺、リリナさんやフィルミアさんみたいに待っていた人たちの気持ちを、ちゃんと考えていませんでした」
そして、そのまま床につくほど頭を下げる。
「ルティとピピナにラジオのことを教えるのが楽しくて、できるだけ長くいられたらってばかり思って……レンディアールで待っている人たちの気持ちを考えていなかったことは、完全に俺の落ち度です。本当に、申し訳ありませんでした」
「……今更言われて、はいそうでしたかとでも言うと思ってるのですか」
「思ってません。リリナさんに心配をかけさせた原因は俺ですから、そのおわびだけはちゃんとしなくちゃって思って」
頭を下げたままだから、表情はまったく見えない。聞こえてくるのは、呆れたようなため息だけ。
「賊なら賊らしく、開き直っていればいいものを」
続いて降ってきた言葉で顔を上げてみれば、やっぱり呆れた表情で俺を見下ろしていた。
「だから、賊じゃないんですって」
「賊です。エルティシア様とピピナの心を掴んだ、立派な賊ですよ」
「どっちかというと、ラジオに心を掴まれたんじゃないかなーと」
「その〈らじお〉を操ったのはあなたでしょう? まったく、フィルミア様まで魅了しようとは……不埒にも程があります」
「ルティとピピナが興味を持たなかったら、きっとすぐにレンディアールへ帰っていましたよ。俺だって、ここには来ていないと思います」
「その興味を利用して、あなたはエルティシア様とピピナを引き止めたと」
「……否定は、しません」
細められたリリナさんの視線から目を少し背けて、声を絞り出す。興味を持ってもらえたのなら、ラジオに関することをたくさん教えてあげたいって思ったのは完全に事実だし。
「いったい、あなたはどのような魔術を使ったのですか」
「あー……どっちかというと、俺が魔法にかけられた方かと」
「なんですって?」
「ルティと初めて出会ったとき、とても堂々としていた姿が印象的だったんです。夕陽を背にして、凛々しい姿で自分のことを名乗って、ああ、きれいな姿だなって」
「そう、なのですか?」
「はい。それからルティがラジオに興味を持ち始めて、だったら俺も喜んで協力しようって思って。リリナさんが日本に来たときも、その帰りだったんです」
「……ふむ」
照れながら俺が話している間、リリナさんは物珍しそうにしたり戸惑ったりして、最終的には考え込むように軽くうつむいてから、
「マツハマ・サスケ。ここに来るまでエルティシア様やピピナとあったことを、私に教えてはいただけませんか?」
さっきまでの険悪な雰囲気がウソみたいに、まっすぐな瞳を向けて俺にたずねてきた。そのお願いに対する答えは、もちろん決まっている。
「ええ、喜んで」
ルティとピピナの様子は昨日フィルミアさんに話したけど、ルティの身近にいて、ピピナのお姉さんなリリナさんにもちゃんと知ってもらいたかったから。
「ピピナったら、初対面の人を羽で殴るだなんて……」
「いやいや、いきなり明かりを向けた俺が悪かったんですよ」
「ですが、やんちゃにも程があります。私があとで殴り返しておきましょう」
「うわー……そのサイズの羽だといたそー」
「うちの有楽が、ルティにこういう服を着せてまして」
「か、かわいいっ! あ、あの、この絵はフィンダリゼの写実機のように紙にすることは」
「写実機? えっと、写真のことでしたら、日本に帰れば紙に印刷できますけど」
「お願いします。フィルミア様にもお見せしたいので、是非!」
「エルティシア様が、こんなにのびのびと歌われるなんて……」
「俺と有楽の先輩が、とても気に入ってましたよ。今までに聴いたことのない、楽しげな歌だったって」
「私も久しぶりに聴きましたが、こんなに成長されていたとは。幼い頃から、よくフィルミア様と歌われていたんですよ」
「はあ……ピピナはそんな無茶なことをしていたのですか」
「だけど、一度こっちへ来てよかったですよ。リリナさんへ連れてこられても心の準備が出来てましたし」
「それはっ、その、申し訳ありませんでした」
「いいですって。それだけルティとピピナのことを心配していたってことなんでしょう?」
わかばシティエフエム前でのルティとの出会いから始まって、ピピナとの出会いと赤坂先輩の家でのこと、「はまかぜ」でのことやサッカーを見に行ったこと、うちの高校に来て歌をうたったこととラジオを収録したこと。そして、送信キットを使ってラジオを放送して、ルティにあげたこと。
この一週間近くにあったことを、スマートフォンに撮ってある写真を見せたり、録ってあった歌やラジオを聴いてもらったりしながら、できるだけ詳しくリリナさんへ伝えていく。話していくうちにリリナさんの表情は穏やかになって、俺の口もどんどん滑らかになっていって、
「それで、あなたはルティ様へその奇妙な機械を差し上げたと」
「ええ」
「ふむ……なぜ、あなたはそれをエルティシア様に渡そうと思ったのですか?」
つい昨日のことを話したところで、リリナさんがそう問いかけてきた。
「そりゃあ、父さんに渡してくれって言われたからですけど……あとは、ルティだったらきっと大丈夫だって思えたからですね」
「エルティシア様なら、その機械を使いこなせると」
「はい」
「……だから、なのでしょうか」
俺の短い答えに、リリナさんは手をあごにあててからしばらく経って小さくつぶやいた。
「だからって、なにがですか?」
「いいえ、なんでも……いや」
否定しかけたリリナさんが、ふるふると首を振ってから俺を見据える。
「エルティシア様を見守っていたあなたになら、話してもいいでしょう」
「は、はあ」
仕方ないという感じで、リリナさんは微笑んで……って、もしかして出会ってから初めての笑顔じゃないか?
「先ほど、私はここへ来る前にエルティシア様の学習を手伝っておりました。〈ニホン〉へと消える前に行っていた授業の復習をしていたのですが、明らかに先日までとは様子が違っていたのです。
とは言っても、先日までにおいても私の授業には真剣に耳に傾け、書へと記すことはされていました。本日はそれに加えて、詳細を知りたい箇所や気になるところへ差し掛かると私に尋ねてきたり、エルティシア様自身が抱いている私見を述べたりと、とても精力的に授業に取り組まれていて……それだけではありません。今朝、あなたたちがともになさっていた体操もまた、初めて見た姿です」
「あのラジオ体操がですか?」
「ええ。私やピピナが誘ったり、フィルミア様がお誘いすることで共に街を散策するということはありましたが、御自ら進んで朝から体を動かされるというのは、私が知る限り初めてのことでした。そして、エルティシア様が『志学期』のことについて口にされたことも」
話していくにつれて、リリナさんの声に喜びがこもっていく。最初は真剣だった表情も、いつの間にか笑顔へと変わっていった。
「何故こんなにも変わられたのかと疑問に思っていたのですが、あなたから話を伺ったことでようやく符合いたしました。エルティシア様はあなたたちの世界で様々なことを学んで、それをものにしようとしていらっしゃったのですね」
「ええ、ルティはラジオのことをたくさん学んでいました。ピピナも、ずっとそばでルティを見守っていましたよ」
「ピピナについては、少々信じられないのが正直なところですけれども」
「いやいやいや。ピピナがいたからこそ、ルティが日本で何も遭わずに済んだんですよ。その点は俺よりも赤坂先輩や有楽のほうがずっと長くいましたし、あとで聞いてみてください」
「そこまでおっしゃるのであれば……」
ルティの時と比べて、ピピナのことについては苦笑いというか、話半分で聞いているような感じで。こりゃあ、ふたりの間の溝はずいぶん深いらしい。
「ともあれ、ピピナの姉として、そしてレンディアール家に仕える者として、深く御礼申し上げます」
正座して俺と話していたリリナさんは、そう言うと両手を床について深々と頭を下げた。
「いえ、俺こそ楽しい時間を過ごさせてもらって――」
「それと……」
って、なんか肩と羽がふるふると震えてるような……?
「本当に、本当に申しわけありませんでしたっ!」
「ええっ!?」
ちょ、頭を床につけたんですけどっ!? ゴスってめっちゃすごい音がしたんですけど!?
「エルティシア様とピピナがお世話になった方に、私は、私はなんということをしていたのか!」
「い、いいんですよ! 知らなかった者同士、仕方なかったということで!」
なんとか止めようとなだめるけど、俺を見上げる金色の目はうるうるしっぱなし。あーあー、おでこも真っ赤になっちゃって。
「ですが、細剣を突き付けたり石牢に閉じ込めたり、あなたを罵倒したりにらみ付けたり、挙げ句の果てにはこんなところまで連れ去ってしまったんですよ!? 仕方ないで済むわけがないじゃないですか!」
「済みますから! 俺は何も気にしませんからっ!」
「でもでもっ、エルティシア様やフィルミア様にはどう申し開きをすればいいのか!」
「俺も何もなかったって話しますから! とにかく落ち着きましょう! ねっ、ねっ!?」
「しかし、しかし!」
ここまで話してみてよーくわかった。リリナさん、思い込みすぎるとポンコツになる人だ!
「大丈夫です! オールグリーン! なーんにも問題はありませんでした! ルティにもフィルミアさんにも、何も言いませんから!」
「で、では、ピピナにも今のことはくれぐれも内密に!」
「当然です!」
「もうておくれなんですけどねー」
「「……え?」」
突然聞こえてきたのんびりとした声に、ふたりしてリリナさんの背後にある窓へ視線を移すと、
「はーい」
「※◎☆〆&†≒℃\#%*っ!!」
開いてた窓に腰掛けているピピナを見たからか、リリナさんは言葉にならない絶叫を上げて、壁際にいた俺の横にビタッと貼り付いた。




