第113話 異世界の日の出と少女の夜明け①
ベッドの上で、寝返りを打つ。
ふかふかとした布団のようなマットは身体にフィットしていて、身体を包むぐらい大きな布も肌触りがとても気持ちいい。
マットレスもタオルケットもないことで最初は不安だったけど、つくりがいいのか、それともリリナさんがていねいにメンテナンスしているおかげなのか、安心して寝転がることができた。
それでも、根本的な問題に直面してしまうと眠れないわけで。
「さみぃ」
寝返りをうったついでに布で身体をくるんではみたものの、生地の隙間からひんやりとした空気が入り込んできて容赦なく俺の眠気を奪っていく。
夏でもヴィエルの朝は涼しいって言われていて、昨日も一昨日も確かに涼しくて寝やすかったけど……まさか、ここまで気温が下がるなんて。
こっちに来てからリリナさんが『もしよろしければ、もう一枚大布をご用意しましょうか?』って3日連続で言ってくれたのに、平気だって即答で断った俺を説教してやりたい。せっかくの好意を台無しにしやがった、俺の馬鹿と言ってやりたい。
……ああ、そうですよ。しっかりとのどのケアをしていた有楽や、その有楽にのどのケア方法を教えてもらっていたリリナさんとフィルミアさんのことを『感心、感心』とか偉そうに見守っていた俺は馬鹿ですよ。
そんな風に自分で自分を罵ってはみたけれど、身体があたたまることはないし、眠気が来ることもない。
「……あ~」
情けないって自分で思えるぐらいにうなりながら、一度仰向けになって身体を起こす。
真っ暗な部屋の中、手探りでベッドサイドを探ると人差し指に硬い感触がぶつかった。後は落とさないようにして……よしっ、取れた。
続いて手探りでボタンを押すと、暗い部屋の中でスマートフォンの画面がぼうっと光り始めた。
ロックスクリーンに表示された時間は、朝の4時ちょっと過ぎ。寝たのが昨日の夜11時ちょい前ぐらいだから、一応5時間ぐらいは寝られたのか。
画面のバックライトを点けたままスマートフォンをベッドに置いて、その明かりを頼りに木枠を探って窓を跳ね上げる。
「……へえ」
そこに広がっている世界は、とてもきれいなものだった。
空一面に広がっている星空は、いつものヴィエルの夜とまだ変わらない。でも、そこから左――西のほうへ目を向けてみると、その夜空が黒から紫へのグラデーションを作り出して、ずっと遠くにある円環山脈の稜線をオレンジ色に彩っている。
その紫色の空で星が瞬いて、オレンジ色に染まり始めた稜線へと消えていく。ヴィエルの街もその小さな光に少しずつ照らされて、これから一日が始まろうとしていた。
「よしっ」
すっかりだるさも眠気も吹き飛んだ俺は、窓を閉じるとベッドサイドのバッグの中から替えのジャージを取りだした。シャツの上から上着を羽織って、ハーフパンツをズボンに履き替えてからスニーカーを履いて、軽く伸びをしながら立てば準備完了。
これを着て寝ればよかったんじゃないか……なんていう疑問は棚に上げながら部屋のドアを開けると、陸光星の明かりでぼうっと照らされた廊下はしんと静まりかえっている。
階段を下り始めても、台所がある2階に差し掛かっても、1階の玄関ホールに下りても、物音は俺の足音と呼吸の音だけ。みんな早起きとはいっても、さすがにこの時間じゃ早すぎるか。
「……あれっ?」
ふと、玄関の鍵を開けようとしたところでおかしいところに気付く。
「鍵、開いてるじゃん」
寝る前になるといつもリリナさんがチェックしているはずの鍵は内外両用のも内側専用のも開いていて、分厚いドアを押せばすぐに外へ出られるようになっていた。
おかしいと思いながら両手でドアを押し開けると……すぐそこに、犯人らしき人影があった。
「いち、にー、さん、し、にー、に、さん、しっ」
小さくつぶやきながら、屈伸運動をしている人影。まだ空は暗いしこっちに背を向けているけど、時計塔の窓から降り注ぐ陸光星の光が長い銀髪を照らしているからすぐにわかる。
「おはよう、ルティ」
「っ!? ……なんだ、サスケか」
俺が声をかけたとたん、小さな人影――ルティは軽く飛び退きながらこっちを向いて、安心したように息をついた。
「なんだ、じゃないって。ドアの鍵が開いてたからどうしたって思ったぞ」
「そういうサスケこそ、着替えてどこかに行こうとしているではないか」
「早く起きたから、散歩でもって思ってさ。ルティも朝の体操か?」
「軽く走る前に、その準備運動をしていたのだ。しかし、散歩か……」
つぶやくように言ったところで、見上げていたルティがうつむき気味に視線を外す。いっしょに行こうか考えているんだろうけど、
「いっしょに行くか?」
「よいのか?」
「ああ。たまにはふたりでのんびり散歩しようぜ」
久しぶりに、俺のほうから誘ってみよう。
「ありがとう。では、我も同道しよう」
「おう、道案内は任せた」
「まさか、それが目的か? 言っておくが、我もヴィエルに来てからまだ9ヶ月なのだから、そんなには詳しくないぞ」
「いいっていいって。迷うときは一蓮托生だ」
「なにをぬかすか」
おどけて言う俺に、ルティもおどけて返す。最近は誰かがいっしょにいることが多かったから、こうしてふたりで軽口をたたき合うのは久しぶりだ。
しゃべりながら市役所のほうへと歩き出してドアを三度ノックすると、中から強いくせっ毛のおじさんが現れた。
「エルティシア様とサスケ殿でしたか。おはようございます」
「おはようございます」
「おはよう、デラーテ殿。早く起きすぎてしまったから、サスケとともに朝の散歩へ行ってくる」
「わかりました。では、警備隊の者をつかせましょう」
「そうだな……ひとり、少し遠目から頼めるだろうか。ふたりで話すこともあるのでな」
「では、息子のディムをつかせます。サスケ殿、気をつけて行くように」
「もちろんです」
重々しいデラーテさんの言葉に、俺も短く返事をしながらうなずいた。
ピピナとリリナさんがいないときは、こうして必ず警備隊の誰かがつく。普段は距離が近いからあまり意識することがないけど、こういう時はルティがこの国のお姫様だっていうことをどうしても実感させられる。
デラーテさんに迎え入れられて入った市役所は、時間外っていうこともあってか少ない数の陸光星でぼんやりと照らされていた。普段は人が多いオフィスには誰もいないし、外へのドアを開けてもいつも人が行き交っている市役所広場は薄暗く、そしてひっそりとしていた。
「で、サスケはどこへ行こうとしていたのだ?」
「別にあてとかはなかったんだけど……まあ、行くとしたら北の市場通りか南のでっかい畑かな。のんびり景色が見られればそれでいいかなって」
「それでは、南へ行くとしよう。朝の陽に照らされた小麦畑はなかなか見物だからな」
「じゃあ、そっちで」
「うむ」
行き先が決まったら、市役所のドアを閉じて警備隊の人たちに軽くあいさつ。誰もいない広場をルティの小さな歩幅に合わせてゆっくり歩き始めると、長い銀髪がひんやりとした風にさらりと揺らされて、黒地に赤いラインが入った衣服の上へと広がっていった。
「よき夜明けの空だ」
「さっき窓を開けてみたらとってもきれいでさ。せっかくだから、この中を散歩してみようって思ったんだよ」
「気持ちはよくわかる。我も、この空が大好きだ」
軽く見上げるルティにつられて俺も西の空を見ると、さっきまでは円環山脈の稜線をわずかに染めていたオレンジ色の空がほんの少しだけ近づいて、オレンジから紫へ。そして果てしなく深い夜空へとグラデーションを作り出していた。
高い建物や電線みたいにさえぎる物もほとんどないし、月がないこともあってか小さいものから少し大きめものまで、色々な星が天高くきらきらと瞬いている。
たったこれだけのことでも、ここが地球とは異なる世界なんだって実感する。
そのまま市役所のまわりを沿うようにゆっくりと歩いていって、西通りから南通りへ。住居地区になっているこっち側は木造りのものから石造りのものまでいろんな家があって、等間隔に置かれている街灯代わりの陸光星の光が淡く照らしていた。
「サスケが初めてこっちに来たのは、ピピナに連れられたときか?」
「ああ。市役所をちょっと通り過ぎたあたりで『ルティが無事だって伝えたほうがいいんじゃないか?』って言ったらあわてて飛んで行ってさ。俺も有楽も、魂のまま置いていかれたんだよ」
「なんともピピナらしい」
「そういや、そのピピナはどうしたんだ?」
「今日はリリナとともに眠っている。我もミア姉様と眠っていたから、昨晩は姉妹同士で眠ったことになるな」
「そっか」
「以前は我とピピナ、ミア姉様とリリナで眠ることがほとんどだったのだが、今では半々といったところか。ふたりの仲がよくなってから、すっかり様変わりしてしまった」
残念そうな言葉とは裏腹に、ルティはくすりと笑いながらピピナとリリナさんのことを話す。初めてここへ来たときは険悪だったふたりが今じゃ仲のいい姉妹なんだから、間近で見てきたルティとしてはそれがうれしいんだろう。
それをきっかけにして、話はフィルミアさんやサジェーナ様の話へと広がっていく。
ここ最近のフィルミアさんはピピナやリリナさんといっしょにリコーダーを吹きに誘ってきたり、料理を教えてくれたりと前にも増してふれあうことが多くなったらしい。
逆に、ルティからのラジオドラマの練習のお誘いもふたつ返事で受けて、そのままピピナとリリナさんもいっしょに練習することが多いんだとか。
サジェーナ様はというと、視察の公務の合間に農作業をしたり料理をしたりと気ままな生活を送っているそうだ。元々ヴィエル出身だから街の人たちとは顔なじみだし、視察とはいっても街の見回りのようなもの。みんなを誘っては新しく見つけたお店へ行ったり、北にあるヴィエルとの国境近くへ行っては森林浴をしたりと、のんびりとした時間を過ごしているらしい。
「サスケは、昨日母様と農作業をしていたのだったな」
「有楽とピピナと、フィルミアさんと中瀬とな。農作業なんて今までは田植えぐらいだったけど、ていねいに教えてもらえたからすぐに慣れたよ」
「中央都市では農業指導を担当しているぐらいだから、教えるのも上手なのであろう。我も、母様に教わるのは大好きだ」
「サジェーナ様も、娘たちといっしょに農作業をするのが楽しみだって言ってたな。おとといはルティがラジオで来られなかったけど、また今度誘いたいなってさ」
「そ、そうか」
「?」
ラジオのことにふれたとたんに、ついさっきまで弾んでいたはずのルティの声がかたくなになる。
……俺、何か変なことを言ったか?




