第139話 異世界ラジオのつなぎかた②
ルティとフィルミアさんのおかげで『ラジオ』がどういうものかを少しずつわかってきてはいるステラさんだけど、やっぱり根本的なところではまだまだ苦手らしく、ことある毎にこういう叫びを上げたり、びくっと身体を震わせたりしていた。
日曜日、食べ歩きで電車に乗るときや駅の構内でもこんな感じだったし、
〈お客様にご案内申し上げます。ただいま東都スカイタワーラインは北千流駅構内で発生した車両点検のため――〉
『ひぃっ!?』
〈バックします。ご注意ください〉
『な、なんなのこの声ぇ……』
〈夏真っ盛り! 暑くてだる~いあなたの目を覚ますような大セールを実施中です!〉
『誰っ!? どこにいるのっ!?』
昨日『異世界ラジオのつくりかた』の収録で深草のスタジオへ向かったときには、常にこんな感じ。そのたびにルティやフィルミアさん、ピピナやルティとサジェーナ様がフォローしてくれて、帰りの電車の中では少しは落ち着くようになってはいた。
それでも『ひっ』とか『うぅ……』とか小さく聞こえていたのは……まあ、仕方ないよな。
なんてったって、まだステラさんは日本に来て3日目なんだから。
「チホおねえさん。ルゥナが〈ぱすた〉をゆでるときもこれをつかうの?」
「時間を計るためにはね。それとも、やっぱり怖い?」
「ううん。なるのがたのしそうだから、ルゥナもやってみたくなったの」
「ううっ、なんでルゥナは平気なのー……」
りんご型のキッチンタイマーを持ってほにゃっと笑ってるルゥナさんは、さすがに例外と思っておこう。あと、すぐに興味津々だったルティとフィルミアさんと、学習していたピピナやその痕跡から追ってきたリリナさんも。
……あれっ? そうなると、ステラさんってもしかしてサジェーナ様以来の『知識も興味もゼロで日本で生活してる異世界人』なんじゃないか?
「このあたりは、やっぱりジェナと親子だよね」
「えっ?」
「ちょ、ちょっとミイナ」
とか思っていたら、ミイナさんがぽつりとこぼした言葉にサジェーナ様がうろたえ始めた。
「ボクたちが初めてニホンへ来たとき、ジェナはこういった音がとっても苦手だったんだ」
「ああもうっ、ばらさないでよっ!」
「そうだったんですか?」
「チホの部屋――ああ、今はキミの部屋か。そこで寝てたときだって、目覚まし時計を鳴らせば一発で起きてたぐらいに。〈らじお〉の音は全然平気だったくせに」
「あーもー……ち、ちなみに、今は大丈夫だからねっ。ニホンにいるあいだの1ヶ月、ずーっと聴かされて慣れちゃったんだから」
「そのおかげで、今度はお寝坊さんになっちゃいましたとさ」
「ミイナっ!」
「さっきのお返しだよーだ」
ふふんと笑いながら、ミイナさんがサジェーナ様の肩から飛び立ってさっきまでいた一段下の階段へと戻る。このあたりのからかいあいは、長年の付き合いだからこそなんだろう。
「まあ、こればっかりは慣れなんですかね」
「結局のところはね。なりゆき上とはいえ、先に来てた子たちみたいに順応するにはちょっと時間がかかるかも」
「ボクも、見守るのがいちばんだと思うよ」
「そのぶんは、私たちで支えることとしましょう」
「ですね。ピピナも、ステラさまをおたすけするですっ!」
心配した俺とサジェーナ様の言葉に、妖精さんたち親子は力強くそう言ってみせた。このあたりも、昔から王家の人たちを見ていたからできることなのかもしれない。ルティとフィルミアさんも様子を見たりしてステラさんに気を配っているみたいだし、俺もできることはやっていかないと。
そんなことを考えると、入口のドアベルがからんと鳴り響いた。
「いらっしゃいませ!」
「おお、相変わらず元気だな。エルティシアのお嬢ちゃん」
「マモル殿ではないですか! ごぶさたしております!」
元気なあいさつからのうれしそうな声に振り向くと、グレーのスーツを着たおじいさん――『ホダカ無線』の馬場さんがドアを開けて入ってくるところだった。
「ごぶさたしております~」
「おう、フィルミアのお嬢ちゃんもごぶさただな。小坊主もなかなかいいツラしてるじゃねえか」
俺が駆け寄ると、馬場さんはスーツと同じグレーの帽子を取ってニヤリと笑ってみせる。この暑い夏でも、相変わらず元気みたいでなによりだ。
「おかげさまで。珍しいですね、平日にアポとって来るなんて」
「ウチの孫も夏休みでな。『自分が店番するから、じいちゃんもたまには遊んでこい』って追い出されたわけよ。で、智穂嬢ちゃんのコーヒーを飲むついでに納品に来たってわけさ」
「そう言っていただけるとうれしいです。あとで、いつものアイスコーヒーをお持ちしますね」
「本当、智穂嬢ちゃんは坊主にもったいない気立てのよさだな。ありがとよ」
「まあまあ、馬場さんったら」
俺のあとにやってきた母さんが、馬場さんの褒め言葉に手をぱたぱたとさせながら笑う。俺たちの家に無電源ラジオのキットを持ってくるようになってからはすっかり顔見知りになって、母さんが知らないラジオ好きとしての父さんの顔を話してもらったりしているらしい。
「ワゴンはうちの駐車場に停めてますよね」
「もちろん。今は混んでるから、荷物はあとで運び込むとするか」
「じゃあ、まずは2階でひとやすみしてください。母さん、ちょっとだけ抜けてもいいかな」
「ええ。アイスコーヒーも作ったら持っていくわね」
「エルティシア様、サスケ殿。もしよろしければ、私たちがあとを引き継ぎますが」
「ピピナもねーさまといっしょにてつだうですよー」
母さんから中抜けの許可をもらおうとしたら、その後ろからひょっこりと人間サイズになったリリナさんとピピナが姿を現した。ライトブルーのエプロンとスカーフもお揃いで、凛々しいお姉さんとかわいらしい妹さんに見える。
「いいんですか?」
「もちろんです。マモル殿、ようこそいらっしゃいました」
「まもるおじーちゃん、いらっしゃいです!」
「おうおう、リリナ嬢ちゃんもピピナ嬢ちゃんも相変わらずだ。すまんな、こんなジジイのために嬢ちゃんたちの手をわずらわせて」
「なにを仰るんですか。マモル殿がいらっしゃるから〈らじお〉づくりがはかどるのではないですか」
「きびしーけどやさしーおじーちゃんだから、ピピナたちもがんばれるですよ。ルティさま、さすけ、あとはピピナたちにまかせてくださいっ」
俺よりもずっと低い背で見上げてくるピピナが、どんとこいとばかりに握りこぶしをつくって胸元を叩いてみせた。前のピピナだったら背伸びしてとか思ったかもしれないけど、今のピピナならこんなに頼もしい申し出はない。
「では、ふたりの言葉に甘えてここで交代させてもらおうか」
ルティもそう思ったみたいで、断ることなくふたりの申し出を受け入れた。
「そうだな。じゃあ馬場さん、こっちの玄関からどうぞ」
「ああ、そうだったそうだった」
俺は先に店の外に出ると、すぐ脇にある奥まった通路へと先導した。隣の本屋さんと店に挟まれた通路を進んでいけば、突き当たりにはドアがあって、
「ただーいまっと」
そのドアを開けると、目の前には下駄箱と2階への階段が。そしてその脇には店のキッチンへの通路があった。ここが休みの日や営業時間じゃない時、そしてお客さんが来たときに使ううちの玄関だ。
「邪魔するぞ」
「どうぞ。マモル殿のぶんの〈げたばこ〉も空けております」
「こうやって、ケチャップは一気に入れないよう少しずつ入れていくの。トマトの酸味が強い調味料だし、入れすぎたら調整が利かないから」
「そっか。お店で出すときには決まった量だから、〈メン〉を入れて増やすわけにもいかないんですね」
馬場さんが土間で靴を脱いでるすぐ側では、さっきまでにこやかに話していた母さんがもうアリステラさんへの料理講習に戻っていた。あとはもう、俺たちに任せるっていうことなんだろう。
「なんだ、初めて見る嬢ちゃんだな」
「私のひとつ上の姉であるアリステラです。今はちょうど、チホ嬢からこの店の料理を学んでいるところでして」
「なるほどな。邪魔するのも悪いだろうし、さっさと上へ行くとしよう」
「わかりました」
先に土間から上がった俺は、誰もいなくなった階段をゆっくり上がっていった。……って、あれっ? サジェーナ様とミイナさんはどこへ行ったんだろう。
疑問が湧いてきたからっていって立ち止まるわけにもいかないから、そのまま階段を上がり続けて2階のリビングへと入っていく。
「アヴィエラさん、馬場さんが来ましたよー」
「えっ、もうそんな時間なのか!?」
ダイニングのテーブル席にいたアヴィエラさんが、あわててこっちを向く。何か書き物でもしていたのか、ボールペンを握った手の下には開かれたままのノートが置いてあった。
「よう、アヴィエラの嬢ちゃん。勉強でもしてたのか?」
「いらっしゃいませ、マモルさん。勉強といえば、まあ勉強かも」
アヴィエラさんが照れ笑いを浮かべながらペンを置いて頭をかくと、腕が陰になって見えなかったところに小学生用の国語辞典と1冊の大きめな本が並べられていた。
「どれどれ……おお、『おおきなかぶ』とはまた久しいな。この話を、嬢ちゃんたちの国の言葉へと訳しているというわけか」
「そんなところです。このあいだ図書館で借りてみたら面白かったんで、〈らじお〉で子供向けに読めるようにしとこうかなって思って」
「うむ、こういうわかりやすくて親しみやすい話なら子供たちも喜ぶだろう。どんな情景なのか、想像力も養えるだろうしな」
「でしょ? えへへっ」
リビングからダイニングへと歩みを進めて近づいて来た馬場さんへ、アヴィエラさんが誇らしそうに笑ってみせる。俺もじいちゃんにほめられたりするとこんなふうに笑うけど、やっぱりアヴィエラさんもそうなんだ。
「ようこそいらっしゃいました。ババ・マモル様」
「いらっしゃーい」
さっきまで俺たちがいた入口からの声に振り向いてみると、店使用の服装からオレンジ色の皇服と白いワンピースに着替えたサジェーナ様とミイナさんがリビングへと入ってくるところだった。なるほど、ふたりとも馬場さんを出迎えるために着替えてきたのか。
「おや、そちらのお嬢さん方は……ルティ嬢ちゃんとピピナ嬢ちゃんのお姉さんかな?」
「あらあら、そう仰っていただけるなんて。わたしはエルティシアたちの母で、サジェーナ・フェリア=ディ・レンディアールと申します」
「ボクはミイナ・リーナ。ピピナたちのお母さんだよ」
「おお、これはごていねいに。『リーナ』ということは、もしやお嬢ちゃんも……」
「うん。レンディアールに住んでる『精霊』だね」
ミイナさんはこともなげにそう言うと、何も無かった背中に透きとおった蝶のような羽をぱんっと広げてみせる。
それを見て一瞬面食らった馬場さんだけど、ミイナさんが薄い表情のままVサインをしてみせたとたんに豪快に笑い出した。
「わははっ、これはこれは! まさか、ピピナ嬢ちゃんやリリナ嬢ちゃん以外にも妖精さんが来ていたとはなぁ」
「だから『妖精』じゃなくて『精霊』だって。妖精たちのお母さんが精霊。これ、よーく覚えておいて」
「すまんな。ということは、ワシよりもずっと年上だったりするのか?」
「わたしたちの祖先が今の地に移る300年前よりずっと長く生きているそうなので、おそらくこちらの世界の誰よりも長命かと」
「だからって言って、ボクを敬ったりしなくてもいいからね。そういうの、すっごく苦手なんだ」
「わかった。じゃあ、ミイナ嬢ちゃんと呼ぶとしよう」
「ん、それでいい」
「そちらのお嬢さんも、サジェーナ嬢ちゃんでいいのかな?」
「はいっ。わたしはチホとほぼ同い年ですから全く構いません」
馬場さんのフレンドリーな物言いに、ミイナさんはくちびるの端だけで笑って、そしてサジェーナ様はふわりと笑って応えてみせた。秋葉原のホダカ無線で俺らと初めて会ったときはえらい仏頂面だったのに比べるとずいぶん雲泥の差だ。
まあ、うちに来て初めてピピナとリリナさんの正体を知ったときも豪快に笑い飛ばしてたし、本来はこういうフレンドリーな人なんだろう。
「マモルさん、立ちっぱなしもなんだからこっちに座ってよ。こっちこっち」
「そう慌てなさんな。ちゃんと座るよ」
その馬場さんを、3つ並んだイスの真ん中に座るアヴィエラさんが右隣の席を引いて誘う。ミイナさんはその反対側になる左隣のイスに座って、向かい側にサジェーナ様が座る。そこから左側へとルティと俺が座って、ダイニングのイスは見事に埋まった。




