第137話 異世界ラジオのつたえかた⑦
部屋の入口の上には『おはなしべや』っていうプレートが埋め込まれていて、その下には靴がたくさん置かれていた。ごていねいに『くつはここでぬいではいってね』ってかわいらしく書かれたプレートもあって、確かに中にいる子供たちは靴を脱いで床に座っていた。
「ここにいたんですね」
「あら~。ふたりとも、読み終わったんですか~」
「いらっしゃい、松浜くん、ルティさん」
そんな中で、入口のすぐ近くに立っていたフィルミアさんへ声をかけると微笑ましそうににっこりと笑顔を向けられた。その隣にいた赤坂先輩も、にこやかに笑ってくれた。
「もしかして、俺たちのことを見てたんですか?」
「うん。何度か呼びに行ったんだけど、とっても熱中してたみたいだから」
「ルティ、いい本にめぐり会えましたか~?」
「はいっ、手元に置いておきたいと思える本に出会えました。……って、リリナとアヴィエラ嬢はあそこでなにをしているのですか?」
「えっ」
ルティが向いたほうを見てみると、そこには見たこともない光景が広がっていた。
「『やあ、ぼくはカエル。このいけにすむカエルだよ。きみこそ、いったいだれなんだい?』」
「『わたしはフナ。きのうのあめで、ここにつれられてきたの』」
「『そうなんだ。ようこそ、ぼくたちのまちへ』」
「かえるが横に跳ぶと、そこはカエルや魚たちがたくさん集まる町がありました」
おはなしべやのいちばん奥。ふたつある木のイスに座っているのはアヴィエラさんとリリナさんで、その間に絵本を置いて床に座る子供たちへと見せるようにして読み聞かせをしていた。
「な、何してるんです!?」
「リリナちゃんがピピナちゃんとルゥナちゃんに読み聞かせをしていたら、他の子供たちも聞かせて、聞かせてってやってきたんですよ~」
「最初は戸惑ってたみたいだけど、始めたらすっかり乗り気になっちゃって」
必死に声を押し殺して、それでいてツッコミを入れざるを得ない勢いで聞いてみると、フィルミアさんと赤坂先輩は揃って楽しそうに答えてくれた。
改めて見てみると、確かに一番前のほうでピピナとルゥナさんが床に座ってふたりを見上げていて、その後ろに20人ぐらいの子供たちが座ってふたりのお話を聞いていた。
「さーて質問。この水に浮いてる生き物さん、何かわかるひと!」
「「「「「はいっ、はーいっ!」」」」」
アヴィエラさんが元気よくたずねると、子供たちが勢いよく手をあげて我先にと返事をし始めた。もちろん、一番前にいるピピナとルゥナさんもだ。
「はいっ。じゃあ、後ろのほうにいる黄色い〈しゃつ〉を着たキミ!」
「あめんぼさん!」
「あたりっ! もしかして、キミはアメンボを見たことがあるのかな?」
「うんっ、いえのちかくのたんぼにいっぱいいるんだー」
「そっかそっか、こっちにもアメンボっているんだね」
「アメンボさんのおうちは田んぼや池ですから、みなさんはそっと見守ってあげて下さいね」
「「「「「はーいっ!」」」」」
リリナさんの呼びかけに、子供たちがまた楽しそうに返事をかえす。アヴィエラさんもリリナさんも楽しそうだし、とても息が合っている。結構面倒見のいいリリナさんと姉御肌なアヴィエラさんだから、性に合っているのかもしれない。
「あのリリナが、こんなに優しい笑顔を浮かべるとはな」
「意外か?」
「いいや。近頃のリリナであれば、このような笑顔を見せてくれても不思議ではない」
「そうですね~。〈らじお〉に関わり始めてから、わたしだけに見せていたやわらかい笑顔をいろんな人に向けてくれたのが、とってもうれしいです~」
揃ってうれしそうに、ルティとフィルミアさんが笑い合う。ふたりとも生まれた時からリリナさんのことを知っているから、それだけ思うところもあるんだろう。
俺が出会った時のリリナさんはそれこそ刃のような鋭さを持っていて、ルティたち王族に無礼な態度を取ろうものなら首元に短刀を突き付けられるぐらいだった。
でも、今は会ったばかりの子供たちを前にして優しく本の読み聞かせをしている。もちろんピピナとルゥナさんへの読み聞かせがきっかけだったんだろうけど、こんな風に優しい笑顔を誰にでも見せてくれるなんて、あの頃は想像もつかなかった。
「アヴィエラ嬢も、さすがといったところか」
「イロウナでも読み聞かせをしていたって言ってましたから、こういうのは慣れているんでしょうね。わたしも、アヴィエラさんの気さくな読み聞かせはとても参考になります」
「まことに。この経験を我らの〈らじお〉でも活かしてくれていることが、とてもありがたいです」
感心したような赤坂先輩の言葉にも、大きくうなずくルティ。イロウナの学校で子供たちに読み聞かせをしていたとか言っていたから、このあたりはお手の物なんだろう。
最初は珍しいもの見たさで俺たちに近づいて来たのが、逆にルティにお願いされてヴィエルのラジオ局入り。魔術を駆使してミニFMの送信キットを強化してくれたり、持ち前の話術で俺たちだけじゃなくリスナーさんも楽しませてくれている。
まだ不慣れな生放送だって、これから場数を踏めばきっと上手くなるはず。商業会館での接客経験っていうバックボーンもあるから、場を盛り上げるポテンシャルは俺たちの中でもトップクラスだと思う。
今じゃ、ふたりともヴィエルのラジオに欠かせない存在。こうして子供たちを笑顔にしているきっかけがラジオにあるのなら、アヴィエラさんが言っていたようにヴィエルでも子供たちをラジオで笑顔にしていきたい。
「サスケ。やはり、リリナもアヴィエラ嬢も素晴らしいな」
「ああ、ふたりとも凄いよ」
そう思えるぐらいに、みんなで笑っているこの光景がとてもあたたかく感じられた。
* * *
「いやぁ、まさか4冊も読んじゃうなんてなー」
「アヴィエラ様の勢いに乗せられて、私もつい没頭してしまいました」
豪快なアヴィエラさんの笑い声と楽しそうなリリナさんの笑い声が、俺たち以外誰もいなくなった『おはなしべや』に響く。
きれいに晴れていたブラインドごしの窓の外はオレンジ色に染まり始めていて、さっきまでにぎやな声を上げていた子供たちも親に連れられて元気に帰っていった。
「いいなぁ。あたしたちもリリナちゃんとヴィラ姉の読み聞かせとか見てみたかったなぁ」
「ねえリリナ、ステラたちにも今度読み聞かせを見せてくれる?」
「もちろんです。その時には、ぜひルイコ様とみはるん様もお越しください」
「本当ですかっ」
「ルゥナ、リリナねえさまがとってもおはなしじょうずでびっくりしたよー」
「こんどリリナねーさまの〈らじお〉があるですから、ルゥナねーさまにもたのしんでほしーです!」
さっきまで一般図書室で料理本選びに没頭していたらしい有楽たちと、実際にリリナさんとアヴィエラさんの読み聞かせを目の当たりにしていたルゥナさんたちがわいわいと言葉をかわす。
料理本組が児童室に上がってきたのは読み聞かせがちょうど終わるところだったから、残念がるのもよくわかる。こうしておねだりされたら、今のリリナさんなら気軽に応えてくれるだろう。
「アヴィエラさんもお疲れ様でした。なかなか堂に入ってましたよ」
「ありがと、ルイコ。やっぱり子供たちを前にするとウズウズするもんだね。サスケもエルティシア様も、アタシとリリナちゃんの読み聞かせを楽しんでくれたかい?」
「はい、とっても。演じ分けとか感情の入れ方とか、俺としても参考になりました」
「私もです。さすが経験者と思えるような言葉運びでした」
「えへへっ、ありがと。フィルミア様も、あの場で許可していただいてありがとうございました」
俺とルティの返事でにまっと笑ったかと思うと、アヴィエラさんはすぐに真摯そうな表情に戻してフィルミアさんへ頭を下げた。
「いえいえ~。楽しめる人たちは、ひとりでも多いほうがいいでしょうから~」
「許可、ですか?」
「ああ。最初はピピナちゃんとルゥナちゃんに対して読み聞かせをしてたんだけど、おはなしべやの外から見ていた子供たちがいてさ。ふたりとも王族に連なる子たちだから、リリナちゃんとフィルミア様にお伺いを立ててから、子供たちを入れる許可をもらったってわけ」
「ここに、わたしたちの身分を知る人はいらっしゃいませんからね~。レンディアールでもわたしがよくやっていましたので、心配はご無用です~」
「だから、子供たちもいっしょにふたりの読み聞かせに参加していたと」
「とても佳き判断だと思います。私も、見ていてとても楽しめました」
フィルミアさんの何でもないような言い方が、レンディアールの寛大さ……というか、庶民っぽさを改めて感じさせてくれた。時々王族らしく気品が高いところを見せてくれることもあるけど、そういう下地がルティと同じ親しみやすさを生み出しているんだろう。
子供たちが帰るときも手を振ったりあいさつしたりして応えていたあたり、フィルミアさん自身もずいぶん慣れているらしい。
「エルティシア様にも楽しんでもらえたなら、アタシとしても本望さね」
「ええ。途中でエルティシア様とサスケ殿が来られたのには驚きましたが、おふたりにも笑顔で聞いていただけて私もうれしかったです」
「そんなふたりに、我からお願いがあるのだが……」
そこまで言ったところで、横にいたルティが言葉を詰まらせる。
ちらっと見てみると、きっきのように手にしていた本を胸元へと抱き寄せて……って、ルティは『たつのこ姫』の本を持ちっぱなしだったのか。
本から顔を上げれば、ルティの不安そうな目と視線が合う。なるほど、この本を使ってふたりにお願いしたいことがあるんだな。
俺が『いいんじゃないか』っていう風にひとつうなずくと、ルティの表情がやわらいで大きくうなずいてみせた。
「我の朗読の練習に、付き合ってはくれないだろうか」
「エルティシア様の練習にかい?」
「はい。読んでみたいと思った物語に……レンディアールの子供たちにも聴いてもらいたいと思える物語に、先ほど出会えたのです」
「そういうことでしたか。もしよろしければ、どういった物語かを見せてはいただけませんか?」
「う、うむ。この本なのだが……」
少し緊張した様子のルティが、抱きしめていた『たびをはじめるたつのこ姫』をリリナさんに手渡す。
「あっ、これって『たつのこ姫』シリーズだよね!」
「カナ様もごぞんじなのですか?」
「うんっ。小学校の学級文庫……えっと、教室の後ろに置いてある本棚には必ず入ってたぐらい人気なんだ」
「わたしがいた小学校だと、図書室でよく返却待ちが発生していました」
「懐かしいなぁ。わたし、この本でよく音読の練習とかしていたんだ」
「るいこせんぱいもですか!」
「神奈ちゃんも? もしかして、PCに録音したりした?」
「はいっ。事務所に応募するときのデモ音源に使いましたっ!」
何故か有楽が手を差し出して、赤坂先輩がその手を掴むようにしてがしっと握手した。なるほど、ふたりもこの作品のファンだったのか。
「竜の姫が世界をめぐるという物語の第1巻で、サスケと読んでとても楽しかったと思ってな。言葉も平易な上、軽快な物語も子供たちに伝わりやすいと思ったのだ」
「ニホンで人気な物語が、エルティシア様のお心をもつかんだというわけですか」
「アタシにも見せてー……おおっ、なんだかかわいい絵じゃん」
「カナ様がよく見る『モエ絵』とはまた違った絵柄ですね」
「どれどれ~……おお~、〈カンジ〉の横にあるひらがなは、この〈カンジ〉の読み方でしょうか~」
リリナさんも興味を持ったようにぱらぱらと本をめくると、その横からアヴィエラさんとフィルミアさんがのぞき込んできた。
竜の翼としっぽを持つ『たつのこ姫』・コリューンが走る後ろで布の服をまとった女の子・ミリュウが追いかける表紙は、シリーズのお決まりと言っていいほどの定番。かわいらしいその絵柄は本の中でところどころに描かれた挿絵でも発揮されていて、読む子供たちを楽しませてくれる。
「このほんって、ピピナにもよめるですか?」
「ピピナであれば、ひらがなとカタカナは読めるから大丈夫だろう。帰りに本屋でこの本を購入するから、ピピナも読んでみるとよい」
「わーいっ! ピピナもぼーけんものだいすきだから、よんでみるですよっ!」
「ピピナ、ルゥナにもその文字とかおしえてくれる?」
「もちろんです!」
「ねえねえルティ、ステラにも読んでくれるよね?」
「はいっ。そのための朗読なのですから」
妖精姉妹もステラさんも興味津々みたいだし、あとはリリナさんとアヴィエラさんの反応だけど……
「なるほど、巡礼の旅に出て人と人との関係を学ぶと……」
「へえ。半竜人と精霊が融合して、剣や魔術じゃなく自分の力を使って戦うのか」
感心しているように言ってるあたりからして、心配なさそうだ。
それでもルティは顔を少し強張らせて、じっとふたりを見上げている。まわりの声が聞こえないぐらい、ふたりの返事が気になるんだろう。
「よろしいでしょう。私も、この本を朗読してみたいです」
「よ、よいのかっ?」
「はい。こういった子供向けの冒険譚はレンディアールでも珍しいですし、きっと子供たちに喜ばれるかと思われます」
一通りさらっと読んだらしいリリナさんは、本を閉じて顔を上げるとルティにそう言って笑いかけた。
「アタシもいいと思うよ。向こうはどっちかっていうと昔話とかお堅い冒険モノが多いから、こういう物語は新鮮じゃないかな。なにより、この『たつのこ姫』の我が道を行く性格が面白い」
「そうですね~。お供をなさっている火の精霊様も水の精霊様も、たつのこ姫さんを叱ったりたしなめたりと面白い方々ですし~」
「物語を〈らじお〉へと採り入れてもいいのではというアヴィエラ嬢の言葉をサスケから聞いて、この物語がふさわしいのではないかと思ったのです」
「そっかそっか、エルティシア様はアタシの提案をくんでくれたんだね。確かにこの物語だったら、子供たちも楽しんでくれると思うよ」
「サスケさんといっしょに何をしているのかと思っていたら、この本を読んでいたのですね~」
「サスケに意味があやふやなところを教えてもらいつつ、いっしよに読んでおりました」
「なるほど~」
って、フィルミアさん。なんでそこで微笑ましそうな視線を俺にも向けてくるんですかね。
「まあ、今のところは置いておくとして~」
しかも『今のところ』って、あとで掘り出す気満々ですよね!?
「〈らじおきょく〉の局長であるルティが発案して、〈ばーそなりてぃ〉のリリナちゃんとアヴィエラさんがいいとおっしゃってるのですから、わたしもいいと思いますよ~」
「アヴィエラ嬢もミア姉様もありがとうございます! リリナも、認めてくれてありがとう!」
「いえ。エルティシア様の選ばれた物語であれば、このリリナもついていくのみです」
「いいなー。あたしも参加してみたいなぁ」
「ピピナもさんかできるですか?」
「ルゥナもやってみたいですー!」
「もちろんだとも」
「これはまた、録音機器をしっかりしなければいけなさそうですね」
有楽やピピナ、ルゥナさんに中瀬も話に入ってきて、朗読のメンバーがどんどん増えていく。よかった、みんなでいっしょに朗読できるならルティも心強いはずだ。
そんな中でふたり、ステラさんはきょとんとしながら少し離れたところでその輪を見ていた。
「どうしました?」
「んー……」
俺からの問いかけに、ステラさんがちょっと困ったように首をかしげる。
「サスケくん。これって、もしかして朗読したものを保存するってことなのかな?」
「ええ。もしかしたら、ステラさんは参加したくないのかもしれまんけど」
「そうだねぇ。ステラの声がなくなったら怖いし……」
困ったように笑っているあたり、ラジオへの恐怖心は消えていないんだろう。それでも、収録に参加する以外にもやれることはいろいろとある。
「だったら、俺たちが保存した声を聞いてみてください」
「えっと……大丈夫なの?」
「大丈夫ですって。俺たちは慣れてますし、面白かったかそうじゃなかったかを聞かせてくれるだけでもいいんで」
「そうです、ステラ姉様」
話を聞いていたのか、ルティも俺の隣にやってきて元気に声をかける。
「姉様には、私たちがどんな風にこういう物語を読んでいるのかをぜひ聴いていただきたいです。明日もちょうど〈らじお〉の〈しゅうろく〉がありますから、私が目指しているものを見てください」
「ルティ……」
はっきりとした、そして元気いっぱいなルティのお願いに、ステラさんがきょとんとした表情を浮かべる。
「……わかった。ルティが何を目指しているのか、ステラも見せてもらえるかな」
そして、にっこりと笑うとルティの肩にぽんっと手を置いて笑ってみせた。
「はいっ、ありがとうございます!」
「しばらく見ないうちに、ルティはずいぶん笑うようになったんだね」
「ニホンの皆と、ミア姉様やアヴィエラ嬢。そして、ピピナとリリナといっしょに〈らじお〉を作るようになったおかげです」
「そ、そうなんだ」
『ラジオ』って聞いた瞬間に、ぴくりと表情を引きつらせるステラさん。これは、相当ラジオに対してトラウマを持ってるんだろうなぁ……
どうにかしてそのトラウマを取り除かないとと思いながら、俺はふたりの姉妹のやりとりをそばで眺めていた。




