第114話 異世界の日の出と少女の夜明け②
「あ、あのな、サスケ。えっと……母様は、そのときの我の〈らじお〉を聴いていたのだろうか?」
「ああ、みんなといっしょに聴いてたぞ。リリナさんとふたりで、微笑ましそうに聴いてた」
「微笑ましそうに、か……」
俺の軽い答えに、歩みが遅くなったルティは考え込むようにしてうつむいた。たぶんだけど、そういうことなのかな。
「おとといのラジオ、やっぱり気になるのか」
「わかるか」
「そりゃあ、その顔を見たらな」
問いかけて顔を上げたルティは、ぼうっと光っている陸光星の明かりを不安そうな瞳に映していた。
「仕方がなかろう。緊張の極地にあったのだし、試験放送とはいえ多くの者が聴いているのだから……」
「でも、サジェーナ様は喜んでたぞ。ルティがこうして、人前で話すようになったのねって」
「母様がそうは言ってくれても、あの出来はやはり無しだ。あれが〈ろくおん〉であったらどんなによかったことか」
「それが生放送ってもんだ……って言いたいところだけど、やっぱり経験していくしかないよ。俺だって始めの頃はめちゃくちゃ緊張したし、時間とかに追われるみたいな独特の雰囲気は慣れるしかないんだ」
「それは、わかってはいる」
今度はほっぺたをふくらませながら、ついっと俺から視線を外して前を向いた。ちょっぴり拗ねているみたいで、とても可愛らしい。
「わかってはいるのだが……母様には、もっとよきものを聴いてもらいたかった」
だけど、その悩みは結構深刻で。
「昨日、ユウラ嬢が流れるような対話を見せてくれたであろう。あのように話せていればと、我の力のなさをまざまざと思い知らされたのだ」
「だからか。昨日ユウラさんをぼーっと見てたのは」
「知っていたのか?」
「有楽が暴走したとき、たまたまな。呆気にとられてたっつーか、見入ってたっつーか、そんな感じだったろ」
「……そんな生やさしいものではない」
絞り出すように言ったきり、軽くうつむく。
それでも、歩みを止めることはない。このままだと通りの石畳につまずいたりして危なっかしいと思った俺は、ルティの左手をとってきゅっと軽くにぎった。
「っ……」
驚くように、俺の手をぎゅっと強くにぎり返すルティ。すぐに気付いたのか力が抜けていったけど、それでも手を離すことはなかった。
しばらく、無言のまま南通りを歩いていく。
昇りはじめた陽の光はこの通りにも届きだして、空の真上で深い青から紫へのグラデーションへと移り変わっていく。
うつむいたままのルティが、それを見ることはない。だからといって、声をかける雰囲気でもない。
「おう、サスケじゃないか。エルティシア様もごいっしょで」
気がつけば、警備隊のラガルスさんがいる南門へとたどり着いていた。
「おはようごさいます。ふたりで早く起きたから散歩してたんですけど、ルティが疲れたみたいだからちょっと外でのんびり休もうかなって思って」
「なるほどな。気分は大丈夫ですか? エルティシア様」
「う、うむ。我なら大丈夫だ。サスケの言うとおり、少し疲れただけで……」
「それならばよいのですが。サスケ、そこの土手のあたりで休んでいただくといい。警護も……ああ、ディム坊がいれば安心だな」
俺たちが来た通りを見たラガルスさんが、納得したようにうなずく。まだ薄暗いこともあって俺にはよく見えないけど、このどこかにひそんでいるんだろう。
「ありがとうございます、ラガルスさん」
「なんの。エルティシア様も、お気をつけて」
「うむ」
ラガルスさんに見送られて、街の門を出る。俺たちが歩いてきた大通りは南へと伸びる土の道へと変わって、その両側を包み込むようにして小麦畑が果てしなく広がっている。
3ヶ月前に訪れたときには一面の緑だったのが、今は色づいているのかすっかり様変わりしていた。まだうす暗くてよく見えないのが残念だけど、やっぱりこっちでも季節は流れているんだな。
「ルティ、ここでいいか?」
「……ああ」
その小麦畑が見渡せる、街を囲むようにして作られた土手へ腰を下ろすとルティも右隣にちょこんと座った。生い茂った草がいいクッション代わりで、座り心地も悪くない。
涼しい風は小麦畑にも吹き渡っているみたいで、穂を揺らすさざめぎがそこかしこから聴こえてくる。日本のどこかにもこういう光景があるのかもしれないけど、ほとんど首都圏から出たことのない俺にとっては初めての光景だった。
「サスケは」
折り重なるようなさざめきの合間に、ルティがぽつりと口を開く。
「誰かをねたんだことがあるか?」
「えっ?」
かすれるような声は、出会ってから初めてから聞く辛そうなトーンで。
「我は昨日、大切な友人をねたんでしまった」
「それは……ユウラさんのことか?」
「そうだ」
「ラジオの練習で、トークが上手かったからか?」
「……そういうことになる」
ひざを抱えて、ルティがまたうつむいた。
「ヴィエルに来るまでは、兄様方や姉様方が農業に芸術にと様々な才能を花開かせてゆく様をただただ笑顔で見ていて……そうすることが、当然だと思っていた。
おととい、ユウラ嬢と話していたときもそうだ。しかし、初めて〈らじお〉でしゃべるはずのユウラ嬢が見せた才能を目の当たりにして……我は、抱いてはいけないはずのねたみを抱いてしまったのだ」
俺に顔を見せなくないのか、顔を伏せたまま告白を続ける。
震える声は、ただただユウラさんに感じた悔しさを絞り出しているかのようで。
「ユウラ嬢の話術が、あんなに上手いとは思わなかった。年齢も近いのに、話題の引き出しや受け答えなど、我には及びもつかぬ。ニホンで初めてサスケとカナとともに〈らじおばんぐみ〉を作ったときとは……比べものにならないくらいに上質で……一瞬だけでも、わずかばかりでも悔しいと、ねたましいと、そう思ってしまって……」
途切れ途切れの告白で、昨日ルティが見せた表情の理由に合点がいく。
確かに、ユウラさんは初めのラジオ収録とは思えないほどにめいっぱい楽しんでいた。俺と有楽からの振りにも歯切れよく答えて、最後にはコツをつかんだのか流暢にお店の宣伝までやってのけてみせた。
それを目の当たりにした俺はただすごいって思っただけで、有楽にいたっては練習が終わったあとに『ラジオ仲間ができてうれしい!』ってワクワクしていたぐらいだ。
でも、逆にそれを見て圧倒されたり、悔しくなったりする人がいたっておかしくはない。自分のほうが経験があるって思っているところでその才能を見せられたら、なおさらだろう。
「ルティにだから言えるけど……俺だって、そう思うことはたくさんあるよ」
「……まことか?」
「ああ」
ゆっくりと顔を上げて意外そうな表情を向けるルティへ、小さくうなずく。
「昔は、プロのパーソナリティやアナウンサーのトークを聴いてて憧れていただけだった。でも、俺もラジオの仕事を目指すようになってから『どうやったらこんな上手いトークができるんだ?』とか『こんなに上手くゲストと話しが回せるなんて、どんな頭の切り替えをしてんだ?』とか、うらやましくなったり嫉妬したりして……ここ最近じゃ、毎週土曜は嫉妬のしっぱなしだ」
「ドヨウだと……? まさか、カナのことか!?」
「その通り」
きっと、思い浮かんだ名前が意外だったんだろう。ひざをかかえて座っていたルティはそのひざを崩すと、乗りだすようにして俺の顔をのぞき込んできた。
「あいつはどんな話題を振ってもすぐに打ち返してくるし、上手い具合にトークを荒らすこともあれば自分でまとめることもできる。同じ声を扱う職業を目指しているのに、あいつは一歩も二歩も先に行きやがって。番組があいつの色に染められて、やられたなんて思うことはしょっちゅうさ」
情けなく笑いながら、俺はルティへその理由を話していく。
今年の4月から『ボクらはラジオで好き放題!』のパーソナリティを担当することになった俺は、ひとつ年上の先輩として入学したての有楽をリードする気でいた。
本職の声優とはいってもなりたてだし、ラジオはまだ経験してないはず。生放送ならではの緊張のほぐし方とか放送開始直前の入念な打ち合わせとか、付け焼き刃で先輩風を吹かせる俺の話を有楽は真剣に聞いてくれたから、残る本番は万全の体勢でサポートしていく……はずだったのに。
『初めまして! 若葉南高校の新入生で松浜せんぱいの一番弟子、有楽神奈ですっ!』
『ミッションカード、ミッションカード……うーん。せんぱい、どれを選んだらラジオの第1回的に面白いですかねー?』
『〈昨日未明、若葉市西門町にあるコンビニエンスストア・ジャルネマート若葉西門東店にアナコンダの着ぐるみを来た男が押し入り、棚にあった生麦生米生卵を奪った上にカウンターへ置かれた現金650円を強奪。外にあった除雪車除雪作業中の看板で店員を威嚇しながら逃走しました。その後警察が行方を追ったところ、すぐ近くに住む自称シャンソン歌手・サルマリトーレ権堂容疑者が着ぐるみを洗濯しているところを発見。窃盗の容疑で逮捕しました。権堂容疑者の自宅からは未使用のクタクタなシャツ100着が見つかっており、警察は余罪を追及しています〉……言えたー!』
『月末からのラジオドラマでは、せんぱいたちに負けないくらいの演技でがんばりますっ!』
開口一番で緊張をぶっ飛ばして、歴代の先輩たちから送られてきた無茶振りのミッションカードをワクワクしながらチョイス。引き当てた早口言葉つきのニュース原稿もさらりと読み上げた上に、自分からラジオドラマの宣伝をしてみせる度胸も見せつけて第1回からとんでもない存在感を発揮していた。
トークスキルも度胸も、どう見たって俺以上。いきなりひょっこりやってきて場を荒らされたような気がして、落ち着くまでに数日かかるぐらい悔しくてたまらなかった。
「なるほど。カナの度胸はそなたと出会う前からのものであったのか」
「現役声優は伊達じゃないって思い知らされたよ。よく調べてみれば、わかばシティFMでやってる事務所の社長さんの番組でアシスタントをしてたし、実績で言えば俺よりずっと上だ。それでも実力の差を見せつけられたのは悔しかったし、やっぱりねたましく思ったことだってあった」
「では、どうして平気な顔をしてカナと〈らじお〉をやっているのだ?」
「平気っつーかなんつーか……まあ、すぐに『負けてられっか』って思えたからかな」
「『マケテラレッカ』……とな?」
「有楽だけに、番組を面白くさせてたまるかって。俺だってパーソナリティなんだから、俺が面白くしなくてどうするんだってさ」
「???????」
俺の言葉がなかなか理解できないのか、ルティは首をかしげるばかり。
「つまり、サスケはうらやみやねたみを力にしている……ということなのか?」
「どっちかっていうと、力に変えているっていうのかな……えっと、その、ルティはそんな風に考えたことはなかったのか?」
「そのようなことは、考えてすらなかった。ねたみというものは自らの中で押し殺し、時をかけて溶かしてゆくものであると、我は思っていたのだが」
「あー」
心の底から不思議そうに、ルティがつぶやく。なるほど、生まれたねたみは自分の中で消化しようとしていたってわけか。
でも、それだと時間がかかるし、暴発させることにもなりかねない。だったら、それをもっと早く消化させればいいわけで。
「例えばだけどさ。初めてリベルテ若葉の試合を見に行った時にルティは『負けるな』って言いながら選手に応援していただろ。もしルティがあの時の選手の立場だったらどう思う? 1点負けてて、相手が有利で」
「それはもちろん、負けたくないと思うだろう」
「だよな。そりゃあ、負けたくないって思うよな」
「ああ。……っ!?」
ちょこんとうなずいてからしばらくして、ルティがはっとしたように表情をこわばらせてぽんっと手を叩いた。
「『負けてられっか』というのはそういうことか!」
「まあ、俺たちの場合は試合じゃないし、勝ち負けとかそういうのはないから……負けられないっていう気持ちをバネにして、先へ行く相手を追いかけるって言ったほうがふさわしいかもな」
「その者の隣に並び立てるよう、努力していくと」
「そういうこと。ただ嫉妬していても心の中でもやもやをふくらませるだけだから、そんなことをしているヒマがあったら一歩でも早く追いつかないと」
「確かに。その場に立ち止まっているだけでは、ただ差が広がる一方であろうな」
納得したようにルティは何度もうなずいて、さっきまでの曇っていた表情がうそみたいに力をみなぎらせていた。
「で、ここまで踏まえたルティはユウラさんをどう思ってるんだ?」
「負けたくない。ユウラ嬢に負けないくらいに話術を磨き上げて、ユウラ嬢とともに我らの〈らじお〉を盛り上げていきたい!」
「その意気その意気。すごいって思ったら思っていいんだし、ねたんだり悔しくなったりしたら、それをバネにがんばっていけばいいんだよ」
「そうか、そういうことか。我の心にかかったもやが一気に晴れ渡ったぞ!」
そして、笑顔も戻っていく。
昇りかけている太陽を背にした笑顔はとってもかわいらしくて、初めて出会ったときの夕焼けを背にした笑顔以上に晴れやかで。
「ありがとう、サスケ。そなたに打ち明けてよかった」
「ルティが話してくれたから俺も話せたんだ。言っておくけど、これは絶対に内緒だからな。有楽には絶対バレたくねえ」
「我とてサスケだから話したのだ。先ほどのことは、すべて二人の間での秘密とすべきだな」
「ああ、俺たちだけの秘密だ」
「うむっ」
にぱっとした笑顔を見せてくれて、本当によかった。
気持ちのやり場がわからない上に、吹き飛ばす方法を知らなかったらそりゃあもどかしいはずだ。その手助けができたのだとしたら、俺としてもうれしい。




