第148話 異世界ラジオと夏合宿⑦
それでも鍋のそばから離れないルゥナさんは、目を閉じてすんすんと鼻をひくつかせると、
「とってもおいしそう……!」
おお、すっげえ目が輝いている。
「た、確かにおいしそうなにおいがするけどっ! ごめんね、サスケくん。今すぐ連れてくから!」
「えーっと……ルゥナさん、味見をしたいんですか?」
「ん」
俺の問いかけに、俺より頭半分ぐらい背の低いルゥナさんが見上げながらこくこくとうなずく。そして、カレーがぐつぐつ煮込まれている大鍋へまた視線を落とした。
いったん味見もしたし、それから結構時間をかけて煮込んでる。せっかくだから、ここで味見をしてもらおうか。
「いいですよ。よかったら、ステラさんもごいっしょにどうぞ」
「やったぁ!」
「えっと、いいの?」
「母さんのレシピからちょっとアレンジを加えてるんで、感想ももらえたらなと」
「じゃあ、ステラももらっちゃおっかな」
「わかりました。ちょっと待ってくださいね」
照れ笑いを浮かべるステラさんにそう返しながら、カレーがグツグツ煮立っている深鍋をお玉で2回、3回とかき混ぜていく。少し前までサラサラだったカレーには軽くとろみがついて、スパイスが効いた匂いとかすかに甘い香りが漂ってきた。
まずは自分で小皿にとって味見して……よしっ、これならきっと大丈夫。そう思いながら、改めてもうふたり分の小皿へカレーを注いで調理台へと置いていく。
「ルイコさんとアヴィエラせんぱいは食べないんですか?」
「わたしは、さっき味見したから」
「アタシも夕ごはんまでのお楽しみにってね。はいっ、ステラ様とルゥナちゃんのスプーン」
「ありがとうございます!」
「ありがと」
アヴィエラさんが差し出した木製のスプーンを、笑顔のステラさんとルゥナさんが受け取る。そして、そのまますくったカレーを口へ運ぶと、
「甘みを強くしたのかな? ……あ、でもちょっと辛いや」
「あまからでうまうまー」
「そうだね。ししょーのとはまた違うおいしさかも」
「ありがとうございます」
口々に、うれしい感想を言ってくれた。
「生野菜のサラダだと食中毒が怖いんで、こっちにいろんな野菜を入れてみたんです。あと、甘いのはカボチャも入ってるからかもしれません」
「へえ、〈かれぇ〉って夏のお野菜も合うんだね。参考になるよ」
「とりにくもじゅわってしてて、とってもおいしい。サスケおにーさん、ごはんのとき、たくさんおかわりしていい?」
「ええ、たくさん作ったんでどんどん食べてください」
「わーいっ!」
「ステラも、ステラもいいよねっ?」
「もちろんいいですよ」
「ありがとーっ!」
ふたつ返事でうなずくと、ルゥナさんもステラさんもうれしそうにはしゃぎだした。俺が作ったカレーでこんなに喜んでくれるなんて……やっべえ、すっげぇ癒される。
「あー……サスケ、ちょっと休憩しとけ。な?」
「えっ?」
「しょ、しょうがないよね。癒されたい時もあるよね?」
「も、もしかして、声に出てました?」
「出てた出てた」
「うわぁ」
マヌケじゃん! まるっきりマヌケじゃん!
でもしょうがないよな? 目の前で「おいしいねー」なんて笑いあいながら、カレーをもぐもぐ食べてくれてんだぞ? さすがルティとピピナのお姉さんって感じでかわいいんだぞ? 癒されて当然だよな?
「つーことで、煮込みはアタシとルイコで見とくから、サスケは外で気分転換してきな」
「でも」
「いいのいいの。松浜くんがここまでやってくれたんだから、あとはわたしとヴィラちゃんに任せて」
「……まあ、ふたりがそう言うなら」
あまり納得はしてないけど、仕方なく俺はうなずいてみせた。
ふたりとも心配そうに見てるし、アヴィエラさんが言うとおりあとは煮込むだけ。ここはお言葉に甘えて、ぶらぶらほっつき歩いてみることにした。
とは言っても、さっき情けない姿を見せたこともあって飯ごう組のほうには行きにくい。そうなると……
「だったら、調理室に来ない?」
「ん、ちょーりしつちょーりしつ」
と、思い浮かんだ場所がステラさんとルゥナさんの口から飛び出した。
「いいんですか?」
「もちろん。ステラたちのぶんはもう終わってるし、ゆっくりするのにいいとこだよ!」
「さすけおにーさんはとってもがんばってた。だから、みんなでのんびりする」
「んじゃ、お邪魔しますか」
ちょうど行こうかと思っていたところだし、ふたりに誘われて断れるわけがない。そう思いながら、俺はお玉を鍋の縁に立てかけた。
「あとはお姉さんたちの番だ。のんびりしてこい」
「いってらっしゃーい」
「すいません、よろしくお願いします」
「アヴィエラせんぱい、ルイコさん、またあとでね!」
「またあとでー」
ふたりが手を振ると、アヴィエラさんも赤坂先輩も笑顔で手を振り返す。俺もつられて手を振りながら、調理室がある宿泊棟のほうへ歩き始めた。
「そういえば、サスケくんの手料理ってはじめて食べたかも」
「ん。いつもちほおねーさんか、たまにふみかずおにーさんだった」
そして、並んで歩き出すステラさんとルゥナさん。
「基本的に、俺の出番は父さんと母さんが忙しいとき専門なんで。最近は夏休みでお客さんも程々だから、出番がないんですよ」
「ししょー、厨房でぱぱっと作っちゃうもんね」
「さすがちほおねーさん。ステラのししょーなだけある」
「あははは……」
目をキラキラさせてるふたりには申し訳ないけど、曖昧に笑うことしかできない。
ステラさんがうちの喫茶店を手伝うようになってから、母さんは唯一のキッチン志望だからとはりきっていろんなことを教えだした。料理の作り方はもちろん、喫茶店に大切なコーヒーや紅茶のいれかたに接客のイロハまで熱心に。
そんな母さんのことを、ステラさんはいつの間にか『ししょー』って呼び始めて、アヴィエラさんや前からいるバイトさんたちまで『せんぱい』って呼ぶようになった。ついには俺まで呼ばれそうになったけど、さすがに気が引けて今までどおりに呼んでもらっている。
「楽しみだなー。みんなといっしょに作って食べるのは初めてだし」
「旅をしてる最中は、そういうことはなかったんですか?」
「いつもステラとルゥナのふたりで、あとはその街にいるししょーやお客さんとぐらいだったかな。家のみんなとはいつもだけど、友だちとってのいうのは初めてだよ」
「ん、とってもわくわく」
「じゃあ、めいっぱい楽しんじゃってください」
「もちろんっ。ねー」
「ねー」
にこにこと笑いあいながら、ふたりは顔を見合わせた。
主従タイプなルティとピピナ、フィルミアさんとリリナさんとは違う友達のような関係は、見ているこっちまでほのぼのとしてくる。
「カナちゃん、ミハルちゃん、サスケくん連れてきたよー」
「いらっしゃいませ、せんぱい!」
「おつかれー」
そのまましゃべりながら合宿所の調理実習室へ行くと、エプロン姿の有楽が振り返りながら声をかけてきた……かと思ったら、壁際に寄せられているパイプイスを組み立てて、
「どーぞどーぞ」
「お、おう?」
座ってくださいとばかりに、頭を下げながら手で指し示した。なにか企んでるのかとおそるおそる座ってみても、ただの普通のイスだ。
「じゃあルゥナ、さっそく始めよっか」
「ん」
そんな俺をよそに、いっしょに来たステラさんとルゥナさんはでっかい冷蔵庫のほうへ駆け寄っていく。
「…………」
横にいる天敵様はいつもの無表情で見下ろしてくるし、いったいなんなんだ?
「……言いたいことがあるなら言えよ」
「いえ、どう言葉へすればいいのかと」
「は?」
「さすがの私も、ああも見事に追い出された松浜くんへどう声をかければいいのやら」
って、意味深そうに目をそらしやがったよ。
「中瀬が気遣うとか……やめろよ、ゲリラ豪雨でも呼ぶ気か? メシはこれからなんだぞ?」
「調子に乗ってると罵倒しますよこの負け犬」
「予告直後に罵倒する奴がいるか」
ちょいと軽口を叩けば、いつもみたいに冷たい視線を向けて中瀬が罵ってくる。よかった、こうじゃなくちゃ調子が狂う。
「あははは……でも、元気そうでよかったです」
「別に落ち込んじゃいねえって」
「そのわりには、ずっと真顔でタマネギ刻んでましたよね?」
「まるで魂が抜け落ちたかのように真顔でした」
「お前らも見てたんかい」
くっ、有楽と中瀬にまでアレを見られてたとは……
「みんなで様子を見に行ったら、サスケくんがひたすらズダダダダッて」
「まるでフィンダリゼのからくりにんぎょう。みてておもしろかった」
「ステラさんとルゥナさんまで!?」
冷蔵庫のほうにいるふたりにまで言われるし!
結局ここにいる全員に見られてたわけで、思わず頭を抱えたくなる。俺、どんだけ醜態さらしてんだ……?
「まあまあせんぱい、せっかくここに来たんだから味見していってくださいよ」
「味見?」
「ステラたちね、〈ふろーずんよーぐると〉っていうのを作ってみたんだ」
そう言いながら、ステラさんが抱えていた大きめのプラスチック容器を調理台へと置いた。ふたを開ければ、現れたのは赤いマーブル模様で彩られた白いフローズンヨーグルト。霜が降りているのを見ると、確かにちゃんと凍っているらしい。
「フローズンヨーグルトって、よくこんな短時間で作れましたね」
「ふもとの商店へ行ったら、牛乳とか〈よーぐると〉の試し飲みがあったんだ。飲んでみたらとっても濃くて美味しかったから、デザートはこれにしようって思って」
「かなおねーさんが〈よーぐると〉のあじをととのえて、ステラとみはるおねーさんでいちごの〈そーす〉をつくってみた。ルゥナは、こおらせるたんとー」
「中瀬がソース担当……だと……?」
「いろいろ言いたいところではありますが、まずは食べて驚けと言っておきましょう」
中瀬の名前にわざと表情を固まらせたら、胸を張って自信ありげに言われた。
「そ、そこまで言うなら食べてやるよ」
「じゃあさすけおにーさん、たべてみて」
ルゥナさんは容器からスプーンでフローズンヨーグルトをひとすくいして、その小さな塊ごと小皿にのせると俺に手渡してくれた。
手にしたスプーンはひんやりとしていて、ほどよく凍っているのが伝わってくる。それをそのまま口へと運ぶと、
「うまっ!?」
ヨーグルトの濃い味が冷たく広がったと思ったら、イチゴソースの甘酸っぱさと合わさってふくらんで、ゆっくりと溶けるように消えていった。
「なんだこれ……こんな美味いの初めてだぞ」
「でしょ? どの果物と合わせたらいいかなって考えてたら、ミハルちゃんがここはイチゴの名産地だって教えてくれてね」
「そんなのよく知ってたな」
「甘いもの好きとしては外せません。さっきのお店にとれたてのがあったので、なっちゃんの目利きでいいのが揃ってるパックを探して」
「ステラが教えながらイチゴのソースを作ったら、こんなにおいしくなったんだもんね」
「基本のレシピ通りに作るとこんなに美味しいとは……自分でも驚きです」
「お前、まさかアレンジャーか!?」
「ついさっきまでは『料理はひと工夫』が信条でした」
腕を組んでしみじみと言う中瀬にツッコミを入れたら、これまた堂々とどうかと思う主張が飛び出した。それは料理の基本を極めた人が言えることだっての。
「で、煮たり凍らせたりで時間があったから、かわりばんこでせんぱいの様子を見に行ってたんです」
「そんなに重症そうだったか?」
「とっても。あんな先輩の声を聴いたの、はじめてでしたよ」
「ラジオ大好きな松浜くんがあそこまで落ち込むとは」
「いつものサスケくんじゃなかったよね」
「〈らじお〉からきこえてきたこえ、とってもしどろもどろだった」
「おおぅ」
容赦ないみんなからの言葉に、思わず頭を抱えたくなる。俺、そこまでダメダメだったのかよ……




