第144話 異世界ラジオと夏合宿③
かすかに吹いたそよ風が、静かに木々を揺らした。
それは向かいの木陰にいるルティとリリナさんの髪をなびかせて、銀と青の光を淡くきらめかせている。
『〈桜木さん、そしてゲストのフィルミアさん、ピピナさん、こんにちは〉。こんにちは』
『こんにちは~』
『こんにちはです』
芝生の上に置かれたラジオからは、空也先輩に続いてフィルミアさんとピピナの声。
『〈この間、ボクは高校の修学旅行へ行ってきました。5泊6日で広島から京都までの弾丸旅行はとても楽しかったですけど、それぞれの町をじっくりとまわってみたいのも正直なところ。今年は受験だから行けないけど、来年は秋の尾道や京都を弟とのんびり歩いてみたいと思います。
みなさんは、旅行でどんな思い出がありますか? もしよかったら教えてください〉――若葉市にお住まいの『さくら・ブロッサム』さんからのお便りですね。旅行かぁ……フィルミアくんとピピナくんは、この夏休みにみんなとどこか行ったのかな?』
『実は、この〈がっしゅく〉が日本へ来て初めての旅行なんです~』
『でもでも、さすけやるいこおねーさんが〈すいぞくかん〉とか〈やきゅー〉をみにつれていってくれたですよ』
『それはそれは。じゃあ、僕らも退屈しないように趣向を凝らさないと』
『さっそくのらじおで、ピピナはとってもたのしーですよ!』
『わたしも、クウヤさんとナナミさんと〈らじお〉でおしゃべりするのが楽しみでした~』
初めて聴く3人での弾むようなトークは、聴いているこっちも楽しくなって頬がゆるんでくる。いつもはお姉さんが相方な空也先輩のトークも、久しぶりだっていうのに絶好調みたいだ。
「ふむ」
で、そのお姉さん兼さっきのお便りを書いた張本人ーー七海先輩も、あごに手をあてながらポケットラジオを眺めていた。
「こうして聴いてると、なんだか不思議に思えてくるね」
「何故ですか?」
「いつも、空也はボクとしゃべってばかりだから。他の誰かとのトークを聴く機会は、あんまりないんだよ」
ルティからの問いを、にっこり笑って答える隣の七海先輩。いつもより穏やかに答えてるあたり、よっぽど新鮮に感じてるんだろう。
「俺はフィルミアさんとピピナが喰われないか心配だったんですけど……こう来るなんて、意外でした」
「喰われる、とは?」
「存在感がです。空也先輩、七海先輩と揃っておしゃべりモンスターなもんで」
「ああ、その点は心配御無用」
首をかしげるリリナさんに説明すると、七海先輩があっさりと俺の心配を打ち消してきた。
「今日はみんなとじっくりしゃべりたいから、落ち着いていこうってふたりで決めたんだ」
「だからですか、空也先輩がこんなに落ち着いてるのは」
「さすがに、初めてのトークでいきなり振り回したりはしないよ。まずはお手並み拝見ってところかな」
おやまあ、やたら優しいことで。でも、確かに俺が入学したときもこんな感じで優しく接してくれてたっけ。
すぐにふたりとも化けの皮を剥がして、やりたい放題やらかし始めたけどな!
『わたしたちの国にも海はありますが、高い山の向こうなのでなかなか行く機会がないんですよ~』
『それじゃあ、水族館はうってつけのお出かけだったんだね』
『はいですっ。ちっちゃなおさかなさんもおっきなおさかなさんもたくさんおよいでて、とってもきれいだったです』
『きれいすぎて、閉館の時間が名残惜しかったですね~』
『わかるなぁ。僕と姉さんも小さいころに行って、閉館のアナウンスが流れてるのにずーっと水槽にかじりついてたよ』
『くーやおにーさんもですかっ』
『僕も子供だったからね。もっとも、今でもテーマパークとかに行くとギリギリまでねばってるけど』
『わたしも、やはり時間いっぱいまで楽しんでいたいです~』
あー、そういうのってあるなぁ。俺も小学生で初めてわかばシティFMのスタジオに入れてもらったとき、必死に卓へかじりついてたっけ。
話題に出てきた七海先輩はくすくす笑っていて、ルティとリリナさんは……あ、ちょっと気まずそうにしてる。まあ、実際にレンディアール組はみんな閉館時間ギリギリまでかじりついていたし。
それにしても、空也先輩のトークの回し方はやっぱり上手い。
自分から話のネタになるようなことを振るだけじゃなく、ふたりの話を聞いた上でさらに話題を広げて行こうとする。七海先輩との番組でもほとんど話を途切れさせないし、こうしてのんびりとしたトークで聞いてみるとなおさら際立って感じられる。
「松浜君も、興味津々といった顔をしているね」
「ゲストを迎えた時の空也先輩のトーク、やっぱり上手いなって思って」
「そうかそうか、キミもそう思ったか。きっと、フィルミア君とピピナ君とはこのくらいのテンポがちょうど合うって思ったんだろう」
「クウヤ殿が、ミア姉様とピピナとの会話に合わせてくださっているということでしょうか?」
「それはそうだよ。パーソナリティが自分のやりたいテンポだけで進行したらゲストを置いてきぼりにしかねないし、なにより聴いてるほうが疲れてしまう」
「なるほど。来賓をもてなすのが主催の役目とよく言いますが、〈らじお〉でも同じというわけですか」
「おおっ、なかなかいい例えだね。さすがはお嬢様」
「い、いえ。しかし、とても参考になります。……来賓が来たら、もてなすのが主催の役目、と」
ルティは少し照れたように視線を下げると、ぽつりとつぶやきながら手にしていたメモ帳へボールペンで書き込んでいった。
ひらがなやカタカナ、漢字やローマ字とも違う文字は、レンディアールがある大陸の公用語。もう半分以上のページが使われたメモ帳の紙はかなりよれていて、それだけ書き込んで読み込んでるんだってことがよくわかる。
その白い紙と黒い筆跡にも、風で揺れる木漏れ日がキラキラと降り注いでいた。
どうして俺たちが木陰にいるのかっていうと、先輩たち主導のトークレッスンの実習をポケットラジオで聴くため。
3つの班に分かれて、ひとつの班がルティ愛用のミニFM送信キットと桜木姉弟お手製のお便りを使った実習を体育館で担当。残るふたつの班は、こうして生放送を聴きながらリーダーに解説をしてもらってるってわけだ。
もちろん俺の班は七海先輩がリーダーで、今放送している班は空也先輩がリーダー。少し離れた木の下では、リーダーの赤坂先輩のもとで有楽とアヴィエラさんが学んでいる。
桜木姉弟プロデュースの夏合宿は、こうして広々とした合宿所を活かした実践形式で幕を開けた。
『そーいえば、くーやおにーさんもりょこーしたことはあるですか?』
『僕かい? 僕は小さな頃に父さんと母さんに連れられて、姉さんといっしょに日本のいろんなところをまわったぐらいかなぁ』
『〈ニホン〉中で旅をされていたのですか~』
『うん。僕と姉さんが小学校を卒業した春休みに、せっかくだから家族で旅をしてみようってことになってね。若葉市をスタートしてから、北海道から鹿児島――えっと、日本の北と南を通ってぐるっと一周した感じだね』
『それはたのしそーですねー。おやどのごはんとかもたくさんたべられそーです』
『ところがねぇ……ずーっと車だったんだ』
「「「『『えっ?』』」」」
『泊まってたの。ずーっと車の中で』
「「「『『えぇぇぇぇぇっ!?』』」」」
ラジオからの声とここにいる俺たちの声がハモって、七海先輩へと視線が集まる。
「くっくっくっくっ」
否定もせずに笑ってるあたり、リアルでやってたんだな……七海先輩と空也先輩がアグレッシブなのって、もしかしたら家系だからなのか。
『とはいっても、キャンピングカー……って、わかるかな? 寝床とかキッチンがある大きめの車を借りて寝泊まりをして、その土地その土地の名物とか特産品を買ってごはんにしてたってわけ』
『すごいですっ! にほんのいろんなおいしーもの、ピピナもそーやってたくさんたべてみたいです!』
『そういう旅も、のんびりしてて楽しそうですね~』
『楽しかったねえ。北海道じゃ雪の中を走ったり、鹿児島で若葉市より先にお花見ができたりして。みんなで次はどこへ行こうかってわいわい決めたりして、今でもその時のアルバムは僕の宝物だよ』
『思い出というのは、何物にも代えがたい大切なものですから~』
『ピピナも、にほんにいるまいにちがたからものです』
『どこの国でも、そのあたりは同じなのかもね』
満足したように、空也先輩が声を弾ませる。国どころか世界を越えて……なんて、言えるわけがないよな。ふたりとも、ルティたちが異世界出身だなんて知らないんだから。
「フィルミア君とピピナ君のトークも、実に上手だね」
「えっ? え、ええ」
そんな考えに被さるような七海先輩のつぶやきに、一瞬心臓がどきりと跳ねる。
「ただ人の話を聞いて答えるだけじゃなく、自分からも関係する話題を振って話を広げていく。慣れていないと、なかなかできないことだよ」
「それは……確かにそうかもしれません」
気を取り直して聞いてみれば、七海先輩の言うとおり。フィルミアさんもピピナも、自然と空也先輩の話に乗っかって参加していた。
「みんなで番組をやってる成果が出てるんだと思います。ピピナはルティと並ぶメインパーソナリティですし、フィルミアさんもリリナさんたちとたくさん練習を重ねてるんで」
「そのパートナーふたりとボクがしゃべるわけか。なるほど、断然楽しみになってきた」
「きょ、恐縮です」
「ナナミ様のお眼鏡にかなえばいいのですが」
少し顔をこわばらせたルティと、照れ笑いを浮かべたリリナさんが顔を見合わせる。ラジオで初めてしゃべるとなると、やっぱり緊張するんだろう。でも、場数を踏んでる今のふたりならきっと大丈夫。
……さすがに七海先輩も、初めてラジオでしゃべる相手に引っ張り回すことはしないだろ。多分。おそらく。きっと。
『さてさて、そろそろ時間もいっぱいになってきたことだしお開きにしようか』
こっちでそんな話をしているうちに、空也先輩たちの番組は終わりを迎えようとしていた。
『えー、もうそんなじかんですかー』
『10分というのはあっという間ですね~』
『僕も名残惜しいけど、さすがに時間だからさ』
ピピナとフィルミアさんの残念そうな言葉に、少しためらいがちに応える空也先輩。さっきまでいい具合に噛み合っていただけに、ここで終わるのが惜しいらしい。
『というわけで、このお時間は僕、桜木空也と』
『げすとのピピナ・リーナと』
『フィルミア・リオラ=ディ・レンディアールがお送りしました~』
『それではまたみなさん、またいつか!』
『『『ばいば~い!』』』
『……というわけで、僕たちの出番はおしまい。みんな、体育館に戻っておいでー』
3人でのエンディングトークから少し間を空けて、空也先輩がスピーカーの向こうにいる俺たちへと呼びかけてくる。それからすぐにはしゃぐような声が聴こえてきたかと思うと、送信キットの電源が切られたみたいで『ザーッ』ってノイズがポケットラジオから流れだした。
「いやぁ……いいね。実にいい」
そのラジオを手にとった七海先輩が、そうしみじみと言いながら電源を消す。
「こんな面白いモノを今まで黙ってたなんて、ルティ君も松浜君もズルいじゃないか」
「ええっ!?」
「いやいや、そう言われても!」
って、いきなりすねられても困るんですけど!? ルティも思いっきり驚いてるし!




