第136話 異世界ラジオのつたえかた⑥
「では、さっそく読むとしようか」
「……あのー、ルティさんや?」
「なんだ?」
「どうして片手だけで最初のほうのページを持って、あとは俺に差し出してるんですかね?」
「そんなのは決まっている。サスケもともに読みたくてな」
当然だとばかりに、本を開いたルティがさあさあと厚みのあるほうのページを差し出してくる。つまりは、1冊の本をふたりで読もうと、そういうわけですか。そう来ましたか。
まあ、ルティのお願いなら仕方ない。こっちの本は初めて見るわけだし、なんだかんだ言ってくるアイツらも下にいるから気兼ねする必要もないだろう。
「えーっと、こんな感じでいいのか?」
「うむっ、ありがとう」
厚みのあるページを左手でつかむと、ルティがうれしそうに笑ってこくんとうなずいた。ルティの笑顔が見られるなら、これくらいはお安いご用だ。
「ひとつのページを読み終わったら告げるから、次へとすすめてくれるとありがたい」
「りょーかい」
俺も小さくうなずいて、ふたりで手にした第1巻へと視線を向けた。
物語は、たつのこ姫が12歳の誕生日を迎えた朝から始まる。
いつものように着替えた服は、ドレスじゃなくてブラウスとズボンにマントっていう旅装束。友達で幼なじみな火の精霊と水の精霊に旅支度を手伝ってもらって謁見の間へ向かうと、王様と王妃様がそろって『巡礼の儀式』の始まりを告げた。
「サスケ、これはニホンが舞台ではないのか?」
「書いた人は日本人だけど、舞台になっているのは外国風の異世界だな。空也先輩が『ダル・セーニョ』で書いてる世界みたいなもの……というか、日本から見たレンディアールをイメージしてもらったほうが早いかも」
「我らの住む世界……ふむ、我は精霊大陸以外の場所は知らぬが、もしかしたら海の外にこのような国があると想像してみると面白そうだ」
「おー、そいつはいい考え方だな」
ルティの言うとおり、精霊大陸の外に『たつのこ姫』のような世界があるかもって考えてみると、確かに面白いかもしれない。もしかしたら、まだまだ知らない異世界かあるかもしれないもんな。
少しわくわくしながら、その先へと読み進めていく。
巡礼は昔から竜人族の王家にとってのしきたりで、12歳になった子は必ず行くことが決まっている。連れて行けるのは『誘いを受けてくれた精霊』だけで、ちょっとわがまま気味なたつのこ姫についていくと言ってくれたのは幼なじみの火の精霊と水の精霊しかいなかった。
「精霊様に嫌われて自業自得に気付くというのは、なんとも切ない……」
「どっちかっていうと、精霊大陸の精霊様のほうじゃなくて妖精さんたちみたいな対等な関係みたいだけど」
「それでもだ。やはり、わがままというのは過ぎるといけないというのがよくわかるな」
「ルティはわがままとか言ったことはないのか?」
「ほとんどない。そもそも、わがままが過ぎればおしおきが待っている」
「おしおき?」
「ああ。わがままを言えば、ごはんが食べられなくなるというおしおきが……」
「あー……」
「想像してみるがいい。母様やミア姉様、そしてステラ姉様やリリナが作るおいしいごはんが、自分の目の前にだけ置かれないところを……」
「そいつは辛い……」
ルティの目がだんだんうつろになっていくのを見て、そう強く実感する。こちらの王家は庶民的なだけあって、性格形成のきっかけもずいぶん庶民的らしい。
希望にあふれていたはずの旅のはじまりからつまずいて、姫はすっかりカンカン。王城からはるか遠くへと飛ばされて、ひとりと2体だけでどう旅をすればいいのか……と、自分の翼でうまく着地できなかったたつのこ姫は、山道で自分と同じようにボロボロな姿の女の子に助けられた。違ったところといえば、竜人族な自分が旅装束なのに対して、人間の女の子は1枚の布で作られたワンピースのような粗末な服。
どうしてそんな格好をしているのかと聞いてみれば、孤児院の名のもとに集められたみなしごたちを使った鉱山作業から逃げてきたらしい。
自分と同じ年代の子供たちが大人たちの都合で縛られていることを知ったたつのこ姫は、女の子にその孤児院もどきへ連れて行きなさいと命じた。
「ふむ。さすがにこのわがままは一朝一夕では治らぬか」
「むしろ、わがままなのがこの姫の特徴や魅力かな」
「そういう価値観なのか……我ならば、助けてもらってこのような態度などをとれるはずがない」
「まあ、この後を読んでみればわかるって」
「そうなのか……?」
女の子に連れられたたつのこ姫は、孤児院とは名ばかりの山奥のほったて小屋へと向かう。そこにいたのは子供たちばかりで、院長と呼ばれる男と氷の精霊によって支配されていた。たつのこ姫は女の子から事情を聞かされて、あまりの横暴っぷりに怒りが沸騰して何故か『服を交換しなさい』と女の子に迫った。
ボロボロの布の服をまとったたつのこ姫は水の精霊に王城への伝言を頼み、火の精霊といっしょに作業が再開された鉱山へと潜っていく。どんどん下のほうへ潜っていくと、疲れて動けなくなっていた男の子が院長と氷の精霊のふたりにいたぶられるところだった。その直前、たつのこ姫は男の子と院長の間に割り込んで助けに入る。
『あんた、それでも大人なの? 子供を守るのは大人の役目なのに、自分ではたらかないで子供に全部やらせるなんて、最低にもほどがあるわ!』
「なるほど、わがままであっても情には厚いと。この口上はなかなかよい」
「さっきの女の子への態度も、横暴そうに見えて関わったからには自分が行くって感じだしな。こういうところが、俺が小学生だった頃は人気だったんだ」
「快活で決断力があるとなれば、確かに惹かれるであろう。我の姉様方もそういった方々だから、気持ちはよくわかる」
たつのこ姫をたかが子供だとあなどった院長は、氷の精霊をけしかけて捕まえようとする。なんとか避け続けるたつのこ姫に、火の精霊が手伝いたいと言い出す。精霊のくせに悪事に荷担することが許せないことで心が通ったたつのこ姫は、火の精霊の力を借りて大人の身体へと成長していく。
成長したことで竜人としての能力が発揮できるようになったたつのこ姫は、手始めに氷の精霊に対して炎の玉を吐く。すると氷の精霊だったものはみるみるうちに姿を変えて、変身したり幻覚を見せたりできるいたずら好きの妖精だったことが明らかになる。
正体も支配の手口もバレた院長が逃げようとすると、怒り狂った姫はさらに大きな炎の玉を吐き出そうとしたとこで水の精霊から冷や水をぶっかけられて元の姿へと戻った。
「ふふっ、こういうきかん気のあるところはさすがに12歳の少女といったところか」
「まだ加減がわからなかったりする頃だからなぁ。落としどころを見つけるのって、結構難しかったりするし」
「こうして歯止めをかけてくれる者がいるのであれば、たつのこ姫にとって心強かろうな」
「第1巻もそろそろ終わりだから、結末を見てみようか」
「うむっ」
あまりの火の大きさに気絶した院長は、そのまま水の精霊が呼んだ兵士たちに逮捕されて王城へ連れて行かれることに。孤児院の状況を目の当たりにした兵士長へ、たつのこ姫は王女として孤児院の建て替えと、王城からきちんとした院長を呼ぶようにと命令する。院長のようにたつのこ姫を見くびっていた兵士長は、その気の強さに思わず返事をしてしまった。
孤児院の再建までを見届けたたつのこ姫は、再び旅に出ようと旅装束を着て朝早くに孤児院の外へと出る。そこで待っていたのは、同じく旅姿を整えた女の子。助けてくれたお礼に、巡礼の旅のお供をしたいとずっと待っていたのだ。みんなの後押しを受けて旅立ちを決めた女の子に、たつのこ姫はいつもの不敵な笑みを向けた。
『しかたないわね。いいわ、あたしのおとも第1号にしてあげる。あなた、名前はなんていうの?』
『わ、わたしの名前はミリュウ。おかあさんがわたしにくれた名前です』
『あら、人間なのに竜の名前をもってるのね。ますます気にいったわ! あたしの名前はコリューンだから、コリューン様でもコリューン姫でも好きなようによびなさい!』
『は、はいっ。わかりました、コリューン姫様!』
こうして、たつのこ姫と呼ばれるコリューンはミリュウというお供を得て旅を続けるのでした、と。
最後の一行まで読み終わると、本当に子供向けのシンプルな勧善懲悪モノだよなーと改めて思う。悪そうな人にはストレートに対峙して、自分の欲望には忠実に従う。これがちょっと年代が上なライトノベルへ行くと悪には悪の華があって、主人公もいろいろ考えたりする。もちろん『たつのこ姫』も巻が進んでいくにつれてそういう要素が少しずつ盛り込まれていくわけだけど、わかりやすくシンプルに書かれていたって記憶している。
あとは、この作品をルティが気に入ったかどうか――
「サスケ」
「うん?」
「帰りに本屋へ寄ろう。この物語、手元に置いておきたくなった」
って、すっかりお気に入りじゃないか。
図書館にいるせいか声のボリュームは抑えめで、それでも目がキラキラ輝いていたり、読み終わったばかりの1巻をぎゅっと胸元へ抱き寄せているあたりから、気持ちがよく伝わってくる。
「いいのか? 借りなくても」
「一度借りると、ずっと借りたまま手元に置いておきたくなってしまいそうだ……そうなると、後に読みたくなった人々へ迷惑がかかってしまうし、いっそ全巻買って我のものにしてしまいたい」
「わかった、本屋な」
熱く語るルティへ、俺も大きくうなづいて応える。
そこまで気に入ったのなら、俺が止める必要なんてない。本を置くスペースだってリビングに十分あるし、買えばいっそレンディアールへ持っていくなんて手もありだ。
「ルティって、本当にこういう冒険モノが好きなんだな」
「ああ、大好きだとも。レンディアールでも架空の大地を舞台にした物語が多くの作者の手で書かれていて、我もよく読んでいた。老若男女に好評だと聞いて読んでみたら我もすっかりとりこになってしまって、その時の熱い想いがよみがえってきたかのようだ」
「そっか。ちなみに、どんなところがよかったんだ?」
「なんといっても、たつのこ姫の痛快さだな。わがままではあるが行動には一本筋が通っているし、堂々とした態度が実に心地よい」
「堂々としているルティには、共感できるところがあるってことか」
「ち、違う!」
「えっ?」
「っ!?」
弾かれたように否定したことに驚いた俺に、ルティは『しまった!』とばかりにあわてて両手で口をふさいでみせた。
そのままじっとルティを見ていると、俺から視線をそらしながら口から手を離して、胸元で両手のひとさし指をちょいちょいとつつき合わせる。
「どちらかというとあこがれというか、なんというか……」
そして、しばらくして観念したかのようにぽつりと口を開いた。
「我がこうして偉ぶったしゃべり方をしているのは、姉様方の影に隠れないように強くあろうと思ったからで……だから、こうして自然にふるまえているたつのこ姫にあこがれるのだ」
「そういうことか」
ルティの古風で威厳のある口調には、そんなきっかけがあったのか。出会った時からずっとこの口調だったから、物心ついたときからこうだと思ってたら……
「? サスケは、今のを聞いて笑わないのか?」
「笑わねえよ」
意外そうなルティへ、俺はそうきっぱりと言って苦笑いしてみせる。
「俺だってたつのこ姫を読んで冒険にあこがれたり、姫の強さにすげえって思ったことがあるからな。もしルティを笑ったら、そう思った過去の俺を笑うことにもなっちまう」
「むぅ……サスケはそうとるのだな」
「こういうあこがれってのは誰だってあるもんだし、そっかぁとは思っても笑いはしないって。第一、ルティの口調とか仕草とか見てると、俺は自然だって思うんだけどな」
「まことか?」
「もちろん。それがルティの個性だって、俺は思うぞ」
またまた食いついてくるルティへ、今度は小さくうなずく。
初めて会ったときからルティの優雅な仕草に見とれたし、赤坂先輩のラジオのジングル録りのときに見せた力強い宣言にわざとらしさは一切無かった。うちの喫茶店で接客してるときも、ひとつひとつの所作がしっかりしてるってお客さんたちの間で密かに評判になってるんだから、ルティはもっと自信を持っていいぐらいだ。
「逆に、いきなりルティがたつのこ姫みたいに口調になったら面食らうかも」
「ほほぅ、言ったな?」
ルティはにやりと笑うと、さっきまで読んでいたたつのこ姫の1巻をぱらぱらとめくりだした。
「……うむ、ここだな」
「?」
そして、最後のほうでめくるのを止めたところでおもむろにすうっと息を吸い込む。
「『しかたないわね。いいわ、あた』……お、おほんっ、『あたしのおとも第1号にしてあ』、あ……『あげ』……『る』……」
「あー……あまり無理すんなー?」
「む、無理などしていないっ」
最初は自信満々だったのが、読んでいくうちにだんだん顔を真っ赤に染めていって最後は怒ったように反論してきた。なるほど、俺がああ言ったからたつのこ姫のセリフを読んでみたってわけか。
でも、こうして読んでいるうちに恥じらっていくルティの姿はかわいらしかった。なんというか、こうしていろいろなことにチャレンジしているルティを見てると微笑ましくなるんだよな。
「ううっ、我もおなごなのだし、演技もできるようになったから簡単だと思ったのだが……」
「長年慣れた口調だと、どうしてもな。それに、演技は演技でも『異世界ラジオのつくりかた』のはルティがルティ自身を演じてるって感じだし」
「そこかっ。我はもっと演技の幅を広げるべきなのかっ」
「そもそも幅を広げる必要があるのかどうか」
「ある。我もリリナのように幅広い演技ができるようになって、多くの民に聞かせて喜ばせたい」
手にしていた本をまたぎゅっと抱きしめて、ふんすと意気込むルティ。お姫様だしラジオ局の局長なんだし、これ以上背負い込まなくてもいいとは思うんだけど……まあ、やる気を削ぐのもなんだし、本人のやりたいようにやらせてみよう。
「じゃあ、たつのこ姫を全巻買ったらそれで朗読の練習とかしてみたらどうだ?」
「朗読か。いっそ、ヴィエルに戻ったらラジオでたつのこ姫の朗読をするというのもよいな」
「もちろん、ルティがたつのこ姫役でな」
「む? ……えっ」
って、どうしてそこできょとんとしてまた顔を赤くするんですかね。
「わ、我はどちらかというと、ミリュウのほうが……」
「おいおい、さっきの勢いはどこへいったよ」
「あれはサスケを驚かそうとしたわけで……こういう役は、リリナやアヴィエラ嬢にやってもらったほうがよいのではないかと……」
「お前なぁ……まあ、ルティがそう思うんならミリュウでもいいかもしれないけど」
「そ、そうだな。そうであろうな」
気を取り直させようとしたら、思いっきり俺の言葉に乗ってきやがった。まったく、肝心なところでルティは自己評価が低いんだから。
「ところで、そのリリナやアヴィエラ嬢たちの姿が見当たらないようだが」
「ん?」
ルティに言われてあたりを見回してみると、確かに児童室の中にアヴィエラさんとリリナさんの姿はない。それどころか、子供たちの姿も少なくなっている。
時計を見てみれば、午後4時ちょっと前。って、1時間以上も『たつのこ姫』を読んでたのか。もしかしたら、みんな下にでも行って……あっ。
「フィルミアさん、あっちの部屋にいるみたいだから行ってみるか」
「そうだな」
俺の問いかけにルティが小さくうなずいたのを見て、イスから立ち上がる。奥まった部屋のほうを見ると、ルティやサジェーナ様、それにステラさんと同じ銀色の髪が見えたから、きっとあの部屋にみんながいるんだろう。




